自民党・統一教会の運命共同体への途(3)

投稿 たじま よしお

 自民党と統一教会の関係について考えるとき、福田赳夫・中曽根康弘さんらが現職の総理大臣のときの国会での答弁には非常に重たいものがあり、そこを欠落させて双方の関係性を語ることに、果たして意味があるのだろうかと思うのですが、そのことに触れようとしないメディアの真意はどこにあるのでしょうか。根気よく訴えてゆく他ありません。8月22日号のかけはし掲載の拙文の①で紹介した、「統一教会・自民党関係史」の中で中野昌宏さんは次のように述べています。

福祉政策への敵対が自民党・
統一教会・勝共連合の基本姿勢


 歴史的なつながりだけでなく、自民党、日本会議、統一教会は、その政治思想においてほとんど合致している。その一致を最も雄弁に語るのは、国際勝共連合の旧ホームページだろう。そこに主張されている項目は、すべて自民党改憲草案(2012)に含まれている。……略……勝共連合・統一教会は日本の政治家に取り入るために、「保守的な主張」を掲げて接近する、その「保守的な主張」とは「反共主義」や「家族主義」であった。岸(信介)や福田(赳夫)の言うように、自民党と勝共連合の共通する根本イデオロギーは「反共主義」であり、両者の同盟関係はこのことが核になっている。「反共主義」は福祉政策全般に対する軽視、敵視を育んできた。1980年代はサッチャリズム、レーガノミクスの時代であり、この時代の自民党は、自己責任論や、今日でいう新自由主義を先取りしてきた。これに中曽根、小泉などが追随していく流れを見ても、自民党、とりわけ清和会系(岸信介の十日会を源流とし、現在は党内最大派閥としてついに安倍派になった)の根本思想である「自助、共助」(公助はできるだけしない)の根本に「反共主義」の残響が指摘できる。

 ここで私見を少し述べさせて貰えば、私が3人の子供の子育てを始めた頃が、美濃部都政の始まり(1967年)で、それから美濃部亮吉さんは東京都知事を3期12年を務めたことになります。最初は武蔵小金井市で保育運動に関わり、その後東久留米市に引っ越してからは学童保育の運動で役員を務めやがて気がついたら私は学童保育連合会の中心の部分を担っていました。当市は小学校が10校ありそれぞれの小学校に学童保育所が併設されているという、全国的にも少しは知れた政策が行き届いていました。私が東久留米へ越した頃は保守系の市長さんでしたが、福祉政策は住民の声をよく聞いて手厚かったように思います。しかしその後、社共が推すいわゆる革新市政になってから福祉政策に翳りが見えてきて保育料の値上げ問題が現実のものとなりました。当時バブル経済が崩壊したわけではありませんが、景気上昇が一段落したことにより経済成長が横ばい状態にさしかかったことによるものと思われます。今回の統一教会のことで岸田政権の支持率は急落しポスト自公政権のことが日程に昇ってきた時、経済成長という化け物にどう向き合うのか、一口に「脱新自由主義経済」と言っても産業構造を大きく変えることになりますから大変なことです。有権者・民衆の意識改革は革命に準ずるような大仕事であると思います。右からの揺り戻しを押し返せるか、階級的な中心軸が今の野党にあるのか心配になって、参考になるかどうか分かりませんが当時の経験を少し述べさせてもらいました。なお中野昌宏さんのおっしゃることを支持した上での発言ですので誤解なきように。再び中野昌宏さんの「統一教会・自民党関係史」に戻りたいと思いました。

世界平和統一家庭連合と
天皇制


 「家族主義」は、家族どうしで助け合うことを要求し、国家による生活保護を削減することに寄与するばかりでなく、前時代的な家父長制度、戸主制度を擁護するのに都合がよい。ここでの家族は互いに平等ではなく、上下関係のある家族が念頭に置かれているのである。当事者個人の自己決定ではなく、家父長(真のお父様)が一方的に決定する相手と結婚するのが合同結婚式である。文鮮明を頂点とする「家族」システムは、実は天皇を頂点とする「国体」(「天皇の赤子」云々)と平行関係にある。笹川良一のいう「世界は一家、人類は兄弟」なるスローガンは、岸信介と文鮮明をつなぐリンクでもあるのである。この文脈においてこそ、女系天皇問題のみならず、選択的夫婦別姓、同性婚の問題等は捉えられなければならない。

