書評『毛沢東思想論稿 裏切られた中国革命』
王凡西著/グレガー・ベントン編/寺本勉、長堀祐造、稲垣豊訳/柘植書房新社/5000円+税
「習近平個人崇拝」は毛沢東崇拝の再来となりえるのか?
毛沢東思想の根源と影響を明らかにした中国古参トロツキストの名著が初邦訳
中国共産党は、10月16日から22日まで北京で第20回大会を開催した。大会開催にあたっては、習近平の党における核心としての地位および習近平の思想の指導的地位を確立するといういわゆる「二つの確立」が、党規約には明記されなかったものの、共産党メディアを通じて大いに喧伝された。そして、党大会に引き続いて開かれた中央委員会総会では、習近平の党総書記三選とともに、異論派を党中央から徹底的に排除し、政治局常務委員会を習近平支持派で完全に独占するという人事が決められたのである。
このことによって、習近平の権威は天にまで昇ったかのようであり、かつての毛沢東が持っていたカリスマ的権威と肩を並べたかのようである。中国共産党が全面的に統制するマスメディアも大々的に習近平を持ち上げて、その威信を中国民衆の中に浸透させようとしている。しかし、果たして習近平は毛沢東と匹敵する個人崇拝を確立できるのだろうか? その答えを探るには、まず毛沢東その人の思想について、その根源・内容・影響などを明らかにすることから始める必要がある。まさにこのタイミングで、中国古参トロツキストである王凡西の名著『毛沢東思想論稿 裏切られた中国革命』(寺本勉・長堀祐造・稲垣豊共訳)が初邦訳・出版されたことは大きな意味を持っている。
王凡西と『毛沢東思想論稿』
王凡西(1907〜2002)は、「中国の革命家・思想家・トロツキスト活動家」であり、「中国共産党の古参党員で、モスクワの孫中山大学に留学して左翼反対派(トロツキスト)となる。帰国後に、中国左翼反対派の結成に加わり、国民党による二度の投獄を経て、中国国際主義労働者党の結成に参加、指導部の一員となる。1949年から、香港、マカオ、イギリスで亡命生活」を送った(本書の著者紹介による)。彼の生涯については、本書に収載されたグレガー・ベントン(英語版訳者)の詳細な「解説」、あるいは王凡西自身による『中国トロツキスト回想録 中国革命の再発掘』(矢吹晋訳、柘植書房、1979年)に詳しい。しかし、ここで特記しておきたいことは、彼が1925年に中国共産党に入党して以降、モスクワ留学中や長期にわたる投獄期間を含めて、常に中国革命の只中にいて、その活動が結実したかどうかは別にしても、その勝利のために闘い続けていたことである。そして、中国本土から切り離された後も、毛沢東指導下の中国共産党による中国革命の勝利と中国トロツキスト運動の敗北について、亡命先のマカオで真摯な考察をおこなった。本書はまさにその成果に他ならない。
本書は1960年代前半に執筆された。王凡西の病気もあって、断続的に執筆は続けられたが、1964年8月に脱稿した後も長く出版の機会を得られないままだった。しかし、1972年になって、そのうちの4章が『毛沢東思想与中蘇関係』(毛沢東思想と中ソ関係)として、「三原」名義で香港の信達出版社(トロツキストの楼国華(注1)が香港に設立した出版社)から出版された。そして、その翌年に同じ信達出版社から「双山」名義でこの『毛沢東思想論稿』が出版されたのである。その後、2003年に台湾・連結雑誌社と香港・新苗出版社から新版が出された。さらに、2018年になって、香港城市大学出版社によって『王凡西選集』(全三巻)が出版され、その第二巻に収録された。「このように、原著が書かれたのは中国で文化大革命が発動される以前であり、すでに六十年近い歳月を経ているにもかかわらず新版が発行されている。まさに本書が歴史のテストに耐え、現在においてもなおその輝きが失われていないことの証左であろう」(訳者あとがき)。
王凡西は、本書で「二種類の毛沢東思想、つまり『実際の毛沢東思想』と『党と国における毛沢東の地位を、常に完璧で、常に正しく、マルクス主義と同等かそれ以上の神のような高みに引き上げるために、人為的に作られた思想体系』としての毛沢東思想とを区別し」、毛沢東思想の真の姿を描き出そうとした。しかも、「毛沢東に関する一次資料は、中国を含めてどこの国でもほとんど自由に利用でき」ない時期に、「図書館もほとんどなく、学問的・知的生活もほとんどなかった」「王が入手できるものはさらに少なかった」マカオにおいて、そのことに挑戦し、見事に結実させたのである(引用は「英訳者の解説」による)。
