労働者政府のスローガンと過渡的綱領――一九七六年一一月二四日

酒井与七

〈目 次〉
一 ブルジョアジーと手を切った労働者階級の政府――労働者政府――のための闘い
二 改良主義的・階級協調主義的な「労働者政府」について

一 ブルジョアジーと手を切った労働者階級の政府――労働者政府――のための闘い

1 ブルジョアジーと手をきり、ブルジョアジー全体と対立する労働者階級の政府のための闘争――これが労働者階級の立場からする自己の政府のための闘いである。
「第二インターナショナルの諸党は、これら諸国(情勢が危機的である諸国――引用者)で、ブルジョア政党と社会民主党との連立を宣伝し、(これを)実現することによって、事態を“救済”しようとしている。……このブルジョア党―社会民主党連合にたいして共産主義者が対置するのは全労働者の統一戦線であり、ブルジョア権力にたいする全労働者の統一闘争をつうじて、全国家機構が労働者政府の手中に落ちなくてはならず、それによって労働者階級の権力的地位が強化されねばならない。」(「第三インターナショナル第四回大会・戦術に関するテーゼ」中村丈夫編『第三インターとヨーロッパ革命』紀伊国屋書店、五四〇頁)

2 「労働者政府のもっとも基本的任務は、プロレタリアートを武装し、ブルジョア的反革命的諸組織を武装解除し、生産管理を導入し、主要な税負担を富者の肩に転嫁し、反革命ブルジョアジーの反抗をうちやぶるところになければならない。」(同上「第四回大会・戦術にかんするテーゼ」、五四〇頁)
 そのような政府は、革命の政府、もしくは革命を開始する――すなわちブルジョア国家と資本主義的生産関係を中心とするブルジョア制度それ自体にたいする労働者階級の全面的な攻撃を開始する――政府として以外には成立しえない。さもなくば、「労働者政府」はブルジョアジーとその全制度にたいして妥協する政府となり、労働者大衆の階級としての利益をうらぎり、犠牲にすることになる。つまり、「どのようなブルジョア政府も同時に(必ず――引用者)資本家政府であるが、労働者政府はかならずしも真にプロレタリア的な政府、すなわちプロレタリアートの革命的権力手段であるとはかぎらないということである。」(「第四回大会・戦術にかんするテーゼ」、同上五四一頁)
 労働者階級の革命の政府としては、「それが大衆闘争そのもののなかから生れ、被抑圧労働者大衆の最下層によって創出されるところの闘争能力ある労働者諸機関に足場をすえるときに、はじめて可能となる」(「第四大会・戦術にかんするテーゼ」、同上五四〇頁)――あるいは、内乱をつうじて、すなわち全国的二重権力状況の形成とブルジョアジーおよびその国家の抵抗を強行的に粉砕することをつうじて実現される。そして、労働者政府のスローガンは、われわれと労働者大衆との関係において、革命の政府のための過渡的スローガンであり、つまりまたそのためのプロレタリア統一戦線戦術としての意味をもつ労働者階級の政府スローガンである。「これら諸国(危機の情勢下にある諸国――引用者)では、統一戦線戦術の不可避的帰結として、労働者政府のスローガンがでてくる。」(「第四回大会・戦術にかんするテーゼ」、同上五四〇頁)

3 労働者大衆は、革命や革命の政府をまえもって理解し、それから行動にはいるというようなことはない。個々の労働者は別にして、労働者階級全体としてとりあげるとき、そのようなことは絶対にありえない。
 だが、この同じ労働者大衆は、自己の伝統的な改良主義的労働者諸政党から完全に政治的に分離する以前に、ブルジョアジーと手をきった自己の階級の政府――労働者政府――というスローガンをうけいれることができるし、また自己の伝統的な諸政党をかかえつつそのような労働者階級の政府を実現しようとする闘いにはいることができる。
 ただし、ここで労働者政府のスローガンの実践的諸問題について検討するとき、日本の労働者階級と西ヨーロッパの労働者階級の政治的伝統の相違について留意する必要がある。
 西ヨーロッパと日本では、労働者大衆の階級としての政治的な組織のされかたの度合いが非常にことなっている。西ヨーロッパにおいて、労働者大衆は労働者諸政党のもとに党としてより強く政治的に組織されている。日本の場合、社会党の例をとりあげるならば、日本の労働者大衆はむしろ労働組合として組織されており、この上に社会党がのっかっている。選挙にさいして社会党に投票する労働者大衆自身の社会党にたいする政治的帰属意識は相対的に希薄である。たとえば、イギリス労働党もまた全国の労働組合組織をその主要な足としているが、イギリスの労働者大衆の圧倒的多数は労働党を明白に自己の党として意識している。労働党という現象は、イギリスの労働者大衆にとって、あたかもそこで政治的に呼吸する空気のようなものである。日本の社会党は、労働者大衆の多数を自己の社会的――あるいは階級的――基盤としているが、その労働者大衆を政治的に強く階級として結集・組織していない。日本において、労働者大衆のブルジョアジーにたいする階級的独立の伝統は弱い。社会党と総評の関係についてみるとき、日本の労働者階級の中心部分は、労働組合をつうじて経済主義的にある程度まで組織されているが、ブルジョアジーにたいして階級として対立した政治的組織化の点においては非常に弱いといわねばならないだろう。それは、また日本の労働組合の企業組合的性格の深さとも無関係ではない。
 またたとえば、労働者大衆の階級的独立性の欠如の極端な例をアメリカ合衆国の労働者階級の状況にみいだすことができる。そこでは、労働者政府のスローガンは、「大衆的労働者党の形成を!」というスローガンとあわせて提起されることになるのである。

