『終わりにしよう天皇制』

かけはし 第2656号 2021年3月8日

読書案内
2016→2020「代替わり」反対運動の記録 頒価800円

明仁のビデオ
  メッセージ


 2016年7月、NHKは「平成天皇」明仁が「高齢」を理由として「生前退位」の意向を持っていると報じた。そして8月8日には現実に、明仁天皇による「ビデオメッセージ」という形で、その意向が明仁天皇自身によって、TVで放映された。明仁のこの「代替わり」の意思は、まさに「超憲法」的に、「超法規」的に現実のものとなり、すべての政治プログラム、社会の動き、報道などが明仁天皇自身による「代替わり」を軸にして組み立てられていく、という異様な事態にわれわれは直面することになった。
 私たちは、1988年から1989年にかけて昭和天皇裕仁の「下血」から死にいたるプロセスでの「自粛」強要などを通じて、「新憲法」の下でも「天皇制国家」日本の民主主義破壊、言論の自由を否定する暴力が吹き荒れている現実を体験することになった。この時、私たちは天皇裕仁が「絶対君主」から「国民統合の象徴」に姿を変えた「戦後憲法」の下で、天皇制国家であり続けた日本の現実(それは、言うまでもなく「大日本帝国憲法」下の天皇制と戦後憲法下の象徴天皇制が同じであったと言おうとするものではない)の中で「戦後天皇制」に対する闘いのあり方をあらためて学び、それを現実の運動として持続し、発展させていくことを一人ひとりの胸に刻み込んだ。
 反天皇制という「固有のテーマ」を、私たちの多くはこの時初めて継続的に取り組むことになったのだが、その闘いはその後の運動に重要な教訓を残すものとなった。
 ともすれば「天皇制反対」という主張を聞いた人々は、「偏狭な極左主義」というイメージに囚われることもあるようだが、そんなことはない。「天皇制」こそ「偏狭性」に満ちた「ニッポン・イデオロギー」の根っこにあるものだ。「反天皇制」の運動こそ、自由で、多様性に富んだ、一人ひとりの個性を尊重することで、権力に対決する「自由」の空間・時間をつくり出そうとしている。

「反対」の意思
を練り上げる


それは2016年8月の「明仁生前退位」メッセージによって試されることになった。ほぼすべてのメディア、そして「昭和代替わり」にあたり、昭和天皇裕仁の戦犯としての責任を厳しく追及する論陣を張った人びとの間からも、「同情」あるいは「困惑」の混じった見解が聞こえてきた。昭和天皇の死と「代替わり」にあたって、天皇裕仁と天皇制について厳しい批判の立場を提起していた日本共産党は、今回の代替わりに関しては、「天皇は憲法に規定された制度」として反対しない態度を明確にした。
天皇明仁とその周辺の少数の人びとによって周到に準備されたと思われる「生前退位」メッセージは、明らかに、「戦犯昭和天皇裕仁」とは異なる「象徴天皇」としての新しいモデルを自ら創り上げ、浸透させてきたことへの自負がうかがわれるものであり、そこで求められる私たちの批判は、この「平成天皇制」の新しい言説パターンや、同時にその中で貫かれる政治性、宗教性にどう向き合うものであるのか、ということが問われることになったのである。
しかも明仁・美智子の「平成天皇制」は、日本が「平和憲法」下で海外派兵を繰り返す本格的な「戦争国家」となっていく時代であり、「改憲」という政治課題が目前の現実に近づいていくプロセスと重なっていた。「裕仁天皇制」が侵略戦争と敗戦、貧困から「復興」という二つの時代の対照によって特徴づけられるとすれば、「明仁・美智子天皇制」の時代は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代が頂点から急速に衰退へと至り、そして新たな「戦争国家・改憲」と社会不安と貧困が渦巻く時代に、新しい「代替わり」を私たちは迎えることになった、と特徴づけられるだろう。
「生前退位」という近代天皇制史上初めてで、法制度上も想定されてはいなかった事態に私たちは「動揺」したのか、と言えば「そうではない」と言うしかない。まさに「令和代替わり」は戦後象徴天皇制の危機と矛盾の表現であった。
それはここで紹介する、「おわてんねっと」編の『終わりにしよう天皇制 2016→2020「代替わり」反対運動の記録』を読んでいただければ分かってもらえる、と思う。

