読書案内「2030半導体の地政学」

投稿 読書案内 太田泰彦/日本経済新聞出版2021年/1980円+税

台湾の巨大企業TSMC

 「TSMCは技術力でも規模でも、世界のどのファウンドリーが逆立ちしてもかなわない怪物のような巨大企業だ。エヌビディア、クアルコムなどの米国の大手をはじめ、世界のほとんどの半導体メーカーが製造を委託し、TSMCの生産力なくしては製品を市場に送り出せない」「下請け企業として、メーカーから製造を請け負うのではない。むしろ世界の半導体メーカーがTSMCに依存しているのだ」。
 「TSMC」とは台湾積体電路製造。従業員6万人超、2021年の売上高は568億米ドル。企業価値(時価総額)はトヨタ自動車の2倍。「ファンドリー」とは半導体チップを生産する工場のこと(foundry、原義は「鋳造所」)。2020年にはTSMCが、ファンドリーの分野で世界市場の60%を占めた(2位のサムスン電子が13%)。
 アメリカにもファンドリー企業はある。しかしTSMCとは歴然たる技術力の差があるという。TSMCは2022年に、3ナノ製品の量産を開始した(1nm、ナノメートルは1メートルの10億分の1)。アメリカ最大手のファンドリーであるグローバルファンドリーズは、5ナノや3ナノの開発を停止し、半ば開発競争から脱落している。最先端の半導体チップの「設計図」を書く有力企業はあるが、それを国内で製造できないのだ。
 半導体は、「サプライチェーンが長い」といわれる。研究開発から設計、製造まで、設計ソフトや製造装置の製造も含めて、まさにグローバルな「水平分業」の網の目が張り巡らされている。アメリカはその「サプライチェーン」の核心部分が、国内に欠落していることに気づいた。

米欧日の中国封じ込め

 「2020年5月15日。トランプ政権は決定的な作戦に打って出た。米国製の機器やソフトを使って製造した半導体をファーウェイに輸出することを禁じ、この措置を外国企業にも適用したのだ。この新たな規制によって、台湾のTSMCは中国のハイシリコンにチップを供給することができなくなった。TSMCは米国製の半導体製造装置を使い、設計ソフトも多用しているからだ。米政府はファーウェイの生命線が台湾海峡にあることを見抜き、これを断つことでファーウェイの首を締め上げた」。
 「ハイシリコン」はファーウェイの子会社で半導体メーカー。開発・設計に特化し、TSMCに製造を委託していた。通信機器メーカーであるファーウェイはその半導体を使って、高速通信規格「5G」の世界市場でトップ企業となった。この分野では上位5社の中に中国企業が2社入り、世界市場の半分近くを占める。
 著者は言う。「半導体の視点からファーウェイ問題を眺めると、米中対立の真相が見えてくる」「通信は経済や軍事の生命線である。ここを中国に支配されれば、世界の覇権を中国に奪われかねない。ファーウェイの背後に中国政府がいる」。
 バイデンはトランプの政策を引き継ぎ、さらに推進する。半導体分野の覇権、つまり経済と軍事の覇権を取り戻したいアメリカが選択したのは、第一に、台湾を防衛する軍事的な中国包囲網を、同盟国とともに最大限強化することだ。クアッド(日米豪印)の共同軍事演習、イギリス空母の横須賀寄港、ドイツ海軍フリゲート艦の南シナ海への展開、そして岸田政権による安保関連三文書の閣議決定と戦争準備は、すべてこの文脈の中にある。
 著者は断言する。「大国間で台湾の争奪戦が起きているのは、半導体バリューチェーンの地図の上で台湾が最重要の要衝であるからに他ならない」「世界最強の半導体製造力がある台湾を手中に収め、バリューチェーンを制した大国が世界の覇権を握る」。
 アメリカの選択は、第二に、TSMCの工場をアメリカ国内(アリゾナ)に誘致して、サプライチェーンを国内で完結しうるものにすることだ。2020年5月、TSMCはアリゾナに工場を建設する計画を発表した。「米国での工場建設は台湾より2~3倍のコストがかかるとされ、その差を補助金で埋めてもらわない限り、TSMCの事業は成り立たない」。民間企業の選択としては全く合理性に欠ける。しかしアメリカは、台湾政府とTSMCに圧力をかけ、莫大な補助金を条件に、工場建設を承認させたのである。サプライチェーンをアメリカ国内に集約し、さらに中国の半導体産業への「禁輸リスト」を作って輸出規制を強化する。
 「ただし、ここには落とし穴がある」と著者は言う。「中国の半導体自給率が高まるにつれて制裁の効果は薄まり、逆に中国企業の自立的な研究開発を後押しするという副作用が顕在化する」。予想通り、中国の国策ファンドリーである中芯国際集積電路製造は2022年、7ナノのチップの開発に成功し、TSMCとサムスン電子に次ぐ地位を占めた。

「台湾危機」の本質


 著者は言う。「サプライチェーンの要である台湾を実質的に支配したいところだが、台湾に侵攻する政治的リスクは中国にとって大きすぎる。自ら進んで攻撃を仕掛けるシナリオに現時点で合理性はない。だが、台湾からの半導体の供給に再び道を開くためには、台湾と米国に圧力をかけ続けなければならない。中国は〈その気になれば台湾を実効支配できる〉という状況を作り出し、軍事的な脅威として認識させようとするはずだ」。中国は、台湾を内側に囲い込んだ東シナ海と南シナ海での「制海権の確保」をめざしている。
 2050年の世界半導体市場は、8622億~1兆123億ドル(100兆円以上)になると予測されている。半導体を大量に必要としている企業は、グーグル、アマゾンなどのGAFA、トヨタ、テスラ、アップル、マイクロソフトなどの巨大企業だ。半導体は今世紀の戦略物資であり、ここに並べた企業名を見るだけでも、その死活的重要性がわかる。
台湾をめぐる米中対立は、決して「民主主義と独裁」の戦いではない、ということをこの本は教えてくれる。著者が「序章」にさらりと書き込んだ一文は、背筋に悪寒を感じることなく読むことができない。「2030年には、AIチップを搭載したロボット兵器やドローンが当たり前のように配備される」。そんな近未来がすぐそこまで来ている。    (西島志朗)

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