読書案内『ポピュリズムとファシズム  21世紀の全体主義のゆくえ』 

エンツォ・トラヴェルソ著/湯川順夫訳/作品社刊/2600円+税
危機の深まりと「解放の政治」を探る
「21世紀の社会主義」めざして

「一つ先」は何か

 1957年、イタリア生まれで、現在はフランスで学者・研究者として精力的な著作活動を行っているエンツォ・トラヴェルソの本著オリジナル仏語版は2017年の刊行だが、2019年に刊行された英語版は、第2部が追加されたのをはじめ、大幅な増補・改編が行われている。邦訳版はこの英語版に基づいたもの(湯川順夫さんの「訳者あとがき」より)。
 評者は、トラヴェルソの論文について幾つかは読んだ記憶はあるが、まとまった著作として気を入れて読んだのは初めてのことだ。湯川さんの訳者あとがきは「世界の今後を見通していくためのダイナミックな視座」と題されている。私はオーソドックスに本書の冒頭から読んで、最後に「訳者あとがき」と中村勝己さんの解説論文「新型コロナの時代におけるポピュリズムをいかに考えるか?」を読んだが、読み方としてはいろいろあってよい。
 中村さんの解説文は40ページに上る力作論文であり、ぜひ本書と並行して読むことをお勧めする。
 本書は大きく分けて2つの部分から構成される。第Ⅰ部は「ポピュリズムのゆくえ――歴史としての現在」であり、第Ⅱ部は「ファシズムの新しい顔――現在の中の歴史」である。
 第Ⅰ部はさらに「第1章 ファシズムからポピュリズムへ」、「第2章 ポピュリズムとアイデンティティ政治」、「第3章 反ユダヤ主義とイスラム嫌悪」の3章構成となる。第Ⅱ部の章構成は「第4章 ファシズムの新たなる解釈をめぐって」、「第5章 修正主義と『反・反ファシズム』」、「第6章『全体主義』の政治利用」、そして「終章」が「消失したユートピアの代替物としてのポピュリズム」である。

「ポピュリズム」の多義性

 私が「ポピュリズム」という政治的概念を意識するようになったのは、かなり前のことになると思うが、その頃はどちらかと言えば「大衆迎合主義あるいはデマゴギー的大衆動員主義」といったニュアンスの、やや「侮蔑的」な論調で使われることも多かったのではないか、と思う。他方で、よく引き合いに出されたのはアルゼンチンのペロン政権の例だった。そこでは「左派ポピュリズム」といった規定が使われたりもした。
 今、われわれが直面しているのは、「スターリニズム体制」崩壊と「社会主義オルタナティブ」不在の下での、新自由主義の危機の深化の中で、「ポピュリズム」が政治や思想の面でどのような形で現われ、どのような機能を果たしているのか、ということだろう。
 もう30年以上も前に翻訳・刊行された、本書と似た題名のE・ラクラウ『資本主義・ファシズム・ポピュリズム』(柘植書房刊 1985年)はその第4章を「ポピュリズムの理論をめざして」にまるごとあてている。その中でラクラウはこう述べている。
 「︿ポピュリズム﹀という概念はわかりにくいものだが、繰り返し使用されている。現代政治の分析にこれほど広く用いられている用語もまれなら、これほど定義の曖昧な用語もまれである。ある運動やイデオロギーをさして、それをポピュリズム的なものであるとわれわれがよぶとき、何について言及しようとしているのか直感的にはわかっているのだが、この直感を概念に置き換えることはまことに厄介なことである。こうした理由で、この言葉をしばしば便宜的に使用することにもなるのである。つまり、ただ暗示的に使用するだけで、内容をつきとめる努力が放棄されているのである」。
 「概念の不明確さには、概念が言及している現象の不明確さが結びついているといってよい。ポピュリズムは運動とイデオロギーの一つの型なのか。︿ポピュリズム﹀を一定の政治的基盤と枠組みをもつ運動と組織として理解する立場もある。またロシアのナロードニキ運動、毛沢東主義、ナチズム、ペロン主義、といった別個の政治現象に共通している特性であると理解する立場もある。この結果は漠然性であって、どんな政治現象の科学的分析にも役立つものではない」。
 なるほど「ポピュリズム」を論ずる上での「一知半解」については、私たちにとって「やむを得ない」ことなのかもしれない。おそらく「ポピュリズム」についての、多様で「便利」ではあるがなおかつ不明確な規定を了解した上で、その「不明確さ」を前提としつつ、現実の運動の中で共に討議しながら、さまざまな「ポピュリズム」的とされる具体的現象を批判・評価していくアプローチ以外の方法は当面ないのだろうか。
 同著(『資本主義・ファシズム・ポピュリズム』)に付された解説で形野清貴は、著者らの主張のあいまいさや、展開の不十分さを批判しつつ「ラクラウらの理論はなお展開過程にあるが、この意味で、それ自体で完結的なものと見なされるのではなく、プーランツァスの政治理論などとともに、マルクス主義理論の豊富化にとってのひとつの貴重な貢献をなすものとして位置づけられるべきである」としている。
 しかし同書邦訳からすでに30年以上経った今、「国家論」あるいは「政党論」のレベルで「ポピュリズム」論がどのように解釈されるようになっているのか、それは例えば日本の現実の政治状況に合わせて、どう理解されるべきか、といったことも考えていかなければならないだろう。

