金権腐敗の「スポーツ祭典」やめよう
2020年東京五輪招致運動に反対する
「復興」をダシにナショナリズムを煽るな
ロンドン五輪が終わったばかりだというのに、来年のソチ五輪に向け連日スキー、スケート競技がテレビに映し出される。それに加えて二〇一四年のサッカー・ブラジルW杯に向けた動向をマスコミが騒ぎ立てる。そして今、それに加えて二〇二〇年夏季五輪の招致レースが年明けとともに開始された。五輪を推進している力は「ナショナリズム」と「商業主義」であり、言い換えると「民族国家」と「資本」の利権である。東京招致もその構造にどっぷり浸かっている。
IOC9月総会に向けて
一月七日、二〇二〇年五輪の招致をめざす開催計画(立候補ファイル)が国際オリンピック委員会(IOC)に一斉に提出された。東京都の招致委員会も三五三ページにも及ぶ立候補ファイルを提出し、翌八日からはローザンヌ、ロンドンで記者会見を行い、国際的な招致活動を開始した。
候補地は予備選を通過したスペインのマドリード、トルコのイスタンブール、そして東京の三カ所。今年三月にはIOCの評価委員会が東京など三カ所をそれぞれ視察し、七月には開催地三カ所がIOC委員にプレゼンテーションを行う。そして九月七日ブエノスアイレスで開催されるIOC総会で、委員約一〇〇人の投票によって開催地が決定されることになっている。
しかし、最終決定のための「レース」が始まったばかりにもかかわらず、開催地を三カ所にしぼる予備選の段階で最も評価が低かったトルコのイスタンブールが有力という情報がメディアで流されている。その根拠がイスタンブールは「アジアとヨーロッパをつなぐ交差点」「イスラム国家圏での最初の開催」だと言われている。
私自身も東京よりもイスタンブールの方がはるかに開催地にふさわしいとは思うが、オリンピックが歴史的に持ってきた「反人民的反階級的本質」が明白である限り、多くの角度から検討してみることが必要だ。ここではとりあえず開催地決定をめぐるシステム(からくり)について取り上げてみたい。
暗躍するスポーツマフィア
IOCは開催地を決定するにあたって、立候補ファイルを重視し、そこに記されている条件や数字が事実かどうか具体的に調査・検証すると力説。それはこの間IOCの委員が開催予定地から接待漬けにされ、何億円、時には何十億円にものぼるリベートを受け取っていたことが何度か白日の下になった経緯があるからに他ならない。だが開催予定地の接待攻勢よりさらに大きな影響力を持っているのは、「大国」の政治的圧力である。その力は全IOC委員の三分の一にも及ぶ東欧・アジア・アフリカ・南米などの票の行方を左右すると言われている。しかしこの二つの力よりももっと大きな決定力を持っているのがスポーツ関連企業を中心とする通称「スポーツマフィア」と呼ばれる存在だ。これがIOCを「カネ」で牛耳り、オリンピックの「商業主義」をつくり出してきた最大の勢力である。
二〇一六年の夏季五輪開催地を七都市から四都市に絞り込む一時選考の段階で、「治安」などの問題を指摘され、評価点数では五番目であったブラジルのリオデジャネイロが突然開催地に決定された。IOCの委員はこれについて次のように感想を述べている。「五番目だったので最終選考に拾われたはずのリオが、総会にはいる直前あっという間に“リオの流れ”ができ、勝負は決まった」。そして今回も同じような理由から「イスラム圏での初の五輪」「支持率も九三・七%」もあるという理由でイスタンブール有力説が流されている。
「南米初」の言葉の裏側にあったのは、南米の経済を牽引し始めていたブラジルの高い経済成長率であったし、常に新しい市場を求めるIOCにとってそれが大きな「魅力」であったことは明白である。そのため二〇一四年のサッカー・ワールドカップ(W杯)のブラジル開催を決めたFIFA(国際サッカー協会)とタッグを組んだことは衆知の事実である。資産運用会社ニッセイアセットマネジメントによると、二〇一一年時点の新興国のスポーツビジネスの市場規模は二〇兆円、二〇一六年には三九兆円に拡大すると試算されている。
