トニー・ネグリの『自伝』第三巻

書評
合言葉は〝みんな一緒に〟
ミシェル・レヴィ

闘いやめない
不屈の哲学者

 これは、自らの思想のために長年にわたって投獄された哲学者、トニー・ネグリの『自伝』第三巻である。優れた大学教員であり、獄中生活以降にネグリの伴侶であるジュディス・レヴェルにささげられたこの自伝では、1997年から2000年までの期間中の彼の生活と著作活動について語られていて、この生活と著作活動とは、スピノザ、共産主義、オペライズモ(労働者主義)という三つの星座によって照らし出されるものとなっている。
 『自伝』の第1巻と第2巻で、著者は、イタリアにおけるオペライズモ派の運動の創成期、および1970年から1980年までの社会闘争の高揚、テロリズムの出現――彼はそれに反対したがその反対は受け入れられなかった――、最初の投獄(4年半)、国会議員への選出、議員任期中の再度の投獄、パリへの亡命、について語ったのだが、この第三巻は、自国で投獄という苦難が予測されるにもかかわらず、イタリアに帰国するという1997年の彼の決心から始まる。それは、彼の帰国が、多数の政治犯全体の恩赦につながる論議を呼び起こすのではないか、と期待しての決心であった。
 これは、ほとんど例をみないような勇気と犠牲的精神にもとづく行動であった。この哲学者は、ローマ近郊のフィウミチーノ国際空港で、大勢の警察官と警察犬と記者たちに迎えられ、ローマのレッビビア刑務所に直ちに収監された。この時、作家のエッリ・ルカは、感動的なメッセージでネグリを讃えた。「親愛なるメグリ、あなたは世界の半分の大学よりもイタリアの監獄の方を選んだ。……私はとりわけあなたの犠牲に感謝したい。君はその責任ある試みに匹敵するほどの誇りも持っていない国に敬意を表したのだ」。
 恩赦を促せるのではないかとする哲学者のこの夢は幻想であることが明らかになり、ネグリは8年半の刑期を言い渡された。……だが、彼は狼狽することもなく、獄中でマイケル・ハートとの共著『帝国』を書き終えた。われわれは、論議を呼ぶことになったこの著作のテーマを知っている。すなわち、帝国とは、もはや各国間の国境も認めないグローバルな資本主義市場である。資本の敵はもはや工業の労働者大衆ではなくて、非物質的で認知的な、しばしば不安定な待遇の労働者であって、この労働者大衆がヘゲモニーをもつ存在になる、というのだ。
 ネグリ自身は、この著作の過度な楽観主義に気づいて、それを出版しないでおくということさえ考えた。……ところが、この本は途方もないほどの大成功をおさめ、それによってこの獄中の哲学者は一転して国際的な「スター」になったのである。それから2年後、彼は、夜間の家宅捜索を伴う警察の常時の監視下ではあるが、半自由の権利を獲得した。

新しい事態に
論議呼ぶ提起


 ネグリは、政治活動が困難な中でも、(1970年代の)「白い作業着」の運動や2000年のジェノバでの反グローバリゼーションの大規模なデモなどのイタリアの事態を注視していた。これらは、社会運動に対する国家による純然たる戦争という流血の中で弾圧されていった。彼が合計すると11年間の刑期を終えて最終的に自由の身となったのはようやく2003年になってからである。彼は、闘争の後退やかつての教え子たちとの対立に幻滅し、パリに戻って、フランスで伴侶ジュディスといっしょに定住すると決めた。
 とうとうパスポートを取り戻したので、それ以後、海外旅行が可能になり、長年来の夢が実現された。それ以降、彼は、「自分の考えを語るためではなくて、学ぶためにラテン・アメリカ、とりわけブラジルとベネズエラに、旅行することになる。ウーゴ・チャベスは、ネグリをボリビア革命を鼓舞した人々のうちの一人だとして讃えた。彼はまた中国にも招待され、そこで中国共産党中央委員会の代表者たちと会談する権利をも得ることになるが、幻滅を味わうことになった。彼は上海のポストモダニズムを賞賛したが、それでもやはり、「中国共産党のテルミドールが、その民主主義を発展させる前に資本主義を発展させてしまった、とやはり考えたのだった。
 2004年には、マイケル・ハートとの二冊目の共著『マルチチュード』が出版された。これもまた、多くの議論と論争を引き起こした。すぐさま、フランシス・フクヤマが、ネグリの語るマルチチュードは文明世界の破壊を望む野蛮な遊牧民だ、と宣言した。
 スピノザ派に由来するこの概念の意味を明確にするのは簡単ではない。ネグリの言うマルチチュードの概念は、ある時には、単なる認知的―不安定的労働者にすぎないものであるが、また別の時には、物質的、非物質的労働者、女性、抑圧された人種の総体なのである。ネグリの眼には、マルチチュードは、「オペライズモ」(労働者主義)が取る新しい形だと映っているのであって、これは1960年から1970年までの時期のイタリアの理論を普遍化するものである。