4 われわれは、労働者大衆にたいして、様々な反帝国主義的ならびに階級的な部分的諸要求や国際政策をふくむ過渡的諸要求のための闘いの発展、労働者大衆の独自の階級的諸組織の民主化と新しい発展、またそれらの階級的統一の前進を一貫して呼びかけつつ、革命的労働者政府の樹立にむけて不断に闘いぬこうとする。だが、このような革命的労働者政府のためのわれわれの闘いは、同時に、依然として改良主義的な労働者諸政党の影響下にある労働者大衆にたいして労働者階級の政府のための全大衆的な闘いを――統一戦線的に――公然と提起することなしにはありえない。
 われわれは、労働者階級の革命的政府樹立を展望する立場から、様々な国際的・国内的過渡的諸要求のための労働者大衆の階級として結集した闘い、労働者階級の大衆的二重権力組織と独自の大衆的自衛武装の発展の必要をよびかけ、そのための独自活動を瞬時たりとも中止することなく一貫してつづける。だが、既成の改良主義的労働者諸政党の影響下にある労働者大衆の多数がわれわれの過渡的諸要求の体系と労働者階級の大衆的二重権力組織の必要性について全面的に理解する以前にも、われわれは、これら労働者大衆にたいして、ブルジョアジーと手をきって、労働者階級の政府――労働者政府――のために階級的に統一して闘うよう呼びかけるという立場と方法をとる。
 われわれは、これらの労働者大衆にたいして、労働者政府のスローガンの宣伝をつうじて、ブルジョアジーと手をきった労働者階級の政府のために闘うことの必要性を一貫して教育し、大衆的に宣伝しようとするし、また一定の情勢と条件のもとでは、現実にそのための階級的に統一した大衆的行動を開始するよう呼びかける――つまり労働者政府のための現実の行動を煽動する――ことになる。

5 労働者政府のスローガンをもって、ブルジョアジーと手をきった労働者階級の政府のために闘うことの必要を多数の労働者大衆にたいしてわれわれが宣伝することは、これらの労働者大衆にたいして彼らが支持する改良主義的諸党から直ちに政治的に分離することを要求するものではない。だが、それは、彼らにたいして改良主義的諸党の指導部にたいする闘争をよびかけ、彼らがこれらの諸党をその実践において階級的にテストし、試練にかけるよう呼びかけることを意味する。すなわち、改良主義的労働者諸政党によるブルジョアジーとその諸政党との妥協とブロック政策に反対し、これらの改良主義的労働者諸政党がブルジョアジーと手をきり、労働者の階級的に統一した行動にもとづいて、労働者階級の政府のために闘うように、改良主義的諸党を支持する労働者大衆が自ら努力し、彼らの改良主義的指導部にたいして闘争をおこなうよう呼びかけることなのである。
 「第四インターナショナルの中心任務は旧指導部からプロレタリアートを解き放つことであり、そしてこの旧指導部の保守主義は崩壊しつつある資本主義の破局的爆発と完全に矛盾をきたし、歴史的進歩の主要な障害となっている。第四インターナショナルがプロレタリアートの伝統的諸組織にたいしてくわえる主要な非難は、彼らがブルジョアジーの半死体から身をひきはなさないということである。」(『過渡的綱領』国際革命文庫、二一頁)
 改良主義的労働者諸政党を支持する労働者大衆にたいしてわれわれが呼びかける労働者政府のスローガンは、階級協調主義的指導部とその党を支持する労働者大衆や党員大衆とのあいだに政治的亀裂を意識的につくりだし、政府の問題にかんしてこれらの労働者大衆のあいだに積極的な階級的考えかたをおしひろげようとするものである。つまり、改良主義的労働者諸政党を支持する労働者大衆のあいだにおいて、政府の問題にかんするブルジョアジーと明白に対立する彼らの階級的独立性を積極的につくりだし、それを促進しようとするのである。
 こうしてまた、国際的・国内的な過渡的諸要求の実現をめざす階級的に統一した闘いと労働者階級の大衆的二重権力組織の形成をつうじて、労働者階級の革命的権力樹立のために一貫して闘いぬこうとするわれわれと、他方における改良主義的労働者諸政党をいぜんとして支持する労働者大衆とのあいだに、政府の問題をめぐって一つの階級的な――あるいは階級としての――橋わたしをつくりだそうとするのである。かくして「労働者の階級的に統一した行動にもとづいて、ブルジョアジーと手をきった労働者階級の政府をつくれ!」という労働者政府のスローガンが、われわれと多数の労働者大衆とを統一戦線的にむすびつけようとする過渡的性格をもっていることは明白である。