二〇〇〇年から一二年までイスタンブールは四回続けて開催地として手を挙げ続けたが、高いインフレ率を理由に「永遠の泡沫候補」と揶揄された。しかしトルコは二〇一〇~二〇一一年には九%を超える経済成長を続け、石油・天然ガスで潤うサウジ、カタールなどとともにアラブの一大経済拠点になり、昨秋には「格付け大手のフイッチが(トルコ)長期国債を『投資適格』に引き上げた」。こうした資金力を背景にトルコはサッカーだけではなく、イタリアに並ぶ女子バレーボールのプロリーグを育成し、多くのスポーツの国際大会を開催し始めている。さらに追い風となっているのが、ロンドン五輪に参加したサウジアラビアの女子選手がイスラム世界の女性たちにスポーツへの参加・結集を訴え始めたことである。
東京の招致関係者の中には「今回失敗したら私の生きている間に五輪はない」と明言する者が多い。なぜなら二〇二四年は二〇一二年のロンドンに五輪開催を譲ったパリが一九二四年パリ大会から一〇〇周年目の開催を目指しており、すでに有力視されている。パリが何らかの事情で開催できない場合、四大会連続で夏季五輪放送権のほとんどを握ってきたNBCは「アトランタ以来開催されていないアメリカになる」と明言。そして二〇二八年は五大陸で唯一、五輪が開催されていないアフリカ大陸が最有力であると言われている。
五輪の開催地を決定する予備選から最終決定までの「レース」は、スポーツマフィアたちが利益を最大限に追求するためのセレモニーであり、そのレース中に必ず最低一カ国入れられる「先進国」は何らかの事態が起こった時のためのスペアであり、保険である。五輪は「平和の祭典」の名の下にIOCを使った資本の市場競争の場に他ならない。それはスポーツ用品、飲料、電気製品、交通手段、建築資材、薬品メーカーなどにまで及ぶ。一九八〇年代のロスアンゼルス五輪以降、この性格と構造が全面化し、たとえ開催国に決まらなくても各国のスポーツマフィアがレースを利用し暗躍するシステムが出来上がっている。こうして五輪は旧来のナショナリズムの発揚の場であることに加え、「商業主義」と二本立てで歩き始めたといえる。
石原慎太郎の「負の遺産」
IOCの質問に答える形で提出された東京招致委員会の立候補ファイルは、理念、財政、競技、会場、交通など一四項目で構成され、「Discover Tomorrow~ 未来(あした)をつかもう」のスローガンを掲げている。さらに東京で開催されれば、①安全で確実な運営②若者を魅了するダイナミックな祭典③未来への貢献、というように極めて抽象的な提案が付け加えられた。
この「抽象的な提案」の真意を一月八日の記者会見で招致委員長でもある猪瀬直樹都知事は「東京はあくまで『保険開催候補地』という立場。開催を勝ち取るには三二年あたりの五輪まで粘る覚悟が必要かもしれない」と述べている。
最早、猪瀬は「IOCの開催地レース」から降りられないことを知っているのであり、仮に後退的発言をしようものなら都議会与党である民主や自公との全面対決を覚悟しなければならない。主人公であるべき「都民」は存在せず政府・都を巻き込んだ資本の利権争い、とりわけ「東京都の再開発」をめぐるゼネコン・銀行間などのし烈で醜い争いだけが存在する。
この都民不在の利権追求だけが先行する構造は、〇五年八月に石原前都知事が二〇一六年五輪の招致をブチ上げた時から始まる。石原は知事の二期目には三選のための「実績」を残すことができなかったばかりか、週一~二日しか出勤していないことや旅行、接待での浪費が暴露され、さらに都議会での浜渦武生副知事の「やらせ発言」で都議会との全面対立を引き起こした。加えて石原が押し進めた中心的政策である「新銀行東京」は破産寸前となり、追加融資(税金の再投入)をせざるを得ない破目に陥った。