若い世代への
期待強く表明


 ナショナリズムのすべての形態に反対するネグリは、「私は、共産主義者としての自分の生涯の中で国際主義からけっして逸脱したことはない」と主張する。それは、ヨーロッパに大きな期待を抱くということにまで、2005年の(新自由主義的な)EU憲章草案をめぐるフランスの国民投票で(EU憲章草案への)「ウィ」(賛成)の票の側に結集するところにまで、つながっていく。だからと言って、ジュリアン・ドレイやダニエル・コーンバンディーの展開する「ウィ」のキャンペーンにまで参加しなければならないのだろうか? 「これは、左翼の私の友人たちがけっして私を許さなかったことである」とは言っているのだが。
 彼が『グッバイ ミスター社会主義』(2006年)という小冊子を書くことになるのは、こうした情況の中においてである。彼自身は、まるでまったく自明のことのように、それを「悲しむべき」」こと――スピノザ派の語彙の中では最も厳しい批判的言葉である――として取り消した。しかし、2009年に、ハートとの共著『コモンウェルス』が出版されたが、『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙によって、「暗くて、ひどくて幻滅させる本」だと非難された。「コモン」(共)に関するこの理論は、彼の見るところでは、「革命に関するマルクスの存在論」、マルチチュードの政治綱領に向けた最初の一歩である、と映っている。水を公共財として守ろうとするイタリアの運動の中に、ネグリは、この『コモンウェルス』の顕著な模範例を見たのだった。それ以前の著作と同様に、この著作も多くの成功をおさめた。だが、2010年は、ネグリにとって「アナス・ホリビィス」(ひどい年)になった。ユニノマド運動のもとに組織されたイタリアの彼の友人や弟子たちは、彼を排除し、ダニー・コンバンディーやドイツ「緑の党」への「日和見主義的で、偏向した」接近を試みたのである。

 2013年8月、ネグリは80歳の誕生日を祝った。この頑固な楽天主義者は、共産主義がまだ勝利を勝ち取っていないことを認めたが、若い世代がこの任務を果たすことを望んでいる。彼は若い世代の健闘を祈っている。

