論文に掲載にあたって
酒井与七
私の論文集について
パソコンで読めるデジタル・ファイルとしてここに集めているのは、1960年代中頃から1990年代初期にかけてさまざまなテーマについて書いたもののうち、いまも私の記憶に残っていて、現在または今後にむけていくばくかの意味をもちうるかもしれないと思われる論文や断片的文章である。紙に印刷された自分の文章をコンピュータ・ファイルにする作業をはじめたばかりであり、ここに掲載する文章をこれからも追加してゆきたいと考えている。
習作の時期と1960年代半ば以降
ある程度まとまった政治的文章として私が最初に書いたのは、1959年初めに日本共産党京大学生細胞総会に提出した情勢・任務についての報告だった。この総会は、1956~58年において全学連傘下の京大学生運動を主導した共産党学生細胞が党機構との訣別を決議した会議であり、当時の共産党学生細胞として最後の会議だった。このとき、私は二人の細胞指導委員会副キャップの片方になっていて、情勢と任務についての報告を私が担当することになり、細胞指導委員会キャップが共産党機構との決別に関する提案を担当したはずである。党機構との決別についての提案と情勢・任務報告はそれぞれ謄写版刷りの文書として1959年初めの細胞総会に提出されたが、現在、これらの文書は消失していると思われる。私の情勢・任務報告は経済の見通しからはじまって、“一つの工場・職場に一人のボリシェヴィキ労働者を獲得せよ”という任務の呼びかけによって結ばれていたように記憶している。
やはり1959年1月、私は第四インターナショナル支持組織の日本革命的共産主義者同盟(JRCL)に参加しているが、共産党機構と断絶した京大学生細胞のメンバーの多くは同年四月から共産主義者同盟(ブンド)に流れ、われわれの第四インター支持JRCLグループは医学部自治会を影響下におくのみで、他にそれぞれ大学院進学と就職を予定している二人の経済学部メンバーと文学部メンバーの私がいるにすぎなかった。59年末には医学部以外で6名ほどのメンバーがいたが、継続的に活動しているのは私一人という状況だった。
JRCLグループは学生運動において主として社会主義学生同盟左翼反対派(レフト)として活動し、われわれは1959年中にレフト京大支部の機関紙として『インテルナツィオナーレ』を創刊した。この京大レフトの機関紙は1961年から精力的に発行されるようになり、それは1964年頃まで継続し、1,000号をこえるまでになった。1959年から1963年にかけて、私は『インテルナツィオナーレ』のために30~40本の文章を書いているはずだが、この謄写版刷りの機関紙はまったく消失しているし、自ら執筆した文章についての記憶もほとんどなくなっている。
1960~62年の時期、私は自分の活動を京大レフトの建設・強化とレフト組織の大阪にむけた拡大に集中し、JRCLの中央機関(京都)や全国規模の活動にはタッチしなかった。したがって、この時期における私の文章活動は京大と関西のレフト組織を基盤とするものであり、それらはすべて消失しているし、またJRCLの末端メンバーにすぎない私が『世界革命』紙のために執筆するようなことはなかった。
この時期のもので、今日でも何ほどかの意味があるもしれないと記憶に残っているのは、レーニンの『唯物論と経験批判論』に依拠して、黒田寛一の「哲学」論理を方法的に純然たる観念論にすぎないと批判した40,000字余の論文である(1960~61年執筆)。しかし、これは原稿のままで京大レフトのメンバーによってまわし読みされ、謄写版刷りのパンフレットにならず、原稿も消失しているので、その内容を確かめることもできない。
いずれにしても、この時期の私にとってマルクス主義とトロツキーの理論はいまだ学習と習得の対象にとどまっていて、この頃の文章は習作的なものにすぎなかった。
当時のJRCLの中央機関活動と全国的組織活動は1961~62年において組織分裂のうえで完全に崩壊してしまい、私は1962年に京大・関西レフトを基盤にして独自の全国的組織活動をはじめた。1963年にJRCL中央書記局(京都)の専従になり、JRCLの全国的再建活動にのりだし、『世界革命』紙の極度に不定期的な編集発行にたずさわるようになった。1964年に京都・大阪から東京に移り、それから1980年代中頃まで旧・新JRCLの中央専従として活動をつづけた。
したがって、1960年代中頃以降において、私は主として『世界革命』紙とわれわれの理論機関誌『第四インターナショナル』のためにさまざまな文章を書いてきたし、またJRCLの内部ブレチンでの討論文章や『トロツキー著作集』のための解説文章を書いている。
マルクス主義とトロツキーの理論を習得しようとする努力は1960年代中頃以降もつづくが、同時に、この頃から私の思考・文章に自分なりの独自性・オリジナリティが認められるようになる。このことを明白に示しているのが「テーゼの前に ― 過渡期とマルクス主義」(1965~67年)であるが、「テーゼの前に」を構成する三つの文章は、マルクス主義とトロツキー理論の1960年から1965年までの私の習得と第二次世界戦争後の世界のあり方について獲得した私の問題意識を全般的に概括したものである。ここで表明されているマルクス主義についての歴史的な問題意識がこれ以降の私の政治的思考の基本的な下敷きになっているし、そして「かけはし」のサイトにこうして集められている私の文章はすべて1965年以降のものである。
2008年3月29日
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