この石原の苦境を利用したのがスポーツ団体のボスでもあった自民党の森元首相であった。森は石原に三選の看板政策として「二〇一六年五輪開催地への立候補」をぶち上げることを進言した。支持率低下を挽回する最高の「策」として。森元首相が描いていた構想は渋谷、港、新宿区を中心とする都心の再開発であり、メイン会場の国立競技場の建て替えであった。
だが三選に成功した石原は森提案とは別に晴海を中心とする臨海部の再開発を主張し、メイン会場も中央区に移転する構想を発表した。こうして五輪―東京再開発問題は、ゼネコン同士の代理戦争の場と化した(「サンデー毎日」一月二七日号)。この代理戦争は自民から民主、民主から自民という二度にわたる政権交代と石原の辞任、さらに築地市場の移転問題と絡み暗闘として現在も続いている。
だが昨年末、民主党が大敗北し安倍政権が成立、都知事も猪瀬に代わると一挙に妥協が進み始めた。立候補ファイルにはメイン会場を現在の神宮外苑に再建し、選手村や幾つかの競技場を夢の島、有明、海の森などの臨海部へ移す案が明記された。招致委員会の委員長は猪瀬だが、その内部に政財界のトップらで構成する評議会を新設し、理事長にIOC委員の竹田恒和、事務総長に元外務官僚の小倉和夫、招致委専務理事にスポーツメーカー・ミズノの社長である水野正人をすえ、先回の石原独裁体制の修正をはかった。そしてご丁寧にも一月二〇日には評議会に新ポストをつくり、議長を森元首相、副議長には日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎を就かせることを発表した。
メディアには大きく取り上げられていないが、JOCのスポンサーでもあり、最大の利権団体でもある「オフィシャルパートナー」が企業名をふせたまま一月七日に発表された。それによると四年間の協賛企業として一社六億円のゴールドパートナーが六社、一社二億五〇〇〇万円のオフィシャルパートナーが一六社。一月八日の記者会見で猪瀬は招致活動費七五億円のうち、都が四〇億円、民間協力金が三五億円、先回使った額一五〇億円の半分であると胸をはった。立候補ファイルとともに招致委を支える「カネ」も同時に動き出したのである。
加えて都議会の招致議員連盟は集めた署名一四五万人分をかざし、招致の最大の弱点であった都民の支持率も六五%に上昇したとうそぶいた。昨年のIOCの発表が四五%にも達していなかったことから類推すれば「つくられた数字」であることは明白。使用された署名用紙にしても住所欄の上に「住所については、市区町村のみの記載で差し支えありません」と書いてあり、いかにもうさん臭い。これから約二〇年以上も続く招致活動に毎年二〇億円を超える額が投入され、施設建設費として約四〇〇〇億円の税金が投入される。さらに関連事業の工事も含めると専門家は三兆円に達すると試算している。これが利権の巣窟としての「商業五輪」の本質である。
全柔連問題が示したこと
招致活動に絡んで絶対に許せない問題がある。
第一は、立候補ファイルが多くの箇所で、東日本大震災からの復興の意義を強調している点である。それはどう読んでも被災地と被災者を招致のために政治利用しているとしか考えられない。
昨年一二月にまとめられた東京五輪開催に伴う被災地復興の事業計画を見ると「①三陸沿岸から福島浜通りを縦断する聖火リレー②宮城スタジアムでのサッカーの予選③一六~一九年に発行される宝くじで見込む一〇〇億円の利益の一部を被災地のスポーツ施設建設にまわす④被災地の子どもを公認特別レポーターに任命し情報発信させる⑤都内で東北の伝統文化の祭、コンテストを開催する⑥仮設整備に関する物資・資材の調達を被災地に発注する」となっている。これは昨年末の衆院選の時、各政党代表の第一声が被災地であったと同様に箸にも棒にもかからない取って付けたようなリップサービスに過ぎない。
