永久革命とフランス革命について

酒井与七

一 永久革命と段階「革命」論

 一般に革命の一中心問題は、まず第一に、全般的総蜂起の運動に参加するために客観的に用意されている社会的諸階級、社会的諸階層の存在である。歴史的に用意されている社会的諸階級、社会的諸階層が全般的な大衆的総蜂起の運動を現実に開始するとき、そこで問題となるのは、全体としての大衆的総蜂起の過程を通じて革命的人民、すなわち革命的な新しい「国民」を形成することであり、いいかえれば全大衆的な総蜂起の過程において過渡的な形成がはじまった革命的人民の運動をどの社会階級に基礎を置こうとするいかなる党派がどのような目標にむけて動員し導こうとするかということである。
 潜在的に革命的であった人民大衆の総蜂起状態への移行とこの総蜂起の運動をつうじて過渡的に形成される革命的人民・革命的新「国民」を舞台にして、それぞれの社会階級的性格にしたがう各党派がその主導権とヘゲモニーをめぐってたがいにあいあらそう。そして、党派を意識的に表現するのは綱領である。すでに深刻な過渡的無政府状態にある旧国家、旧支配階級、旧社会諸関係の完全かつ徹底的な破壊と新しい社会諸関係の形成をめざす新しい独裁政府の樹立にむけて総蜂起のなかで過渡的に形成されてきた革命的人民・革命的新「国民」を決定的に動員し、かくしてその社会における支配者として革命的新「国民」の形成を完成させようとするのか。それとも、過渡的に実現された人民大衆の総蜂起の運動を以上の目標にむけて目的意識的に=党派的に動員しようとせず、旧国家・旧支配諸階級・旧社会諸関係にたいする改良を目的とし、かくして旧体制全体との妥協、もしくは旧体制の中途半端な「解体」=改革にむけて目的意識性=党派性を発揮しようとするのか。この後者の目的意識性=党派性=綱領は、ひとたび決定的に開始された人民大衆の総蜂起運動の永久的発展に対立し、これを中途でおしとどめようとするものである。このような綱領をわれわれは二段階「革命」論の綱領という。
 フランス大革命におけるジロンド派、ヨーロッパにおける一八四八年の諸革命における小ブルジョア民主主義派、一九一七年ロシア革命におけるメンシェヴィキと社会革命党(エス・エル)多数派、一九一八―一九年のドイツ革命における社会民主主義の両派、一九二四―二七年の中国共産党の路線、一九三〇年代の人民戦線の路線――これらすべては、過渡的蜂起の状態のうちにある人民大衆それ自身のあいだに自らの政治的基礎・影響力をもちつつ、同時に人民大衆の総蜂起の運動をその内部から中途において段階的におしとどめようとするものであり、人民大衆の過渡的な総蜂起の運動のなかにある政治的反動である。段階「革命」論としてのメンシェヴィズムと人民戦線主義の真の危険性は人民大衆の過渡的総蜂起の運動そのものの内部にあるのであり、レーニンのボリシェヴィズムとしてのメンシェヴィズムに対する一貫した歴史的な政治的闘争の全意義はまさにここにあった。
 すなわち、人民大衆が自ら突入した過渡的な総蜂起の運動を、その内部に存在している段階論的な反動(中途でおしとどめようとする党派性)にたいして大衆的に闘いぬかせ、かくしてこの人民大衆の総蜂起の運動の永久的発展を最後まで貫徹させようとする装置として永久的革命のための党の建設があった。トロツキーのロシア永久革命論の綱領はレーニンの ボリシェヴィキを中核として遂行された。
 また、人民大衆の総蜂起状況の過渡的実現とその永久的発展の達成という以上の永久革命の見地からするとき、過渡的諸要求にもとづく統一戦線政策としての永久革命戦術と人民戦線主義の段階論的戦術の対立は完全にあきらかとなる。前者は、旧体制下における抑圧された諸階級のうち、旧体制の総体としての解体打倒と新しい革命的社会秩序のために最後の最後まで無条件に闘いぬこうとする階級に自己の主体的立場を設定し、旧体制のもとにおいて最も抑圧されている諸階級と諸階層の全体を闘争のエネルギーとして全面的に動員しようとする立場にたつ。後者は、抑圧された諸階級、その中心的階級に主体的足場をおきつつ、現存する諸階級の総体的なブロック(つまり妥協)の形成にむかおうとする。前者は旧い社会関係の解体・打倒を目標としてかかげ、後者は旧い社会関係と階級関係の改良・改革にその目標を限定する。われわれの過渡的な戦術としての統一戦線戦術は、抑圧された人民大衆の総蜂起の運動の実現にむけた戦術であり、すでに過渡的に実現された大衆的総蜂起の状況のもとにおいては人民大衆それ自身を支配階級にむけて権力として組織しようとする戦術なのである。

