「心的外傷と回復」〈増補版〉
ジュディス・L・ハーマン著/中井久夫訳(みすず書房)/7480円
読書案内 伊井未来
以下は印刷されたものではなく、「かけはしHP用」として、長い文章になっています。
【かけはしHP用】
近年改めてPTSDについて言及される機会が多くなっている。着目されている内容の一つであると思われる。日々苛酷な状況にあるロシア―ウクライナ戦争においてもそうである。
著者はアメリカの精神科医である。彼女の著作、論文は他に特に目にしたことはない。本書と出会ったのは、福祉現場である職場での学習会の中で紹介を受けたことによる。本書は対人援助職向けの文献においても言及されることも少なくない。もっと以前に早くに出会っていれば、もっと違った見方や関わりができたかもしれないという思いを強く抱く。
重たいテーマであり、取り上げられている事例は非常に厳しいものであるが、多くの学ぶべき内容を含んでいる。学ぶ中で得られたこと、気づいたことを少しづつ積み上げていくことができればと思う。
専門的な内容、専門用語を含む内容のところは理解の限界もあり、踏み込んで触れるまでには至っていない。基本的にはまず本書の内容に沿って概要を示すことで共有を図ることを本稿の目的としたい。その上で、最後に筆者(私)の思ったところ、論点となるところについて提示できればと思う。
まず『謝辞』において、著者は、「本書はその生命を女性解放運動に負うものである」とし、本書の知的源泉は、フェミニスト・プロジェクトにあるとしている。そして、「「母の心理学的洞察」と、知的大胆と品位と、苦しむ者と抑圧された者への共感と、正義の怒りと政治的ヴィジョンとは「私が受け継ぐべき遺産」である」と述べている。
次に、『序』においては、本書は何よりもつながりを取り戻すためのものであることを明確にしている。「残虐行為への通常人の反応はこれを意識から排除することである。…これは「口に出せない…」という言葉の意味である」「外傷をこうむった人の心理学的症状は、口に出せない秘密が存在することに注意を向けさせると同時に注意をそれから外らせるという二重の動きをする」「心理学的外傷の研究の歴史は「地下水道的」であり、…心理学的外傷の理解は過去の再発見から始まる」としている。「『心的外傷と回復』は性的および家族的暴力の被害者を相手とする臨床および研究の二十年間の果実である。…多数の他種の外傷を受けた人々、特に戦闘参加帰還兵と政治テロの犠牲者を相手とする経験の集積が増大していることを反映している」「公的世界と私的世界と、個人と社会と、男性と女性とのつながりを取り戻す本」であるとしている。本書は、レイプ後生存者と戦闘参加帰還兵との、被殴打女性と政治犯と、多数の民族を支配した暴君が生み出した強制収容所の生存者と自己の家庭を支配する暴君が生み出す隠れた小強制収容所の生存者との共通点についての本であり、外傷後生存者の証言に拠っているとされる。
「本書は性生活および家庭生活の日常的な残虐行為が女性運動によって公然と論議されるようになった時期、そして人権運動によって政治的生活の日常的な残虐行為が公然と論議されるようになった時期に世に出る」とし、「われわれすべてを「口に出せないもの」にもう少し近づいて直面させてくれる言語を発見しようと試みた」とある。改めてどんなに困難な状況にあろうとも、言葉にしていくことの重要性、大切さを思う。そして、何よりもつながりを創りだしていくことが大事であると思う。
その点から性差別に関わる自分自身、あるいは私たちの取り組みはどうであったか改めて問い直すことが求められる。性差別、社会運動、左派の運動の中においての心的外傷、一言ではいいあらわせないほどの傷つき…。もちろんそれが本質的には、資本主義の体制、社会にある矛盾が色濃く反映されたものであるにしても、そのふりかえりを余儀なくされるし、今一度自己をふり返るという意味においても有効性を持つと思われる。
本書は第一部の心的外傷についての概説部分と、第二部の心的外傷からの回復の過程を示した内容との2部構成からなる。特に回復の過程について明確に示したことが大きな功績としてあり、本書が支持され、読み継がれているゆえんであると思われる。精神保健福祉領域での心的外傷の理解に関わる必須文献としてまず挙げられる。本書の解説によれば、一般にも読まれているとあるが、とはいえ大書であり、基本的性格としては精神医学の専門書であり、そう簡単に読みこなせるものではない。ここでは筆者自身の力量不足もあり、各章ごとに特に印象に残ったところについて紹介する形にて、少しでも役に立つことができることを願う。なお、本書は2023年1月にNHKの番組「100分de名著」にて琉球大学の上間陽子さんによって紹介され、また、同番組のテキストとして「別冊NHK100分de名著フェミニズム」(2023年7月30日発行NHK出版)においても紹介されている。
では、各章ごとに大まかにその内容を追っていきたい。
第一部 心的外傷障害
第一章 歴史は心的外傷をくり返し忘れてきた
「心的外傷を研究することは、自然界における人間の脆さはかなさを目をそむけずに見つめることであると同時に、人間の本性の中にある、悪をやってのける力と対決することである」「被害者となった人たち」は、「忘れようと願っても忘れることができない人たち」であり、また反対の側には、忘れたいとはげしく願い、うまく忘れることができた人たちがいる。「加害者は忘れるのに役立つものならできる限り何でもやる。秘密を守らせ口をつぐませることは加害者の第一防衛線である」とある。
加害者が権力者であればあるほど、現実に都合のよい名を与え、事実はこうだと決めつける主導権は大きく、その論法がまかり通ってしまう。心的外傷の研究には、被害者の発言の信頼性をくつがえし被害者を消し去ろうとする傾向性とのたえざる戦いとなる必然性があるとされる。
「政治的運動が、通常の黙らせ否認させる社会的過程に逆らって立ち、患者と研究者との連帯を正しいものとすることができるだけの強さがあってはじめて、この分野において進歩がありうる。」とある。
心的外傷の研究は、「ヒステリー」についての研究、砲弾ショックと戦闘神経症についての研究、性的暴力と家庭内暴力であり、この三つを一つにしたものとある。その政治的な流れは西欧と北アメリカにおけるフェミニスト運動であるとされる。
