プロレタリアートの階級闘争と党
酒井与七
<目 次>
一 党と労働組合のためのマルクスとエンゲルスの闘い
「すべての階級闘争は政治闘争である」
プロレタリアートの階級的結集と党
共産主義的前衛と労働者政党
(補注)
二 プロレタリア革命における共産党の役割――レーニンの前衛的革命党の主張
レーニンの決定的転換
労働者階級の前衛としての党
絶対主義国家権力の打倒にむけて
共産主義前衛としてのプロレタリア革命党
三 党のためのレーニンとボリシェビキの闘い
「党の綱領、組織、戦術」党のための二つの闘い
革命的理論・綱領・階級的戦術のための闘い
革命的プロレタリア党組織のための闘い
プロレタリア前衛を結集する党組織のために
第二インターの崩壊とレーニン・トロツキー
一 党と労働組合のためのマルクスとエンゲルスの闘い
「すべての階級闘争は政治闘争である」
『共産党宣言』は、「すべての階級闘争は政治闘争である」と言及している部分で次のようにのべている。
「大工業によってつくりだされる交通機関の発達は、さまざまな地方の労働者をたがいに連絡させ、労働者の団結を促進する。いたるところで同じ性質をもつ多くの地方的闘争を一つの全国的闘争に、すなわち階級闘争に結集するには、ただこのような連絡さえあれば足りる。ところで、階級闘争はすべて政治闘争である」と。
『共産党宣言』は、これにつづけて、「階級への、それとともにまた政党へのプロレタリアのこの組織化は、労働者自身のあいだの競争によってたえず、くりかえし、うちくだかれる。だが、それは、いつも、いっそう強力な、いっそう強固な、いっそう有力なものとなって復活する」とのべている。
レーニンは一八九九年の一連の小論文のなかで、『共産党宣言』のこの部分について次のようにのべている。
「全国にわたる全労働者階級のすべての先進的な代表者が単一の労働者階級であることを自覚し、個々の雇主にたいしてではなく、資本家階級全体にたいし、またこの階級を支持する政府にたいして闘争を開始するとき、はじめて労働者の闘争は階級闘争になる。個々の労働者が全労働者階級の一員であることを自覚するとき、また個々の雇主や個々の役人にたいするその日常の小さな闘争をブルジョアジー全体と政府全体にたいする闘争と考えるようになるとき、そのときはじめて彼の闘争は階級闘争となる」。
「“一切の階級闘争は政治闘争である”――マルクスのこの有名な言葉を‥‥資本家にたいする労働者の闘争は、それが階級闘争となるのに応じて必然的に政治闘争と
なるという意味に‥‥理解しなければならない」(「ラボーチャヤ・ガゼータ」のためのための諸論文、『レーニン全集』第四巻)。
レーニンは、すぐつづけて「社会民主主義派の任務は、労働者の組織化を手段とし、労働者のあいだでの宣伝と扇動を手段として、抑圧者にたいする彼らの自然発生的闘争を全階級の闘争に、特定の政治的理想と社会主義的理想のための特定の政党のための闘争に転化させることである」とのべている。
『宣言』は労働者が単一の全国的階級として結集した闘いを階級闘争としてとらえ、レーニンは単一の全国的階級としての立場にもとづく労働者の闘いを階級闘争としてとらえている。
『宣言』もレーニンも、そのうえで、労働者を自ら独立した階級としての闘い(=階級闘争)に結集することのなかで、労働者階級の党の――「政党への組織化」「特定の政党のための闘いに転化させること」――をとらえ、提起している。このことは、「すべての階級闘争は政治闘争である」ということから必然的にみちびきだされる。
プロレタリアートの階級的結集と党
マルクス主義は、労働者を独立的な一階級として組織し、独立的な階級闘争に結集することを、ブルジョアジーとその国家権力にたいするプロレタリア革命の見地からつねに自己の主体的任務としてきた。
『宣言』は、ブルジョアジーの階級支配とその国家について次のようにのべている。
「ブルジョアジーは、‥‥大工業と世界市場が形成されてからは、近代の代議制国家のなかで排他的な政治的支配をかちとった。近代の国家権力は、全ブルジョア階級の共同事務を処理する委員会にすぎない」。
「ブルジョアジーは、‥‥人口をよせあつめ、生産手段を集中し、所有を少数者の手中に集積した。その必然の結果は、政治上の中央集権であった。それぞれ利害をことにし、法律や政府や税制のちがう、ほとんど連合していただけの独立の諸州が、一つの国民、一つの政府、一つの法律、一つの全国的階級利害、一つの税関線に結集された」と。
ブルジョアジーは、かくして国家権力のもとで全国的に結集し、プロレタリアートと社会全体にたいする彼らの階級支配を実現している。『宣言』は、その転覆としてのプロレタリア革命を主張する。
「われわれは、現存社会の内部の多かれすくなかれ隠された内乱をあとづけ、ついにそれが公然たる革命となって爆発し、プロレタリアートがブルジョアジーを暴力的に転覆し、自己の支配権をうちたてるところまで到達した」。
「プロレタリアートは、ブルジョアジーとの闘争において必然的にみずから階級に結成し、革命によって支配階級になり、そして支配階級として強制的に旧生産関係を廃止する」と。
こうして、「階級闘争はすべて政治闘争である」ということが、ブルジョア階級支配とその国家権力にたいするプロレタリア革命の見地からとらえられねばならない。
エンゲルスは、一八八一年の小論文「労働組合」で「二大社会階級のあいだの闘争はかならず政治闘争となってゆく。‥‥階級対階級のあらゆる闘争において、闘争の直接の目的となるものは政治権力の獲得である」とのべている(マルクス・エンゲルス『労働組合論』国民文庫)。もちろん、そのためには、二大社会階級のあいだの闘争が妥協のありえない真に非和解的な階級対階級の闘争としてなければならない。