「ツアー、封建領主、僧侶などはいたるところでプロレタリアート、プロレタリアートの前身、平民、農民などによって打ちやぶられた。それは既に一六世紀のドイツ、またそれ以前に起きたことと同様な出来事であった。中国でもまた軍閥を打ちやぶったのは労働者と農民であった。……民主主義的独裁は昔の革命にも中国にも存在しなかった。なぜか。革命という骨の折れる仕事をやった労働者と農民のうえにブルジョアジーがあぐらをかいてすわったのである。……革命において“最も基本的なこと”、すなわち誰が指導し、誰が権力を奪取したかということ……。革命は権力獲得のための闘争である。それは、階級が徒手空拳でではなく、“政治的制度”(党など)の助けをかりて行なうところの政治的闘争である。」(トロツキー『永久革命論』、現代思潮社版『トロツキー選集』第五巻二二九―二三〇頁)

二 ブルジョア民主主義革命の永久性

「第一にブルジョア民主主義の社会的基盤の問題、すなわちブルジョア民主主義はいかなる階層と階級をそれ自身の支えとなしうるか。
 革命的勢力としてブルジョアジーについて語る必要はない――これについてわれわれはみな意見が一致している。もっとも広義における国民革命であったフランス大革命においてすら、リヨンの工業家たちは反革命的役割を演じた。しかるにわれわれは、中ブルジョアジー、とくに小ブルジョアジーがブルジョア革命の指導勢力だと教えられている。では一体、この小ブルジョアジーとはいかなるものであるのか。
 ジャコバン党は、ギルドから成長してきたところの都市民主主義に支持されたのであった。小親方や徒弟、またそれらの固くむすびついた都市大衆は、山岳党なる指導政党の支えとなった革命的サンキュロットの軍隊を構成していた。革命的転覆という重荷全体をその肩にになわされたのは、まさにギルドという長い歴史的学校をへてきたこの都市民衆の密集団であった。革命の客観的結果は、資本主義的搾取の“正常”な条件の創出となった。しかしながら歴史的過程の社会的力学は、庶民・巷間の民主主義、すなわちサンキュロットによるブルジョアジーの支配のための諸条件をつくりだすにいたった。彼らの恐怖的独裁はブルジョア社会から旧いガラクタを一掃し、それから小ブルジョア民主主義の独裁を転覆した(テルミドールのクーデター)後にブルジョアジーの支配に達するにいたった。……ロシア革命において産業プロレタリアートは、一八世紀の終りにサン・キュロットというセミ・プロレタリア的職人の民主主義がたっていたと同じ地盤を占めるであろう……。ちょうどあの偉大な革命において小ブルジョア的都市民主主義が革命的国民の先頭にたったと同様に、わが国の諸都市における唯一の革命的民主主義たるプロレタリアートは、いやしくも革命が勝利の見通しをもつならば、農民大衆のあいだに支持を見いだして自ら権力を掌握しなければならない。」(トロツキー『永久革命論』、同上書二四二―二四四頁)

「……フランス大革命において、われわれは行動的で開明的なブルジョアジーを見いだす。彼らはまだその立場の矛盾について気づいておらず、新しい秩序のための闘争の指導権をとることを歴史によってゆだねられており、過去のものとなった全ヨーロッパにたいしてだけでなく、全ヨーロッパの反動にたいしても闘った。ブルジョアジーは意識的にそのさまざまな分派という形をとって国民の指導権をにぎり、大衆を闘争の渦中にみちびき、スローガンをうちだし、革命的戦術を指令する。民主主義は国民を一つの政治的イデオロギーのもとに統合した。人民――すなわち都市小ブルジョアジー、農民、労働者――はブルジョアジーを代議員に選出し、選挙民が代議員にあたえた指令は自ら救世主的役割を自覚しつつあるブルジョアジーの言葉で書かれていた。革命それ自体の進行中に階級的敵対が明白となり、革命闘争の強力な慣性がブルジョアジーのより保守的な部分を次々と政治的道程から追放した。いかなる層も、自己のエネルギーを後続の層に移転しおえないうちには放逐されなかった。それゆえ全体としての国民は、さらにいっそう尖鋭でいっそう決然たる手段をもって、目標にむかって闘争をつづけた。富裕なブルジョアジーからなる上層が、運動に突入した国民の中心から離反して、ルイ一六世と同盟を形成したとき、民主主義的諸要求をかかげた国民の運動は、このブルジョアジーと敵対する方向にすすみ、民主主義の論理的に不可避の形態である普通選挙制と共和制とを実現した。」(トロツキー「結果と展望」)