セクト主義を
今こそ終りに


 『コモンウェルス』の最後の章は、「(老齢化)」というタイトルが付けられている。それは、スピノザ、マルクス、フランスのポスト構造主義派[ドルーズ、ガダリ、フーコー]からインスピレーションを得ているが、ルソー、ヘーゲル、フランクフルト学派には反対する共産主義者としての彼の経験に関するある種の哲学的考察である。後者に反対して――スピノザにとって後者は否定すべきある種の極である――、ネグリは、笑いと自然発生性という、「ヒラリタス」(快活さ)の力を、すなわち、自由の力を、スピノザとともに主張するのである。この力なくして革命は息づくことができない、というの
 高齢になって、ネグリの考察と執筆に差しさわりが生じてはいない。彼のハートとの最新の共著、総会(アセンブリ)(2017年)は、党よりも社会運動が、代議制民主主義よりも直接民主主義が、すぐれていると主張している。とりわけ民主主義を実践するこの形態の組織化は、総会である、ということになる。地区を組織化し、それらを地域、国、大陸、のレベルへと移行させていくために、ネグリとハートは、連邦的構造、「総会の総会」を提案している。だが、何らかの代表的形態なくして、このような構造をいかにして構築するのか?
 フランクフルト学派の(批判的)支持者である私(レヴィ)は、トニー・ネグリの哲学的選択肢にはおよそ同意できない。しかし、私の意見では、この著作の主要な問題――現代の偉大な思想家の大部分の著作の問題――は、エコロジーの危機に対するより掘り下げられた考察が欠如しているという点にある。彼はそれは「克服し得ない困難」とみなしていて、次のように自問している。エコロジーの危機が人類を破局へと導いているという点を理解して来なかったことに対して、私は痛悔の祈りを行わなければならないのだろうか、と。
 彼は、エコロジーについて友人であるガタリと交わした会話を想い起こし もし若い世代がマルクス主義の活動家だった自身や自身の世代に対して、生産力主義的イデオロギーの虜になっていた、と非難するとすれば、そこには道理があるのか、そうではないのか、と。(回答のない)この問いには、432頁におよぶ『自伝』の中では3ページが割かれている……。喜ばしいことに、エコロジーと気候変動の問題が、最近の著作『アセンブリ―』ではもう少し多く登場している。
 かなり憂うつな調子の『パック2020』という題名の著作の後書きの中で、ネグリはこう結んでいる。われわれは敗れた。燃料は尽きた、と。階級としての労働者は、分断させられ、無力になっている、ということを彼は認める。しかしながら、彼は抵抗と闘いをあきらめない。危機の中で、われわれはセクト主義と分断の時代に終止符を打たなければならない。今日の合言葉は、“みんないっしょに!”だ。労働者の共産主義インターナショナルを目指そう! これが心を動かす著作の最後の言葉である。(『corretemps』誌NO48号2021年1月号)

 【解題】

 右に紹介するのは、『ネグリ自伝』第3巻(イタリア語)に対するミシェル・レヴィの書評である。当然にも、そこではネグリに対する批判的な立場が含まれている。
 ネグリがかつて、イタリアで活動していた時の運動は、オペライズモ運動と呼ばれている社会運動である。オペライズムとは直訳すると「労働者主義」となり、だがそのように翻訳してしまうと、「労働者本体主義」と誤解されてしまうことになるので注意が必要だ。この運動に参加した人々の主張はネグリを含めて、今日、産業構造が大きく変わり、労働者をかつては主として大工場を主として活動の場としていたが、それだけでは不十分であり、工場外、すなわち、地区=都市、文化、マスメディアなどへと戦線を広げ、こうした戦線での労働者の生活を含めた闘いを展開しなければならず、そうした戦線での「自主管理」(アウトノミア)を目指さなければならない、とするものである。イタリアでは、こうした社会運動が1960年代から1970年代に発展していて、ネグリ自身がイタリア時代にこうした運動の中で活動し、その運動の一部が急進化し、テロに走ったのだが、彼がそうしたテロの首謀者だとしてイタリア当局は彼を逮捕したのである。

 レヴィは、イタリア当局によるネグリに対する弾圧を弾劾し、彼を防衛する立場に立ちながらも、いくつかの点でネグリの思想を批判している。
 以下は、レヴィの立場をヒントにネグリの主張についての若干の感想である。