ブルジョアジーは、労働者とその他諸階層を国際・国内的に搾取・収奪する社会経済的階級であるだけでなく、同時にブルジョア国家のもとで一つの政治的階級として全国的に結集し、組織されている。ブルジョアジーは、中央集権的に組織された単一の国家・政治権力のもとで、「一つの国民、一つの政府、一つの法律、一つの全国的階級利害、一つの税関線」のもとに結集して、プロレタリアートと社会全体にたいする彼らの階級としての支配を実現している。
かくして、ブルジョアジーにたいする労働者の闘いが、真に階級としての闘いになり、真に階級の立場につらぬかれるためには、その闘いは、中央集権的に組織されたブルジョア国家権力とそのもとに結集する階級としてのブルジョアジーと非和解的に対決し、社会全体にたいするブルジョア階級支配に敵対し、ブルジョア政府の国内・国際諸政策に対立し、他の諸国の労働者の闘いとの階級的団結を国境をこえて国際的に実現してゆこうとしなければならない。
ただかくしてのみ、労働者を独立的な一階級として組織し、独立的な階級闘争に結集することができる。ただかくしてのみ、労働者の闘いはブルジョア階級支配全体とその国家権力に対立する階級としての政治闘争となり、ブルジョアジーとその国家を打倒するプロレタリア革命のための革命的階級闘争になる。
労働者がブルジョアジーとその国家権力にたいする独立的な階級闘争に結集する過程は、しかしながらプロレタリアートの独立的な政党のための闘いによって媒介されねばならない。
ブルジョアジーの階級としての支配とその国家・政治権力と全面的に対立し、その転覆のために闘う独立した一階級として、労働者を結集し、組織すること――プロレタリア革命にむけて労働者を独立的な階級としての闘いに結集し、組織してゆくこと――まさにこのところで、プロレタリアートの党のための闘いが提起され、またプロレタリア党の主体的任務が設定される。
『宣言』は、「共産主義者の当面の目的は、‥‥プロレタリアートの階級への形成、ブルジョアジーの支配の転覆、プロレタリアートによる政治権力の獲得である」とのべ、プロレタリア革命にむけて労働者を階級として結集し、その闘いを意識的に推進し、指導するという共産主義者の主体的立場と任務を自ら宣言している。
レーニンは、さきにあげた一連の小論文で、次のようにのべている。「革命的社会主義者党の真実の任務とは‥‥プロレタリアートの階級闘争を組織し、そしてプロレタリアートによる政治権力の獲得と社会主義社会の組織とを終局目標とするこの闘争を指導することである」と。
共産主義的前衛と労働者政党
『宣言』は、「共産主義者は、他の労働者政党に対立する特殊な政党ではない」としたうえで、次のようにのべている。「共産主義者は、実践的には、すべての日々の労働者政党のうちで最も確固たる、たえず前進してゆく部分であり、理論的にはプロレタリア運動の条件、進路、一般的結果を理解する点でプロレタリアートの他の大衆にまさっている」と。
ここでいわれている“共産主義者”とは、一八四八年のヨーロッパ諸国の革命をまえにして『宣言』を自己の綱領としてかかげた共産主義者同盟のことである。この同盟は、ドイツ人共産主義者を中心とする国際的組織であり、自ら一つの革命的プロレタリア党として自覚していた。
『宣言』は、プロレタリア革命を目的とする労働者政党が、イギリス労働者のチャーチスト(人民憲章)運動をはじめとして、いくつかの国々に存在していることを明白に確認している。『宣言』は、そのうえで、プロレタリア革命の課題とそこにいたるプロレタリア階級闘争の道程をもっとも自覚的にとらえ、プロレタリア革命のための闘いをもっとも意識的に推進する共産主義的プロレタリア前衛としての役割において自己――すなわち共産主義者同盟――を主張している。
マルクスは、一八四〇年代のイギリスの労働者運動について、「同盟罷業(ストライキ)団結、労働組合の形成は、いまやチャーチスト(人民憲章)運動という名のもとに一大政党を構成している労働者たちの政治闘争と同時に進行した」とのべ(『哲学の貧困』一八四七年)、エンゲルスは「階級対階級の政治闘争では組織がもっとも重要な武器である。そして、もっぱら政治的な組織、すなわちチャーチストの組織」「世界史上最初の労働者党であったチャーチスト党」(前掲『労働組合論』)とのべている。
「チャーチズムは、ブルジョアジーにたいする反対を統合した形態である。組合やストライキにおいては、(ブルジョアジーにたいする)反対はつねに個々ばらばらであり、個々のブルジョアと闘ったのは個々の労働者か労働者の一分派であった。‥‥しかし、チャーチズムにおいてはブルジョアジーにたいしてたちあがり、わけてもブルジョアジーの政治権力、ブルジョアジーが自分ではりめぐらした法律の壁を攻撃するのは、全労働者階級なのである」(エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』一八四五年)。このチャーチスト運動は労働者階級の手中に政治権力を獲得しようとする全国的な階級的政治闘争へと発展していったし、チャーチスト運動の組織は一つの全国的大衆運動としての階級的政治組織であった。
「階級への、そとともに政党へのプロレタリアの組織化」と『宣言』がのべている部分が、具体的にはイギリス労働者のチャーチスト運動を念頭においていたことは明白である。