6 「共産主義者は、プロレタリアートの独裁の必要をいまだ認識していない労働者とでも、ともに前進する用意がある。」(「第三インターナショナル第四回大会・戦術にかんするテーゼ」、前掲書、五四一頁)
 われわれは改良主義的労働者諸政党の影響下にある労働者大衆にたいして、これらの大衆が自己の改良主義的諸党から分離することを前もっての条件とすることなく、彼らがこれらの改良主義諸党をかかえたままでも、労働者が階級として統一し、ブルジョアジーから手をきった労働者階級の政府のために闘うように呼びかけ、またブルジョアジーの政府を打倒し、自己の階級的政府をつくろうとさせるべく宣伝し、また時におうじてその行動を煽動する。かくして、労働者大衆が、自ら支持する改良主義的労働者諸政党をつうじて、ブルジョアジーと手をきった労働者階級の政府を要求し、このために闘おうとするとき、われわれは、そのような労働者大衆にたいして批判的支持――批判的というのは、改良主義的指導部の裏切り的役割にたいする独自の批判と警告をわれわれは放棄しないということである――を積極的にあたえ、労働者大衆のそのような努力を統一戦線的に全面的に応援し、それを現実の闘争として発展させようとする。
 多数の労働者大衆からする既成の改良主義的労働者諸政党にむけられた「ブルジョアジーと手をきって、労働者政府をつくれ!」という要求、またそのための大衆的な全努力と闘争は、これら労働者大衆の階級協調主義的指導部にたいする政府の問題をめぐる明白な対立と闘争の開始を意味する。われわれは、労働者大衆の側からする階級協調主義指導部にたいする階級的圧力と闘争の開始を全面的に支持し、これを促進しようとする。また、われわれは、労働者大衆の自己の階級協調主義指導部にたいする政府の問題をめぐる批判的な闘争、またこれら労働者大衆の改良主義的労働者諸政党をつうじた「ブルジョアジーと手をきった労働者政府」のための現実の行動と闘争をブルジョアジーのあらゆる攻撃から全面的かつ無条件に防衛しようとする。
 政府の問題にかんして多数の労働者大衆にたいして以上のような統一戦線的立場と方法をもって実践的に接近しつつ、われわれは、同時に、われわれ独自の国際・国内的な過渡的諸要求の体系と労働者階級の大衆的二重権力組織の形成を展望する様々な大衆的闘争組織にかんする宣伝と実践的提起を一貫して継続する。こうして、われわれは、ブルジョアジーと手をきった労働者政府の階級的政策体系を具体化させ、それらをさらに尖鋭化させ、労働者大衆の側からする改良主義指導部にたいする階級としての統制と政治的監視を政策の面で強めようとする。また、われわれは、労働者階級の大衆的二重権力組織の形成にむけた様々な闘争組織を提起し、そのイニシァティブをとることによって、労働者大衆の側からする改良主義指導部にたいする現実の行動をつうじた組織的統制を強め、同時に、労働者政府のための現実の闘争の発展をブルジョアジーとその国家から有効に防衛しようとする。
 われわれはまた、以上のような立場と方法にもとづいて、一定の政治情勢と大衆運動の条件下において、既成の改良主義的労働者諸政党による「ブルジョアジーと手をきった労働者政府」の樹立を直接かつ公然と大衆に呼びかけようとするのである。
 第四インターナショナルの「過渡的綱領」は次のようにのべている。
「労働者と農民に基礎をおき、彼らの名において語るすべての党と組織にたいして、ブルジョアジーと政治的に訣別し、労働者と農民の政府のための闘争の道にはいれとわれわれは要求する。この道において、われわれは資本主義的反動に反対して彼らを全面的に支持することを約束する。と同時に、われわれは“労働者と農民の政府”の綱領の中心をなすものであると考える過渡的諸要求を中心に疲れることを知らない煽動を展開する。」(『過渡的綱領』国際革命文庫、二一頁)
「……労働者と農民の政府のスローガンを中心とする煽動は、あらゆる条件下において巨大な教育的価値を保持している。……一つ一つの過渡的要求は、労働者は農民と協力して、自己自身の権力を樹立するために一切の伝統的諸党と手を切らねばならないという同じ一つの政治的結論にゆきつく。」(同上、二二頁)

7 改良主義的労働者諸政党からいまだ全面的に分離していない多数の労働者大衆が、にもかかわず、彼らの改良主義指導部にたいして「ブルジョアジーと手をきった労働者政府」の樹立のために階級的に統一した闘いを要求し、かくして彼らの改良主義指導部を強制し、ブルジョアジーと手をきった労働者階級の政府を樹立せんとする大衆的な闘争に現実にはいっていこうとするとき、――そのとき、これらの労働者大衆は既成の改良主義的労働者諸政党を自己を代表する政党であると考えているにもかかわらず、ブルジョアジーとその国家にたいして階級として対立する労働者階級の政府をめざす現実の闘いが提起され、社会と国家は明白な階級的分裂に直面し、ブルジョアジーとその国家と他方における階級として統一せんとする広範な労働者大衆とのあいだの明白な対立と激烈な闘争が現実の問題となる。このことは、いわばあるがままの労働者階級によるブルジョアジーの政府の打倒と自己の労働者政府を樹立せんとする闘いによって、ブルジョア支配とその国家そのものの解体打倒をめざす労働者階級の現実の闘いが過渡的に開始されるということを意味する。
 また、この意味において、依然として既成の改良主義的労働者諸政党のもとにとどまる圧倒的多数の労働者大衆にたいして呼びかける「ブルジョアジーと手をきって労働者政府をつくれ!」というスローガンとそのための階級的に統一した労働者大衆の行動のよびかけは、全社会にたいするブルジョアジーの支配とその国家の解体打倒をつうじて樹立される革命的労働者政府――プロレタリア独裁の政府――をめざすわれわれのプロレタリア統一戦線的な過渡的スローガンなのである。
 第三インターナショナル第四回大会の戦術にかんするテーゼは、次のようにのべている。
 「労働者政府は、それが議会内の勢力分布によって成立し、したがって純議会的起源のものである場合でも、革命的労働者運動を生動させるきっかけとなることができる。だが、真の労働者政府の誕生、革命的政策を推進する政府のひきつづいての維持が、極度に苛烈な闘争に、場合によってはブルジョアジーとの内戦にみちびかざるをえないことは自明である。このような労働者政府を形成しようとするプロレタリアートの努力にしてからが、ブルジョアジーのきわめて鋭い反抗にあらかじめつきあたることとなろう。したがって、労働者政府のスローガンは、プロレタリアートを結集して、革命的闘争を爆発させるのに好適なスローガンである。」(前掲書、五四〇頁)
 もちろん、われわれの様々な過渡的スローガンは、つねに二重の意味をもっている。一つは、社会と国家の現実の状態から出発して、あるがままの労働者大衆の意識の状況に働きかけ、階級的に進歩的な意識を積極的に呼びおこし、これに依拠して、ブルジョアジーの支配とその国家そのものにたいして階級として非和解的に対立する様々な要求とスローガン、――つまり、それらの要求やスローガンが労働者大衆の階級的統一した現実の行動と闘争に転化するとき、現実のブルジョア社会とその国家を階級的に分裂させ、社会と国家を客観的に内乱的状況にみちびくようなそのような階級的要求やスローガンという側面である。あと一つは、これらの様々な過渡的要求やスローガンは、現実の労働者大衆にたいして、彼らが既成の改良主義的労働者諸政党からただちに政治的に分離するということを条件としてセクト的に呼びかけられるのではなく、これら労働者大衆の既成の改良主義的また階級協調主義的指導部にたいする階級的批判と階級的な政治的独立性の発展を過渡的に促進し、かくして、いくつかの改良主義的労働者諸政党のあいだに分裂している労働者大衆を階級として統一するための大衆的な意識的要素を過渡的につくりだし(つまり、階級を統一するという側面)、同時にわれわれ革命的前衛とこれら労働者大衆とのあいだに階級的なかけ橋をつくりだそうとするプロレタリア統一戦線戦術としての側面をもっているということである。
 われわれの「過渡的綱領」においては、次のようにのべられている。
 「次の時期――煽動、宣伝、組織の革命前的時期――の戦略的任務は、客観的な革命的諸条件の成熟と、プロレタリアートならびにその前衛の未成熟(古い世代の混乱と失望、若い世代の未経験)との間にある矛盾を克服することにある。大衆が日常の闘争の過程において当面する諸要求と革命の社会主義的綱領の間のかけ橋を発見するのを助けることが必要である。このかけ橋は、今日の諸条件と労働者階級の広範な層の今日の意識からはじめて一つの窮極的な結論、つまりプロレタリアートによる権力の獲得にみちびく過渡的諸要求の体系をふくまねばならない。」(『過渡的綱領』国際革命文庫、六頁)

