書評『戦後左翼はなぜ解体したのか』(上)
市民的「対抗社会」論への疑問(上)
書評『戦後左翼はなぜ解体したのか』寺岡衛 著/江藤正修 編 同時代社刊 一九〇〇円
「新たな変革主体」とは
本書は、私たちにとってさまざまな意味で刺激的な本である。寺岡衛氏は、戦後の日本の第四インターナショナル運動の創生期からのメンバーであり、私たち一九六〇年代後半から七〇年代前半の急進主義運動のただ中で結集した活動家にとっては、おもに労働運動の分野での組織的・イデオロギー的指導者だった。寺岡氏は一九八〇年代後半の第四インター日本支部の分裂に際して、第四インターナショナル日本支部再建準備グループ(MELT)に参加し、JRCLに結集する私たちと袂を分かつことになった。
寺岡氏と同じMELTのメンバーで「労働情報」事務局員だった江藤政修氏がインタビューして構成したこの著作は、私たち第四インター日本支部の闘いを担った活動家にとってだけではなく、今日の階級闘争と左翼全般の危機の中で新しい方向性を探り当てようと懸命な努力を続けている人びとすべてにとっても、積極的な論議を作りだすための提起の一つとなるだろう。「第四インターナショナル日本支部を切り口とした労働運動を含む戦後左翼全般の総括」とする本書の性格上、そのように言うことができる。
もちろん本書は一九八〇年代後半の分裂にいたる第四インターナショナル日本支部の闘いの総括全般に切り込むものではない。そして戦後左翼運動の総括に立った新しい変革主体の形成と革命運動の路線の提起も、「あとがき」でMELTの佐々木希一氏が述べているように「未完の試論」という成果を持っている。それは今日の時代と主体の性格上、必然であろう。
第四インター日本支部の闘いを総括する上で、寺岡氏が主要な対象にしているのは一九五〇年代後半から六〇年代後半にいたる関西地方における組織建設であり、この点では旧「関西派」の活動を担った同志たちには、寺岡氏の語る経過、評価、総括とは異なった考え方もあるに違いない。この点については、ぜひ関西地方の同志たちからの提起を期待したい。
その上で本稿では、寺岡氏が本書で述べている総括にかかわる幾つかの点と、「新たな変革主体形成」のための方針にかかわる私の疑問、批判について主要に論じてみたい。
「社会主義と階級闘争」の危機
第一は「社会主義と階級闘争」の総括にかかわる問題である。第四インターナショナル日本支部時代の寺岡氏にとっての主要な問題意識は、「労働運動と社会主義の結合」という言葉に集約されていた。
「日本労働運動の歴史的性格は、労働運動の中で繰り返し登場する戦闘的潮流が、不断に社会主義的解決の展望から切り離され、労働運動と社会主義を結合しようとする意識的は作業の成果が蓄積されず、その路線的伝統が形成されてこなかったことである。日本労働運動の歴史は、まさに労働運動と社会主義の結合に関する歴史的実践的伝統を欠落させているのである」「資本主義的支配が政治、経済、社会構造の末端にいたるまで相互にからみあった体系として貫かれている以上、われわれの社会主義に向かう労働運動の路線は、『一般的理論』の段階を越えて、その思想が個々の戦闘の相互関係や展望を革命へと結合するための戦略、戦術の体系として提起されなければならないのである」(寺岡衛『戦後日本労働運動のあゆみ 激動期編(一九四五―五〇年)』 柘植書房 一九七八年)。
「過渡的綱領」にもとづいて、日常的な階級闘争の実践において社会主義に向かう戦略・戦術を貫いていこうとするこの方法論は私たちの共通の土台であった。
しかし「労働運動と社会主義の結合」という伝統的な問題意識は、一九八〇年代後半以後の時代的転換の中で、その基盤を決定的に失うことになった。第二次石油危機を経た資本のグローバル化の席巻と、ソ連・東欧の「労働者国家」体制の崩壊は、たんにスターリニスト官僚独裁体制の解体にとどまらず、労働者階級の間での「社会主義」への信頼の喪失と、社会主義=労働者権力をめざす階級闘争の歴史的サイクルの一時代の終焉をも意味したのである。私たちにとって「階級の敗北」とも言うべき局面が到来した。そしてそれは特殊日本的な問題ではなかった。