 生活保護を申請しようとしても、役所から親族に連絡が入って、親族の間での解決を迫られる、だから生活保護の申請に行きたくないという事例が、コロナ禍の中で浮かび上がってきていますが、これも家父長制度・戸主制度から天皇制へと結びついているという。私は7人兄弟の第7子ですが第2子の姉は親や親戚が決めた縁談で、嫁ぎ先で随分苦労をした様子でした。ある正月に実家に帰って嫁ぎ先へ帰るのが嫌だと言い、父は二度とこの家の敷居を跨ぐなと言って「追い返し」ていたのを覚えています。75年も前のことです。父は子供に暴力を振るうことも声を荒げるようなこともない普通の人でした。その姉は大舅・小舅の間で苦労したようですが、お連れ合いがとても優しい人で晩年は幸せそうでしたが、だからと言ってめでたしめでたしにしてよい筈がありません。
 統一教会が決めた相手と結婚するなどおよそこの世の出来事とは思えない集団結婚式、そこで岸信介、中曽根康弘さんなどが祝辞を述べるなど、30年も前のこととはいえ白昼の悪夢としか思えませんが、親や親戚の決めた縁談を断れない状況と重なり合ってその向こうには天皇制の思想が横たわっている。
 山上さんが安倍元首相に向けて放った一発の銃弾が歴史の闇を切り裂いたのです。かっての戦争で、アジアの諸国に甚大な被害をもたらしたことへのきめ細やかな補償がなされていれば起きなかったであろう。彼の意図するものが何であったにせよ、その銃弾の炸裂がなかったならば、私たちは今何事もない顔ををして日々を過ごしていたことを否定できる者はいません。
 その炸裂は民主主義を破壊したのではなく、民主主義とは何かを明らかにしたのです。二度とこんなことが起きてはなりません。そこまで彼を追い込んだものは、前号の②で紹介した「誤った戦後日本のスタート」なのです。私は絵描きですから毎日かなりな時間を費やして創作活動をしていますが、私たちの色彩感覚は天皇制に支配されている、このことを最初に言ったのは多分岡本太郎さんだったと思いますが、この問題は天皇制を廃止しても社会主義革命を成し遂げても後遺症は残ってゆく、実はそこが人間社会の面白いところなのです。

鎌倉仏教の先駆性


 このところ統一教会の情報が溢れていて頭の整理がつきません。そこで私は850年前を生きた親鸞について思索を深めることにしました。親鸞が著した「教行信証」(化身土巻)にこんな記述があるのを思い出したのです。「出家ノ人ノ法は、国王ニ向ヒテ礼拝セズ、父母ニ向ヒテ礼拝セズ、六親ニ務(ツカ)ヘズ鬼神ヲ礼セズ」と言い切っているのです。「六親」とは「父・母・兄・弟・妻・子」つまり家庭のことを言うのです。家庭を大切にすると言うことは、「国王(天皇)ニ向ヒテ礼拝」すること、天皇制を支持することにつながってゆくから用心しなさいよと、言っているのです。
 つまり850年前を生きた親鸞は「世界平和統一家庭連合」とは全くアベコベのことを言っていたのです。日本の思想界は「脱亜入欧」の夢から覚めていないのです。海外の優れた思想家・実践者らの報告はネットを通じて即座に紹介されますが、それらは宙を彷徨っているのです。鎌倉仏教が培った肥沃な土壌は広がっていますが、脱亜入欧の精神はテレビドラマなどにも見られるように動かし難い文化として定着し、そこの間の隙間がカルト集団にとって誠に快い栖となっているのです。
 岸田内閣の荻生田政調会長は、統一教会との関係を追及されて、今後は関係を断つと言っておられますが、人的・物的関係を切断しても、その精神・思想が同じであるならば全く何にも変わらないのです。私は騙されません。
 (8月28日)

【訂正】かけはし前号(9月5日号)5面、「統一教会とは何か 有田芳生さん講演会」記事、中見だし「世界キリスト教統一心霊教会」を「世界キリスト教統一心霊協会」に訂正します。

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