マルクスはまた、パリ・コミューンの敗北直後、第一インターナショナルの一決議(一八七一年)において、労働者階級の政党への組織化について次のように主張している。
「反動は労働者の解放をめざす努力を恥じるところなく抑圧し、残忍な暴力によって階級差別とそれを基礎とする有産階級の支配を永久につづけようとしていること、――労働者階級は、全有産階級の以前からの全政党組織に対立して自らを特別の政党に組織することによって、有産階級の全暴力にたいして階級として行動しうること、――労働者階級を政党としてこのように組織することは、社会革命とその終局目標=階級の廃止のために必要かくべからざること」(前掲『労働組合論』)。
またエンゲルスは、一八八一年にイギリス労働運動のために書いた先の小論文で、一八四〇年代のチャーチスト運動が崩壊した後、労働組合運動が強力に発展したことについてふれ、つづいて次のようにのべている。
「労働組合は、労働者階級の唯一の組織であるという特権をもたなくなるであろう。個々の職業の労働組合とならんで、あるいはそのうえに全般的な結合体、全体としての労働者階級の政治組織がかならず生れるにちがいない」と。
マルクスがいう「労働者階級を政党として‥‥組織すること」とエンゲルスがいう「全体としての労働者階級の政治組織」は、いわば労働者の大衆的階級政党であり、労働者が階級としての立場と利害において自覚的に、直接的に結集する政治的運動を、組織として恒常的に表現するものとしての政党である。
労働組合は、個別の資本に雇用されている個別の賃金労働者を組織し、賃金や様々な労働条件をめぐる闘いと運動のための労働者組織としてあった。「労働組合の直接の目標は、労資のあいだに必然的な日常の闘争に、資本のたえまない侵害を撃退する手段、一言でいえば賃金と労働時間の問題にかぎられている。労働組合のこういう活動は、正当なばかりか必要である」(マルクス「労働組合――その過去、現在、未来」一八六六年、前掲『労働組合論』所収)。
だが同時に、あるいはそのうえで、労働者階級としての立場と利害にもとづき、階級としてのブルジョアジーとその国家・政治権力に対立し、労働者階級の手中に政治権力を獲得し、資本主義制度そのものを廃止するという目的のもとで、労働者が直接に組織され、結集されなければならない。このことが労働者の独立的な階級政党として実現され、そのような政党のもとに労働者が直接組織されなければならない。ブルジョアジーとその政治権力に対立する労働者の階級としての政治的結集・組織化が、独自の労働者政党として直接的に実現されねばならない。
マルクスの「労働者階級の政党として‥‥組織すること」とエンゲルスの「全体としての労働者階級の政治組織」とは、以上のような意味での労働者大衆的階級政党のことであった。したがって、マルクスとエンゲルスがここで主張している「労働者階級の政治組織」、政党は、一八四〇年代の共産主義者同盟のような共産主義的プロレタリア前衛組織としての労働者階級の党ではなかった。それは、むしろイギリス労働者のチャーチスト運動のようなものであった。
第一インターナショナルから第二インターナショナル初期にかけて、マルクスとエンゲルスが一貫して主張しつづけ、そのために闘った労働者階級の政党は、以上のような意味での労働者の独立的な階級政党だった。
(補注)
「共産主義者同盟規約(一八四七年十二月採択)」
「第一条 同盟の目的は、ブルジョアジーの打倒とプロレタリアートの支配、階級対立にもとづく旧いブルジョア社会の止楊および階級と私的所有のない新しい社会を建設するにある」。
「第二条 同盟員の条件は次のとおりである。
??①右の目的に合致した生活様式と実践。
②右の理想を宣伝するための革命的エネルギーと情熱。
③共産主義を信奉せることの表明。
④あらゆる反共産主義団体または国家主義的団体に参加することの禁止、
他のあらゆる団体に関係した場合は、同盟に報告の義務をおうこと。
⑤同盟に決定にたいする服従。
⑥同盟にかんする機密の保持。
⑦全員の一致のに許可によって班に加入すること。
この決定にふさわしからぬものは除名される。」
「第五条 同盟は、班、地区、管区(州)、中央委員会、大会に組織される」。
かくして、共産主義者同盟は、独自の綱領と内部的組織規律をもち、民主主義的中央集権主義にもとづく単一の組織であろうとした。
二 プロレタリア革命における共産党の役割――レーニンの前衛的革命党の主張
レーニンの決定的転換
ブルジョアジーの階級支配とその国家権力を打倒し、自ら政治権力を獲得し、支配階級になろうとするプロレタリアートの闘いは、プロレタリアートが自ら独立した政治的階級になろうとすることである。そして、プロレタリアートが自ら独立した政治的階級として結集する運動と闘いは、労働者階級の独立した政党の形成として具体的に表現され、この階級的政党のもとへの労働者の直接的な組織化と結集として実現されなければならない。
プロレタリア革命の根本問題は国家・政治権力の問題としてあり、一つの社会経済的階級としてのプロレタリアートが国家・政治権力をめぐって一つの政治的階級として自己実現してゆく主体的組織形態はプロレタリアートの独立的な階級政党としてなければならない。
マルクスとエンゲルスは、プロレタリアートの独立した階級政党の問題をこのように設定した。