8 いずれにしても、既成の改良主義的労働者諸政党を動員しつつ、ブルジョアジーと手をきった労働者政府のための広範な大衆的煽動とそのための労働者大衆の階級的に統一した行動と闘争が現実の問題になるとき、労働者階級は社会にたいするブルジョア支配とその国家と全般的かつ激烈な対立関係にはいる。このような情勢は、全体としての階級関係が前革命的情勢に突入するということ(ただし、このような情勢だけが前革命的情勢であるというのではない)、あるいは真に革命的情勢にむけて全事態が進展しはじめるということを意味する。
 まさにここにおいて、広範な労働者大衆のあいだにおけるわれわれ革命的前衛と改良主義的・階級協調主義的既成指導部との政治闘争――真の意味での党派闘争――が決定的段階にはいる。ここにおける革命的前衛党の任務は、広範な労働者大衆にたいする独自かつ直接的な政治的影響力を最大限に拡大し、彼らとのプロレタリア統一戦線の関係を決定的にふかめ、かくして改良主義的・階級協調主義的既成指導部の様々な反階級的サボタージュとマヌーバーをうちやぶり、情勢を真に革命的情勢にまでおしやってしまい、かくしてブルジョア国家の最終的打倒と労働者階級の革命的プロレタリア独裁政府の樹立を直接的な戦術的課題としてよびよせることである。
 まさにこの点において、「過渡的綱領」の戦術体系がその全的有効性を満開にすることになる。「それ(“過渡的綱領”)は今日から社会主義革命の開始点までの行動の綱領である。」(トロツキー、『過渡的綱領』国際革命文庫、四三頁)
 たとえ労働者階級の多数が依然として改良主義的労働者諸政党を自己の党であるとみなしているとしても、もしこれらの多数の労働者が改良主義的指導部を強制して、ブルジョアジーと手をきった労働者政府のための闘いに現実にむかおうとするとき、情勢は前革命的、さらには革命的となる。このような情勢のもとで、われわれは、個々の政治局面の具体的な展開のなかで、
(一) ブルジョアジーとの妥協とブロック政策へとむかおうとする個々のあらわれすべてにたいして具体的かつ明白に反対し、ブルジョアジーに階級として対抗するプロレタリアートの統一という立場を一貫して堅持し、
(二) 国際的諸問題と国内的な政治・社会・経済的諸問題をめぐるわれわれの階級的な過渡的諸要求を全面的に宣伝・煽動し、
(三) 労働者大衆のブルジョアジーとその国家にたいする現実の諸闘争の革命的発展、そしてブルジョアジーとその国家の側からする抵抗の強行的な粉砕と敵階級の全面的な武装解除を実現するための大衆的二重権力諸組織の形成とその階級的な全国的統一にむけた全面的な煽動と様々なイニシアティブをとるのである。
 こうしてわれわれは、「過渡的綱領」とプロレタリア統一戦線の全戦術体系をもって、われわれ自身をこれら労働者大衆の有効な多数派指導部へと急速に発展・転化させ、ブルジョアジーと手をきった労働者政府の樹立をめざす過渡的闘争に決定的にふみこんだ労働者大衆の現実の闘争を革命的プロレタリア独裁政府の樹立のための決定的な階級的闘いへとそのまま発展させようとするのである。
 今日われわれの主張をなかなか理解することができない労働者大衆の多数は、以上のような前革命的なあるいは革命的危機の情勢のもとにおいて、ブルジョアジーとの妥協とブロック政策にたいする一貫した階級的反対とブルジョアジーにたいしてプロレタリアートは階級として統一して対抗しなければならないという立場、重要な国際的諸問題と国内的な政治・経済・社会的諸問題にかんする階級的な過渡的諸要求、そしてブルジョア支配とその国家にたいする闘いにおける様々な大衆的二重権力組織の形成とその階級的な全国的統一の必要性をより速やかに理解し、うけいれ、吸収し、実践していくだろう。われわれは、こうしてプロレタリア統一戦線戦術の方法をもって、労働者大衆の圧倒的多数の隊伍をブルジョアジーとその国家にたいするますます決然とした非和解的な階級的対立にみちびき、労働者大衆の階級的隊伍をブルジョア支配とその国家の最終的解体打倒と革命的プロレタリア独裁政府の樹立にむけて全国的に組織的に武装し準備しようとするのである。

