80年目の夏に

コラム「架橋」

 「一銭五厘たちの横丁」(児玉隆也著)復刻版を早速読んだ。戦時中、東京下町で撮った氏名不詳の99枚の写真をもとに、戦後30年を前に捜し当てた人、それぞれの「戦争」を描いた本だ。写されなかった「100枚目」は「歴史に名を留めることのない無量大数の氏名不詳の日本人・・同時にそれは、天皇から一番遠くに住んだ人々の一つの昭和史を聞き取ることである」と記されている。
 戦地の夫や息子に送る「家族写真」。小奇麗な服装で精一杯の笑みを浮かべ元気な姿を伝えようとする。指物師、麩屋、小間物屋、香具師、下駄屋・・「一銭五厘」の切手をペタッと張った「赤紙」一枚で戦地に駆り出された人たち。30数年前「この露地にラッパが響き《みよ東海の空あけて》の歌声が軒にこだました。その中を武運長久の襷をかけてカトさんの長男は出ていった。
 いま、同じ路を、カトさんの棺が通る。ラッパも太鼓もない」。「三度も一銭五厘の葉書をもらい其の度に大黒柱を取られ戦争貧乏よ。みんな万歳!万歳! って言ってたけど言えなかった。戦争なんか 思い出したくもない」。
 帰還した元兵士は《天皇陛下万歳! と叫んで死んだ兵士は一人もいない。弟と同じ少年航空兵も、故郷に妻子を残した古参兵も、みんなお母さーん!と叫んで死んだ》と。
 6/23沖縄戦没者追悼式での平和の詩「おばーちゃんの歌」。一年に一度おばーちゃんがうたう歌は、心と体に受けた大きな傷と悲しみのなかから「生命」「平和」の大切さを伝え、少年は「一生懸命生きていく」と叫ぶ。
 心が震えるような平和の詩だ。戦後80年、戦争・紛争は絶えることはなかった《今も》。家にも軍刀を小脇に軍服姿のセピア色の写真があった。
 「忠君愛国」を叩きこみ死を強制してきた戦争の歴史。「見よ!世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ ぼくら 今度は後にひかない」戦後80年東京の空に翻った「一銭五厘の旗」。そうだ! 私たちの抵抗の旗、闘いの旗を高く掲げよう!平和のために! (朝田)