「階級への、それとともに政党へのプロレタリアの組織化」(『宣言』)、「労働者階級を政党として組織する」(第一インターナショナル決議)とのべられているように、マルクスとエンゲルスは、プロレタリア政党の形成と発展を労働者階級が独立した政治的階級として自ら結集し、自己組織化してやくことの具体的表現として、いわば労働者階級それ自体の運動と闘いの側からとらえた。
一八六〇年代以降、西ヨーロッパ諸国における労働者運動の新たな国際的復活のなかで、マルクスとエンゲルスは、以上の立場からブルジョアジーとその国家から階級的に独立した労働組合運動の形成と発展、労働者階級を独自の政党として組織すること、そし各国の労働者運動を国際的に結合し、統一するために意識的に努力した。マルクスとエンゲルスは、このことを労働者運動の現実の経験にもとづく労働者階級自身の運動として実現すべく努力した。
かくして、マルクスとエンゲルスが、第一インターナショナル以降、そのため一貫して闘った階級的プロレタリア政党は、プロレタリアートの共産主義的前衛の党ではなかった。そして、まさにこの点において、プロレタリア党にかんするレーニンの重大な転換があった。
レーニンは、プロレタリア党のための闘いを労働者階級の共産主義的前衛党の問題として設定し、その立場からロシアにおける革命的労働者党のために一貫して闘った。レーニンのプロレタリア党のための闘いにおいて、労働者階級の共産主義的前衛の考えと労働者階級の独立的政党の考えがかさねられ、ロシア「絶対主義の打倒を当面の目標とすべき革命的労働者党」(レーニン、『全集』第四巻二八一頁)の構想として統一された。
労働者階級の前衛としての党
共産主義的前衛組織としての革命的労働者党についてのレーニンの考えと主張は、ロシア絶対主義国家権力打倒にむけて全ロシアのプロレタリアートを様々な民族のちがいをこえて一つの革命的階級闘争に組織し、結集する全国的プロレタリア党のための闘いにおいてかたちづくられていった。レーニンのこの闘いは、全国政治新聞『イスクラ』(一九〇〇年末発刊)をもってする全国的プロレタリア党のための闘いとしてあったし、革命的労働者党についてのレーニンの新しい考えは、一九〇二年の『何をなすべき』によって、経済主義者との全面的論争として積極的におしだされていった。
レーニンは、マルクスとエンゲルスの立場を継承しつつ、「労働者の組織化を手段とし、労働者のあいだでの宣伝と扇動を手段として、抑圧者にたいする彼らの自然発生的な闘争を全階級の闘争に、‥‥特定の政党の闘争に転化させること」(前掲)、「独自の労働者政党へプロレタリアートの階級闘争を組織する」(『全集』第四巻二七八頁)ことを明白に主張している。
レーニンは、また『イスクラ』第一号に発表した小論文「われわれの運動の緊要の諸任務」で、「プロレタリアートの大衆のなかに社会主義思想と政治的自覚をうえつけ、自然発生的な労働運動ときりはなせないように結びついた革命党を組織するという任務」について、次のようにのべている。
「労働者階級の政治的発展と政治的組織化をたすけことは、われわれの主要な基本的任務である。この任務を背面におしやるもの、すべての部分的任務や個々の闘争方法をこの任務に従属させないものは、すべて偽の道に踏み入り、運動に重大な害悪をもたらすものである。‥‥ただ共済組合や、ストライキ基金や、労働者サークルにみずからを組織するだけでなく、さらに政党にもみずからを組織し、専制と全資本主義社会に反対する断固たる闘争のためにみずから組織せよ‥‥。このような組織なしには、プロレタリアートは、意識的な階級闘争を行うまでたかまることはできない。このような組織なしには、労働運動は無力なものたる運命にさだめられている。‥‥歴史上のただ一つの階級も、運動を組織し指導する能力ある自己の政治的指導者たち、自己の先進的代表者たちをおくりだすことなしに支配権を獲得したものはない。そして、ロシアの労働者階級は、このような人々をおくりだす能力があることをすでにしめしている。‥‥われわれは、党の綱領、組織、戦術の問題を日程にあげることによって、これらの任務の遂行に断固として着手しなければならない」と(『全集』第四巻)。
レーニンは、ここで労働者階級の政治的組織化を労働者の政党への組織化として主張しつつ、同時に、労働者階級の「政治的指導者」「先進的代表者」としての革命的労働者党のための闘いをよびかけている。
レーニンがロシアにおいて主張したのは、労働者階級の革命的前衛組織としてのプロレタリア党――自ら独立的に結集した前衛的政治主体として、全ロシアのプロレタリアートの様々な闘争と運動を絶対主義国家権力の打倒にむけて全国的に結集した単一の革命的階級闘争として組織し指導しようとする革命的プロレタリア党である。
絶対主義国家権力の打倒にむけて
レーニンの『何をなすべきか』は、労働者階級の様々な自然発生的な闘争や運動を前提としたうえで、労働者を革命的階級闘争に組織し、結集する独立した前衛的政治主体としてプロレタリア党を建設することを主張した。『何をなすべきか』は、労働者階級とその革命的前衛党の関係を階級の自然発生性と目的意識性の関係としてとらえた。
マルクスとエンゲルスは、労働者が自己の政治権力実現をめざす独立的な政治的階級として結集し、組織化されることの具体的な表現としてプロレタリア党の形成と発展をとらえた。レーニンは、さらに進めて、「労働者階級の前衛部隊としての党」という考えを主張し、労働者の革命的階級闘争への結集と組織化を独立した前衛的政治組織としての革命的プロレタリア党の側からする主体的闘いの課題として設定したのである。ここのところに、労働者の独立的な革命的階級としての結集とプロレタリア党の問題にかんするレーニンの決定的な転換があった。