9 ところで、前革命的情勢あるいは革命的危機の情勢下における以上のような労働者大衆の圧倒的多数の努力とわれわれの「過渡的綱領」とプロレタリア統一戦線戦術の全戦術体系と方法をもってする意識的な介入によって、既成の改良主義的労働者諸政党による「ブルジョアジーと手をきった労働者政府」は実際にうちたてられるだろうか。
 この点について、わが第四インターナショナルの「過渡的綱領」は次のようにこたえている。
 「伝統的な労働者組織によってそのような政府をつくることは可能であろうか。すでにのべたように、過去の経験はこのことがきわめてありそうもないということを示している。だが、完全に例外的な状況――戦争、敗北、財政の崩壊、大衆の革命的圧力等々――の影響下に、スターリニストをふくむ小ブルジョア的諸党がブルジョアジーとの訣別の道を彼らが望む以上にすすむかもしれないという理論的可能性をあらかじめ絶対的に否定することはできない。いずれにせよ、ただ一つのことは疑問の余地がない、――すなわち、たとえ、このきわめてありそうにもないことが、いつか、どこかで現実となり、上にのべた意味での“労働者と農民の政府”が実際にうちたてられるとしても、それは真のプロレタリア独裁への途上におけるほんの短い一つのエピソードでしかないだろう。
 しかしながら、憶測にふける必要はない。労働者と農民の政府のスローガンを中心とする煽動は、あらゆる条件下において巨大な教育的価値をもっている。」(『過渡的綱領』国際革命文庫、二一―二二頁)
 「一九一七年四月から九月にかけて、ボリシェヴィキは、社会革命党とメンシェヴィキにたいして自由主義的ブルジョアジーと手をきり、自分自身の手に権力をとれと要求した。このような条件のもとで、ボリシェヴィキ党は、労働者と農民の小ブルジョア的代表としての社会革命党とメンシェヴィキにたいして、ブルジョアジーに対抗する党の革命的援助を約束した。――しかしながら、メンシェヴィキと社会革命党の政府に参加することも、またその政府にたいする政治的責任を担うことも絶対に拒否した。もしメンシェヴィキと社会革命党がカデット(自由主義派)の党や外国帝国主義と現実に手を切っていたならば、彼らによってつくられた“労働者と農民の政府”はただプロレタリア独裁の確立を急がせ、促進することにしかならなかっただろう。だが、まさにこの理由ゆえに、小ブルジョア民主主義の指導部は自分自身の政府をうちたてることに全力をつくして抵抗したのである。きわめて有利な条件下においてさえ、小ブルジョア民主主義の諸党(社会革命党、社会民主主義、スターリニスト、アナーキスト)が労働者と農民の政府、つまりブルジョアジーから独立した政府を樹立しえないことをロシアの経験は実証したし、またスペインとフランスの経験は今一度これを確証している。
 にもかかわらず、ボリシェヴィキがメンシェヴィキと社会革命党によびかけた“ブルジョアジーと訣別して、権力を君たち自身の手にとれ!”という要求は、大衆にとって巨大な教育的意義をもっていた。(一九一七年の)七月事件をつうじてあまりに劇的に暴露されたメンシェヴィキと社会革命党の権力掌握にたいする頑迷なまでのためらいは、大衆の世論のまえで彼らの運命を決定し、ボリシェヴィキの勝利を準備した。」(『過渡的綱領』国際革命文庫、二〇―二一頁。一九一七年のロシア革命における七月事件については、トロツキーの『ロシア革命史』の当該部分を参照していただきたい。)

二 改良主義的・階級協調主義的な「労働者政府」について

10 第三インターナショナル第四回大会の「戦術にかんするテーゼ」は、「共産主義者は、必要とあれば、非共産主義的労働者諸政党および労働者諸組織とともに労働者政府を形成する用意のあることを声明しなくてはならない。ただし、共産主義者がそうすることができるのは、労働者政府がブルジョアジーにたいする闘争を……現実に遂行する保障が存在する場合にかぎられる」(前掲書、五四〇頁)とのべ、労働者政府の「さまざまな可能性」を次のように列挙している。
 「一、外見上の労働者政府
 (1) 自由主義的労働者政府――オーストラリアに存在したようなものであり、この種の政府は近いうちにもイギリスで可能となろう(これらは、オーストラリアとイギリスの徹底的にブルジョア議会主義的な労働党政府の例である――引用者)。
 (2) 社会民主主義的労働者政府(ドイツ)……(これは、第一次世界戦争直後のドイツ社会民主党の政府である――引用者)。
 (3) 労働者と貧農の政府――この可能性は、バルカン、チェコスロバキアなどに存在する。
 (4) 共産党員が参加する労働者政府。
 (5) 真の革命的プロレタリア的労働者政府――その純粋な形態では、共産党によってのみ具現される。」(前掲書、五四一頁)
この「戦術にかんするテーゼ」はさらに次のようにつづけている。
 「共産主義者はまた、一定の条件と保障のもとでは、もちろんそれが労働者の利益を代表するかぎりでしかないが、純粋に共産主義的でない労働者政府を、それどころかたんに外見上だけの労働者政府ですらも支持する用意がある。しかしまた、共産主義者は、労働者にたいして、ブルジョアジーにたいする革命的闘争なしには真の労働者政府を樹立することも維持することもできないということを公然と声明するものである。真の労働者政府として理解されなくてはならないのは、ブルジョアジーにたいして労働者のもっとも重要な日常的諸要求を実現する真剣な闘争を受けいれる決意がある政府にかぎられる。このような労働者政府にのみ共産主義者は参加することができる。
 最初の二つの型の外見上の労働者政府(自由主義的および社会民主主義的労働者政府)は、革命的政府ではないが、事情によってはブルジョア権力の解体過程を促進することができる。つぎの二つの型の労働者政府(労働者と農民政府および社・共政府)は、まだプロレタリアートの独裁を意味せず、この独裁への歴史的に不可避的な過渡的段階ですらないが、それらが実現するときにはプロレタリアートの独裁をたたかいとるための重要な出発点となる。プロレタリアートの完全な独裁は、共産主義者からなる真の労働者政府(第五の型)だけである。」(前掲書、五四一頁)