そして以下にて、「ヒステリー」に関わる研究の流れについて著者の見解が述べられている。筆者には、本内容での指摘について、推し量り検証する力を持ち得ていない中で、ここでは簡単に触れるにとどめておきたい。
「ヒステリー」という名称は子宮を意味するギリシャ語「ヒュステロン」に由来する。今日での診断分類においては用いられてはいない。シャルコー、ジャネ、フロイトらの「ヒステリー」についての先行研究についてレビューする中で、フロイトが政治的信条と学者的出世願望によって、「心理的外傷の研究と女性のどちらからも手を引いてしまった」と論じている。
次に、心的外傷が実在していることを、第一次世界大戦という破局によってもう一度思い知らされることとなる。戦争によって傷ついた多くのものの中には男性的名誉と戦場における栄光という幻影があったとされる。「兵士たちは金切り声を挙げ、すすり泣いた。抑えることはできなかった。金縛りとなり身動き一つできなくなった。無言、無反応となった。記憶を失い、感じる力を失った。」そして、神経障害を「シェルショック(砲弾ショック)」と命名した。いかなる人間も銃火の下に置かれた時には神経症的破綻を起こしうるものであることが認知された。
「“戦闘状態に馴れる”という」ことはなく、戦闘の一瞬一瞬が非常に大きなストレス源となった。戦闘の長期的心理効果の大規模な研究が企てられるようになったのはようやくベトナム戦争後である。ベトナム帰還兵たちは戦争の外傷的体験を再話し再体験した。反戦運動の道徳的正当性と国民的支持のない戦争における敗北という国民的体験とによって、心理学的外傷が戦争の長期的で不可避的な後遺症であるという認識が可能となった。
1980年、史上はじめて、心理学的外傷に特徴的な症候群が「現実の」診断名となった。この年、アメリカ精神医学会は精神障害についての公式マニュアルを発刊し、「外傷後ストレス障害」(PTSD)という新しいカテゴリーを加えたとされる。外傷性障害にかんする大量の知見の発展を導いたものは戦闘参加帰還兵の研究であった。
1970年代に女性解放運動が興るまで、もっとも頻度の多い外傷後障害は戦争における男性のものであって、市民生活における女性のものであるという認識はなかった。フェミニスト運動は性的襲撃のインパクトを理解する新しい言語を提出した。史上はじめてレイプを公的な場面で論じる場に加わって、レイプとは残虐行為であり、フェミニストたちは定義を改めてレイプを性行為の一種ではなく、暴力犯罪の一種であるとした。フェミニストはまたレイプに、恐怖をとおして女性の従属を強いる政治的策略の手段であるという新しい規定を下した。
レイプ被害の研究の中で、女性たちがレイプを生命の危険を覚える事件として体験していることに注目し、また、レイプ後の余波期において、被害者が睡眠障害、吐き気、驚愕反応そして悪夢を訴え、また解離性症候群あるいは無感覚症候群を訴えることを強調している。
1980年以降になって、ベトナム戦争中からの帰還兵の努力によって「外傷後ストレス障害」概念が公認されるようになってから、ようやく、レイプ、家庭内暴力、近親姦後生存者たち(それらの経験者)にみられる心理学的症候群も戦争の生存者たち(戦争体験者)にみられる症候群と本質的に同一であることが明らかとなった。レイプ被害者、被殴打女性、性的被虐待児は戦死傷者であるとしている。ここでは著者は、「ヒステリー」は性の戦争における戦闘神経症であり、女性の「ヒステリー」と男性の戦闘神経症とは同じ一つのものであるととらえており、このように病いが共通であることを認識すれば、「戦争と政治という公的世界すなわち男性の世界と家庭生活という私的世界すなわち女性の世界とを分かつ深淵を越すことも、時にはできるのであるまいか」としている。政治運動の支えなしに心的外傷の研究が推し進められたことはかつてなかったとされる。
第二章 恐怖
心的外傷とは権力を持たない者が苦しむものであり、外傷を受ける時点においては、被害者は圧倒的な外力によって無力化、孤立無援化される。外力が自然の力である時、それは災害であり、自分以外の人間の力である時、残虐行為であるとする。
外傷後ストレス障害の症状を「過覚醒」「侵入」「狭窄」の三つに分け、「過覚醒」は長期間にわたって危険に備えていたことを反映し、「侵入」は心的外傷を受けた刹那の消せない刻印を反映し、「狭窄」は屈服による無感覚反応を反映するとしている。
過覚醒状態は、外傷後ストレス障害の第一の症状であり、些細なことで驚愕し、些細な挑発にも苛立たしく反応し、睡眠の質が下るとされる。彼らの身体はつねに危険に対する警戒状態にある。
覚醒度の高進は覚醒状態だけでなく睡眠中にも残り、さまざまな睡眠障害の原因となる。外傷をこうむった人はその事件を何度も再体験する。ベトナム戦争の戦闘参加帰還兵の外傷性記憶による語りとして以下のことが紹介されている。「私は白い片腕の骨が目に浮ぶ。私は皮膚の一片が目に浮ぶ。…腸の一部にちがいない。おぞましい光景はいつまでも私といっしょである。…」
人間は、完全に無力化され、いかなる形の抵抗も無駄である時には「降伏」の状態に陥るはずとされ、凍りついたような不動状態になることがあるのがそれであり、捕まった餌食が捕食者に対してとる態度であり、戦闘における敗者がとる姿勢であるとされる。
別のレイプ後を生きる人のことばをかりれば、「私は叫び声を立てられなかった。身動きできなかった。私は麻痺させられた。…」とある。こうした意識の変化が、外傷後ストレス障害の主要症状の第三である狭窄すなわちマヒの中心にある。
事件のあと長時間、外傷を受けた人間の多くは自分の一部が死んだと感じる。もっとも深く傷ついた人たちは死にたいと願う。恐怖、怒り、そして外傷の瞬間の憎しみは外傷の弁証法の中に生き続けているとしている。
第三章 離断
外傷的事件は、家族愛、友情、恋愛そして地域社会とのつながりを引き裂く。被害者を生か死かの危機に投げ入れる。世界の中にいて安全であるという感覚、すなわち〈基本的信頼〉は人生の最初期において最初にケアしてくれている人との関係の中で得られるものである。人生そのものと同時に発生するこの信頼感はライフサイクルの全体を通じてその人を支えつづける。