「党は、階級の前衛部隊として、できるだけ組織されたものでなければならない、――また党は、少なくとも最小限度の組織をみとめる分子だけをその陣列に加入させなければならない」、「労働者階級の前衛部隊としての党を階級全体と混同することはできない」、「前衛部隊とそれにひきつけられる全大衆との区別をわすれ、ますます広い層をこの前衛部隊の水準にたかめるという前衛部隊の不断の義務をわすれることは、ただ自分をあざむき、われわれの任務の重大さに目をとじ、これらの任務をせばめようとすることにほかならない」(レーニン『一歩後退・二歩前進』一九〇四年)。
レーニンの『何をなすべきか』は、絶対主義ロシアにおいて建設されるべき革命的労働者党について次のようにのべている。「政治的反対や抗議や憤激のあらゆる現れを結びつけて一つの総攻撃にする全国的な中央集権化された組織、‥‥職業革命家からなりたち、全人民の真の政治的指導者たちにひきいられた組織」、「堅忍不抜な、頑強な闘争によってプロレタリアートを教育する組織」、「政治闘争に精力と確固さと継承性とを保証できるような組織」、「ただ確固として社会民主主義的(=共産主義的)政治を行い、いわばあらゆる革命的本能と志向とを満足させる中央集権化された戦闘組織」、「革命そのものは、けっして一回かぎりの行為として考えるべきではなく、多少とも強力な爆発と多少とも深い停滞とがいくたびか急速に交替するものとして考えなければならない。‥‥革命の最大の“沈滞”の時機に党の名誉と威信と継承性を防衛することにはじまり、全人民の武装蜂起を準備し、指定し、実行することにいたるあらゆる事態にたいする用意をもった組織」と。
レーニンがここで主張しているのは、全ロシア・プロレタリアートの革命的前衛組織として、労働者の様々な闘争と運動を絶対主義国家権力打倒の革命的政治闘争にむけて終始一貫して組織し、結集しようとするプロレタリア党だった。
共産主義前衛としてのプロレタリア革命党
レーニンは、革命的プロレタリア党が労働者階級全体から区別されたその「前衛部隊」として独自に建設されねばならないと主張し、労働者の独立的な革命的・政治的階級としての結集と組織化を前衛党の主体的任務として設定した。レーニンは、労働者階級の前衛としての「革命的社会主義党の真実の任務」を、まさに文字どおりの意味において「プロレタリアートの階級闘争を組織し、そしてプロレタリアートによる政治権力の獲得と社会主義社会の組織とを最終目標とするこの闘争を指導することである」(前出)と主張し、そのような革命的労働者党のための闘いをロシアにおいて展開した。かくしてレーニンとロシア・ボリシェビキ派は、プロレタリアートの革命的階級闘争のための闘い、労働者を独立的な革命的階級として組織し、結集する闘いを革命的プロレタリア党のための闘いを基軸・根幹として展開した。
一八四八年の革命のまえにした共産主義者同盟は、ヨーロッパ世界におけるプロレタリア共産主義革命=プロレタリア永久革命の綱領を『共産党宣言』としてもっていたし、マルクスとエンゲルスを政治的・理論的指導者とし、民主主義的中央集権主義にもとづく単一の組織だろうとした。マルクスとエンゲルスは、情勢・階級闘争・革命の様々な段階と局面における共産主義者の戦術の問題を自覚的にとらえていた。こうして、一八四八年革命にむけた共産主義者同盟は、プロレタリア革命のための綱領、組織、戦術を結合した一つの前衛的プロレタリア革命党たろうとした。
「労働者階級の前衛部隊としての党」というレーニンの新しい考えには、歴史的に共産主義者同盟の先例につらなるものがある。それは、内容的には、『宣言』が主張したプロレタリア革命にむけた「共産主義者」の前衛的意識性と自覚的任務の立場を直接的に体現し、組織的に貫徹するものとしての革命的プロレタリア党の主張であった。レーニンが新たに主張し、そのために闘ったのは、まさしく労働者階級の共産主義的前衛としての革命党であった。
第二インターナショナルのもとに結集したヨーロッパ各国プロレタリアートの大衆的階級政党は、資本主義の帝国主義的発展のなかで、社会改良主義化し、親帝国主義的社会民主主義として政治的に堕落していった。そして、帝国主義危機の時代におけるプロレタリア革命のための党の原型とその理論を準備していったのが、レーニンとそのロシア・ボリシェビキ派の新しい革命的労働者党のための一貫した闘いだった。
帝国主義がつくりだすプロレタリアート内部における政治的分化・分裂という現実のうえで、帝国主義ブルジョア国家とその政治的手先たる社会民主主義勢力と対決するプロレタリア革命の党、内乱的階級闘争を主導・組織するプロレタリア党は、レーニンの革命的労働者党の新しい主張とロシア・ボリシェビキ派の闘いによって原型的に、理論的に準備されたのである。
かくして、レーニンの「労働者階級の前衛部隊としての党」という考えは、帝国主義危機の時代における前衛的プロレタリア革命党の主張として、第三インターナショナル第二回大会(一九二〇年)の「プロレタリア革命における共産党の役割にかんするテーゼ」において次のように結論づけられている。
「共産主義インターナショナルは、プロレタリアートが自己の独自の政党をもたずともその革命をなしとげうるかのようにみる見解をきっぱり拒否する。あらゆる階級闘争は政治闘争である。不可避的に内乱に転化するこの闘争の目標は、政治権力の獲得である。しかし、なんらかの政党による以外、政治権力を獲得し、これを組織し、道びくことはできない。厳密に規定された目標、そして国内政策と国際政策の双方の分野における具体的に作成された当面の行動綱領をもち、組織的で、訓練をへた党をプロレタリアートが指導部としてもっている場合、権力の獲得は、偶然的なエピソードとならず、プロレタリアートの長期的な共産主義建設の出発点となるであろう」。