補注――以上の引用部分は、J・デグラス編荒畑寒村訳『コミンテルン・ドキュメント、その一、一九一九~一九二二年』(現代思潮社)とフランス語版『共産主義インターナショナル最初の四つの世界大会――一九一九~一九二三――の宣言、テーゼ、決議』(マスペロ社)では次のようになっている。
 「右のうち(1)と(2)の型は、革命的政府ではなく、事実、ブルジョアジーと
 反革命的な労働運動指導部との連立政府である。この種の政府は、危機に直面して
 弱まったブルジョアジーから黙認されるものである。これは、ブルジョアジーが国
 家の真の階級的性格についてプロレタリアートを欺く手段とするためか、または堕
 落した労働運動指導部の助けをかりてプロレタリアートの革命的攻勢から身をかわ
 し、時をかせぐためのものである。共産主義者は、かかる政府に参加できないし、
 参加するどころか、逆にこの偽労働者政府の実体を大衆的に精力的に暴露しなけれ
 ばならない。しかし、現在のごとき資本主義衰退期、すなわち革命のためにプロレ
 タリアートの多数を獲得することがもっとも重要な任務となっている時期には、か
 かる政府さえも客観的にブルジョア権力の崩壊過程をはやめる助けになりうるので
 ある。
  しかしながら、共産主義者は、今なおプロレタリアート独裁の必要性を認識して
 いない労働者、社会民主主義者、キリスト教系諸党の党員、無所属のサンジカリス
 トなどと協力して行動する用意がある。すなわち、一定の条件と一定の保障がある
 ならば、共産党政府でない労働者政府をも支持する用意がある。だが共産主義者は、
 労働者階級にたいして、その解放はプロレタリアート独裁によってしか実現されえ
 ないということをかならず明らかにしなければならない。
  共産主義者が参加してもよい(3)および(4)の型は、プロレタリアート独裁
 をあらわすものではなく、また独裁への歴史的に必然な過渡的段階でさえないのだ
 が、それが樹立されている場合には、この政府が独裁実現のための闘争の重要な出
 発点となりうるのである。完全なプロレタリアート独裁を代表するものは、共産主
 義者のみでつくられる真の労働者政府((5)の型)以外にない。」

11 以上において“様々な労働者政府”の可能性が具体的に列挙され、それぞれの“労働者政府”にたいしてプロレタリアートの共産主義的前衛党がとるべき態度と戦術の問題が提起されている。
 とりわけ伝統的な改良主義的労働者諸政党によってつくられる様々な「労働者政府」にたいして、プロレタリアートの共産主義的前衛組織はいかなる態度と戦術をとるべきなのか。
 この問題は、「ブルジョアジーと手をきって、労働者階級の政府をつくれ!」という過渡的な労働者政府のスローガンをわれわれが実践的に適用するさいにおけるあと一つの重要問題である。少なくとも西ヨーロッパと日本において、中央・地方の様々な議会選挙、また地方自治体首長の問題に関連して、われわれは既成の改良主義的労働者諸政党や彼らのブロックにもとづく候補と地方自治体首長にたいしてどのような実践的立場をとってきたのか、また今後とってゆくのか。このようなきわめて現実的な問題として、われわれは、改良主義的・階級協調主義的な様々な、「労働者政府」の問題にこれまで現に直面してきたし、これからますます直面してゆくことになる。

