読書案内 高橋寿臣遺稿集『全共闘から反天皇制運動へ』

同時代を行動してきたプロセス振り返る

落合ボックス/1000円

 ここで紹介する「高橋寿臣遺稿集『全共闘から反天皇運動へ』」は、「靖國問題研究会」からはじめて、反天皇制運動・反靖国行動の中心的活動家となった高橋寿臣(たかはし としおみ)の主要な文章を集めたものだ。
 パンフレットをまとめる中心的努力は、高橋と同時代の活動家として1960年代後半のベトナム反戦運動や学生運動=全共闘運動を担った反天皇制運動連絡会(反天連)の天野恵一によるものだ。
 一年浪人して1968年に大学生となった私も、高橋や天野と全くの同時代人であり、同じ空気を吸ってきた活動家として高橋らとの協働については、ほとんど何の違和感もなかった。私が高橋と一緒に話したり行動するようになったのは、「昭和代替わり」を前後して「反天皇制」の闘いに関わるようになってからだ。
 本当ならば、相互の違いということについて、もっと突き合わせて論議すべきなのだと思うが、今となってはそれもできない相談になってしまった。

共同の体験と
異なった道
 高橋は1949年1月1日の正月元日に愛知県の実家で生まれるという「めでたい人生」を開始し、2019年4月1日のエイプリル・フール当日に東京のプールに付属したサウナで「突然死」する、という因縁深い生涯を終えた。
 彼の活動歴は、東京教育大学に入学した1967年から始まる。彼は東京教育大学では少数派だった中核派の隊列に加わった。たしか当時の東京教育大学学生自治会執行部の多数派は構造改革最左派と言われた共学同=共産主義学生同盟のグループだったはずだ。同グループに大きな影響を与えていたのは、ラディカルな政治学者の中村丈夫さんだった。その中で、高橋さんたちの位置は独自のものであったに違いない。
 彼は70年安保に向けた闘いについて、こう語っている。「六〇年安保が、『条約の改定』『議会での攻防』をめぐって闘われたものであるのに対し、七〇年闘争は、七〇年(条約の改定があるのかどうかわからない中で)以前からの闘いとして、いわば、安保の諸実態(基地、弾薬庫、野戦病院等そのものに対する攻勢的闘いとして展開された点がまず確認されなければならない。それはベトナム反戦としての反安保闘争であった」
 「七〇年安保闘争は、六〇年の『戦争巻き込まれ=日本人被害者論』ではなく、ベトナム民衆・アジア民衆に対して加害者として日本人が存在しているという視点をふまえて闘われた。そしてそういう日本人=自己のあり方をもたらすものとしての『安保』『自国国家』と闘うことによって、アジア・第三世界民衆と連帯しうる、とする点も強調された。これらの視点は同時期に全国的に闘われた大学闘争において、『大学』および『学生存在』の特権性・体制護持機関としての本質を明確にし、その『否定』を主張していった視点に通じるものである」。
 「七一年、沖縄返還協定の調印・批准をめぐる闘いを最後の『頂点』として、七〇年安保=沖縄闘争は『終息』する。七二年初頭の『連合赤軍事件』は、七〇年代―八〇年代反安保闘争の散発化・不在がもたらされるのである」。

世界の変化を
どう捉えたか
 高橋は次のように述べている。
 「七〇年代反安保闘争は、七二年相模原戦車輸送阻止闘争など部分的な高揚も示したが、全体として後退―個別分散化していく。七二年沖縄返還と、七五年ベトナム戦争終結によって(問題は残されているにもかかわらず)直接的な『目標』が見えなくなっていったことが、その『後退』の大きな要因ではあろう。しかしもう一方で運動主体の側の問題点もはっきりさせておかなければならない」。
 このように語った高橋はさらに述べる。「『加害者としての自覚』や『差別者としての自覚』は『血債の思想』となり、他者を非難・裁断するのみの『倫理』の言葉に転化する。運動主体の新たな自己絶対化が進行していく。権力との攻防で一定の『限界』『挫折』が感じられた時、そういった傾向は、最悪の形での主体相互の抗争をひきおこしていったのだ。いくつかの留保点はあるものの、いわゆる『内ゲバ』や『連合赤軍』の『悲劇』は、これらの『自己絶対化』『独善』『他者への押し付け、断罪』という思想、作風に根拠があることは確かであろう」。
 このような形での、「加害者としての自覚」の論理が、逆の意味での「自己絶対化」に転化するという危険性、つまりそれが「自己肯定」に居直る問題点にこそ注意しなければならない、と私も思っていた。私はその意味で「自己否定」論の清算ではなく、ましてや安易な「自己回復」でもなく、自己はあくまでも今の自己であって、それ以外のものになりようはない、と考えていたのだろう。また「革命」とは、自己回復などとは全く別のプロセスであって、安易に一体化させるようなものではないと考えていたのかもしれない。多分そうなのだと思う。
 もう一つ歴史観の問題として、高橋は「七五年ベトナム戦争終結」によって、反戦運動にとっての「目標が見えなくなっていった」と述べているが、おそらくこの点も私たちとかなり違っていた歴史観だった。
 私たちは、一九七五年のベトナムにおける解放民族戦線の勝利を「ベトナム革命の完全勝利」と捉え、帝国主義のインドシナにおける敗北を、新たな歴史的勝利の時代の幕開けと規定した。当時のこうした私たちの評価が現実化することはなかった。私たちが強調した「ベトナム・インドシナ革命の完全勝利」は、「新自由主義」の下での帝国主義のイニシアティブによって、世界の組み替えが進行していく重要な転換点だったのだと思う。それが鮮明に現実化したのは、1988年から1991年にかけて進行したスターリニズム「共産党支配」の一党独裁体制の崩壊であった。

これからの道
どう歩むのか
 このプロセスをどう評価していくかは、この文章のテーマではない。
 しかし別の意味で、「スターリニズム官僚支配体制」の解体とグローバルな新自由主義ヘゲモニーの拡大、「社会主義・共産主義イデオロギー」の急速な衰退の現実は、改めて新自由主義的資本主義のイニシアティブに抗する「変革と解放」への共同戦線を、どのように形成していこうとするのかの意識的な方向付けを不可避とするだろう。
 そして私も亡くなった高橋とともに、その困難な道を共に歩んでいきたいと考えていたことは確かだ。
 全共闘運動、そして非正規の教育労働組合運動、それと並行した形で彼の「ライフワーク」となった反靖国・反天皇制の運動の中で、彼がもっとも「こだわった」ことは何だったのだろうか、それを共有しようとすることは今となってはむずかしい。
 私自身も、全共闘運動を経て「反天皇制」運動へのこだわりを持ち続けてきた一人であることは間違いない。「反天皇制・反靖国」という切り口は、これからの政治・社会変革にとって決して「過去」の問題ではない、ということについて改めて語りたい。  (純)

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