「社会主義の構想が危機におちいっているだけでなく、過去の時期に共存しながら対立し補完しあっていたさまざまな世界観とビジョン……も危機におちいっている」「われわれが投げ込まれているのは通常の上昇と下降の局面的交替ではないということである。ひとつの枠組みが終焉し、資本の再編成と結びついている変化が新しい諸問題を提起している。グローバリゼーションというテーマがイデオロギー的に利用されているとしても、……グローバリゼーションはやはりひとつの現実である。それは社会的転換、政治的亀裂、そして国家の不安定化の力学を決定している」(第四インターナショナル第14回世界大会「新しい世界情勢が提起する挑戦課題」 一九九五年)。
このような「社会主義」をめざす階級闘争の歴史的サイクルの終焉の中で、私たちは新しい戦略的展望を見いだすためにまさに試行錯誤ともいうべき模索を続けなければならなかったし、現にその途上にある。
こうした階級闘争の危機の中で、寺岡氏が本書で提起している展望は以下のように要約できるだろう。
すなわち、「自立した個人」をベースにした「対抗社会」に向けた構想を打ち鍛え、「生活者としての自立」と「生産者としての自立」による国家を超えた自治的なネットワークの形成をめざすことである。ここで寺岡氏が主張しているのは、グラムシの問題意識に依拠して市民社会の中での多数を「対抗社会」として獲得していくことである、と。
「自己決定型
生活革命」論
寺岡氏は、戦後日本社会について、「前近代的共同体社会」を基盤にして成立した「利益誘導社会」が高度経済成長を通じて「共同体的市民社会」へと発展し、それが小泉改革というグローバル資本主義下の新自由主義的な政治・社会再編の中で、「消費者型市民社会」の形成にいたったと捉える。この「前共同体的市民社会」に対する「第一次市民革命」の未貫徹がもたらした「共同体的市民社会」の形成、そしてその「消費者型市民社会」への再編に対する「対抗社会」の構想は、「第一次市民革命」と「第二次市民革命」の性格を複合的にあわせもった永続革命として貫かなければならない、と寺岡氏は主張する。
これは「社会主義の崩壊」を背景とした流行のモードとも言えるだろう。寺岡氏はグラムシ的「構造改革」戦略を全面的に取り入れて、この流行のモードを非常にスッキリした形で主張しているのである。しかし問題は「消費者型市民社会」はすなわち「二極分解型階級社会」であり、そこでの「対抗社会」の展望と主体の形成は、ますます二極の下層に集積される人びとの抵抗を媒介とした「主体」としての自覚の結晶化を不可欠の条件とするということである。
たとえばフランスの反CPE闘争の勝利に示されるように、グラムシ戦略に依拠したオルタナティブとしての「対抗社会」をめざす「陣地戦」を構想するにしても、そのための主体形成は、巨万のストライキを内包した大規模な街頭デモなどをふくむ「機動戦」としての「集団的抵抗」の蓄積を決定的契機とするのである。国家へのイデオロギー的同調をふくむ支配の諸装置への「統合」に亀裂を作りだすことぬきに、「対抗社会」を形成する主体を準備することはできない。支配諸装置への統合に亀裂を持ち込み、抑圧された階層が自己の「尊厳」を自覚し、オルタナティブを構想しようとするためには、新自由主義的グローバル化にもとづく「二極分化階級社会」への抵抗闘争の経験ぬきには語れない。
このような闘争にもとづく社会の主体としての自信と確信こそが、変革の基盤なのであって、そうした「闘争的経験」がなければ寺岡氏の語る「対抗社会」的展望は、新自由主義的グローバル化を所与の前提とした欧州社会民主主義に代表される「中道左派」的枠組みを突破できないのではないだろうか。
寺岡氏の分析と方針は、この「集団的抵抗」の復権に向けた道筋をどう作りだすのか、すなわちほぼ三十年にわたって、資本主義社会の機能を部分的にマヒさせることができるような集団的闘争の経験を持たない日本の労働運動、社会運動の解体状況からの脱出の可能性をどのように見いだそうとするのかを、「時間的経過」に委ねているように思われる。
寺岡氏は「NGOやNPOなどが象徴する直接民主主義的な流れ」、すなわち「社会的に有効で生活自立型の消費、消費生活において宣伝=欲望に振り回されない自己決定型の生活革命を形成する」、「そのような生活革命を通じて、新しい共同体、新しいアソシエーションを模索する運動が地域の様々なレベルで始まっている」としている。それが「対抗社会」の一つの可能性を構成する要素であることは、私は否定しない。しかし寺岡氏の言う新自由主義的な「消費者型市民社会」は、こうした「生活革命」運動をも自らの基盤に取り込んでいこうとしているのである。
私は、この「集団的抵抗」経験の断絶の克服という問題を、いまこそ私たちの挑戦の土台に据える必要があると考えている。