12 「ブルジョアジーと手をきって、労働者階級の政府をつくれ!」という労働者政府のスローガンの階級的な実践は、たんに国家の中央のブルジョア全国政府がある危機におちいったとき、このスローガンを改良主義的労働者諸政党とその影響下にある労働者大衆にたいしてわれわれの声を大きくして提起することによってこと足れりとするようなものではない。われわれは、本論文の第一項から第一〇項にかけて、政府問題にかんする労働者階級の過渡的スローガンとして、既成の改良主義的労働者諸政党にむけられた「ブルジョアジーと手をきって、労働者階級の政府をつくれ!」という労働者政府のスローガンの戦略的かつ戦術的意味について検討した。「一つ一つの過渡的要求は、労働者は、農民と協力して自己自身の権力を樹立するために、ブルジョアジーの一切の伝統的諸党と手を切らねばならないという同じ一つの政治的結論にゆきつかねばならない」し(「過渡的綱領」、国際革命文庫、二二頁)、また「統一戦線戦術全体からの不可避的帰結として、労働者政府のスローガンが出てくる」(第三インターナショナル第四回大会「戦術にかんするテーゼ」、前掲書、五四〇頁)したがって、既成の改良主義的労働者諸政党とその影響下にある労働者大衆にたいしてよびかけられる労働者政府のスローガンは、「過渡的綱領」とプロレタリア統一戦線政策の全戦術体系とその一貫した日常の実践から独立して、現実の階級闘争において、それ自体として何か霊妙不可思議な奇跡的効力をもっているわけではない。
 もちろん、ますます深まる危機へつき進みつつある情勢のもとにあって、われわれは、政治情勢の個々の重大な転換点をとらえて、既成の改良主義的労働者諸政党とその影響下にある労働者大衆にむけられた労働者政府のスローガンを――必要におうじて、ときどきの具体的表現をあたえつつ――集中的に宣伝するであろうし、また政治情勢が真に危機的な決定的局面にはいるとき、改良主義的労働者諸政党とそのもとにある労働者大衆にたいして彼らの労働者政府の樹立をめざす階級的に統一した直接行動を扇動するだろう。
 だがまた、労働者政府のスローガンにかんする以上のような戦術的方法をわれわれが身につけるのとあわせて、今日、われわれにとって同時に決定的に必要とされていることは、次のことである。すなわち、政府問題をめぐる労働者階級の過渡的スローガンとしての「ブルジョアジーと手をきって、労働者政府をつくれ!」と結論する「過渡的綱領」とプロレタリア統一戦線政策の全戦術体系、その本質的に階級的な全方法が、具体的に様々なかたちをとりつつ、われわれの新聞を中心とする日常の大衆活動全体において一貫して系統的に貫徹されていなければならないということである。
 その基本は次のことのうちにある。――すなわち、労働者の様々な利害得失は、労働者階級として統一して、ブルジョアジーの利害得失と階級的に一貫して対立しているという根本思想によって、われわれの新聞を中心とする日常の大衆活動がつらぬかれ、統一されていなければならないということである。この根本思想が、われわれの様々な宣伝・煽動と一切の大衆活動をつうじて、労働者階級の先進的な活動分子層と労働者大衆それ自体にたいして一貫してつたえられ、「注入」されねばならない。
 この点において、レーニンの『イスクラ』紙にはじまる一貫して継続された新聞活動はその最高の見本である。レーニンは、ロシア労働者階級の相対的に意識的な先進的活動分子とさらにこの活動分子をつうじて労働者大衆にたいして、あらゆる具体的な問題と事件と闘争をつうじて、労働者の階級的利益とは何かということをじつに一貫して教育・宣伝していったのである。なぜなら、労働者階級の先進的活動分子とさらにこの活動分子をつうじて労働者大衆が、何が階級的な(階級としての)利益なのかということを具体的かつ徹底的に自覚すること――それは究極的にはプロレタリア革命党の綱領として表現される――こそが、プロレタリアートの権力のための闘争の本質的な主体的前提条件だからである。レーニンは、こうして、一九一七年一〇月の最後の勝利をほぼ二〇年間にわたって準備したのである。それゆえ、たとえばレーニンの『イスクラ』紙以来の全新聞における様々な宣伝的小論文や記事を系統だてて読みかえし、研究することによって、われわれは、われわれ自身の新聞を中心とする日常の大衆活動全体の政治的あり方について大いに学ぶことができるだろう。レーニンは、革命の決定的勝利と権力の奪取にむけてロシア・プロレタリアートをなにがなんでも絶対的に獲得したかったのである。レーニンにとって、ロシアの十月は、このマルクス主義としてのとてつもない「執念ぶかさ」、「しつこさ」、そして迫力の勝利だったのである。この点において、トロツキーは“プロレタリアートはメンシェヴィキやボリシェヴィキをいやおうなしに革命にむけておしやるだろう”といったが、レーニンは“プロレタリアートを革命にむけて階級的に(つまりマルクス主義的に)獲得しなければならない”といったのである。
 なぜなら、国家の問題は、プロレタリアートにとって本質的に意識性の問題であり、プロレタリアートの革命党の問題だからである。個々の資本家やブルジョアジーにたいする労働者の自然発生的な対立によって、プロレタリアートの国家の問題をめぐるブルジョアジーからの階級的独立性が保障されるわけではない。プロレタリアートがブルジョアジーにたいして階級として対立しているという意識に到達する可能性は、資本主義社会における社会階級的位置によって物質的に用意されているが、国家の問題をふくめてブルジョアジーから完全に独立した階級的意識性に到達するのは、現実の経験に媒介された一貫した意識的活動をつうじることによってのみなのである。国家の問題をふくめたブルジョアジーと対立するプロレタリアートの階級的意識は、自然発生性なのではなくて、意識性なのである。

13 ところで、改良主義的・階級協調主義的な「様々な労働者政府」、あるいは中央、地方議会の労働者諸政党の議員団とその選挙や地方自治体首長とその選挙にたいするわれわれの態度のとり方と戦術は、「ブルジョアジーと手をきった労働者政府」のための過渡的闘いと実践的にふかくかかわると同時に、われわれの日常の大衆活動において貫徹されなければならない階級性に直接かかわる問題の一つである。
 われわれは、以上すべての問題において、様々な部分的要求や過渡的諸要求の体系をつうじて具体的に表現されるプロレタリアートのブルジョアジーにたいする非和解的な階級としての対立を一貫して代表し(あるいは、社会にたいするブルジョアジーの支配とその国家の解体打倒と革命的プロレタリア独裁権力の樹立をめざすという立場の堅持)、同時にブルジョアジーに対立してプロレタリアートは階級として統一しなければならないというプロレタリア統一戦線の立場を具体的に貫徹しなければならない。
 こうして、われわれは、ブルジョア社会と国家の中央・地方の様々な公的機関における改良主義的労働者諸政党の代表にたいするわれわれの態度を次のような一般原則として要約することができるだろう。