『毛沢東思想論稿』初邦訳にいたるまで
このたび本書が邦訳されるに至ったのは、訳者によれば、グレガー・ベントンによる英語版の翻訳・出版(2021年7月)がきっかけとなったとのことである。英訳者のグレガー・ベントンは、中国現代史や共産主義反対派、中国トロツキズム、海外在住の中国人などについての多くの著書がある中国研究者で、一九七五年、王凡西が亡命先のマカオで中国当局に連行される危険に直面したとき、イギリスのリーズ(当時、ベントンはリーズ大学で教えていた)に彼を連れ出したメンバーの一人だった。「それから四半世紀の間、王と私は協力して、王、鄭超麟、陳独秀などの著書や論文を翻訳した」(英訳者による解説)。ベントンは王凡西のリーズでの生活や研究の両面において支援と共同作業を続けた。その意味では、英訳者としては唯一無二の存在だったと言えよう。
ベントンは、王凡西の本を英訳するにあたって、「半世紀以上も前に書かれた本を海外の出版社に出版するように説得するには、この本を縮めるのが唯一の方法だった」として、「原文の中国語よりも三分の一ほど短く」し、原著の一部を省略ないしは要約した。その際に「この本が書かれた当時(1960年代前半)の議論にのみ関係する、そのときだけと思われる部分を削除したり、短くし」たりして、「中国の読者にとってのみ興味深い言及を削除し、繰り返しの多い部分や不必要に詳細で長すぎる議論を省」いたと書いている(英訳版の翻訳にあたって)。
英語版出版のあと、2021年9月には、グレガー・ベントン、『香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ』の著者である區龍宇、アメリカのソリダリティやDSAのメンバーで在外中国人社会主義者のグループ「流傘」のメンバーでもあるプロミス・リーが参加した出版記念のシンポジウムがオンラインで開催された。このシンポジウムについては、いまでもYouTubeで閲覧可能である(「王凡西 毛沢東思想」で検索すると、不完全な日本語字幕のついた動画を見ることができる)。
訳者によれば、「日本語版では、逆に日本の読者にとって必要と思われる箇所を中国語版から訳出して、英語版の内容を補充している」とのことである。たとえば、日本の読者にとっては比較的なじみの深い故事成句や漢文的な表現が各所で見られるのはそのためであろう。
本編のうち、第八章「文芸政策と文芸創作」は、『魯迅とトロツキー』の著者である長堀祐造さん(慶應義塾大学名誉教授)が中国語版から翻訳したが、それ以外はベントンによる「解説」も含めて英語版から寺本勉さん(『エコロジー社会主義』『香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ』の訳者)が翻訳を担当した。また、王凡西による序言や付録(「プロレタリア文化大革命を論じる」「台湾革命問題に対するわれわれの立場」「毛沢東死後の中国」の3編が収録)などは稲垣豊さんが中国語テキストから邦訳した。この付録も非常に重要な論文であり、是非一読を勧めたい。
本書の構成
本書は、「訳者はしがき」、ベントンによる「日本語版への序文」と「英語版の翻訳にあたって」に続いて、王凡西『毛沢東思想論稿』の本編が「序言」「本論の前に」を含めて収録されている。その内容は以下のとおりである。
第一章 個人崇拝
第二章 毛沢東思想の源泉と構成要素
第三章 毛沢東思想と「毛沢東思想」
第四章 卓越した戦術家
第五章 凡庸な戦略家(その一) 新民主主義と永久革命
第六章 凡庸な戦略家(その二) 武装した革命と革命戦略
第七章 理論と実践
第八章 文芸政策と文芸創作
第九章 自力更生と「一国共産主義」
第十章 毛沢東の歴史的評価
このうちもっとも長く、王凡西の「文芸批評家としての傑出した眼力」が示されている第八章には、訳者の長堀祐造さんによる解説が付されていて、問題の所在について理解を深めることができるように配慮されている。
また、前述のように付録として3篇の論文が収録されるとともに、詳細な「英訳者による解説」によって、本書の全体像、王凡西の生涯、中国トロツキスト運動の歴史などが概観でき、読者にとってはこの「解説」から読み進めることもできるようにもなっている。さらに、「易姓革命か、民主革命か」と題した區龍宇の解説も付されているという豪華な内容である。
毛沢東思想の源泉は何か?
