「日の丸・君が代」の法制化による容認へ

「普通の国民政党」に 向けてさらに踏み出す

日本共産党批判「日の丸・君が代」の法制化による容認へ「かけはし」99.3.8号
「普通の国民政党」に 向けてさらに踏み出す

 広島での高校校長の自殺をきっかけに、小渕政権は「君が代・日の丸」の「国歌・国旗」としての法制化に向けて動き出している。「君が代・日の丸」を「国歌・国旗」として扱うためには法制化が必要だ、という共産党の見解は、この党の「国民政党化」をさらに深めるものであるとともに、今回の小渕政権による「君が代・日の丸」法制化の動きを促したといえる。「国歌・国旗」法制化反対に向けて闘おう。

私がつけたのはただのマーク?
 「日の丸のついたユニホームを着たことをとやかく言う人がいるが気にしません。……私がつけたのは、ただのマークです。でも、中田君じゃないけど、君が代はやっぱりダサいよね」。
 この言葉は、日本共産党の穀田恵二衆院議員のものである(1月13日「朝日」、「ニッポンこう変える――若手政治家の私案」)。穀田は、昨年10月に日韓国会議員親善サッカーのために韓国を訪問した時、日の丸のユニホームを着たことにふれてこう語っているのだ。この問題が、たとえばオリンピックの選手団の一員が日の丸ユニホームを着ていることなどよりも、はるかに意識的な政治的行為であることは言うまでもない。
 35年におよぶ植民地支配の中で、天皇制日本帝国主義が朝鮮半島の民衆に強制した日の丸は、今日においても日帝の暴政の象徴として韓国民衆から厳しい拒否の視線を浴びている。韓国で行われた「日韓国会議員親善サッカー」が、2002年のワールドカップ日韓共催とそれ以前に計画されている天皇訪韓に向けた政治的地ならしとしての、「未来志向」的友好ムード盛り上げのために企画されていることはもちろんである。
 穀田が韓国で「日の丸」をつけてサッカーをすることの意味を自覚できないわけはない。彼は「日の丸はただのマーク」と言い放つことによって、「日の丸」に対する韓国民衆の拒否感に政治的に敵対する行為に日本共産党衆院議員として加担したのである。
 穀田は、共産党の幹部会委員で書記局員という党最高幹部の一人である。「日の丸」に対する、彼のそうした容認姿勢は決して彼個人の判断によるものでないことは明らかだ。それは「君が代・日の丸」に対する党の公式の態度が出されることによって確認されることになった。

法的根拠を作れという論理

 「しんぶん赤旗」は2月16日付の紙面で、発売中の『論座』3月号に掲載された「『日の丸・君が代』をどうとらえていますか」というアンケートへの日本共産党の回答を転載し、それに「国民主権の憲法下の国歌・国旗のあり方」という解説を付けている。
 「回答」の中で共産党は、「君が代」が「天皇の日本統治をたたえる意味で使われてきた歌であり、『国民主権』を定めた現憲法とは相いれない」こと、また「日の丸」についても「太平洋戦争中、侵略戦争の旗印となってきたことから、国民の中に拒絶反応をもつ部分が大きくあり、現在でも国民的な合意があるとはいえません」と述べている。しかし、この回答の核心は、続く第二の部分において「さらに重大なことは、『君が代』『日の丸』がなんの法的根拠もなしに、『社会的慣習』を理由に、一方的に国歌・国旗として扱われていることです」と述べていることにある。
 天皇主権と侵略戦争のシンボルであり、しかも法的根拠を持たない「君が代」「日の丸」の「国歌・国旗」としての取り扱いは不当なものであるという主張からストレートに「君が代・日の丸」を通した国家主義的風潮への批判が導き出されることを人は期待するだろう。しかし共産党は、ここから驚くべき論理のすりかえ的操作を行うのである。共産党は次のように述べる。
 「国歌・国旗の問題を民主的な軌道にのせて解決するためには、国民的な合意のないまま、政府が一方的に上から社会に押しつけるという現状を打開し、法律によってその根拠を定める措置をとることが、最小限必要なことです」。「そして法的根拠を定めるということは、国民の意思が変わった場合、民主的に改定する道も開くことにもなり、国民主権の原則にふさわしいものだと考えます」。
 つまり、「君が代・日の丸」には法的根拠がないのだから、「国歌・国旗」としての法的根拠を作れ、と共産党は言っているのである。もちろん彼らは、その法的根拠の制定にあたって「ただ国会の多数決に委ねるということではなく、この問題についての国民的な合意を求めての、十分な国民的討議が保障されなければなりません」とか「仮に法制化が行われたのちでも、これは、国が公的な場で『国と国民の象徴』として公式に用いるということであって、教育の場にも、また国民一人ひとりにも強制すべき事柄ではありません」という言い訳を行っている。しかしいかに取りつくろおうとも、共産党の「回答」の趣旨が、「君が代・日の丸」を「国歌・国旗」とするには法制化が必要だというものであることは間違いない。

民衆の保守的意識への迎合

 共産党はこの「回答」への「解説」の中でも、こうした法制化の手続きをふんでおけば、将来における改定の可能性もふくめて「国歌・国旗が名実ともに国民的合意に支えられたものとして受け継がれてゆくことになります」とも語っている。共産党は、天皇制と侵略戦争の象徴だったと自ら批判してきた「君が代・日の丸」もふくめて「国民的合意」に裏付けられた「国歌・国旗」の必要性を主体的に受け入れているのである。それは「国歌・国旗」による「国民的一体感」=国民的・ナショナリズム的統合の論理を受容することを意味する。
 「君が代・日の丸」問題での共産党の転換は、昨年の「暫定連合政権」構想の中での「安保維持」政権への参加、「象徴天皇制」の積極的容認と一体のものであり、「資本主義の枠内での改革」をさらに純化した、経団連など財界にも受け入れられる「日本改革」論と結びついたものである。
 「暫定連合政権」の構想は、自自連合政権の成立によって当面の展望としては頓挫した。新ガイドライン関連法案に関しても、共産党は昨年秋の段階での「国会事前承認」を付加することで全野党の一致点を見いだすという方針を後景化させて、廃案に的を絞ったキャンペーンに力を注いでいる。しかしその政権構想が不破・志位指導部の基本路線として継承されていることは明らかである。むしろ、共産党もふくむ「暫定政権」構想の非現実性があらわになればなるほど、共産党は自らを「普通の国民的政党」としてイメージさせるための右翼的転換をさらに深めていくという力学が働くのである。
 共産党は当面の政権の枠組みの中では日米安保の現状維持と象徴天皇制の規定を承認することを明確にしてきたが、さらには「君が代・日の丸」についても、法制化した上で「国旗・国歌」として容認する、と主張するまでになった。しかし、「君が代・日の丸」が侵略の象徴であるだけではなく、それが法的根拠のないまま「国歌・国旗」として扱われていることの方が「さらに重大なこと」と位置づけ、だから「法制化」の必要があるというのは余りにも苦しい言い訳である。しかしこの言い訳は、「日の丸」を振り、「君が代」を歌う民衆の意識におもねろうとする共産党の路線の帰結でもある。
 冒頭に紹介した穀田衆院議員の「私がつけた日の丸はただのマーク」という主張には、「日の丸」が果たした侵略的国家主義への批判は一かけらだに感じられない。それはまた、愛国主義と民族主義のくびきにとらわれた日本共産党全体の問題でもあるのだ。
 (2月28日)(平井純一)

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