一、プロレタリアートの共産主義的前衛としてのわれわれは、一貫した階級的な立場と行動にもとづいて労働者大衆に支持されて、自ら様々の公的機関に選出されようとする。だが、われわれがそのような独自の共産主義的候補をもたないとき、労働者大衆にたいして自己の階級的政策綱領を宣伝しつつ、彼らに改良主義的な労働者代表にたいする投票をよびかける。もちろん、われわれは、プロレタリアートの階級としての利益にたいして公然と裏切り的なブルジョア機関への労働者代表の参加に反対する。
二、われわれは、様々な公的機関における改良主義的労働者代表たちの妥協的で階級協調主義的な行動と発言について一切の責任をひきうけることなく、労働者代表としての彼らをブルジョアジーとその階級的な攻撃から無条件に防衛する。
三、同時に、われわれは、独自の階級的な政策と要求、そしてプロレタリアートの階級としての統一戦線の立場にもとづいて、改良主義的労働者代表を選出した労働者大衆にたいして彼らの改良主義的代表者たちの妥協的で階級協調主義的な行動と発言にたいする批判と闘争、そして労働者階級の様々な運動を階級的に統一するための闘いをわれわれとともに展開することを一貫してよびかける。

 つまるところ、われわれは自己の一貫した階級的独立性を維持しつつ、同時にプロレタリア統一戦線の立場にたって、労働者階級内部においてわれわれを多数派にみちびくための一つの「政治革命」を組織しようとするのである。こうして、われわれは、プロレタリア統一戦線の基盤のうえで、革命的労働者政府のために一貫して闘うのである。

14 つまり重要なことは、われわれの日常の大衆活動の一切において、
労働者の真の利益は、階級として、ブルジョアジーにたいして一貫して非和解的に対立しているということ、
したがって、
一、労働者は、自己の様々な要求や他の被抑圧諸階層の要求、また国際的諸問題にかんする立場や要求をブルジョアジーとその国家にたいして対立する自己の階級的な要求やスローガンとしてつねに提出しなければならないということ、
二、労働者は、自己の改良主義的諸組織がブルジョアジーやその様々な部分、またブルジョア国家との階級的な妥協とブロック政策にむかう一つ一つにたいして明白に反対し、ブルジョアジーとその国家にたいして階級として対立するプロレタリアートの統一のために一貫してつとめなければならないということ、
三、また、労働者の様々な要求を階級として統一した大衆的隊伍で実現するために、労働組合や地区的運動組織をはじめとするプロレタリアートの様々な運動組織を労働者民主主義にもとづく真に階級的な闘争組織として発展させなければならないということ
を、労働者階級の相対的に先進的な活動的部分とそのもとにある労働者にたいして、一貫してつたえ、自覚させてゆこうとすることである。
 われわれは、労働者が現実に経験する一切の契機――あるいは、すべての重要な契機――を具体的にとらえ、ブルジョアジーにたいする労働者の階級としての独立性、したがってまた労働者大衆の様々な改良主義的・階級協調主義的指導部にたいする階級的な独立性を一貫して促進しようとする。社会にたいするブルジョア支配とその国家との関係におけるプロレタリアートの階級的独立性を促進しようとする大衆活動の日常不断の展開を基礎とし、またこのようなわれわれの日常的な大衆的政治活動とむすびつくことによって、既成の改良主義的労働者諸政党とその影響下にある労働者大衆にたいしてよびかけられる「ブルジョアジーと手をきって、労働者政府をつくれ!」というプロレタリア統一戦線戦術にもとづく政府スローガンは、革命的プロレタリア独裁権力樹立をめざすわれわれの階級的闘いのための過渡的スローガンとなるのである。こうしてわれわれは、非革命的情勢下における日常的な大衆活動の一つ一つをつうじて、プロレタリアートの自己の権力樹立をめざす階級的闘いを一貫して遂行するのである。プロレタリアートの権力のための闘争は、前革命的情勢や革命的危機の情勢下においてはじめて展開されるのではなく、まさに非革命的情勢下におけるわれわれの日常的大衆活動において始まるのである。

一九七六年一一月二四日

”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””’
〈まえがき〉

 労働者政府のスローガンは、われわれの日常の大衆活動のあり方に根本的にかかわるものである。われわれがそのような日常的な実践的問題として、労働者政府のスローガンの戦略・戦術上の諸問題に本格的に直面したのは、今年(1976年)の四~五月の情勢においてであった。労働者階級の政府問題にかんする過渡的スローガンとしての「ブルジョアジーと手をきった労働者政府をつくれ」というスローガンをわが同盟が真に有効に駆使し、そのための全活動にむけて決定的に武装され、わが同盟員の一人一人が同盟外の先進的労働者活動家とこの問題にかんして積極的に討論をなしうるために、労働者政府のスローガンにたいするわが同盟の基礎的理解を全面的に確立することがどうしても必要である。だから、わが同盟は、労働者政府のスローガンをめぐる基本的諸問題について真に徹底的に系統だてて理解をふかめなければならない。
 「ブルジョアジーと手をきって、労働者政府をつくれ」というスローガンは、もともと既成の改良主義的労働者諸政党とその影響下にある労働者大衆にたいして呼びかけられるものであり、そのようなものとして政府問題にかんするわれわれのプロレタリア統一戦線戦術にもとづく過渡的スローガンである。私は、以下において、その意味と問題のひろがりについて明らかにすることに重点をおいた。
 以下の小論はまた、同盟の先進的な労働者活動家にたいする労働者階級の政治スローガンにかんする討論のよびかけでもある。

THE YOUTH FRONT(青年戦線)

・発行編集 日本共産青年同盟「青年戦線」編集委員会
・購読料 1部400円+郵送料 
・申込先 新時代社 東京都渋谷区初台1-50-4-103 
  TEL 03-3372-9401/FAX 03-3372-9402 
 振替口座 00290─6─64430 青年戦線代と明記してください。