ケアしてくれる人たちとの安全な結合感覚が人格発達の基盤である。この結合が粉砕される時、外傷を受けた人はその基本的自己感覚を喪失する。レイプが与える打撃において、罪悪感を覚えるのは加害者ではなく被害者であるとされる。罪悪感が特に激烈となるのは、特に死の目撃者となった時であり、自分はまぬがれたということは意識にとって大変な重荷であるとされる。
生命を賭して自分以外の人を救おうとしなかったこと、あるいは死に行く人たちの求めに応じ切れなかったことに罪の意識を抱く。戦闘において戦友の死を目撃する兵士は特にPTSDのリスクが大きい。無惨な死あるいは残虐行為に積極的に加わった場合にも同様とされる。
ベトナム戦争において兵士たちの士気が深刻に解体したのは、戦闘での勝利の目標がありえなくなり、成功の基準が死体の数となった時とされる。残虐行為に加わった兵士のすべてに戦争終結後十年以上経過した時点でもPTSDがあるとされる。患者がもっとも度を失したのは味方に捨てられたと思ったことを打ち明けた時であり、自分が消耗品にすぎないことにぞっとし、救助側が生命を尊重しなかったことのほうが、水兵たちの死よりもさらに外傷的であるとされる。つまり、仲間の助けを得られなかったことの方がより外傷的であるとしている。
こころの傷がどうなるかを決める、もっとも強力な決定因子は外傷的事件のあり方それ自体であり、個々人の性格の差など物の数ではないとする。非常に激しい外傷への被曝に対して免疫を持っている人などはいない。レイプの本質は個人を身体的、心理的、社会的に犯すことである。二人として全く同じ反応を呈する人はいないとする。PTSDを発症しなかったベトナム帰還兵10人の研究によれば、意識的に自分の冷静さ、判断力、自分以外の人たちとのつながり、倫理的価値を保つことに集中し、はげしい乱戦状態においても変わらなかった人たちであるとされる。戦争に対して、何とか生き抜こうというものであり、恐怖に打ち克とうとつとめた人たちである。また、レイプ、拷問、一般市民あるいは捕虜の殺害に加わっていなかった人たちである。児童と青年は、成人に比べてパワーに乏しく、やはり易傷性が高く、青年兵士は年長の兵士に比べて戦闘中にPTSDを発症する確率が高い。思春期の女性はレイプの外傷が特に深い。青春期に恐怖と無力化とを体験することはアイデンティティの形成、原家族からの漸進的分離、広い世間探測という青春期の適応への三つの正常な課題をみごとに駄目にしてしまう。戦闘とレイプとはそれぞれ組織的社会悪の公的形態と私的形態とであるが、何よりも先ず青春期および成人期初期にこうむる体験であるとしている。
レイプにおいてはたいていの場合、加害者は被害者の知っている男である。すなわち知人、職場の同僚、家族の友人、夫、愛人(ママ)であるとされる。生存者の恐怖、不信感、孤立は、彼女が救いを求める人たちの側の無理解やむき出しの反感や敵意によってさらに重くなることがある。レイピストが夫あるいは愛人の場合は外傷を受けた人がいちばん傷つきやすい。安全と庇護を求める先の人物が危険の発生源だからである。男性は孤立して、ほしいままに暴力を振るっても、それに対する社会的許容度が広い。このことが戦争によるダメージに重なる。
性的あるいは家庭内の暴力によって外傷を受けた女性も自己制御という同じ課題と苦闘する。しかし、男性と違って、彼女らの問題はもっとも身近かな人たちの寛容度の低さによって深刻となる。復員兵も傷つくだろうが、少なくとも彼らのほうは戦争に行ったということは認めてもらえる。極度の恐怖に陥れるような暴力的侵害行為だったという女性の体験がそのとおりだとされないこともある。あれは合意にもとづく性関係で被害者に責任があると説明する。だから女性は自分が体験したところと社会が真相としてでっちあげたものとの食い違いのひどさに気づいて気が遠くなる思いをする。女性はレイプによって侵害されるだけでなく名誉をも失うのだということを身に沁みて味わう。
罪悪感という問題に決着をつけるために生存者は自分以外の人たちからの援助が必要である。耳を傾ける者に対して被害者が期待するのは、公平であり、共感であり、何が起こったかという罪悪感を伴った知識をあえてわかちあおうという姿勢である。
第一次大戦後、帰還兵は苦い思いで自分たちの戦争を「気づいてもらえない大戦」と呼んだ。戦友会をつくると真っ先にするのは彼らの味わった試練が公衆の記憶から失せないようにすることであった。それは戦闘の真実をセンチメンタルに歪めてあるからである。現代史においてベトナム戦争は社会が排斥した忌わしい戦争の例であり、宣戦布告なき戦争であり、民主主義的な意思決定過程によって正式に承認されなかった戦争であるとしている。兵士たちは、自らが戦って敗北した戦争に対する公衆の批判と排斥に出会って二度目の外傷を負った。
レイプを構成する与件は女性の側の侵犯体験の程度ではなく、男性に許される強制のレベル以上に出ているかどうかにすぎない。もっともよく回復する女性とは、個人にふりかかった悲劇という枠を超えて自らの体験に何らかの意味をみいだす人たちである。いちばんよくみられるのは、この意味を他の人たちとともに社会運動に加わることにみいだす女性たちであるとしている。
第四章 監禁状態
長期反復性外傷は監禁状態という条件があってはじめて生じるとされる。自分以外の人間の完全なコントロールを確立する方法の基本は、心的外傷をシステマティックに反復して加えていためつけることである。それは無力化と断絶化を組織的に用いる。暴力は恐怖を生み出す世界共通の方法であるが、使わない場合もあり、暴力は最後の手段であるとされる。
被害者その人を直接的に脅すのと同じくらいに別の人への脅しをみせつけることには効力がある。性的脅迫あるいは性的暴行を身体の支配に用いるということである。ごほうびを与えるという方法がもっとも洗練された形をとるのは家庭内暴力においてである。被害者は孤立してゆくにつれてますます犯人に依存的となる。怖れ脅えがひどければひどいほど、被害者は許されている唯一の人間関係、犯人との関係にしがみつきたい誘惑に駆られる。被害者は、その監禁期間を通じて、しばしば、屈従的と積極的抵抗期とが交代することを述べているが、人間の破壊には第二段階があり、被害者が生きる意志を失った時であるとされる。