「共産党は、労働者階級の一部分であり、そのもっとも先進的な、もっとも自覚した、もっとも革命的な部分である。‥‥共産党が全体としての労働者大衆から区別されるのは、党が全体としての労働者階級の歴史的道程全体を見わたし、この道程上のあらゆる転換点において、個々の集団や個々の職業の利益ではなく、全体としての労働者階級の利益を守ることにつとめる点にある。共産党は、労働者階級のもっとも先進的部分がプロレタリアートと半プロレタリアートの全大衆を正しい道にみちびくために用いる組織的・政治的テコである」。
「党という概念は、階級という概念からきわめて厳密に区別されねばならない。‥‥特定の歴史的状況のもとでは、労働者階級のなかに非常に多数の反動層が形成されることはありうることである。共産主義の任務は、労働者階級のこれらの遅れた部分に適応することではなく、労働者階級全体を共産主義的前衛の水準に引き上げることである」。
三 党のためのレーニンとボリシェビキの闘い
「党の綱領、組織、戦術」――党のための二つの闘い
ロシア・ブルジョアジーに対立し、ツアーの絶対主義国家権力打倒にむけた労働者の独立的な革命的階級としての結果と組織化は、「労働者階級の前衛部隊としての党」がみずから積極的に闘いとるべき意識的な課題、主体的任務として提起される。レーニンとロシア・ボリシェビキは、このような立場から、革命的プロレタリア党のための闘いを基軸・根幹としてプロレタリアートの全ロシア的な革命的な階級闘争のために闘いぬいた。
レーニンとロシア・ボリシェビキの革命的プロレタリア党のための闘いは、基本的に二つのレベルで展開された。一つは理論-綱領-階級的政策・戦術の関する原則的で系統的な闘いの不断の展開であり、あと一つは革命的党組織それ自身のための一貫した闘いである。
レーニンは「党の綱領、組織、戦術の問題」をつねに意識的かつ厳密にとりあげ、プロレタリア階級闘争の立場と理論としてのマルクス主義の基礎のうえで、まさに「綱領、組織、戦術の結合」として革命的プロレタリア党(トロツキー「共産主義とサンジカリズム」一九二九年)のために闘った。
革命的理論・綱領・階級的戦術のための闘い
レーニンの『何をなすべきか』は、「革命的理論なくして革命的運動もありえない」と述べ、プロレタリア階級闘争と党建設における「理論闘争の意義」を決定的に強調している。レーニンは、『イスクラ』発刊の声明のなかで、次のように主張している。「党をつくりだし、堅固なものにする」ために「第一に現在ロシアの社会民主主義者のあいだにゆきわたっている不協和と乱雑とを排除する堅固な思想的統合をつくりあげられなければならない。この思想的統合を党綱領によってうちかためることが必要である」、「“経済主義者”やベルンシュタイン主義者‥‥がもちだしている原則上ならびに戦術上の基本的諸問題を公然と全面的に討議することが必要である。統合するまえに、また統合するために、われわれはまず決定的に、また明確に分岐線を画さなければならない」と(『全集』第四巻)。
事実、『イスクラ』発刊にいたるレーニンの諸論文と『何をなすべきか』それ自身は、まず第一に、ベルンシュタインの階級協調的修正主義に抗し、革命的プロレタリア階級闘争の立場と理論としてマルクス主義を無条件に防衛することをせまり、つづいてロシア絶対主義国家権力のプロレタリアートの階級闘争による革命的打倒というロシア革命の綱領を頑強に主張している。
「労働者階級の前衛部隊としての党」の建設は、まず第一に、マルクス主義理論とロシア革命のプロレタリア綱領にもとづく「堅固な思想的統合」としてなされねばならない。マルクス主義の頑固な防衛と明確に規定された革命的プロレタリア綱領のうえで、階級的目的意識性の立場において、労働者階級の先進的前衛分子が独自の党組織として結集しなければならない。レーニンは、さらに情勢と階級闘争の様々な局面・段階における党の具体的な政策と戦術にマルクス主義と党綱領に基礎づけられた厳格な原則性を徹底して要求した。
レーニンは、かくしてマルクス主義と明確に規定された革命的プロレタリア綱領として集約される階級的目的意識性の独自的な組織化として革命的プロレタリア党の実現を主張した。様々な政策、戦術は、前衛的政治主体としての党が自己の綱領にもとづいて時々の情勢に応じて労働者を独立的な革命的階級として具体的に組織し、結集してゆく方法であった。
レーニンによるマルクス主義の防衛、革命的プロレタリア綱領の先鋭化、厳格な階級的戦術のための闘いは、ロシア・メンシェビキの右翼的日和見主義にたいする一貫した党派闘争として展開され、かくしてプロレタリア党の共産主義的・前衛的目的意識性がロシア・ボリシェビキ派として現在的に防衛され、堅持された。
レーニンは、革命的プロレタリア綱領と戦術の基本として、一九〇五年革命においてはプロレタリアートを主導的階級とする革命的労農民主独裁のための闘いを主張し、一九一四年に勃発した第一次世界戦争のなかで、“帝国主義自国政府敗北”・“帝国主義戦争を内乱に転化せよ”をプロレタリア革命のための政治的立場としておしだし、一九一七年には「四月テーゼ」をもってロシア・プロレタリア革命にむけた直接的闘いを断固として主張した。
革命的プロレタリア党組織のための闘い