それでは、本書の内容について触れていこう。本書は、上述した構成を見てもわかるように、毛沢東と毛沢東思想について、さまざまな観点から分析をしており、その全体像を紹介するのは限られた紙面ではとても不可能である。王凡西の研究の素晴らしさ、多岐にわたる詳細な分析に触れるには、ぜひ本書を購入して読んでいただきたい。ここではその中から三つの観点をとりあげ、本書で示された論点を紹介したい。その三つの観点とは「毛沢東思想の源泉」「中国トロツキスト運動敗北の総括」、そして付録2で示された「台湾革命をめぐる問題」である。
まず「毛沢東思想の源泉」について見てみよう。王凡西は、毛沢東の思想的源泉を「儒教思想・遊侠精神・マルクス主義」の三つの要素に求め、その中でも儒教思想がもっとも根底にあると論じている。そして、毛沢東のマルクス主義理解は表面的なものであり、しかもそれはスターリンによって歪曲されたマルクス主義であったことを、毛沢東の有名な著作『矛盾論』『実践論』『文芸講話』の内容とそれにもとづく実践の分析を通じて具体的に明らかにしている。王凡西は、毛沢東の思想的成長の過程を詳細に検討し、その思想のもっとも奥深いところには少年・青年期に傾倒した儒教思想があることを指摘した。さらに毛沢東は、同じく少年期にむさぼり読んだ『水滸伝』『西遊記』などの通俗歴史小説から「富める者から奪って貧しい者を助け、声なき者のために声をあげ、暴君を懲らしめる」という遊侠精神を学びとって、それを革命戦争の中で実践に移したのである。
毛沢東にとってマルクス主義は3番目の構成要素だった。彼がマルクス主義を本格的・系統的に研究し始めたのは、実に1937年になってからのことであり、そのとき彼は44歳で共産主義者となってから17年が経過した後のことだった。この時期に研究を始めたのは、「抗日運動が本格化し、国民党が中国共産党に対する軍事的圧力を緩和した」ために、「理論研究に時間を割くことができた」からだった。そして、「彼が理論研究をおこなった直接の理由は、王明からの攻撃に対応するためだった」(英訳者による解説)のである。そして、毛沢東がマルクス主義を研究したのは、あくまでスターリンの著作を通してだった。したがって、彼は革命の戦術、とりわけ革命戦争における戦術においては、中国古来の兵法を現代的に応用した「卓越した」戦術家であったが、革命戦略の面ではスターリンとコミンテルンの戦略に従順に従う「凡庸な」戦略家にとどまったのである。
中国トロツキスト運動の敗北をどう考えるか?
中国革命の性格と中国トロツキスト運動の敗北については、第4インターナショナルの内部において、新中国成立以降さまざまな議論が重ねられてきた。中国革命の勝利(毛沢東率いる農民軍の全国的権力獲得)や「プロレタリア文化大革命」をめぐる第4インターナショナル内の論争については、『トロツキズムの史的展開』(湯浅赳男、三一書房、1969年)にその一端が明らかにされている。湯浅は王凡西については「毛沢東の中国を国家資本主義であるとして、その革命的意味を一切認めない」というシャハトマン(注2)的な立場をとったと書いているが、おそらく王凡西のその後の「転換」について知らなかった(知る機会がなかった)のだろう。
ベントンによれば、王凡西が本書を執筆した目的は「毛の勝利を説明することで、中国トロツキスト自身の敗北に光を当てることだった」。つまり、「毛沢東の偉大さを測り、彼の独創性と創造性を探求し、彼の弱点と失敗を批判することであった。しかし、王の分析は、公平で、目的を持ち、客観的である。彼の主な目的の一つは、トロツキズムの中心的な理論的仮定である永久革命論を擁護し、復活させることだった」(英訳者による解説)のである。
王凡西自身は、抗日戦争時(1938年)、陳独秀の発案にもとづいて、蒋介石と不仲だった将軍たちのもとで国民党軍に加わり、その駐留地域で農地改革を進め、その部隊の革命化をはかろうとした。それは挫折に終わったが、その後も少数のトロツキストが山東省と広東省において、小規模のゲリラ部隊を率いて戦ったが、日本軍、国民党軍、共産党軍からの攻撃によって粉砕されてしまったと言われる。
王凡西は、毛沢東率いる農民軍が、都市からの撤退、武装した農民とそれに依拠した地方政権、内戦における国民党に対する勝利を通じて全中国を解放したことは、「あらかじめ計画された戦略の結果ではなく、中国共産党の路線に反して、毛沢東自身の路線にすら反して実現したものだった」としながらも、その意義を高く評価していた。それに比して、中国トロツキスト運動は、正統的なマルクス主義の戦略(都市と労働者階級に依拠した革命)に固執したため、客観的な情勢の変化に対応できず、中国革命の進展に押しつぶされてしまう結果となった。さらに、活動家の多くが都市部で国民党軍に逮捕・投獄された結果として、本来は拡大させることができたかもしれない影響力を持つことができなかったのである。
台湾革命の展望をどう考えるか?
