映画紹介「PLAN 75」

監督・脚本 早川千絵 2022年「PLAN 75」製作委員会 112分/日本・フランス・フィリピン・カタール

リアルな寓意の演出は観客に何を訴えるのか

鑑賞直前に起きた銃撃

 公開中の封切映画を見ようと、その日の朝に決めた。開演時間に合わせ自宅で早めの昼飯を取っていた11時30分過ぎ。NHKテレビから衝撃的なニュースが飛び込んできた。安倍晋三元首相が銃撃されたというのだ。その後民放では一切追報道がなく、NHKだけがスクープとして事件を伝えていた。
 銀座の映画館では、平日にもかかわらずチケットを求める人の行列ができていた。15分の予告編がようやく終わると、ピアノの音が鳴り響き、本作品が始まる。そして突然大音響の銃声。いったい何が起きたのか。
 少子化高齢化が進む社会で「安楽死」をテーマにした。主演は倍賞千恵子。「男はつらいよ」シリーズをはじめ、「家族」、「幸福の黄色いハンカチ」、「遥かなる山河の呼び声」など、戦後の日本映画を支えたベテラン俳優である。

安らかに死ぬシステム

 78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)は、ホテルの清掃の仕事で生計を維持している。夫と死別し子供はいない。古い団地に一人で暮らすが、職場の同世代の同僚たちとの交流は続けていた。市役所の職員・阿部ヒロム(磯村勇斗)は、訪れる高齢者に「プラン75」の説明を担当する。
 高齢者施設でヘルパーとして働いていたフィリピン人のマリア(ステファニー・アリアン)は、娘の手術費用を稼ぐために、より待遇のいい仕事を、通っている教会から紹介され転職する。成宮瑤子(河合優実)は、制度への問い合わせを受けるコールセンターのオペレーター。物語はこの4人を中心に展開していく。
 職場で同僚が倒れ、ミチは解雇を言い渡される。住んでいる団地も取り壊しが決まり、転居する部屋を探すが、一人暮らしの高齢者を受け入れる住居を見つけるのは至難の業である。ミチは深夜の道路工事の誘導員の仕事に就くが、やがて「プラン 75」の選択を考えるようになる。一方で阿部は、プランを利用しようと訪れた男性が、疎遠になっていた自分の伯父であることに気がつく。

設問とその答えとは

 物語はフィクションだが、設定はリアルそのものである。昨今の巷にはびこる「家族や周囲に迷惑をかけない」人生の終わりかたは、老いゆく者たちに「死の自己決定」を求めているかのようだ。美辞麗句で飾られてはいるが、その実態は、国家にとって役に立たない非生産的人口の排除と抹殺であり、ナチスの蛮行を想起させる「安楽死システム」の、象徴的な表現である。
 行政はヒロムや瑤子らスタッフに、高齢者をうまくプランに誘導するよう教育する。瑤子は決められた時間枠を守って、思い悩む相手の話を聞き、マニュアル通りに淡々と対応していく。
 ヒロムや瑤子はミチの孫の世代である。倍賞千恵子が過去に演じてきた、欲がなく慎ましい市井の平凡な女性像が、本作でも十分に醸し出されている。何の疑いもなく瑤子と会話を交わし、人生を終えようとするミチの姿が痛ましい。
 映像作品や文学作品の作家ら当人が、発表した作品についてよく口にする言葉がある。「この作品は私の問題提起です。ここから先はみなさんが考えてください」。写真展や試写会の場で、何度となく私は耳にした。本作もこの意図で編集されたという。
 だがこのフレーズは、「私は問題と解決のための答えを知っている。しかしそれを導き出すのはみなさんです。教えるわけにはいかない。よく考えてください」とも聞こえる。

寓意溢れる後半部分

 作品が広く世に知れ渡り、一定の商業的成功を収めるためには、発信する側のある程度の「自粛」は求められるのかもしれない。とはいえ、あまりに抽象的なイメージばかりが先行し、細部の詰めが甘くなると、見る者は理解できない。インパクトが失われ誤解すら生まれる。
 ネタバレを避けるためにすべては書かないが、物語が進むうえで、説明不足、描写不足が多すぎる気がする。私は映画を事前の先入観を持たず見ることを習慣としてきた。ネットが発達した現在、情報が溢れ簡単に手に入る。が、それでも外出先で思い立ち、現地でチケットを買う人々もいるだろう。さまざまな立場の観客が、まったく予備知識なしに劇場に入る。スクリーンに集中していたとしても、意味不明なシーンが少なくない。特に後半はその「寓意」が過剰になり、中途半端のまま幕が下りる。
 脚本にある部分を、演技者と監督が取捨選択しながら撮影を進めたという。製作者の意図は、作中に一定の具体性とその表現を担保してこそ、人々に訴えかけ、記憶に残るのではないだろうか。
 具体的な指摘をすれば、プランを選択した人々がいざ死を迎え、臨終し、亡骸が横たわる一連の設定があまりに大雑把である。この流れこそが、現実から非現実の世界へと思考を逆行させて、観客を悶々とさせる。
一方で、自治体が推進するプランのための小道具すなわち、窓口や、幟や、パンフレットや、そのロゴタイプはリアルだ。現在進行形の悪名高きマイナンバーカード普及キャンペーンに酷似している。
 若き自治体職員の阿部の職場と、高齢の非正規待遇で働く本稿筆者が重なる。民間の賃貸住宅に住む筆者と、期せずして居場所を失うミチが重なる。よもや「プラン75」が、各自治体の高齢者政策への呼び水となって、知らず知らずのうちにこの国の福祉行政に組み込まれることはないか。

安楽死制度はいらない

 作中のわずかな希望は、阿部や瑤子やマリアが規則に反して、ぎりぎりの段階で人間としての良心に突き動かされる一幕である。前半のリアルさと、後半の展開の詰めの甘さの落差が大きいが、それでも、だれも絵空事と感じない重く深刻な題材を扱った試みもうなずける。
 奇しくも参院選直前の鑑賞となった。「老後2千万円問題」? いや3千万円か。余生の沙汰も金次第の資本主義である。防衛費倍増、安倍元総理の国葬だって? 冗談ではない。福祉事務所の窓口では、毎日のように生活保護受給者と職員の、し烈なせめぎ合いが続いている。それは数百円、数千円の受給や返納をめぐるやりとりである。
 医療や介護の現場では、治療の放棄や延命の中止が、当たり前のごとく行われている。医師や病院側、施設側は絶大な権力を駆使して、患者や利用者家族に、事務的な対応を繰り返している。終わりのないコロナ禍で分断・断絶された人々は、無念の涙の中で、最後の別れを諦めている。そんな悲劇は巷間いくらでも耳にする。
 良き恋人、良き妻、良き母親を演じた、物わかりのいい、つつましいミチの演技が切ない。就職氷河期を経験し、何があっても手にした座席を失うまいと、ひたすら沈黙する労働者たちの境遇は理不尽この上ない。
 「長幼の序」という言葉を忘れるべきではない。高齢者を冷遇する社会など、まっぴらごめんである。安易な近未来が、改憲派多数の国会で論じられる時が訪れれば、私たちは断固粉砕していくしかないだろう。
(桐丘進)

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