レーニンとロシア・ボリシェビキの革命的プロレタリア党は、同時に革命的党組織それ自身のための一貫した闘いとして展開された。『何をなすべきか』は、「労働者階級の前衛部隊としての党」を「中央集権化された戦闘組織」「単一の全国的な革命家の組織」として建設することを主張した。
「①確固たる継承性をもった指導者の組織がないなら、どんな革命運動も恒久的なものとはならない。②自然発生的に闘争にひきいられて、運動の土台を構成し、運動に参加してくる大衆が広範になればなるほど、こういう組織はいよいよ緊急となり、またこの組織はいよいよ恒久的でなければならない。‥‥③この組織は、職業的に革命的活動にしたがう人々から主としてなりたたなければならない。④専制国では、職業的に革命的活動にしたがい、政治警察と闘争する技術について職業的訓練をうけた人々だけを参加させるようにし、この組織の成員の範囲を狭くすればするほど、この組織を“とらえつくす”ことはますます困難になり、また⑤労働者階級出身であると、その他の社会階級の出身であるとをとわず、運動に参加し、そのなかで積極的に活動てぎる人々の範囲がますますひろくなるであろう。」(『何をなすべきか』)
レーニンは、ここで労働者階級の意識的に活動する革命的前衛分子を独自の全国的革命党として組織するという主張と同時に、絶対主義権力支配下のロシアにおける革命的地下党組織としての性格を主張している。ローザによれば一九〇三年頃、「厳密な意味における党に関しても、実際に組織されていた同志に関しても‥‥せいぜい数百名であった」という(「ブランキズムと社会民主主義」)。
レーニンは、『一歩前進、二歩後退』において「内容は形式よりも重要で、綱領と戦術は組織よりも重要である」というメンシェビキの傾向に反対し、次のようにのべている。「綱領問題と戦術問題とにおける統一は、党を統合し、党活動を集中するのに必要な条件であるが、まだそれだけでは不充分である。そのためには、さらに組織の統一が必要である。そして、この組織の統一は、家庭的なサークルの枠をいくらかでものりこえた党の場合には、正式の規約なしには、多数派に対する少数派の服従なしには、全体にたいする部分の服従なしにはありえない」と。
『イスクラ』活動の成果として実現された一九〇三年のロシア社会民主労働党第二回大会――それは、組織上の党創設の大会であった――は、党組織の問題をめぐって多数派(ボリシェビキ)と少数派(メンシェビキ)に分裂した。
レーニンを中心とする多数派=ボリシェビキが主張したのは、党員の資格と規定を厳格にし、党員と非党員、党と党外の境界線を明確にし、かくして党組織を厳格に成立させ、そのうえで、党それ自身の中央集権的な全国単一の組織規律を確立するということであった。レーニンとボリシェビキは、かくして第二回党大会においてまさに党組織そのもののために闘ったのである。
一九〇五年革命敗北後、反革命的政治情勢が支配する反動期において、メンシェビキの右翼日和見主義はロシアにおける地下党組織そのものの解消・清算にむかい、レーニンとボリシェビキはきわめて困難な反動期の条件の下でも自ら地下党組織防衛の闘いを継承した。一九〇四年の『一歩前進・二歩後退』は、第二回党大会の分裂を総括して、「綱領における日和見主義は、当然、戦術における日和見主義および組織問題における日和見主義とむすびついている」と指摘している。まさにそのとおりのことが、一九〇七~八年の反動期ロシアにおいて、メンシェビキの解党主義として貫徹した。
レーニンは、この時以降、メンシェビキ派をロシア社会民主党を構成する分派として認めることを拒否し、ボリシェビキ派を党として主張しはじめた。第二インターナショナルの社会改良主義的社会民主主義派と革命的共産主義派への分裂は、ロシアにおいては一九一四年以前にすでに組織的にも貫徹されていたのである。
プロレタリア前衛を結集する党組織のために
レーニンとロシア・ボリシェビキの革命的党組織そのもののための闘いには、あと一つの側面――プロレタリア前衛を結集する党組織のための闘いがあった。
この点について、『何をなすべきか』は次のように主張している。「党活動の面でインテリゲンツィア革命家と水準を同じくする労働者革命家の養成をたすけることが、われわれの第一のもっとも緊急の義務である。‥‥主要な注意が労働者を革命家にひきあげることにむけられなければならない。」「われわれが、専門的訓練をうけ、永年の修業をへた労働者革命家たちの部隊をもつとき、世界のどんな政治警察もこの部隊には歯がたたない」と。
レーニンはまた、一八九九年の一論文で次のようにのべている。「教養ある社会がまじめな非合法文献にたいする興味をうしないつつあるとき、労働者のあいだでは知識と社会主義への熱烈な志向が増大しており、労働者のあいだで本当の英雄が頭角を現わしつつある。‥‥ロシアにはすでにこうした“労働者インテリゲンツィア”が存在しており、われわれは彼らの隊列をたえず拡大し、彼らの高度な知的要求をみたし、彼らの隊列のなかからロシア社会民主労働党の指導者たちが生まれでるように全力をそそがねばならない。だから、ロシア社会民主党全体の機関紙となろうと欲する新聞は、先進的労働者の水準にたたなければならない」と(『全集』第四巻)。
レーニンとロシア・ボリシェビは、前衛的労働者革命家を全国的に結集する党組織建設のために闘った。
一九〇五年のロシア革命の高揚のなかで、レーニンは、活動的労働者を党組織のもとに積極的に大胆に獲得することを主張した。一九〇五年革命敗北後の反動期における地下党組織防衛の闘いは、一九一〇年代前半における労働者の闘いの新たな戦闘的高揚のなかでボリシェビキ組織と革命的労働者カードルとの結合の深化と拡大として発展していった。