共産党大会の冒頭報告で、習近平は「祖国の完全統一は必ず実現しなければならず、必ず実現できる」「平和統一の実現を目指しているが決して武力行使の放棄は約束しない」と述べ、会場からの拍手が25秒間続いたと報じられた。この姿勢は、習近平に限らず、中国共産党の伝統的政策であり、そのときの情勢や指導部の傾向によってその濃淡が示されてきた。
本種の収録された付録「台湾革命問題に対するわれわれの立場」において、王凡西はこの中国共産党の台湾政策について次のようにその誤りを指摘している。少し長文になるが、引用してみよう。
台湾問題における中国共産党の誤りは、第一に、台湾の広範な民衆がもつ外来支配に反対する深い感情を否定し、そのような感情と、帝国主義に望みをかける台湾の少数の上層階層による右派「独立運動」とを同一視していることにある。次に、そもそも台湾民衆が自らの革命で台湾問題を解決しようとする可能性と展望を認めないことから、台湾人民が提起するいかなる要求に対しても完全に無理解で、理解しようともしないことである。
中国共産党が一貫して提起する「台湾は古来より中国の領土」「台湾人民は中国人民と血肉のつながった同胞」という二つのスローガンは、台湾人民の自決権や独立の要求を前にすると完全に無力である。それらは台湾の真の解放の手助けには全くならず、むしろ台湾民衆の地域的偏見を強化するだけであり、極右的一翼の台湾独立運動を手助けし、ひいては国民党による「革新的台湾防衛」という欺瞞の遂行を手助けすることになるだけである。
中国共産党はこれまでずっと、台湾問題が国民党と共産党の二党間の問題、あるいは米中の二国間の問題だと公言してきた。その意図するところは、台湾問題の解決には台湾民衆の革命を経る必要はない、さらには台湾人民の意見表明さえも必要なく、その運命は国共両党あるいは米中両国が決めるということである。
この立場は大変な誤りであり反動である。それはまさに(一部の台湾革命家の言うように)「大漢民族排外主義」であり、「形を変えた民族抑圧」である。
王凡西は、台湾革命はあくまで台湾人民の事業であること、中国共産党による「台湾統一」政策は台湾人民の自決権をまったく無視したものであることを疑問の余地なく暴露している。そして、台湾革命が「中国革命の継続であり、国家統一という革命の民主的課題の未完成の一部分である」と言えたとしても、「どのように革命を継続させ、どのようにこの課題を完成させることが、全中国および台湾の革命にとって有利になるのかということ」がより重要であると指摘する。
中国共産党の方法は、軍事的圧力を主軸にして、政治的な外交攻勢を補助として、台湾の領土と人民の祖国復帰を実現しようとするものである。このような外部からの、そして上から民衆の抑圧を解決する方法は、毛沢東主義者とスターリニストの一貫した立場である。その結果、たとえ占領した地域で大小さまざまな社会改革が実施されたとしても、現地民衆の真の革命は打撃を受け、それによって一種の極度に緊張した社会矛盾が生じることになる。このような事態は、中国共産党が解放した中国のかなりの地域において見られたものであり、とりわけ少数民族地区においてはより深刻であった。台湾では、前述のような特殊な「民族感情」ゆえに、もしこのように解放された場合、そこで生じる矛盾はきわめて大きな緊張をもたらすことになるだろう。
それゆえ、台湾の解放が中国革命全体にとって有利になるためには、台湾労働者と広範な民衆自身が立ち上がるようにしなければならない。中国大陸の革命的マルクス主義者の主要な任務は、さまざまな方面から、このような革命を手助けし促すことであり、そのような革命を外部の武力によって置き換えることではない。かれらは台湾の労働者農民によって提起される革命的要求すべてを支持しなければならない。そこには、提起されるであろう自決権の要求も含まれる。
と同時に、台湾革命の問題は「中国大陸の現存する政治体制をいかに改良するのかという視点で見る必要がある」と指摘し、「仮に台湾の労働者農民が徹底した革命を押し進めた場合、それは中国大陸の労働者農民を必ずや激励し、彼らをして反官僚政治革命に、そして下からの『文化大革命』に立ち上がらせるであろう」と予測する。「逆に、もし中国の武力によってのみ解放された場合、それは深く民族主義の泥沼に陥った北京の官僚支配を強化するだけだろう」。
王凡西が進歩的な台湾人学生らと共同でこの討論要綱を起草したのは1977年のことだったが、現在の習近平体制の台湾政策への的確な批判であり続けていることに驚かされる。そして、台湾人民の自決権と中国本土における民主主義的社会主義とがリンクしているという考え方は、香港と中国本土の関係についての區龍宇の見解に受け継がれている。
「習近平個人崇拝」は毛沢東崇拝の再来となりえるのか?