これに対する被災地の反応として毎日新聞は福島浪江町の仮設住宅に避難している漁民の声を載せている。「景気は多少よくなるかもしれないが、被災地に直接良い影響はない。東京が言う『復興』はだれの復興かって(いう)違和感がある」。また大熊町から会津若松市の借り上げ住宅に避難している農民の意見として「東京の電気を作ってきたのは福島。東京で開催するなら、世界の原発推進の動きに対し原発の恐ろしさや核のゴミ問題を解決する難しさを発信してほしい」と伝えた。復興の遅れを棚上げにし、五輪のために復興を利用するのは二重の裏切りであり、絶対に許されることではない。
第二は、国技とも呼べる日本から世界に広がった柔道界での暴力事件、パワハラ事件である。ロンドン五輪代表を中心とした女子柔道選手一五人が昨年九月に全柔連に「胸をこづいたり、平手でほおを張ったり、蹴ったり」、「練習で『死ね』と言って、竹刀でたたいたり」されたとして女子日本代表監督やコーチを告発した。しかし全柔連は監督の厳重注意処分でお茶を濁した。これを許せなかった一五人の女子選手たちは一二月に今度はJOCに訴えたが、JOCは全柔連に告発があったことを伝えただけでなんら積極的勧告もしなかった。JOCも全柔連も形式的な処分でやり過ごそうとしたのである。だが大阪・桜宮高校の暴力事件が大々的に取り上げられるとJOCも全柔連もようやく釈明する始末。しかも釈明すればする程、新しい事実が出てくる。国際柔道連盟は理事の二〇%を女性とすべきと勧告しているのに、全柔連の二六人の理事はすべて男性で女性が一人もいないという異常さがことの本質を物語っている。
メディアの多くは「古い体質」「家父長制の残存」として片付けようとしているがイタリアやアメリカのマスコミは「二〇世紀初頭の軍隊的なやり方が今も日本のスポーツ界に残っている」と報じている。今回の全柔連の暴力事件は明治以降、戦後も含めスポーツを国威発揚のための道具としてのみ扱ってきた本質をそのまま表現しているのであり、「監督の言うことを聞かないと代表から外される」という圧力で選手をおびえさせ、縛り付けることを支えに進められた。それは「勝利至上主義」や「メダル獲得絶対主義」と結びついて五輪やスポーツの国際大会はナショナリズムを高揚させる手段とされたのである。JOC委員長に皇族の血を引く竹田恒和をかつぐのもその現れである。実際に天皇杯、秩父宮杯などを冠とするスポーツ大会は今も増え続けている。
二月五日、国会議員でつくられているスポーツ議連の会合がテレビで映されたが、彼ら、彼女らの発言は異口同音に五輪招致の「ジャマ」にならないようにすべきという発言であった。大阪・橋下市長の桜宮高校の対応とまったく同じ「思いつき」の枠を出ていない。
ひとりの東京都スポーツ推進委員の意見として「区内にはサッカーができる公営施設がなく、バスや電車を乗り継ぎ一時間かけて埼玉に行くしかない。しかし利用申し込みは高倍率の抽選。五輪は賛成だけど積極的に応援しようと思わない」(「朝日新聞」一月一〇日)が掲載されている。日本のスポーツはトップアスリートと、一部のプロ選手にだけ便宜がはかられており、お年寄り、子どもも含め多くの人たちが楽しめるようにはなっていない。柔道や桜宮高校の暴力事件は、こうしたスポーツのあり方の裏返し的表現に他ならない。
われわれは五輪に反対するだけではなく「カネと政治」にまみれた五輪、同時に東京への招致に反対行動を起こさなければならない。それだけがスポーツを労働者人民の一人ひとりの手に取り戻すことができる道である。 (松原雄二)
The KAKEHASHI
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