「世界平和統一家庭連合」について考えるために ⑤
たじま よしお
文鮮明の提唱する「統一原理」を広める原理研は世界80カ国に拡がっていると言いますが、統一教会の資金源は日本が80%を占め、霊感商法は日本特有であると言います。なぜこのようなカルト集団を受け入れてしまうのか、それはこの社会は「脱亜入欧」の夢から覚めていないことが原因の一つに挙げられると私は考えます。
明治初期の
脱亜入欧
山本義隆さん著の『近代日本一五〇年』によれば、福沢諭吉が1885年に「脱亜論」を著す以前、森有礼(日本初代の文部大臣)は1870年に公使としてアメリカに渡り3年間滞在して、日本人留学生に以下のような訓示を垂れています。
「そもそも日本語にては文明開化を図ること能わず。よって余は日本語を廃止して英語を採用せんと欲す。……また日本を文明開化の域に進むるには、日本語の廃止のみにては十分ならず。先ず日本人種を改良せざるを得なり。故に日本人は将来欧米人と雑婚するの必要あり。よって君らは留学中、米国の娘と交際し、帰朝の時はその女子と結婚して帰国すべし」。(金子賢太郎「明治5年より同11年まで、米国留学懐旧録」『知識』1940・1)
敗戦後のアメ
リカ文明礼讃
私は7歳の時敗戦を迎えました。その頃母は誰かの講演を聞いてきて「アメリカ人は自分の子供が転んでも駆け寄って助けるようなことはしない、自分で起き上がるのを待っているっていうが、アメリカは大したもんだ」と上気した表情で話していたのを覚えています。日本にだって子供の自立を見守るという考えはあっただろうにと思います。
それから、当時の教師が「米を喰うから日本は戦争に負けた」と言ったのを覚えています。パンを食べていれば勝ったとまでは言いませんでしたが、ついこの間まで「欲しがりません、勝つまでは」を合言葉に一億総動員で「鬼畜米英打倒」と戦っていたのに、この変わり身はなんでしょうか。
画家の草間彌生さんは1957年に絵画の勉強のため渡米していますが、その時は松本市の市長さんらも招いて盛大な壮行会をしたと言います。そして60年代には「前衛の女王」と呼ばれるようになりました。草間さんも渡米することなく、国内で創作活動をしていればちょっと変わった絵かきさんで終わり「世界の草間」になることはなかったでしょう。そこのところに「脱亜入欧の夢から醒めない」この社会の姿を見るのです。
6、7年前のことですが「きょう会社休みます」というテレビドラマがありました。主人公は綾瀬はるかさんで、年下の恋人役は福士蒼汰さんでした。
ドラマは最後の方で福士蒼汰さん役が会社の命を受けてニューヨークへ旅立つというものでしたが、数年して帰国するのですが綾瀬はるかさん役が「きょう会社を休みます」で空港へ出迎えにゆき2人腕を組んで歩いているところでドラマは終わったように思います。
数年しても2人とも心変わりをしていなかったという、心温まるラストシーンでした。
この他にも、恋に敗れ傷ついた主人公を乗せた飛行機が飛び立つシーンで終わるドラマを数多く見てきました。ニューヨークへ行けば必ず幸せな人生が待っている、観るものはそこに夢をみるのだと思います。行き先が台湾や韓国、東南アジアの国々では視聴者は夢を持てないのです。つまり脱亜入欧から抜け出すことができない日本の思想界の現実が、このような文化に投影されているのだと思います。
なぜいま
鎌倉仏教か
『寺尾五郎著・悪人親鸞』に次のような記述が見られます。これは先に「鎌倉仏教の先駆性」で述べたことですが、統一教会の問題を考える上で大切なことだと思いますので、再度お付き合いください。
「出家ノ人ノ法は、国王ニ向ヒテ礼拝セズ、父母ニ向ヒテ礼拝セズ、六親ニ務(ツカ)ヘズ鬼神ヲ礼セズ」と(親鸞は)言い切っているのです。
ここで言う「六親」とは「父・母・兄・弟・妻・子」つまり家庭のことを言うのです。これでは家庭を大切にしないと言っているに等しいのです。それが親鸞の本心なのでしょうか、自叙伝みたいなものも存在しないと言いますから、彼の生き方をなぞって考えてみることにします。
親鸞は35歳の時新潟県の今の直江津あたりに流罪の身になるのです。流罪とは「延喜式第26条」によれば、「1年間の食い扶持と種籾を与える。死にたくなかったら荒地を開墾してその種籾で(2年目からの)食糧を生産せよ」と言うものです。種籾などもらっても1年間で荒地を田んぼにするなど、京都の青臭いインテリ坊主にできるわけもありません。