長期反復性の外傷にゆだねられた人は徐々に発症し進行する形のPTSDになり、これが人格に侵入し、人格を腐蝕する。いちばん恐れることは恐怖の瞬間がもう一度戻ってくることであり、この恐れが現実となるのは慢性虐待の被害者の場合である。完全に孤立してはいない政治犯の場合には、同じ運命をわかち合う人々への愛着心によって、加害者との人間関係の悪性度が緩和されるかもしれないとされる。他の人々とのきずなを保てるという幸運にめぐまれていた政治犯は、極限状況においても人間が心に湧き上らせることのできる広量、大胆、献身というものを忘れずにいられる。しかし孤立している捕囚の人は仲間とのきずなをつくる機会がないので、ペアのきずなが被害者と加害者との間につくられてもふしぎではない。被害者が軽蔑する最大のものはしばしば加害者でなく何もしない目撃者である。政治犯であった人が表現するところとして「ホロコーストは犠牲者の数によって理解されるのではなく、口をつぐんでいた者たちの数の大きさによって理解されるようになるだろう。…私の心をもっとも重くするものは口をつぐむことが今もくり返されていることだ。」とある。捕囚生活から解放された後、どのような新しいアイデンティティを築きあげようともかつての奴隷化されていた自己の記憶がそこに含まれている。
外傷体験は抑鬱症状を重くする働きをし、不眠、悪夢、心身症的愁訴となる。PTSDの解離症状は鬱病の集中困難と融合する。戦時捕虜の帰国後を研究した報告は一様に殺人、自殺および自殺の疑いのある事故による死亡率の高さを示している。かつて捕囚となったことのある人は、捕えた側の人への憎しみを解放後も身体につけて持ち歩き、時には迫害者の破壊的な目的を彼らに代わって自分の手で実現してしまう。それよりもわれわれの人格を脅かす、この一層大きな危険を指摘してくれたほうがずっとありがたかったであろうとしている。ホロコースト生存者の言葉を借りて「…(ソ連の)ラーゲリの中から外へと自由な人々に宛てたメッセージがにじみ出すことができたとすればそれはこうなったであろう。-ここでわれわれを苦しめているものにきみの家庭の中で苦しまぬように気をつけよ―である。」とある。つまりラーゲリ(収容所)での生活によって脅かされる人格(パーソナリティー)がその後の家庭生活においても大きく影響をもたらすことを著者は指摘している。
第五章 児童虐待
成人が外傷をくり返しこうむれば、人格構造が腐蝕されるけれども、児童期に外傷をくり返しこうむれば、この外傷が人格を形成し変形する。虐待的な環境にはまって出られなくなった子どもは、社会に適応するのが恐ろしいほど大変な仕事になる。信じることのできない人々の中にあって信頼感を持ちつづけ、安全感を保ち、コントロールを維持し、力を失わないような生き方をなんとか見つけないわけにはいかないとする。
児童期慢性虐待は恐怖にすべてを支配された家庭の風土の中で起こる。被害者は特徴的なパターンとして、暴力と死の脅迫との下に強制される全体主義的支配、規則の恣意的強制、時折のごほうび、競合するすべての人間関係を孤立化、秘密化、裏切りの強制によって破壊することを挙げている。暴力の恐怖に加えて、生存者が話すことは圧倒的な孤立無援感である。虐待的な家庭環境においては、親の権力の行使は、絶対的で反対はゆるされない。いちばん恐ろしかったのは、暴力がいつどういう時に起こるか予見不能だったことである。被害者が伝えるところはしばしば政治犯収容所の処罰方式に似ている。過覚醒状態につねに身を置きながら、音一つ立てず身じろぎもしないようにしていなければならない。被虐待児には独特なあせり苛立ちに満ちた(”凍てついた目ざとさ“状態)がみられる。「よい子にしていること」によって局面を支配する力を得ようと努力を倍増する。被虐待児は世間からだけでなく、他の家族成員からも孤立させられる。自分の親密世界においてもっとも権力の強い成人が自分にとって危険な存在であるだけでなく、自分のケアをする責任があるはずの他の成人たちも自分を守ってはくれないということを味わう。
虐待という現実を回避することが不可能になると、被虐待児は虐待を正当化する理由を見い出さなければいけなくなる。恐怖のワナにはまった子どもは、虐待者の罪の責任は自分の方にあると思い込むようになる。
慢性被虐待児の感情状態は落ちついていられないというのが最低線で、不安と不快が中間状態であり、最高の権限は恐慌、絶望などとされる。反復的な自傷行為をはじめとする発作的な自己身体攻撃は、児童期の初期に始まった虐待の被害者にもっともよく起こるものである。自傷行為を起こす虐待経験者は、自傷行為に先立って深い解離状態が起こると述べている。「私がするのは私が存在していることを証明するため」である。児童期虐待の経験者の多くはほんとうに自殺を企てる。自傷行為は死ぬためではなくて、耐えられない心の痛みを和らげることをめざすものであり、多くの生存者は自傷行為を、逆説的であるが、自己保存行為の一つの形と考えている。注意を引こうとすることはあるが、大部分は自分の心理的困難の広がりを隠蔽することに成功する。
児童虐待経験者は親密関係の枠内で自分を守るのに非常な困難を覚える。児童期に被害を受けた者は大人になった今も、その外傷体験を現実の生活においても再体験するという悲しい運命にあるとする。児童期虐待を経験した人は虐待するよりも虐待されるほうにまわること、あるいは自分を傷つけるようになる確率のほうがずっと高い。児童期虐待の既往歴を持つ男性は他者への攻撃性を発動しやすくなる。女性のほうは、他者の犠牲にされやすくなるか自分を傷つける傾向が強まるとされる。
第六章 新しい診断名を提案する