三 永久革命の政治的エネルギー

 フランス革命の破壊的な急進性、またこの革命の永久的発展の原動力としてあったのは、パリを中心とする都市下層大衆が実現した一般的蜂起の運動――一般的蜂起の状況下にある都市大衆の運動とその自然的な大衆運動機関としての地区コミューンならびにその連合――であった。当時の都市下層大衆の一般的な蜂起の状況、――なにものも抑圧し統制し拘束することのできない都市下層大衆の一般的な蜂起の状況、――自らの集団的な幻想と意識のみによって支配される独立した自律性=オートノミーとして実現された都市下層大衆の一般的蜂起の状況が解放した巨大な政治的エネルギーが旧制度(アンシアン・レジーム)にふりむけられた破壊の力を形成したし、その巨大な破壊のエネルギーが農村における土地革命をみちびきだした。一般的蜂起の状況として解放された都市下層大衆の急進的な政治的エネルギーが持続するかぎりにおいて、革命は永久的発展をつづけた。抑圧をつうじて潜在的に形成されていた都市下層大衆の政治的エネルギーが徹底的に解放されつくし、その力が枯渇しはじめたとき、革命は停滞し、反動がはじまった。このエネルギーが終るとき、革命の永久的発展は終り、革命そのものが終った。
 革命の原動力としての政治的エネルギーは、長きにわたって抑圧されてきた社会の下層大衆(その社会階級的性格は、時代とともに歴史的にことなり、変る)が自己の一般的蜂起状況をつうじて解放する政治的エネルギーであり、ここにまた革命の自然史的な永久性の基礎がある。ある革命がもつ広さと深さは、その革命に旧社会の下層大衆が一般的蜂起の運動をつうじて参加する度合いによるものであり、またその一般的蜂起状況をつうじて解放される政治的エネルギーの度合いが革命の自然史的な永久性の度合いを決定する。かくしてまた、一般的蜂起の運動において解放された民衆のただ自らの集団的意識にだけ支配される自律的な運動をわれわれは永久革命の運動、その力学といっていいだろう。
 このような意味でフランス大革命こそは社会の下層諸大衆がもっとも広範かつ徹底的に参加した革命であり、であるがゆえに今日なおもっとも典型的な大永久革命としての歴史的価値をもっている。たんにロシア十月革命をわれわれの古典として研究し学ぶだけではなく、このフランス大革命を徹底的に研究しつくそうとすることがわれわれにとって絶対に必要である。この革命は極度に自然史的、自然発生的であり、ロシア十月革命のようにその前史として目的意識的な革命党建設の歴史と一九〇五年のような革命大予行演習をもっていないがゆえに、それだけかえって多大の教訓にみちみちているということができる。またフランス大革命はロシア十月革命よりもはるかにエネルギーに満ちあふれていたといえるかもしれない。ロシア革命のボナパルトは“外敵”におびえて一国社会主義にとじこもろうとしたが、フランス大革命のボナパルトは全ヨーロッパを相手にまわして戦争を組織したのであった。