論議と行動を
積み上げて


この「記録」は2016年から2020年までの各地の反天皇制運動を、その出発、経過、論議などを詳しく追ったものであり、その都度の論議の経過、何にぶつかったのかを含めて忠実に記録、論じている。その論議・運動のプロセスはそれぞれの地域的な違いはありながら、そこでぶつかった問題は共通している。
全体の構成は「Ⅰ おわてんネット 活動の記録(2016・7~2018・12)」、「Ⅱ 天皇制の何をどう問題にしたか」、「Ⅲ 多様性の現場から」、そして「資料」という構成。200ページを越える立派な記録集になっている。「立派」というのは内容・装丁をふくめてのことである。
Ⅰの「活動記録」は、全過程を「1明仁主導の『代替わり』、おわてんネット結成へ (2016・7~2018・12)「2 おわてんねっと結成から反天WEEKまで 2018・12~2019・5」「3、即位・大嘗祭反対闘争を闘い抜く(2019・5~2020・2)」に分けて、それぞれの活動経過を紹介している。
Ⅱの「天皇制の何をどう問題にしたか」は、「代替わり賛美の報道洪水を経て―コロナ禍くぐる再編像に警戒を」(中嶋啓明)、「徳仁―天皇までの半生」(井上森)、「皇位継承(あとつぎ)問題」――女性天皇をなぜ支持しないのか」(桜井大子)、「憲法と『天皇制民主主義』――二つの『代替わり』の類比から」(天野恵一)、「『天皇教』という問題をめぐって――天皇制の『宗教性』」(北野誉)、「天皇の『謝罪』は可能か? ――ナルヒトが引き継ぐ?責任?」(宮崎一)、「治安管理と10・22デモ弾圧――コロナ危機下で考える」、「『闘い方』の問題――反天皇制運動の実践方法について」(井上森)だ。
Ⅲの「多様性の現場から」では根津公子、「死」、桑原よもぎ、大橋にゃお子、大友深雪、宮崎俊郎、亀田博、倉掛直樹、古橋雅夫、寺田道男、山河進、加藤匡通、おっちんず、村上らっぱの各氏が、それこそ多様すぎるほどの角度、姿勢からの「活動体験」を紹介している。「昭和代替わり」の時もそうだったが、反天皇制の運動の特徴の一つは、この自発性にあるというべきだろう。

立川テント村
の闘いと共に


私たちが絶対に忘れることのできない課題は、反天皇制をはっきりと掲げた地域の運動体である立川テント村への執拗きわまる弾圧である。
立川テント村の井上森は語る。井上は反天皇制運動には「拒否戦略」と「対抗戦略」があると論じ、「拒否戦略」とは「天皇をありがたがらない、見物者にならない」ことであり、「対抗戦略」とは「天皇の見物者として非差異化された民衆の外側と内側に、もう一つの非差異化された反天皇制の隊列を登場化させることである」と語る。そして「わたしたちの繰り広げる反天皇制デモや街頭表現は、まさしくこの後者を意図している。……それぞれの生の潜勢力を拡散させずに、レンズで一点に光を集めるように。生の多様な潜勢力が強ければ強いほど、集中して天皇制を刺す針はその重みを増す」。
イメージはわかるだろう。いま警察と右翼から最も厳しい弾圧にさらされている「立川テント村」の立場がここにくっきりと示されている。
反天皇制という「極小勢力」の5年間にわたる主張と行動の持つ意義をこのような形で、内容豊かな出版物にまとめていただいたことに感謝したい。  (純)

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