トランプ政権の意味


 ソ連・東欧のスターリニズム「労働者国家」の体制が21世紀を待たずして軒並み崩壊し、グローバル資本主義がその勝利の凱歌を上げていた時、「新自由主義」がもたらす格差と貧困の社会的矛盾を背景に、極右の政治勢力がとりわけ欧州諸国で議会選挙でも軒並み大きな躍進を見せ、新たな政治的・社会的不安定状況が生み出された。
 新自由主義の席巻と社会的矛盾の拡大は、世界的にATTACをはじめとした「オルタ・グローバリゼーション運動」を生み出し、G7、G8に代表される新自由主義への民衆的抵抗を自治と反資本主義の水路に導こうとする方向性が構想された。しかし同時にこの危機は「右翼ポピュリスト」勢力の急速な拡大という政治的動向の土台も作り出していったのである。
 本書はこの観点から、トランプ政権登場の意味についても論じている。
 「古典的ファシズムは新自由主義的ではない。それは、国家主義的であり、帝国主義的であった。トランプは、反国家主義的で、むしろ孤立主義的である。彼はアメリカの戦争に終止符を打ちたいと考えていて……プーチンのロシアとの和解を追求している。ファシズムは常に、民族的・人種的コミュニティーの考えを支持したのだが、トランプは個人主義を説いている。彼は、外人憎悪で反動的なアメリカニズム・バージョンを、社会ダーウィニズム・バージョンを、社会ダーウィニズムの独立独行の男、銃を携帯する権利を主張する自警団員、移民の国で少数になりつつある白人の憤りを体現している」。
 同時に、著者トラヴェルソによれば、トランプが歴史的なファシズム像とは大いに異なっているのは事実だが「驚くほどの類似性がある」。「かつてユダヤ人はファシズムの特別な敵であった。トランプは、この敵のリストを変更して、さらに長いものにした結果、今ではリストに黒人・ラテン系・ムスリム・非白人の移民も含まれるようになった」。
 トランプ政治の分析については、このあたりの一般報道をも含めて指摘されており、それがトランプの地盤のきわだった特徴であることも重要であろう。

急進左翼の可能性


 本書の構成についてあらためて言及する。最初に書いたように第1部「ファシズムからポピュリズム」の終章は「消失したユートピアの代替物としてのポピュリズム」だが、この終章の核心は次のような部分にある。
 「二〇世紀は第一次世界大戦とともに、旧世界秩序の崩壊と共に始まったが、この戦争は同時に、武装せるユートピアとしてのロシア革命と共産主義を生み出し、その影はこの世紀全体に覆いかぶさり続けた。それは、栄光の時だけでなく恥辱の時を経験したが、当然にも資本主義に対するオールタナティブを体現していた。二一世紀はそれとは違って、共産主義の崩壊のさ中に始まった。もし歴史が、『経験の場』としての過去と『期待の地平』としての未来との間の共生関係であるとすれば、二一世紀初頭には、この弁証法は消滅してしまったように思われる。世界は現在の中に引きこもってしまい、自らの身を将来に向けて投じることができるようには思われないのだ」。
 「同時に、それとは別の何かが台頭しつつあるという兆候もある。アラブ革命、ウォールストリート占拠運動、スペインの『怒れる者の運動』、『ポデモス』、ギリシャの『シリザ』、イギリス労働党党首へのジェレミー・コービンの就任、フランスの『夜に立ち上がる運動』を考えるだけで、そのことは明らかだ。しかし、少なくとも現時点では、最大の問題は、こうした抵抗運動が新しいプロジェクト、“新しいユートピア”の枠組を描き出すことも、一九八九年に設置された精神的な檻から脱け出すこともできない、という点を露呈していることだ」。
 著者は次のように述べる。
 「一方で過去が枯渇し、他方で見ることのできる未来が欠如している、という二つの間で動揺している。この情勢は後戻りさせることはできない。強力な想像力に恵まれた創造的精神がいつなんどき急に現れて一定のオールタナティブを提案するかもしれないが、新しいユートピアは何らかの空想力をもつ天才の中から湧き出てくるわけではない。思想は、自身の中には根づくことができないのであって、その大きな前進を可能にしてくれる一つの社会的勢力にかかっている。実際、中間にいかに無数の媒介するものがあろうと、予言者それ自身は所与の社会情勢の産物であるというかぎりにおいて、社会勢力はまた思想の創造に必要なものなのだ。今日、多くのかすかな兆候が示唆しているように、変革が起こりつつあって、進行中の分子過程が質的な飛躍を結局のところ生み出す可能性がある。しかし。それはまだ起こっていない。ポスト・ファシズムは過渡的現象なので、急進的左翼が二〇世紀から新しい思想と新しい政治形態への移行を実現することになるだろう……」。
 現代の世界政治における一つの有力な流れとしての「ポピュリズム」の「日本版」として、たとえば「維新」や「れいわ」を例に挙げることもあった。「維新」や「れいわ」について、論じるとき、その政治的主張と運動に関してどのように性格づけていこうとするのかというテーマもあらためて論じなければならないだろう。
 「二〇世紀から新しい思想と新しい政治形態への移行を実現する」左翼へと挑戦するために「代を継ぐ」闘いを自覚的に進めよう。「オルタナティブ」はこうした集団的で意識的な活動の積み重ねをベースにしてこそ現実の戦略になりうるのである。
 (平井純一)

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