四 フランス大革命におけるサンキュロットとジャコバン党

 貴族とブルジョアジーの対立の激化をつうじて形成された絶対主義国家体制の支配的上層における分裂をつうじて、フランスの都市下層大衆はその一般的蜂起の運動にまず端緒として登場した。都市下層大衆の蜂起的登場は、一方における絶対主義国家ならびにその貴族層と他方におけるブルジョアジーとのあいだの対立と分裂を、もはや引きかえしできないものにしてしまった。パリを中心とする都市下層大衆の蜂起の運動は拡がり深まり、都市、つまり国家の中心部における絶対主義の支配力を急速に解体し崩壊させていった。農村もまた深刻な社会政治的動揺を開始し、農民大衆も蜂起の運動への胎動を開始していった。農村は、絶対主義国家が都市下層大衆の運動を鎮圧するために依拠すべき反動のための社会基盤とはならなかった。逆に、都市下層大衆の蜂起の運動の拡大にもとづく絶対主義国家の支配力の衰退は、農村で胎動する農村革命に対抗すべき絶対主義国家の支配力を解体しつくしていったのであった。
 都市下層大衆の一般的蜂起の運動の永久的発展として実現されたロベスピエールのジャコバン党(山岳党)独裁政府の形成は、都市下層大衆の運動と農村革命との積極的な全国的同盟の確立を意味していたし、また同時に農村における土地革命の決定的な勝利を意味していた。中・下層ブルジョアジーの急進派を社会階級的に体現するジャコバン党が、自己を媒介者として都市下層大衆の一般的蜂起の状況と農村革命とのあいだの全国的同盟を実現していた。ジャコバン党を全国的媒介者ならびに指導勢力として実現された都市下層大衆の一般的蜂起状況と農村革命との全国的同盟が絶対主義下の旧制度(アンシアン・レジーム)を社会・経済・政治的に解体してゆく破壊力の根本をなしていたし、また都市ならびに農村の双方における下層大衆の全国的同盟をロベスピエール指導下のジャコバン党公安委員会革命政府が体現していたのであった。
 都市下層大衆は都市の地区コミューンの運動あるいは地区コミューンの都市規模における連合体の運動として自己を表現したが、自身の直接性において全国性を形成しえず、したがってまた自ら直接に農村革命との同盟を実現することができなかった。ここに中・下層ブルジョアジーの急進派としてのジャコバン党がその歴史的役割をもって存立する基礎が客観的に存在していたのであった。ロベスピエールに指導されるジャコバン党の平民的急進民主主義のイデオロギーとその諸政策は、都市ならびに農村の双方における下層大衆を政治的に動員し、この両者の全国的同盟をそのヘゲモニーのもとに実現したのである。だがジャコバン党そのものの社会階級的性格はあくまでも都市中・下層ブルジョアジーのそれであり、その政治的急進分派でしかなかった。すなわち、すでに革命によってとらえられ、革命をつうじて獲得しつつあった自らの物質的利害関係のために反革命と死力をつくしてでも闘いぬかなければならなかった都市中・下層ブルジョアジーの社会階級的必要をロベスピエールのジャコバン党が客観的に代表していたのであった。ジャコバン党独裁政府を国民公会をとおして支持あるいは承認した中・下層ブルジョアたちがすべてロベスピエールのようであったわけではない。革命をつうじて形成されていった自らの社会階級的利害を反革命から防衛するために、ロベスピエールとジャコバン党の平民的急進ブルジョア民主主義によって都市ならびに農村の最下層大衆を政治的力として利用し動員しなければならないという必要が、彼ら中・下層ブルジョアジーにたいしてジャコバン党公安委員会政府をまさしく臨時革命政府として承認することを強制したのであった。またひとたび一般的蜂起の運動として形成されたサン・キュロット運動の永久的発展の全国的エネルギーが持続するかぎり、この政治的力にはやまって逆うことは、ジロンド党のように自らの首の骨を折ることとなり、革命によって追放されてしまうことになる。こうしてまた他の一面では、都市と農村の下層大衆の全国的同盟がつくりだす政治的エネルギーが存続するかぎりにおいて、中・下層ブルジョアジーはこの政治的エネルギーを全国的に指導することを強制されたということができる。ロベスピエールの「理性神」その他にみられる平民主義的ユートピアの幻想は、以上の矛盾と苦悩を反映していたといいうるかもしれない。
 サンキュロット運動とジャコバン党独裁政府との対立と抗争が発展しはじめた。だが、サン・キュロットの一般的蜂起の運動としての都市における地区コミューンの運動はたしかに革命の決定的な推進力ではあったが、それ自身において自己の政府(サン・キュロット政府)を直接に形成することができない。すなわち、サン・キュロットの運動は、常により左翼の「代行」的な全国的党派をつうじてしか自己を全国的に表現することができない。サン・キュロット運動の歴史的な限界、その決定的な限界は、国民公会を自ら直接に支配できないということ、あるいは自己を直接に全国性において表現しえないことのうちにあった。中・下層ブルジョアジーの革命議会たる国民公会をたとえ暴力的に解散・打倒したとしても、サン・キュロットの都市における地区コミューンの運動はせいぜいのところ諸都市をおさえる可能性をもっていただけであって、全国政府を自ら樹立する能力に欠けていた、――つまり、サンキュロットの都市コミューン政府の限界内にとどまることになる。当時、サンキュロットを構成する都市下層大衆は、それ自身において独自の社会的・政治的全国性を形成するための社会階級上の客観的性格をいまだ歴史的に獲得していなかったのである。またサンキュロットを構成する都市下層大衆と他方の農村下層大衆とのあいだには、社会階級的カテゴリー上、重大な相異があった。すなわち、すでにブルジョア的商品経済と資本主義的諸関係を発展させつつあった都市の下層大衆と絶対主義下における農村の下層大衆との社会階級的性格の相異、またそれぞれの社会経済的要求の相異があった。かくしてロベスピエールを主領とするジャコバン党の社会経済綱領の平民的性格にもかかわらず、その根本的にブルジョア的性格を都市のサン・キュロットから防衛した基盤は、土地=農村革命後の農民大衆のなかにあったというべきだろう。サン・キュロットは自己の直接的能力において農民を獲得することができない、――また自己の直接性において農民との同盟を実現する社会的能力なしには、自己の全国政府を形成しえないのである。
 それ自身の生活の崩壊をふくめたサン・キュロットの政治的エネルギーの枯渇と農村革命後において農民大衆が形成するブルジョア的壁ゆえに、都市下層大衆の一般的蜂起運動は足ぶみし、衰退し、分裂を開始していった。革命の永久的発展は終った。すでに後もどりできないものとして確立された新しいブルジョア的所有の諸関係をのこして、革命は終った。都市下層大衆の一般的蜂起運動のエネルギーの枯渇、そして都市と農村双方の下層大衆のあいだにおける急進的な全国的同盟の崩壊は、革命の推進力の終焉であり、革命の永久的発展のための条件の崩壊であり、永久革命の終りであった。