かくして、解党主義にむかったメンシェビキ派と組織的決裂にふみこんだボリシェビキ組織は、第一次世界戦争を前にして、共産主義的プロレタリア前衛の革命党として準備されつつあった。一九一七年、カーメネフやスターリンをおしのけて、レーニンの「四月テーゼ」を綱領と方針にしていった党の力は、ボリシェビキの歴史的闘いによって形成された前衛的労働者党員層であったし、レーニンの「四月テーゼ」は、ロシア・プロレタリアートの前衛的革命家の党として組織された集団と結合して十月革命の勝利をもたらしたのである。
第二インターの崩壊とレーニンおよびトロツキー
労働者階級の前衛部分を革命的プロレタリア党として独自に結集・組織するというレーニンの考えは、第二インターナショナルのなかで絶対的に孤立していた。レーニンのこの考えは、第二インターナショナル・マルクス主義者一般にとってまったく奇異なものであり、“マルクス主義の常軌を逸脱した”異端の主張でしかなかった。
ブルジョアジーの階級支配とその国家・政治権力に対立する労働者の独立的な階級としての結集と組織化は、階級自身の運動として、大衆的労働者政党の形成・発展として表現される。ローザ・ルクセンブルクとトロツキーもまたマルクス、エンゲルスのこの歴史的立場のうえで、第二インターナショナル・マルクス主義の側から、レーニンの“反マルクス・エンゲルス”的異端の主張を批判した(ローザ「ロシア社会民主党の組織問題」一九〇四年、トロツキー「われわれの政治的任務」一九〇三年)。
だが現実には、ベルンシュタインによって理論的に代表された修正主義的階級協調派=帝国主義への屈服派にたいして、プロレタリア党の組織論にまで貫徹して対立する革命的極にいたのは“異端”の主張をかがけるレーニンであり、ロシア・ボリシェビキの革命的労働者党のための一貫した闘いであった。
レーニンは、労働者階級それ自体の経験的な自然発生性と労働者階級の共産主義的前衛の独立的な目的意識性とを積極的に区別したうえで、労働者を独立的な革命的階級として組織し結集するうえではたすべき共産主義的前衛=階級的目的意識性の能動的・主体的役割を徹底して強調した。
レーニンが主張した党は、労働者階級の共産主義的前衛をその独立的な目的意識性において直接に革命党として組織するものであった。そして、帝国主義の危機の時代におけるプロレタリア革命党の理論――帝国主義ブルジョア国家と親帝国主義化した社会民主主義勢力と対決するプロレタリア革命党の理論は、共産主義的プロレタリア前衛の目的意識的、能動的役割を最前面におしだすレーニンの主張のうえにきずかれたのである。
トロツキーは、プロレタリア党の問題について、一九一七年、レーニンの立場に転換した。トロツキーのこの転換の背後にあったのは、全ヨーロッパ・プロレタリアートによる第一次帝国主義戦争の現実の経験であり、またより直接的には一九一七年、ロシア・プロレタリア革命にむけてレーニンのもとで準備されていたロシア・ボリシェビキ派の現実そのものであった。
トロツキー自身はっきりと確認しているように、『結果と展望』(一九〇六年)に展開されたロシア・プロレタリア永久革命論は、綱領として一つの明白な歴史的連続性をもったが、組織論としては中間主義であった。ロシア・プロレタリアートは、その歴史的・社会的な存在の条件に規定されて、プロレタリア独裁権力にむかおうとするのであり、プロレタリアートのこの階級的圧力が、ボリシェビキとメンシェビキの統一をもたらしうる可能性がある――これが、一九〇五年革命の敗北から一九一四年の帝国主義戦争勃発にいたるまで、党組織にかんするトロツキーの立場であった。トロツキーは一九〇五年革命においてメンシェビキからはなれたが、一九一四年にいたるまで党組織にかんして中間的な「調停」派であった。
帝国主義戦争の勃発は社会民主主義諸勢力の親帝国主義的裏切りを全面化し、第二インターナショナルは崩壊した。ロシア・マルクス主義者のあいだでも、帝国主義にたいする態度をめぐって政治的分化が先鋭化し、新たな政治的再編過程と革命的国際主義左派ブロックの形成が進行したのである。レーニンとトロツキーの協力は、第一次世界戦争中、すでに端初的にはじまっていた。
以上との関連で、トロツキーの『永久革命論』(一九二八年)が『結果と展望』のたんなる拡大延長ではないということをとらえておかなければならない。この二つのもののあいだには、一つの飛躍と一つの転換がある。
『永久革命論』は、帝国主義論の意識的把握のうえに展開された反帝プロレタリア国際社会主義革命の理論と綱領であり、そこには『結果と展望』からの重大な歴史的飛躍がある。『永久革命論』は、またプロレタリア党組織論におけるトロツキーのレーニン主義的転換を明白に前提としている。
『永久革命論』は、第三インターナショナルとその各国党のための理論と綱領として提出されたのであり、この著作の内容それ自身がレーニン主義的組織論の立場を鮮明にしている。そこでは、『結果と展望』時代の党組織論は否定されている。
第四インターナショナルの創設の意識的基礎なっていたのは、『結果と展望』ではなく、『レーニン死後の第三インターナショナル』と一体となった『永久革命論』であり、レーニンの革命的プロレタリア党組織論だったのである。
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