読書案内『増補改訂版 県内市町村史に掲載された中国での戦争体験記を読む~沖縄出身兵170人の証言~』(上)

沖本裕司 編著/2000円

県民の貴重な生の証言から

沖縄の人びとは
アジア太平洋戦争をどう経験したのか

アジア侵略戦争と民衆史

 一昨年(2020年)6月、沖本裕司さんによる分厚いパンフレット『県内市町村史に掲載された中国での戦争体験記を読む~沖縄出身兵100人の証言』が刊行された。この著作は、本紙にK・S署名で掲載されてきた沖縄報告の中で独自のコラムとして組み込まれてきた「県内市町村の中国での戦争体験記を読む」を集約し、沖縄戦の「被害」を、天皇制日本帝国主義のアジア侵略戦争という「歴史的加害」との関係で捉えかえそうという問題意識に貫かれた、重要な企画だった。
 ついでに言えば、私の母の弟(つまり私の母方の叔父)も戦時中に「移民」として「満州」にわたり、現地で同じく「移民」になった長野県出身の女性と結婚し、「引き揚げ」で彼女を連れて自分の郷里の兵庫県淡路島に戻った、という経験を持っていた。彼は「ソ連だけは絶対に許せない」と語っていた、という。しかし彼の具体的体験がどういうものであったかを聞く機会は私にはなかった。覚えているのは、彼が上京し、靖國神社に参拝した時の「最敬礼」が文字通り45度以上に身体をおりまげ、頭を地面に近づける、教科書どおりのやり方だったことだ。
 私たちにとって、こうした民衆の歴史的戦争体験の主体化と継承を行っていくという作業は、ますます困難になっているのだが、やはり忘れてはならない課題なのだと改めて思わざるを得ない。

戦後の現実とのつながり


 本紙では2020年8月10日号、同24日号の上下2回に分けて、この最初のパンフレットを紹介した。
 今回、新たに刊行された『増補改訂版 県内市町村史に掲載された中国での戦争体験記を読む~沖縄出身兵170人の証言~』は、沖縄でも猛威をふるったコロナ・パンデミックの中で、沖本さんたちが改めて問題意識をどのように深めていったのか、の結晶といえるだろう。
 コロナ危機の中で、沖本さんが中心的役割を担ってきた「南京・沖縄をむすぶ会」の活動にも制限が生じざるをえなかった。しかし、この困難さを通じて、日中戦争と沖縄出身兵士の侵略戦争体験、15年戦争と沖縄の「加害と被害」といった問題意識が、「現在」とつながる課題として深められていくことになった。
 このパンフレットも、より正確で、完成度を高める配慮が払われたものになっている。証言の数も増え、前パンフの中での「誤字・脱字」の修正、再録すべき証言の補足なども配慮されている。

経験を記録化すること
 

 全体の構成は第1部が「序章 中国侵略と沖縄県民」、「第1章 侵略と暴力の歴史」、「第2章 沖縄県民の日中戦争」、「第3章 日本軍による戦争の赤裸々な描写」、「第4章 敗戦と沖縄県民」から成っている。これは2020年に刊行された最初のパンフレットを、誤字・脱字の校正を含めて、より正確にしたものだ。
 続いて第2部の資料編は、沖縄県内の各市町村報に掲載された数多くの資料や、市民の体験記録、中国や、アジア・太平洋各地での沖縄各市町村住民の生きた記録だ。私は、これまで「本土」の各市町村史の記述の中で、住民一人ひとりの具体的な戦争体験がどのように記録されてきたのかについてほとんど知らないのだが、沖縄県の各市町村での住民の戦争・占領体験がいま現在の住民の生活のあり方と、より濃密に結びついていることは確かなことだろう。それは具体的には、米軍基地の重圧として現れているのだが、この現実がアジア・太平洋戦争の歴史と具体的に関連付けられている度合いは、明らかに「地上戦」の有無という「本土」との戦争体験の違いに規定されている。
 第1部の内容について、改めて紹介する。第1部「序章」では、1928年の張作霖爆殺事件を契機とした天皇制日本帝国主義の中国侵略の拡大(それは世界恐慌の深まりの中での「天皇制国家・日本」の対外侵略戦争=とりわけ中国を対象とした)への流れを決定的に加速した契機となった恐慌が沖縄にどのような影響をもたらしたかを示している。中国侵略戦争への沖縄県民の動員は、「軍事扶助法」による生活扶助戸数(それは出征兵士を出した戸数)が1937年(盧溝橋事件を機に日中戦争が全面化した年)の2198戸から1939年には6812戸と3倍以上になっていることからも示される。こうして日中戦争の15年に兵士として動員された沖縄県民は数万人に上る、と推測される。

自己体験と歴史

 第2章「沖縄県民の日中戦争」では、1931年の柳条湖事件、1932年の国際連盟からの日本の脱退、1937年の盧溝橋事件と日中戦争開始を通じて、沖縄県民への戦争動員が全面化するプロセスが描かれる。ここで注目すべきなのは、その過程でも沖縄県民の「徴兵拒否」が相当の数に上っているということだ。
 「1938年に発覚した具志頭(ぐしちゃん)村の徴兵拒否では、1936~37年の適齢者のほとんどにあたる30人近くが告発され、裁判の結果、全員懲役3年と罰金刑に処せられたという」。しかしこのケースは徴兵への集団的抵抗としては、ほとんど最後のものだった。それ以後「子供たちは天皇の『臣民』として軍隊に進んでいくようになった」。
 さらに沖縄からも「開拓移民団」「満蒙開拓青少年義勇軍」の一員として合わせて3000人が満州に動員されたという。「義勇軍の大半の青少年たちは、満州での戦闘、迫害と飢餓、シベリア連行などで大きな犠牲を払い多数が命を落とした」。
 ここでは沖縄出身の兵隊への陰惨な差別も取り上げられている。
 第3章は「日本軍による戦争の赤裸々な描写」である。沖縄出身の兵士たちも、南京をはじめとした虐殺の現場に居合わせた。ここではその目撃証言も語られている。「…岸壁から水面に放り込まれた死体の山は、岸壁のコンクリートの高さまで積もっており、波止場の広場は血で赤黒く染まって異臭を放っていた。多分追い詰められて逃げ場を失った敵兵は、ここで虐殺されたのであろうとの話であった。一か所にこれだけの死体を見たのは、おそらく南京の大虐殺の現場ではなかったかと思う」(東風平町、知念富一)。
 沖縄出身の兵士による、日本軍の残虐な行為への目撃証言も多い。日本兵による捕虜への「試し斬り」、ガソリンをかけて捕虜を焼殺する、などだ。一方、「県民の中国での戦争体験記録の中に、日本軍慰安所や強姦に関する記述を見るのはまれだ。実際に見なかったのか、書くのをためらったのか」という評価もある。
 第4章は「敗戦と沖縄県民」。
 ここではシベリア、韓国・中国、台湾、東南アジアなどで沖縄出身兵士がどのような「敗戦・終戦」を迎えたのかが書かれている。
 第2部の資料編については「沖縄県史」や県内各町村史に掲載された「証言」や「記録」から成っているが、その特徴については改めて次号掲載とさせていただきたい。(つづく)
(平井純一)

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