五 革命の永久的発展の停止としてのテルミドール反動、そしてバブーフとナポレオン・ボナパルト

 革命の根本的推進力としてのサン・キュロット、革命の全国性の基盤となった土地問題を中心とする農村革命――この二つの組合せによって解放された巨大な政治的エネルギーが絶対主義の旧制度=アンシアン・レジームを社会・経済・政治的に徹底的に解体しつくし、新しいフランス「国民」社会の構成を準備し形成していった。だが、ジャコバン党とサン・キュロットの対立と抗争の発展、そして権力の座にある前者のによる後者の鎮圧と後者それ自身の政治的エネルギーの衰退は、ジャコバン党急進左翼の政治的基盤そのものの都市における崩壊以外のなにものでもなかった。ロベスピエール派に代表されるジャコバン党急進左翼を介したサン・キュロットとジャコバン党との都市における政治的同盟、つまり都市下層大衆と中・下層ブルジョアジーとの急進主義的政治同盟が崩壊していった。革命の力学は急進的なものの求心的集中の力学から、その遠心的分散の力学へと転換した、――求心的集中の軸なしに、分裂と分化が拡がった。かくしてジャコバン党内部と国民公会内部におけるジャコバン党急進派のヘゲモニーは崩壊し、「泥沼派」と政治的逆流が急速に胎頭してゆき、テルミドール反動のクーデターとして終った。
 他方、ジャコバン党急進左翼派の没落は、それ自体の内部に分解をつくりだし(ブオナロッティなどの極左分子の分化)、サン・キュロットによるそれ自体としての独立的運動の形成が企図される――バブーフの「平等の陰謀」。ジャコバン党の極左分子とサン・キュロットの活動分子によって企図された新しい運動としての「平等の陰謀」は、サン・キュロット運動と農村革命に依拠する中・下層ブルジョアジーの革命的独裁体制であったジャコバン党独裁をこえて、革命をよりいっそう永久的に発展させようと企図するものであった。その綱領は、中・下層ブルジョアジーの議会である国民公会とその政府を解散・打倒し、サン・キュロット運動を新しい革命的独裁政府として直接に組織しようとするものであった。つまり、都市下層大衆と農村の貧農大衆の全国的同盟をサン・キュロットの革命的政府のもとに直接に実現しようとするものであった。かくしてバブーフとブオナロッティの綱領は、フランス大革命を永久革命としての発展の極限にまで押しすすめようとする企図を表現していたのであり、またそのようなものとして反ブルジョア的であり、共産主義的であった。こうして、近代から現代にかけた永久革命としての共産主義の思想と運動の源流がきずかれたのであった。
 バブーフとブオナロッティの「平等の陰謀」の企図にもかかわらず、サン・キュロットの運動は、この共産主義的永久革命の綱領を現実にになうべき政治的エネルギーをもはや持ちあわせてはいなかった。「平等の陰謀」そのものは、その内部からの裏切の手引きによって壊滅させられてしまった。だが、共産主義の綱領そのものは、後にブランキーによって歴史的にうけつがれ、マルクスとエンゲルスによって近代的賃金労働者を社会階級的担い手とする現代的共産主義として政治的に再生されていった。
 中・下層ブルジョアジーの政治的支配力の基礎は、都市下層大衆のサン・キュロット運動を全国的に指導したかぎりにおいてであった。都市下層大衆のあいだにおける強力なサン・キュロット運動の崩壊は、中・下層ブルジョアジーの政治支配、つまり彼らの政府の終焉ででもあった。バブーフ、ブオナロッティなどの「平等の陰謀」のむこう側にいたのは、それまで革命フランスを全国的に指導し支配してきた中・下層ブルジョアジーではなく、革命をつうじて新しく形成されたブルジョア国民軍であった。この軍隊に基礎をおく新しい政治支配を表現したのがナポレオン・ボナパルトであった。軍隊に基礎をおくブルジョア・ボナパルチスト国家体制の成立は、フランス革命の永久革命としての発展の終焉そのものであった。このブルジョア・ボナパルチスト体制の成立は、――
