フランス「反CPE闘争」は単なる法律をめぐる攻防ではない

7・8アジ連講座でSUDのボリスさんが報告 

七月八日、アジア連帯講座は、文京シビックセンターで二月の「フランス青年の反乱」を中心にした公開講座に続いて、「フランス 反CPE(初期雇用契約制度)闘争の総括と展望」というテーマで来日中のフランスSUD(連帯・統一・民主)の組合員であるボリス・シュノーさん、さらに湯川順夫さん(フランス社会運動研究家)を講師に公開講座を行った。ボリスさんは、①新自由主義グローバリゼーションとフランス青年・学生運動②反CPE闘争の成果と限界③AG(学部学生大会、高校生総会)とコレクティフ(共闘組織)の役割について││報告した。湯川さんは、反CPE闘争に参加した諸政治勢力と潮流の間で、大統領選挙にむけた左翼統一候補の論議を紹介した。フランス反CPE闘争の「総括と展望」を共有化するためにボリス報告を掲載する。

共闘に向けた一
年間の準備期間

 今日、グローバリゼーションが進行して、不安定雇用と失業が増えています。そういうグローバリゼーションの流れの中で、今回のCPE(初期雇用契約制度)の問題が出てきました。
 全世界においても、フランスにおいても、右翼の政治勢力、政党が労働者に対する攻撃を、この間、かけてきました。とくにフランスでは、年金制度を改悪し、社会保障制度を破壊するという攻撃をかけてきたわけです。この二つの攻撃に続いて、今回は労働者の権利、とくにCPE、CNE(新雇用法)という法律を出してきた。
 こういう脈絡の中で最も重要な点は、このCPEに対する反対は、単なる法律に対する反対ではなくて、不安定雇用を拡大しようとする動きに対する反対であり、グローバリゼーションに対する反対であり、そして、われわれの生活、すべてを商品化しようとする攻撃に対する反対運動であった、ということです。
 フランスは、新自由主義のグローバリゼーションをめぐって、多くの分岐点を、ここ一~二年迎えてきました。まず決定的な争点となったのは、二〇〇五年五月に行われた欧州憲法条約をめぐる国民投票の問題だったのです。
 それから昨年、秋の大都市郊外での青年の反乱がありました。これは貧困に対する青年の反乱、そして社会保障の切り捨てに対する青年の反乱、社会から青年たちを排除しようとする社会に対する反乱でした。そして、今回の反CPE運動が起こったのです。
 次に、反対闘争の流れを紹介します。
 最初に大衆動員が始まったのは、大学、学生からでした。この学生の運動は、当初は、反CPEということで出発したのではなく、大学の職員数削減という制度改革に反対して運動が始まりました。それがしだいに反CPEの運動に移行していきました。
 学生運動の発展とともに、高校生の運動と結びついていきました。この大学生と高校生の共闘は、まったく無から生まれたのではありません。ストライキなどすべての社会運動は、起源があり、突然に生まれてきたわけではありません。
 ひとつの背景として、昨年、高校生の大きな運動がありました。それは高校の新自由主義的教育制度改革であり、フィヨンという文部大臣の名前をとって、フィヨン法と呼ばれていますが、その改革に反対する高校生の運動がありました。この運動は、一千の高校に拡大しました。
 そういう中で学生と高校生の共闘が生まれ、多くの大学が封鎖に入りました。さらに学生は、すぐに労働者との結びつきを確立しなければならないと思うようになりました。大学の学生大会などに地域の労働組合の代表を招待し、討論し、CPEを盛り込んでいる機会均等法の問題、CNEの問題など、労働者に関わる問題を共に討論する機会を作っていきました。
 このような地区での積み重ねを通じて、全国的なレベルでも広範な統一戦線ができました。それは学生組織の場合、学部学生大会から全国共闘会議という形を取り、この運動にはフランス全学連も参加しました。労働組合の大きなナショナルセンターも入ってきました。さらに社会党、共産党、革命派の色々な政党、高校生の全国共闘会議なども参加してきました。
 労働者と学生の共闘は、どちらかが一方的に助けてもらうという性格の共闘ではなくて、共通の基盤を持っての共闘でした。共通の基盤とは、不安定雇用に反対し、社会変革を目指すということです。
 ヨーロッパ全体の運動、フランスの運動にとって勝利するということは、まれなわけですから、そういう中で広範な戦線を作って、闘いを作っていくことは重要なことでした。
 この統一戦線は、広範でしたが、しかし限界もありました。運動の長所と限界について提起します。