新左翼急進主義の総括
第二に、急進主義運動の総括にかかわる問題である。寺岡氏は「日本の急進主義運動は次の時代に直接つながらない結果」となり、「政治そのものからの離反」や「拒否反応」を生み出したとしている。それに対比してアメリカでは「七〇年代に入っても文化的抵抗が続き、思想運動、大衆運動としてフェミニズムやカウンターカルチャーという形で残った」こと、それが「新しい社会運動の今日の基盤となって引き継がれた」としている。また欧州でも「一九六八年のフランス五月」の「労働者的基盤」が「今日の新しい社会的運動の基盤の強さ」となっている、と評価している。
他方で寺岡氏は、日本においても「直接民主主義の運動」が、「日常性における自治、分権、参加という形態をとって」表現されていることを認めている。「ゴミの分別や社会的な貢献、NGOやNPOなどの運動」がそれに該当する。寺岡氏にとって日本における急進主義運動のなごりは、そうした「非政治的」な「日常性」におけるさまざまな「参加」の諸形態においてのみ見いだされる。
一九六〇年代後半に頂点に達した日本の急進主義運動が、その党派的代行主義、他党派活動家の目的意識的な大量殺害にまで行き着いた「内ゲバ」主義、自暴自棄的なテロリズムによって堕落、解体していった「負の遺産」に直面してきたことは事実である。そしてこうした急進主義の堕落と解体が、新自由主義的グローバル化の進行による社会の二極分化、失業と不安定雇用の急速な拡大、権利と福祉の破壊、「戦争国家化」への歩みにもかかわらず、欧米に比して社会的抵抗が大衆的な運動として成立せず、「階級闘争」という言葉が死語になるような断絶をもたらしている大きな要因である。
しかしこの「断絶」を直視し、急進主義の「負の遺産」を抱えながらその克服をめざそうとする党派・無党派活動家の試みが一九八〇年代、九〇年代から今日にいたるまで試行錯誤的に持続していることについて、寺岡氏はほとんど言及していない。少数派の労働組合、反戦運動、反天皇制運動、反差別や国際連帯の闘い、そして女性たちの運動やエコロジー運動、各種の選挙運動への取り組み、市民運動の政治勢力化などの領域で継続してきた全共闘「急進主義」を起源とする活動家たちの「七転八倒」の経験は、その総括をふくめて、新しい時代を切り開くための主体的前提条件の一つにはならないのだろうか。徹底的に周縁化させられ、孤立してきたとはいえ、私たちの「失敗」は「なかったこと」として清算されるべきではなく、新しい時代のためのオルタナティブを構想するための「教訓」へと転化させる必要があるのではないか。
それは決して保守的・自己防衛的意味で語っているのではない。新しい挑戦に着手するための過去との「断絶」は、自らが闘いの中で、どのように思考し、実践してきたのかの正確なバランスシートの作成を必要とする。「対抗社会」の基盤の形成は、決して客観的諸条件の産物ではない。それは「敗北」や「成果」を生み出していないように思える悪戦苦闘の経験との結合も土台にしながら、たぐりよせられるのである。
国際的運動へ
の評価の歪み
こうした左翼の側からする一九八〇年代後半から今日にいたる運動経験の無視は、今日の国際的運動の現実に対する寺岡氏の評価に歪みをもたらしている。
たとえば寺岡氏は、先進資本主義諸国の政治における「中道左派と中道右派の均衡」が先行的に崩壊したのはアメリカであり、その「危機の構造」が二〇〇五年欧州憲法国民投票を契機に「ヨーロッパに波及した」と捉えている。どのように考えれば、こうした図式が成立するのだろうか。
欧州における「中道左派」の構造は、社会民主主義諸党が新自由主義的グローバル化を不可避の枠組みとして受け入れ、自ら「福祉国家」体制の解体に乗り出したことによって崩壊していった。その中から、新自由主義に対する大衆的な抵抗の闘いを牽引していったのは、第四インターナショナルをはじめとした革命的左派であった。フランスとオランダでのEU憲法国民投票において拒否派が勝利したのは、一九九〇年代以後の反新自由主義左派勢力の意識的で着実な闘争の蓄積があったからである。
寺岡氏の評価の誤りや余りにも「スッキリ」しすぎる方針は、「ソ連・東欧崩壊」後の「生き残り」と新しい展望のための社会主義左翼の葛藤への客観主義的な無視に起因しているようである。(つづく)
(平井純一)
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