 都市下層大衆の政治的幻滅と独立小商品生産者化した農民大衆の政治的保守性の形成。
 旧大ブルジョア勢力が革命によってこうむった経済的ならびに政治的打撃、そして絶対主義の旧制度=アンシアン・レジームから全面的に解放されたブルジョア的フランス国民社会を指導し掌握しうる社会経済的能力をそなえた大ブルジョアジーの未形成。
 反革命と下層大衆の急進的反抗の可能性に唯一対抗しうる政治的強力としての軍隊の政治的比重の増大、
 対外戦争のブルジョア的国民戦争としての遂行とブルジョア的フランス国民としての民族主義意識の高揚、
などによるものであった。とくに重要なことは、絶対主義の旧制度=アンシアン・レジームからブルジョア的な所有と生産の諸関係(ブルジョア「市民」社会)がサン・キュロットを決定的な政治的推進力とし、中・下層ブルジョアジーを政治的指導力とする革命によって徹底的に解放されたが、この解放されたブルジョア的国民社会を自己の社会経済能力にもとづいて掌握し指導しうるにたる社会経済的階級として産業的大ブルジョアジーがいまだ形成されていなかったということである。だからまた、賃金労働者として明白に確立した全国的社会階級としての近代的プロレタリアートも物質的に成立していなかったのである。かくして軍隊に基礎をおくボナパルトの国家が解放されたブルジョア経済を指導し、その社会に秩序をあたえていったのである。
 フランスにおける国民的革命としてはじまった大革命は、その国境をこえて国際的革命戦争の段階に到達することになったが、この革命戦争において国際的に勝利することはできなかった。フランスの革命は大ヨーロッパ革命へと国際的に飛躍することができなかった。旧体制下の絶対主義のヨーロッパはそのために準備されてはいなかった。イギリスはすでに自らのブルジョア的発展のコースを国民的にたどりつつあったし、オーストリア、ドイツ、ロシアの絶対主義体制はブルジョア的イギリスとともにフランスの革命に対抗した。全ヨーロッパ規模におけるこの政治的壁が、フランスの革命戦争をブルジョア的に堕落させる要因の一つとなった。フランスの戦争は、ボナパルトの戦争において典型的なブルジョア的国民の戦争となった。ボナパルトはフランス軍隊の力によって上から統制されたブルジョア革命を輸出した。かくして、サン・キュロット運動を主要な推進力とするフランス革命の永久的発展の停止と政治的逆流(テルミドール)の開始、フランス革命のブルジョア的国民主義的堕落――このことは、国民的革命としてはじまったフランス革命がその国民的限界をこえて全ヨーロッパ化しえなかったことのうちに重要な要因の一つをもっていた。フランス革命においてサン・キュロットの運動によって体現された永久革命のエネルギーは、その国民的革命の枠内に拘束され、革命の国際的防衛のための努力、つまりその革命戦争において大きくついやされたのであった。サン・キュロットの運動は、革命のブルジョア的成果を国民的に防衛することで終った。ヨーロッパの革命は、その後、すくなくとも一八三〇年、そして一八四八年までまたなければならなかった。

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