その抑鬱は通常の鬱病ではないとし、「外傷後ストレス障害(PTSD)」でさえも、現在の定義では、完全にぴったり合うわけではないとする。この障害に対する現行の診断基準は主に限局性外傷的事件の被害者から取られたものであるとされる。すなわち典型的な戦闘、自然災害、レイプにもとづいている。長期反復性外傷後の症候群にはそのための名が必要である。著者による提案は「複雑性外傷後ストレス障害(複雑性PTSD)」である。単純性PTSDよりも広い診断名が必要だと唱えている。(なお、本書では「複雑性PTSD」をアメリカ精神医学会の診断基準DSM-Ⅳに加えることが考慮中であるとされていたが、結局、DSM-Ⅳ、DSM-5には収められず、WHOのICD-11 (2018年)において記載されていると考えられる。)複雑性外傷後ストレス障害の症候群に名前をつけることは、長期の搾取にあえいだ人々にそれに値する認知を与えるための重要な一歩であるとしている。
児童期虐待の被害経験者に与えられる特に有害な病名が三つあるとし、身体化障害、境界性人格障害、多重人格障害を挙げている。この三つの診断名はいずれも、現在廃止された病名「ヒステリー」のかつての下位病名であった。対人困難にかんする文献がもっとも多いのは境界性人格障害である。この三障害の共通項は、児童期の外傷に起源があるとしている。被害経験者がそのことを認識すれば、困難を「自己」の生まれながらの欠陥のせいにする必要はなくなるとしている。
第二部 回復の諸段階
第七章 治癒的関係とは
心的外傷の体験の軸となるのは、無力化と他者からの離断であるとする。そして、回復の基礎はその後を生きる者に有力化を行い、他者との新しい結びつきを創ることにあるとしている。回復は人間関係の網の目を背景にしてはじめて起こり、孤立状態においては起こらない。回復のための第一原則はその後を生きる者の中に力を与えることにあるとする。当事者に対してその希望を尋ね、安全と両立する範囲内で選択肢をできるだけたくさん出すべきだとし、外傷を受けた人に自己統御権を取り戻させるという原則は、広く認識されてきたとされる。治療関係の目的は、患者の回復を促進することにあるとしている。そして、治療者は犯罪の証人(“目撃者”)となるべき使命を授けられた者であり、治療者は患者と連帯する立場であるというはっきりした態度決定をしなければならないとしている。
外傷性転移反応は通常の治療的体験とは比べものにならない強烈な生きるか死ぬかの性質を帯びる。外傷性転移が反映するものは恐怖体験だけではない。孤立無援体験をも反映する。
外傷には伝染性がある。治療者は、災害あるいは残虐行為の証人の役割をつとめるうちに時には情緒的に圧倒される。治療者は程度こそ違え、患者と同一の恐怖、怒り、絶望を体験する。この現象は「外傷性逆転移」または「代理受傷」として知られている。この仕事に携わることは治療者の精神健康に多少なりとも危険が及ぶことである。独りで回復できる生存者がいないように、独りで外傷と取り組める治療者もいない。「われわれが経験を積むにしたがって、愛情とユーモアという自然な感覚がわれわれと患者との間を通い合うようになった。」とある。治療者の感情反応には、傷を受けなかった傍観者役に特有の反応もある。もっとも普遍的で深刻なものは、患者の「生き残った者の罪悪感」に似た「目撃者の罪悪感」である。たとえば、ナチ・ホロコーストの生存者を治療する治療者においては罪悪感がもっとも普通の逆転移反応である。
回復という仕事のためには治療者に対する安全確実なサポート・システムがなければならない。
外傷患者への逆転移反応はしばしば統一性を失って断裂し、両極化する。問題は治療者の孤立性にある。何びとといえども単独で外傷と対決することはできない。生存者の治療にかかわる治療者はまた、自分自身との絶えざるたたかいにもかかわっている。昇華、愛他性、ユーモアは治療者を救う恩寵のようなものであり、かかわることの報酬は人生が豊かになったという感覚であるとされる。生存者の治療にたずさわる治療者は以前よりも人生の評価が幅広くなり、人生を大切に思うようになり、他者を理解する視野が広くなり、新しい友情を結び、親密関係が深くなるとされる。特に患者の治療の結果として社会運動に身を投じた人がそうだとされる。治療者は、自己自身および患者にたえず統合力を育てるようにと努めているうちに自分自身の人格の統合性を高める結果となる。人格の統合性とは死に直面しても人生の価値を肯定しうる能力であり、自己の人生の限界の有限性と人間の条件の悲劇的限界と和解する能力であり、絶望なくして現実がそういうものであることを受容する能力であるとされる。人格の統合性は、いったん砕かれた信頼をとりもどす土台であるとしている。
本書の真髄をなすところとして、回復の過程において、力を与えること、つながりを創り出すことが大切であると論じている。
第八章 安全
回復の展開は三段階である。第一段階は、安全の確立であり、第二段階は、想起と服喪追悼、第三段階は、通常生活との再結合である。
外傷症候群も診断なくして適切な治療はありえない。治療者が最初になすべきことは、手落ちのない診断を行って、それを患者に告げることである。明確な診断がいちばん難しいのは重症の解離性障害の事例である。外傷症候群は極限的な情況における人間の正常な反応であるということを知る。自分たちの障害にはれっきとした名前があるのだということを教えられてほっとする患者が多いが、PTSDという診断名に抵抗する患者もある。拷問を受けたことがあり、今も拷問を受ける悪夢を見つづけている人には、起こったことを人に語ることが役に立つというのは著者の経験から言えることだと説明したとある。自分の障害という現実を認めてそれを変えようとすることは強さの証拠であって弱さではない。積極性であって受け身性ではない―。回復を育てることは加害者の勝利を認めることではなくて、被害者に力を授けることである。
回復の基本原則は被害者に力と自己統御とを奪回することにある。回復過程における最初の課題とは被害者の安全を確保することである。まず、身体の自己統御に焦点をあて、次に次第に環境の統御に重点を移す。身体に関わる課題としては、基礎的健康欲求、睡眠、食欲などの身体機能の制御、身体運動、PTSDのマネージメント、さらには自己破壊的行動のコントロールがある。