闘争の限界と
積極性、教訓


 第一の限界は、最小限の共通項がCPE撤回だけであったことです。ところが青年、学生の運動は、CPEだけではなくて、機会均等法そのもの、CNE、不安定雇用そのものに対する反対という気分がありました。つまり、闘争の目標自体がCPE撤回だけに限定され、還元されてしまったことにあります。
 労働者は、なぜこの闘いに参加したのでしょうか。要するに、CPEが労働者に対する攻撃であったことは明白でした。理解しやすかったわけです。
 しかし、CPE撤回に限定されてしまったがゆえに、政府がCPEを撤回した時、ほとんどの労働組合のナショナルセンターや大きな政党は、CPE、CNE、不安定雇用の拡大そのものに反対するんだという事を忘れたかのように、さっさと闘争を収拾させてしまったのです。
 第二の限界は、政治的な展望を欠いていたことです。この運動には、政治勢力として、トロツキストから共産党、緑の人々など広範な人が、さらに社会党の人々も参加しましたけれども、この闘いを通して、どのような政治的展望を持つのかについて全然明確ではありませんでした。
 では、次に積極的な意義について提起しましょう。
 第一は、CPE撤回を掲げ、そのことを勝ち取ったことです。これは二〇〇三年の年金改革法以来の大きな闘争であったわけですが、大きな闘争の中で勝利を勝ち取ったことは非常に意義があることです。部分的な勝利だが、大きな意義があります。
 第二は、青年が非常に大きな大衆動員を勝ち取ったことです。このことは、今後の政治勢力の再編、新たな政治勢力の建設、労働組合の建設、グローバリゼーションと資本主義との闘いのうえで、この青年が大衆的規模で決起したことは、非常に意義があります。
 青年の運動、それ自身にとっても非常に大きな意味があります。つまり、勝利から出発することができるわけですから。
 第三は、青年と労働者が社会運動の核心的な点を、非常に短期間のうちに学ぶことができたことです。青年たちは、フランスだけではなく、ヨーロッパのあり方、全世界のあり方が受け入れ難いということを身を持って感じていました。
 フランスの体制、国際的な体制に対して反対する場合、自ら自主的に組織化しなければならないということを、同時に学びました。それはAG(総会、学生大会)という形態に表れています。AGの決定によってバリケードストライキという闘争形態まで作っていきました。同様に、高校生運動においてもAG(高校生総会)という闘争形態を積み上げていきました。
 つまり、直接民主主義を組織するという闘争形態が、勝利するためには必要であるということを学んだのです。
 さらに、体制の側、警官に対して闘争を自己防衛することも学生、活動家たちは学んでいきました。これは大変に重要なことです。同時にこの大衆運動は、フランスの政治勢力の再編成にとっても大きな意味を持つことになります。

攻撃から運動を
守る闘いが重要


 労働者と学生の色々な組織形態、グループについて説明します。
 労働者の闘いは、学生の闘いと比較すると、労働組合ナショナルセンター指導部に、かなり統制されています。組合指導部の枠組みを越えた組合間、職種横断的な組織を作って、指導部を突破していくという闘いは弱かったと言えます。
 労働者の職種横断的な、組合横断的な、例えば、われわれSUD系の労働組合は、この運動で追求したわけですが、なかなか全体のの闘争に広げていくことができませんでした。
 そういう職種横断的なものが作られ、発展し、ゼネストにまでいかなかったというのは、政治的な展望というものがなかったところと関連しているんだと考えています。
 つまり、ゼネストが必要だと思っても、それをやった後、どのような展望があるのかということが、どの政治勢力からも明確な形で出されなかったのです。労働者も、そういうものが必要だとわかっていても、なかなか提起しながら、前進することができなかったのです。
 労働者運動と対照的に、学生と高校生の運動は、違ってました。確かに学生と高校生の中にも、学生組合、高校生組合があるのですが、それは非常に小さな勢力で、そんなに大きな役割を果たさなかったのです。大きな役割を果たしたのは、AG(学部学生大会、高校生総会)であり、具体的な方針を決めていったのです。AGは、代議員を選出し、全国的に集まって全国学生共闘会議、全国高校生共闘会議を結成しました。非常に民主主義的であり、直接民主主義の闘争形態が学生、高校生の間では中心的な役割を果たしました。
 このような大衆的な闘争形態によって、三百万人のデモと全国的なストライキを行うことができました。フランスの二〇%の人々が街頭に出てきた。
 もちろんこの運動に対しては、攻撃する勢力がいました。一つは、極右勢力でした。二番目は、警察。三番目は、地域のグループでした。
 警察は、デモに対して非常に暴力的でした。多くの学生が逮捕されました。我々の仲間であるSUDの組合員一人が、警官の暴力で三週間も意識不明の重体に陥りました。
 中には、左翼だという腕章を付けてデモに潜り込んで、学生たちに殴りかかってきました。警官たちの襲撃に対してデモ隊自身も防衛隊を組織して、そういう警官をたたき出していった。
 極右は、バリケード封鎖している大学に対して封鎖解除しようとする襲撃などを試みてきました。だが、極右襲撃はそんなに多くはなかったです。パリ、モンペリエの大学にも極右の襲撃はあったが、学生の自衛によって叩き出しました。
 極右の国民戦線ルペンは、運動全体の中では全く影が薄く、登場することはできませんでした。つまり、こういう社会問題に対して労働者、学生が運動を始めると、国民戦線は、労働者に提案すべきものとして、資本家、経営者と違うものをなにも持っていないのです。
 地域のグループとは、運動の初期に郊外の青年の中で絶望と混乱した小さな青年グループのことです。初期の運動に対して「ブルジョア的だ」と言って攻撃してきました。
 全体として労働者と学生は、運動に対する攻撃を自衛する闘いを組織して、守りきることができました。これは非常に重要な教訓として、今後の闘いに生かされていくでしょう。