①、『帝国』に典型的に表現されている、今日のグローバリゼーションに対するネグリの「甘い評価」について
◦国境を越える資本の大々的なグローバリゼーションの中で、国家そのものの権限が決定的に後退するというネグリの予測的評価。今日のグローバリゼーションの中で国家の役割が小さくなり、後退していることは事実だが、国家の役割がほとんどなくなりつつあるなどという予測は間違っている。国境を越えて全世界的に活動している巨大IT企業といえども、いぜんとして自らの利益を無条件に守ってくれる国家をもっているのであって、巨大多国籍企業と言えども、最終的にはそれぞれの国家に結局のところいぜんとして依拠している。この点は、今日の貿易摩擦、貿易戦争の中であらためて露呈している。その際には、それぞれの多国籍的巨大情報企業も結局のところ、アメリカ国家、中国国家など、それぞれの自らの「祖国」に依拠して自企業の利益を防衛せざるを得ないのだ。
◦ネグリや彼を支持する人々は、「帝国」化=グローバリゼーションを「進歩的」だとしてそれを無条件に支持する傾向をもっている。ネグリの「帝国」は、グローバリゼーションによって、今日のような「自国第一主義」、「排外主義的な極右的ポピュリスト派の台頭」を招くものとなったという現実をまったく予測できなかった? 今日、ネグリの予測は完全に裏切られ、新自由主義のグローバリゼーションは、全世界で、極右のポピュリスト勢力を生み出すという結果をもたらしている。こうして、ネグリは、ヨーロッパを統合していくことと、EUを掌握する支配層が新自由主義的路線を取っていることとを区別しようとはしないのだ。その典型的な例が、新自由主義路線の立場が貫かれたEU憲章をめぐるフランスの国民投票をめぐって、ネグリがこの憲章賛成(「ウィ」)の立場をとったことである――こうした問題は、イギリスのEUからの脱退キャンペーンが移民排斥を前面にする形で右派主導でなされたのに対して、フランスのEU憲章案をめぐる国民投票のキャンペーンでは、フランスの社会運動=左派主導で「ノン」(反対)のキャンペーンが展開され、憲章草案に新自由主義的性格に焦点が当てられたにもかかわらずである。
◦さらに、ネグリは、国家の役割の後退、ということをあたかもグローバリゼーションの自然の必然的過程の結果と見てしまいがちなのではないか? そこでは、新自由主義路線による労働者大衆の既得権に対する大々的な攻撃(小さな政府=福祉削減、労働組合や労働者の権利のはく奪、)という、対立の側面、あるいは既存の政党や大衆組織の大半がこれと闘わずして敗北してしまった結果であるという側面の分析が軽視されているのではないだろうか?
② ネグリ自らが参加してきたイタリアの社会運動、オペライズモは、1960年代後半の青年の急進的な運動の継承と発展である一方、高度経済成長がオイルショックで行き詰まり、資本の側がこれまでのように労働者大衆に譲歩の余地がなくなり、その後の本格的な新自由主義の路線の導入へと転換を開始した時期に対応している。1975年のユーロコミュニズム路線にもとづく「歴史的妥協」は、政治のレベルで、この支配層の反転攻勢に対して本格的な全面的抵抗を行わないという「協定」ともなった。こうして、イタリアでは、共産党とその影響下にある既存の大労働組合の指導部は、資本の側の反転大攻勢に正面から対決することを放棄することとなった。イタリアの労働運動は、この新自由主義の反転攻勢に対して真に対決することなく後退させられることとなった。その結果、大工場=生産点での新自由主義の攻撃に対する抵抗がより困難になっていった。イタリアの社会運動の隆盛には、こうした職場での闘いの困難というこうしたもう一方の側面でもある点をも考える必要があるのだが、私の知るかぎりネグリにはそうした側面からの分析を見ることはできない。産業構造の大きな変動→労働者の社会運動へ、という客観的過程としての分析は観られるのだが。
③、レヴィのもうひとつのネグリへの批判は、人類の破局をもたらしかねない地球環境の危機という問題をネグリは過小評価している、とするものである。さらに、このエコロジー危機が今日の資本主義のあり方と密接不可分に結びついているとする観点が弱いのではないか、という疑問をレヴィが提起している。この点で、レヴィがこの書評で取り上げているのは、EUを支持するネグリが、EU資本主義の既存体制と妥協する今日のヨーロッパ緑の党に対する明確な立場が表明されていないのではないか、ということである。

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