最後に、本書評の最初に提起した問題に立ち返ってみたい。つまり、習近平は毛沢東と匹敵する個人崇拝を確立できるのだろうか、言い換えれば「習近平個人崇拝」は毛沢東崇拝の再来となりえるのか、という問題である。
この点について、訳者はあとがきの中で「[習近平には]毛沢東ほどのカリスマ性(それは中国革命の勝利という事実に裏打ちされていた)はなく、党や政府機関を総動員した宣伝による『個人崇拝』や徹底して『異論』を封じ込める専制政治によって、自己の地位を保っているに過ぎない。つまり、習近平は毛沢東の『膝にも達しない』存在であり、たとえ共産党大会で三選を果たしたとしても、王凡西が毛沢東について指摘したように『倍の力や加速された速度で、歴史が彼個人や彼が打ち立てようとした制度に相応の懲罰を与えることになるだけだろう』(「プロレタリア文化大革命を論じる」)と述べている。
また、區龍宇も「易姓革命か、民主革命か」において、「毛沢東(の党)は国民党を打倒し、新しい官僚制度を作り上げたが、習近平は逆に、官僚制度の産物にすぎない。毛は街頭で官僚に反対する千万の学生による(欽定ではあったが)造反を発動する大胆さがあったが、習のネジを締めるような引き締め策は、官僚体制・国家システムを通じて毛派の学生連中を弾圧しているのであり、学生の街頭デモなど恐ろしくて発動などできようか。晩年の毛沢東は、ありとあらゆる愚かなことをやり尽くしたが、それでも人民がもう一度自分とともに井崗山に上ることを信じていた。人民の心と自分はつながっていると信じていたからだ。習近平に井崗山は存在しない。国家の無駄飯を貪る太鼓持ちどもによる大袈裟な仕掛けしか頼るべきものはない。人民はネット空間の中で日がな一日、彼をあざ笑っているのだから。習近平はあらゆることについて毛沢東を真似ようとしているようだ。私はこれを見て、ナポレオン・ボナパルトは巨人であったが、ナポレオン三世は小ナポレオンに過ぎないと記したヴィクトル・ユーゴーの言葉を思い出した」と書いている。これがこの問題についての結論である。 (O)
(注1)楼国華は、1927年に中国共産党に入党し、その後トロツキストとなって、中国共産党左翼反対派に加わったが、蒋介石の政治警察に逮捕・投獄された。1949年、香港にわたり、信達出版社を設立し、王凡西の著作などを出版した。革馬盟[革命的マルクス主義同盟]に結集した青年の一部は、楼国華の影響を受けてトロツキストとなった。楼国華自身も革馬盟の指導者の一人だった。また、魯迅の研究家としても知られる。(本書訳注による)
(注2)マックス・シャハトマンは、国際左翼反対派の結成に参加したトロツキストで、アメリカSWP(社会主義労働者党)の指導者だったが、ソ連の評価をめぐってトロツキーとは異なり「官僚制集産主義」を唱えた。1940年にアメリカ労働者党を結成して、第4インターナショナルから分裂した。のちにアメリカ社会党に合流し、右翼的立場に転じた。



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