『私たちと戦後責任―日本の歴史認識を問う』

読書案内 

宇田川幸大 著(岩波ブックレット、2023年2月、570円+税)

 「欧米中心で進められた東京裁判では、満州事変以後の戦争への反省はあっても、それ以前の戦争や植民地支配は軽視された」。
 4月8日の「朝日新聞」書評の早稲田大学教授の藤野裕子のこの一文が本書を入手のきっかけだ。今年は関東大震災から100年、軍部や警察の一部と住民で組織されたいわゆる自警団による朝鮮人・中国人や聴覚や発話に障害がある日本人が殺害された事件の史料を集めはじめていたからだ。
 「歴代の天皇の名を言ってみろ」「君が代を歌ってみろ」と問われても、聴覚に障害があれば答えられない。「ジュウエンゴジュッセンと言ってみろ」と問われ、きつ音をもつ人が答えれば危害に及んだ。関東大震災に触れた記述はないし、現代進行中のウクライナや東アジア情勢への直接の言及はないが、いま読まないと悔しい思いをする本だろう。「諸先輩方」には旧知の内容かもしれないが、1980年代生まれの探求は、インターセクショナリズムな趣きを感じさせる。
 中央大学准教授である著者の宇田川は本書のあとがきに「戦後日本の歴史認識の特徴と問題点」として次の3つをあげる。「第一に、戦後日本の政治と社会は、自ら戦争責任や植民地支配責任を問うという意識が、かなり弱かった」「第二に、近代日本の戦争や植民地支配について、もっぱら満州事変以降のできごとが問題とされ、それ以前の戦争や暴力についてはあまり認識されてこなかった」「第三に、戦後処理に関する基本的な事実関係が、戦後日本では早々に忘却されていきました」と記す。

東京裁判は帝国主義植民地主義前提
 第1章の「占領政策と日本」では、まず東京裁判をとりあげる。「水面下で免責されていた人物や戦争犯罪が存在……。アメリカ側は……昭和天皇を免責し、利用していく道を選び……日本軍の毒ガス戦や細菌戦も免責」などを指弾。その結果、「戦争と科学」「戦争と倫理」といった論点が、審理から欠落していったと問題視する。東京裁判が「欧米諸国を中心とする、帝国主義・植民地主義を前提とした裁き」、戦争犯罪の追及は、①白人捕虜、②白人民間人、③アジア人住民、④論点にすらしなかった植民地支配という「序列」を前提に進められた。「②と③の間の落差は果てしなく大きい」とし、「帝国主義間の合作裁判」と性格づける。
 この「序列」はサンフランシスコ平和条約にも引き継がれ、連合国捕虜への金銭賠償は認める一方でアジアへの賠償は認めなかった。「内容に失望したビルマとインドは会議に欠席」「フィリピンも条約に調印したものの批准は先送り」「インドネシアも条約批准を無期延期」。中国は「二つの政府……の正当性をめぐって対立が生じたため、会議には呼ばれませんでした」。
 朝鮮の植民地支配については「大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国のいずれの代表も招聘され」ず、その理由は、①在日朝鮮人などが補償の権利を象徴することへの日本側の「危惧」、②日本の植民地統治の合法性が否定されると欧米の植民地統治を否定する議論にもつながるためだと書かれている。そして「日清戦争や日露戦争を無批判に肯定する考え方が、占領期の段階から日本政治にみられた」「植民地支配をの根深さを理解するための、重要な『前提』が欠落していたことが示唆されます」とこの章を締めくくる。