急性の外傷を受けた人には安全な避難の場が必要であり、避難の場を見つけて確保することは危機介入にあたって即座にするべき仕事である。戦闘参加帰還兵あるいはレイプ被害者における急性外傷の標準的な治療の重点は危機介入にある。これまでの文献の主流は、短期精神療法の後すみやかに通常の任務に復帰させるという軍事モデルであり、典型的といえる軍事的プログラムは、戦闘によるストレス反応を呈する兵士を72時間以内に前線に復帰させるようにデザインされていた。
以後の段階の治療にはもっと時間がかかる。自分も自分以外の人間も頼みにしてよいことにもう一度気づきなおすとされる。
第九章 想起と服喪追悼
回復の第二段階とは被害経験者が外傷のストーリーを語る段階である。治療者がそばにいてくれるからこそ、被害経験者は口に出せないことを口に出せるのである。外傷の再構成は患者と治療者の双方に多大の勇気を要求する。安全を保ちたいという欲求と過去に直面しようという欲求との間のバランスを絶えず取り直すことが必要になる。外傷のストーリーを再構成する仕事は、患者の生活の概観から始め、外傷的事件を事実を追ってそのままに再構成することとされる。
生存者はもう一つ別の問い…に直面する。それが「どうしてこの私に?」である。生存者は不当にこうむった苦しみに意味を与える信条体系を再建しなければならない。生存者は何をなすべきかを決めなければならない。治療者の道徳的立場はきわめて重要である。治療者は「中立的」「非裁定的」であるだけでは足りない。患者は、このきわめて重大な問題との自分の闘いに参加するかどうかという問いを治療者に突きつける。生存者との道徳的連帯性という立場を鮮明にするべきとある。治療者が聴く姿勢としては、外傷の事実性やそれが患者に持つ意味に予断を持たないようにしなければならない。
外傷ストーリーを変貌させる治療技法は、二つあり、一つは戦闘参加帰還兵の治療に用いられている「直接暴露法」すなわち「フラッディング(洪水法)」であり、もう一つは拷問の生存者の治療に用いられている形式化された「証言法」であるとされる。
外傷によって失うものがあることはどうしても避けられない。物理的損傷をこうむった人は、これに加えて自己身体の清潔無垢な全体的統合性の感覚を失う。人生の重要人物を失った人は、友人と家族と地域社会との関係に生じた新しい空白部分に直面する。外傷性喪失は通常の世代連続性を断ち切るものであって、近しい人を失った時の通常の社会的儀式では済まない。服喪追悼の中に深く降りてゆくことは必要な作業であるが、同時にもっとも恐ろしい作業である。服喪追悼への抵抗として、多いこととして、復讐などによって魔法のように一挙に解決するという幻想となって現れるとされる。
復讐幻想は、しばしば加害者役と被害者役とが入れ替る、外傷性記憶の鏡面像であるとする。復讐幻想はカタルシス願望の一形式である。被害者は加害者に報復することによって外傷の与えた恐怖と恥辱と苦痛とを厄介払いできると空想する。復讐の欲求が完全な孤立無援体験から生まれることもある。屈辱にまみれた烈しい怒りの中で、被害者は復讐こそ自分には力があるという感覚を取り戻す唯一の道であると空想する。復讐はまた、加害者に自分に与えた傷がどのようなものかを思い知らせてやる唯一の方法であると想像する。
復讐は負わされた傷のつぐないには決してならないし、傷を変えもしない。復讐幻想を捨てることは正義の追求の断念を意味しない。逆であり、それによって、加害者にその犯罪の弁明責任を問う過程が始まるのである。外傷を悪魔祓いして消し去ることは不可能である。復讐のように許しの幻想も残酷な拷問をもたらしかねない。
真の許しというものは、加害者のほうが求めて、告白し、痛悔し、つぐないをするまではさずけたくてもさずけられない。加害者の側が正真正銘の痛悔をするのは稀有な奇跡である。つぐなわせ幻想は、復讐の幻想、許しの幻想のように服喪追悼の作業にはなはだしい足かせとなる。服喪追悼は喪失に対してそれにふさわしい名誉を与える唯一つの方法である。適切十分な賠償など存在しない。加害者から一切のつぐないを得る可能性をもあきらめた時、患者は加害者から自由になるとされる。患者に対する治療者の責任を果す最善の方法は患者の語る物語の誠実な証人(“目撃者”)となることとされる。
生存者が自分の回復の全面的主導権を握る唯一の方法は回復の責任を引き受けることである。破壊されないで残っている自分の強さに気づく唯一の方法はそれを全面的に活用することである。生存者はその時の絶望感の中で、あるいは捕囚生活において起こる緩慢な人格水準の低下のために人を傷つけていることがありうる。残虐行為を犯した戦闘参加帰還兵は、もう自分は文明社会の一員ではなくなったと思うことがあっても不思議ではない。強圧に屈して自分以外の人間を裏切った政治犯や子どもを守れなかった被殴打の女性は、自分が加害者よりもなお悪質な罪を犯したと感じることもあるだろう。生存者はつぐなう自分なりの方法をみつける必要がある。
この原状回復は加害者に罪をまぬがれさせるものではなく、このことによって生存者からの〈現在道徳的にきちんと責任をとれ〉という要求が肯定されるのである。回復の第二段階には無時間的という性質があり、外傷の再構成には、それは時間が凍りついて動かない体験が必要とされる。レイプ後生存者の一人が、レイプ意識化運動のクラスに講義している最中に驚くべき瞬間がやってきたと語っていることが紹介されている。「…何年も前のことで今の私はもう関心がないということです。同じ怖れ、同じ恐怖症も最初の五十回なら…非常に関心を持てるでしょう。しかし、私はもう興味を持てないのです」。ライフサイクルの新しい段階ごとに新しい葛藤が生じ、それが必ず外傷を再び目覚めさせ、外傷体験の新たな面を明るみに出す。しかし、第二段階は、患者が自分の歴史を取り戻し、人生にかかわる希望とエネルギーとを新しくしえたと感じるときを以て主な作業を完了する。外傷体験は真に過去に属するものとなる。この時点で生存者は現在の中で生活を再建し、これからやりたいことをするという事業に直面する。