しかし親鸞はそこでの7年間に、越後の土豪三善為教の娘と言われる惠信尼と世帯を持ち3人の子供をもうけています。
「流刑後の四年目に勅免の報がとどく」のですが、親鸞はその「勅免」をもはねつけて非僧非俗を生涯貫くことになります。「非僧非俗」とは私流に解釈すると「非合法活動家」と言うことになります。当時お坊さんは国家公務員の身分が保障されていましたが、4年目に現職復帰でき生活も保障されたのにそれをも突き返したのです。そのような危険極まりない親鸞に、惠信尼は生涯連れ添うのです。
「この女性は、まれにみる教養と詩情、健康と生活力で、生涯、親鸞を献身的に助け支えるのである。惠信尼の側からすれば、一介の罪人僧との愛に生きたのであり、政子が頼朝に添ったのと似ている。だが惠信尼は生涯“破戒僧の妻”とみられる運命を引き受けたのである」。
この夫婦は親鸞流刑7年目にして、「生まれたばかりの嬰児まで3人の子をともない、越後から東国へ向かう」。そして関東の地で60歳まで農民の間で浄土真宗の布教活動を行うのです。
その生涯は惠信尼との愛なくしては成立しえないものであり、その親鸞が「六親ニ務(ツカ)ヘズ」とはどう言うことでしょうか。
私は聖徳太子が定めたと言われている「17条の憲法」への批判が込められていると考えます。そして親鸞と同時代を生きた北条泰時が武士階級への戒めのための貞永式目を定めるにあたって「17条の憲法」について学んでいたことにも心惹かれるのです。
親鸞と泰時が異なった角度から「17条の憲法」を考察していたであろうという私の仮説にはリアリティがあると思うのですが。なお貞永式目には「刑が確定するまで無罪とする」といった現代法に重なるものがありますので、是非一読をお勧めします。そして「和をもって尊しとなす」というあまりにも当たり前のことを法とした「17条の憲法」を批判して「六親ニ務(ツカ)ヘズ」と850年前を生きた親鸞が述べたことと、21世紀の支配者の今のやり口とが重なり合っていると思うのです。
改訂版教
育基本法
2006年12年22日に「改訂」され交付された教育基本法には「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」という項目が加えられています。愛国心という言葉には反発を覚えますが、胸に手を当てて考えると自分の中にも愛国心はあるように思います。ましてや郷土を愛しそこに住む人々への想いは深いのがあると自負しております。
しかしそうした当たり前のことを教育基本法に加えることに私は違和感を通り越した悪意を感じるのです。そこには菅義偉さんが首相だった時の「こども庁」を、岸田内閣になって「こども家庭庁」に、家庭という2文字を滑り込ませた手法と同じなのです。そして統一教会に家庭の2文字を加えて世界平和統一家庭連合としたこととも、ぴったしと重なります。
そして自民・公明が法案として国会に提出している「家庭教育支援法案」は野党の反対で棚上げ状態ですが、これを成立させるための意見書を地方議会から上げる勝共連合の動きがあり、目が離せません。
私は初めに「統一教会の資金源は日本が80%を占め、霊感商法は日本独特であると言います。なぜこのようなカルト集団を受け入れてしまうのか」と述べ、また鎌倉仏教にも言及しました。
鎌倉仏教はその後徳川封建社会において、その地方の死亡届や出生届の出張所みたいになり果てましたが明治の初め、表面が干涸びた鎌倉仏教の思想に、新たに深く鍬をいれ耕し、そこへ欧米の新しい思想の種をまいていれば、政治・文化・教育などあらゆる面で文明開化の花が咲競い、今とは別の社会を選択できていたのではないか、そして統一教会の途方もない資金源となり、霊感商法などカルト集団を受け入れることもなかったのではないかと思うのです。
前回の、自民党・統一教会運命共同体の途④でも述べましたが、私は4年前に『中学生の歴史・帝国書院』そして今年の春に『詳説/日本史・山川出版社』を購入して、時々目を通しています。脱亜入欧の呪縛からの解放のために、中・高校生の歴史教科書を囲んで「読書会」を始めることをみなさんに提案します。
(2022年9月20日)
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