世論調査から
戦後責任を論じ
 第2章の「高度成長と遠のく記憶」では、国会審議や新聞社などによる世論調査から戦後責任を論じている。1953年の国会審議で中曽根康弘衆院議員(改進党)と緒方竹虎副総理(自由党)の質疑を例に、「満州事変以降の戦争をもっぱら問題とし、それ以前の戦争や植民地支配の開始などについてはほとんど問わないという姿勢は、占領期や一九五〇年代に限ったことではなく、日本の戦後史全体にみられる傾向」だとする。
 1957年2月に岸信介首相臨時代理が戦犯容疑者として問われた。58年4月に日本社会党が岸内閣の不信任案を提出し、趣旨説明で「大東亜戦争の最高の責任者の一人」と論じた直後、「古いことを言うな」という野次が飛んだことを議事録から紹介している。

金学順さんの
  証言を紹介
 第3章「あらためて問われる日本の歴史認識」では、1982年にはじまる「教科書問題」、93年発足の細川連立政権による「侵略行為」への「反省」という政府レベルの変化、「米ソ冷戦の終結やアジア諸国の民主化」に伴った変化が記述されている。被害者たちの日本に対する追及の声として元日本軍「慰安婦」の金学順(キムハクスン)さんの証言を紹介し、次のことを念頭に置く必要があるとつづける。
 ……心に大きな苦痛を残す戦争や暴力は、その記憶と向き合い、語るだけでも相当な負担を伴います。政治や国際問題の変化だけではなく、戦争や暴力を語るのには大きな負担と時間がかかる、ということを念頭に置く必要があります。

「自国中心の
平和主義」
 第4章「戦後修正主義と歴史認識」で、副題に「記憶の忘却と棚上げにする責任」を付し、戦争体験者が少数派になり、「自国中心の平和主義」が多数派になり、記憶の継承や戦争観がはらむ問題点を記述し、朝日新聞が2006年4月に行った次の世論調査を例示する。
 質問「過去の戦争について次の世代にどのような点を一番伝えたいと思うか」に対し次の2つの紹介。
 回答「国民が被害を受けたこと」が全体の三二%を占め最多……。
 回答「周辺国に被害を与えたこと」を挙げたものは全体の一一%……。
 質問「昭和二〇年に終わった戦争」について、どんな戦争だったと思うか……。
 回答「侵略戦争だった」(三一%)、「自衛戦争だった」(七%)、「両方の面がある」(四五%)、「よく知らない」(一五%)……。これらの結果について、宇田川は次のように評価する。
 ……「両方の面がある」が多数派を形成しているという事実からは、侵略戦争だったと明言することに対して、抵抗感をもつ人びとが存在していることを示唆……。
 終章の4章はさいごに、2015年8月の安倍談話の問題点を整理し、戦後日本(社会)が安倍と同様の認識と欠落を持っており、「安倍談話を検証することは、私たち戦後日本の歴史認識を検証することに他ならないのです」と締めくくる。

「戦争被害者」
にも「序列」
 さいごに、先述したあとがきにつづく記述などを紹介する。
 ……満州事変以前の戦争や暴力をあまり論じないというあり方は、帝国日本の「民衆の序列」をみえにくくします。沖縄、アイヌ、ウィルタ、チャモロ、朝鮮、台湾など、帝国日本の「序列」の中で、元々差別や抑圧にさらされていた人びとが戦争に動員され、ここでも不条理や犠牲を強いられたという事実は、戦後日本政治と社会ではあまり認識されてていません。
 宇田川は東京大空襲の体験者である大石弘子さん次の新聞記事を紹介し、自身の抱負で締めくくる。
 ……世界地図をみなさい。本を読みなさい。どんなふうに人が生きてきて、物事がどんなふうに起きたのか、意味を問いなさい。知らなければ判断できないでしょう(『東京新聞』二〇二二年八月二八日付朝刊)。本書には書かれてはいないが、日本の「戦争被害者」にも「序列」がある。戦死者家族や戦傷者への補償がある一方、民間の戦争犠牲者家族や被害者への補償は行われてはいない。このことを思い起こさせるためにこの新聞記事を紹介したのだろうか。日本現代史研究者・宇田川からのメッセージの一つとして受けとめたい。
    (5月29日 KJ) 

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