正直なところ、筆者には、当初この「服喪追悼」の意味がよく理解できなかった。つまり、それほど簡単になしうるものなのかとの思いを抱かざるをえなかった。この点について、先に紹介した「100分de名著フェミニズム」のテキストにおいて、琉球大学の上間陽子さんが、次のような内容にてとてもわかりやすく説明されている。つまり、ひとつひとつ想起して語っていくことは生やさしいことではなく、大変な苦痛を伴う行為であること、心的外傷の経験を語り、それを否定されることがない体験を積み重ねていくことが必要となること、安全な場所で話し始めることで、「今は外傷を受けた「あのとき」ではない」ことを当事者が認知できるようになること、同時に、苦しみ、悲しみに沈みながらその出来事をふりかえる、これが「服喪追悼という作業」であるとされている。
第十章 再結合
外傷的な過去との決着をつけた後の生存者には未来を創造するという課題が待ちかまえている。これから新しい自己を成長させなければならない。新しい関係を育てなければならない。心的外傷体験の核心は孤立と無援である。回復体験の核心は有力化と再結合であるとしている。
目標は恐怖を一切根絶することではなく、恐怖とともに生きるすべを学ぶこと、さらには恐怖をもエネルギーの源泉、勉強の機会として活用する道を身につけることとしている。社会的に大目に見られている暴力や搾取に対しておとなしく従うようにさせていた思い込みを疑問視するようになる。女性ならば伝統にしたがって従属的な役割を引き受けていたのを疑問視するようになる。男性ならば伝統にしたがって男性支配の共謀に加わっていたのを疑問視するようになる。外傷を受けた人の弱みや誤りをフランクに尋ねるのは、必ず屈辱や苛酷な判定を下されないように守られている環境の中でなければならない。そうでなければまたしても犠牲者を非難する行為にすぎないものになってしまう。
「私は私自身の持ち主だ。これは確かだ」のことばとともに、第三段階を最終段階としている。生存者はもはや自らの外傷的な過去に取りつかれているという感じを持たなくなる、生存者は自分自身を所有しているとしている。生存者のこれからの任務は〈自分がなりたい人間になる〉ということである。自分自身と再結合するにつれて、感じ方はおだやかになり、平生心を以て人生に対することができるようになる。生存者は自分の限界、自分の弱さを自覚しているとされる。再び他者を信頼し、また信頼を撤回することができ、さらに二つの状況をどう区別するかがわかっている。自分は自分以外の人々との結びつきを保ちつつ自律的であると感じる能力をも取り戻している。
生存者の大部分は個人生活の範囲内で外傷体験の解消を図るが、より広い世界に関わる使命を授けられたと感じる人々がいる。自分の個人的悲劇を社会的行動の基礎とすることによってその意味を変換できることに気がつく。外傷があがなわれるのはただ一つ、それが生存者使命の原動力となる時である。社会的行動は生存者に力の源泉を与えてくれる。生存者にそのもっとも成熟性と適応性の高い方略すなわち忍耐、先取り、愛他性、ユーモアを要求する。生存者は公衆の面前で語りえないことを語ろうとする。他者に与えるのが生存者使命の本質であるが、そうするのは自分の治癒のためであることを認識している。
回復に完結はありえない。生存者の生涯をつうじて外傷的事件のインパクトは心の中をこだましつづけるであろうとする。外傷の解消の指標は、生活の中で楽しみを味わう能力と自分以外の人々との関係に入る能力とを取り戻しているかどうかである。回復をなしとげた生存者は人生に直面する時、幻想はあっても少なく、逆にしばしば感謝の念がある。
第十一章 共世界
外傷的事件は個人と社会とをつなぐきずなを破壊する。生き残った者は、自己が価値あるものであるという感覚は自分以外の人々との結びつきの感覚次第であるということを痛いほど味わう。グループの連帯性は恐怖と絶望とに対する最大の守りであり、外傷体験の最強力な解毒剤である。外傷は孤立化させる。グループは所属感を再創造する。(ここでのグループは、精神療法的なプログラムでのグループを指していると判断できるが、仲間や人との関係の再構築においても活かしていくことができればと思う)。グループは、極限状況を生き抜いた人たちには計り知れない価値があることが証明されている。たとえば戦闘、レイプ、政治的迫害、殴打、児童期虐待である。
長期反復性外傷の生存者に対しては、グループは回復の第一段階を通じて強力な確認と支持の原動力となりうる。外傷体験を探査することは回復の第一段階においては生存者に対して非常に破壊的でありうるけれども、第二段階の後は、この作業がプラスに働きうる。グループは服喪追悼をわかちあうとともに新しい人間関係を持てるという希望をはぐくみもする。そして、事柄の喪失を悲しめるようになったのは、帰属感でありプライドであり誠意であったとしている。
他の生存者たちの豊富な情報と構想力とユーモアとは、家族関係に変化を起こそうとしている人には計り知れないありがたい援助となる。自分以外の人々とともに共世界を作ると、それに伴ってcommonということばの持つすべての意味がわかるようになる。commonということばは一つの社会に帰属するということ、一つの公的役割を持つということ、普遍的なものの一部であるということを意味している。このことばはまた、ありふれたこと、日々の暮しに参加することをも意味している。他の人々との共世界をつくりえた生存者は生みの苦しみを終えて憩うことができる。ここにその人の回復は完成し、その人の前に横たわるものはすべて、ただその人の生活のみとなる。(コモンという言葉からは、マルクスの思想を想起するが、本書においては、特にはそうした視点から関連づけての掘り下げはなされていないと思われる)。
付 外傷の弁証法は続いている
初版刊行後、5年経過しての増補版に加筆された章である。以下、主に引用する形をもって、紹介に代えたい。記されてから20数年経過する現在においても、一つひとつの言葉がとても突き刺さる。著者の明確な意思と真髄、本書が切り開いた地平を印象づける、そのように捉えられる内容を有している。専門領域に関する記述ながら、必要に迫られての著者の切羽詰まった激しくも強いメッセージがよく伝わってくる。
「執筆した当時の私の大望は、暴力の心理学的帰結の証人となったことのある臨床家、研究者、政治活動家が蓄積してきた英知を総合し、一冊の包括的な総説として、その中に、過去百年間、周期的に忘れられては発見しなおされた知識の総体を提示することであった。」「また、心的外傷の研究とは、本来的に一個の政治的行為であるとも主張した。抑圧された人々の体験に眼を向けさせるからである。」「私は、最後に、人間の諸権利に対する地球規模の運動と連携を保ちつづけることだけが、語りえないことを敢えて語る私たちの力を支えてくれる究極の者ではないかという論陣を張った。」