左翼の統一戦線と
来年の大統領選

 反CPE運動は、同時に、フランス左翼の再編、再建と密接に関係しています。
 フランスは今、左翼の反グローバリゼーションの統一戦線があります。左翼の統一戦線ができた第一段階は、欧州憲法条約をめぐる国民投票に対して左翼の「ノン」(反対)のキャンペーンを組織したことです。それから左翼の統一戦線が始まりました。全国、地域、地区レベルで統一戦線ができました。
 マスコミは、欧州憲法条約賛成キャンペーンを展開しました。マスコミは、国民投票で賛成か、反対か、選択できるんだよと言いつつも、賛成が当然であって、反対する人はだめな人という感じのキャンペーンでした。
 マスコミの圧倒的な賛成キャンペーンに対して、左翼の社会運動の側から反撃が試みられたわけです。ここに参加したのは、共産党、社会党左派、緑の党左派、SUD系労働組合、ATTACなどの社会運動、LCR、CGTなどが圧倒的な賛成の大洪水に抗して反対で結集したわけです。この憲法は、新自由主義の憲法であるとみなして、それに反対して結集したわけです。
 さらに、こういう人たちが地域で集まって、コレクティフという共闘組織を作って、公共サービス、交通運輸、社会保障の問題など討論していったのです。
 コレクティフは、地域だけではなくて、全国的なレベルでもコレクティフを作っていきました。ともに諸問題について論争し、デモに参加し、反対キャンペーンを行っていきました。その結果として、国民投票で反対が上回ったのです。これはグローバリゼーションに対する最初の重要な政治的勝利となったわけです。欧州憲法条約の国民投票の勝利の後で、今回の反CPE闘争の勝利が勝ち取られました。これは国民投票以来の久しぶりの勝利です。
 欧州憲法条約で形成された地区のコレクティフは、当然、反CPE闘争にも参加しました。実際に運動に参加すると同時に、その運動の中で様々な政治討論をコレクティフは組織していったのです。
 地域のコレクティフは、全国的なコレクティフと結びついていますけども、同時に、ヨーロッパ規模でのグローバリゼーション反対運動とも結びついています。この運動は、反CPE運動が終わって、今、第三ステップを迎えています。グローバリゼーションに反対する左翼の統一をいかに作りあげていくのか、ということです。
 とくに二〇〇七年の総選挙と大統領選挙に向けて、どのようにグローバリゼーションに反対する左翼を建設していくのかということが今、問題となっています。
 歴史的な運動の教訓を考えていった場合、政治的変革を行っていくためには、大衆的な社会運動をぬきにしては不可能です。同時に、社会的運動が、どれだけ大衆的になっても、政治的展望がなければ、その勝利は部分的なものにしかならないのです。
 そういう意味では政治運動と社会運動の結合が問題となっています。今後の運動の展望にとって、大衆的な社会運動と政治的なオルタナティブの展望の二つが共に必要だということです。
 (報告要旨:文責編集部)

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