「本を出して5年経った。その間に暴力の犠牲者は何百万人ふえたことだろうか。ヨーロッパでもアジアでもアフリカでも戦争があった。戦争が行われているうちに、一般住民を含む大規模な残虐行為が犯されて、暴力の圧倒的な衝撃力が国際的な注目の焦点となり、心的外傷が実に世界的規模の現象であるという認識が育っていった。」「同時に、戦闘員と市民との区別の遵守が大幅に破られ、女性と児童とに対する暴力が政治的性質を持っていることがますます明らかとなった。」
「世界の多数の地域において、戦闘手段としてのレイプが公然と組織的に実施された。」「結果として、今やレイプは人間の諸権利を踏みにじるものであるという国際的認知が生まれ、女性と児童とに対する犯罪は他の戦争犯罪と同じ重罪であるという見解の一致を(少なくとも机上では)見るに至った。」「…平和時においても暴力による被害は日常茶飯事であり、また暴力には何ぴとの甘い想像をこえた強力な加害力、打撃力がある。」
そして、外傷性ストレス障害の研究が、市民権を獲得する方向に向かいつつあることは歓迎しながらも、「しかし、市民権を得たということは、ありがたくもあり、ありがたくもなし、である。」としている。「安全のためには、侵略者の武装解除はできなくとも、せめて暴力を即座に停止させ、侵略者を封じ込め、被害者の生存に必要な初歩的な生活必需品供給をまずやってもらいたい。」「アフリカとヨーロッパ南部における国際的介入の多くの呆れるばかりの不適切不十分さは、もう一度同じことがあったらもう我慢ならないほどである」。
「旧ユーゴスラヴィアにおいては、国際社会は、戦争犯罪法廷の設置を支持はしたが、告発されている戦争犯罪人を逮捕して裁判にかけることはしたがらなかった。」「南アフリカにおいては、「真実・和解委員会」が公式に設置されたが、加害者に向かって、ある期限内に公衆の面前で罪を告白すれば恩赦を与えるという条件を提供した。」「このわずか二、三年間に、多くの臨床家が対処するすべを身につけなければならなかった脅迫と嫌がらせの戦術こそ、長年にわたって、女性、児童およびそれ以外の被圧迫者の弁護に立った草の根の人たちが耐え忍んできたものと同じやりくちである。傍にいあわせた者の立場にある私たちは、暴力の被害者たちが日々奮い起こしている勇気のかけらでも私たちの中にあるのかないのか、自分の中を覗き込んでみるべきである。」「被害者と加害者との間の闘争には道徳的中立という選択肢はないことをも思い出させてくれる。傍にいあわせた者は皆そうであるが、治療者も、時にはどちらの側に立つかの選択を強いられる。」「被害者の側に立つ者は、加害者のむきだしの怒りに直面せざるをえない。これは避けられないことであるが、私たちの多くにとってこれ以上の名誉があろうか。」(1997年2月)とある。
小西聖子さんによる本書の解説では、「決して平易とは言えない内容の濃さにもかかわらず、一般にもひろく読まれているというのがこの本の特徴である。」「1980年、アメリカ精神医学会(APA)の精神科診断統計マニュアル第3版(DSMⅢ)にPTSDという障害名は初めて登場したのだが、これがベトナム戦争の退役軍人の精神的後遺症への一つの社会的回答であったことは明らかである。」とあり、ベトナム戦争がなければ、PTSDという障害名は生まれなかったとしている。
「最初のPTSDの診断基準は、カーディナーが1940年代に名付けた「戦争の外傷神経症」の症状を基礎としている。50年以上前にカーディナーの記述した症状は、現在のPTSDの診断基準と驚くほどよく似ている。つまり、PTSDの起源は、男の精神障害であったのだ。」
「1970年代の女性運動の隆盛がなければ、PTSDの研究は今日のように発展しなかっただろう。」とあり、特に、著者であるハーマンのとらえ方について、「本文中の「性戦争の戦闘神経症」という節の名前は、戦闘における男のトラウマと、性的被害における女のトラウマが、同じ症状をもたらしているというハーマンの認識をよく表している。事実PTSDの診断基準は、基本的には戦闘体験とレイプ被害という二つのトラウマティック・イベントを対象に作られてきたものだといっても過言ではない。」としている。「精神医学的な概念の成立の前に、社会運動がある。このことがPTSDという障害を特徴づけているのは事実である」。
以上が、筆者が本書を読み、読書ノートを作り、それをもとに自分自身の問題意識に沿って本書の内容を不十分ながらまとめたものである。最後に筆者による意見と、深めるべき論点と思われる点についていくつか論じたい。
一つ目は、著者の考えについて筆者が知るのは本書を通じてのみであるが、提起されていることは謙虚に受けとめて学びたいと思う。特に左派の中で本書の提起がもっと共有され、評価されるべきと思われる。最後に記された追記された章の内容は、(著者の政治的立場についてよくは存じ上げない中であるが)、その真摯な政治的姿勢には共感しうるところが大きい。
第二には、性被害と戦争神経症等について、その表出するところ、回復の過程について共通する内容としてまとめられていることについては理解しうるものであり、また一方で、それぞれ個別性を持った内容として論述されていることについても理解できる。各章において、戦争、性被害、児童虐待、監禁等の事例が示されている。特に、第一章のところでは、レイプ被害者、被殴打女性、性的被虐待児は戦死傷者であり、「ヒステリー」は性の戦争における戦闘神経症であるとしている。そして、女性の「ヒステリー」と男性の戦闘神経症とは同じ一つのものであるとし、このように病いが共通であることを認識すれば、「戦争と政治という公的世界すなわち男性の世界と家庭生活という私的世界すなわち女性の世界とを分かつ深淵を越すことも、時にはできるのであるまいか」とある。それについてはどのように受けとめればよいのか。もちろん一様に同内容として述べられているわけではないが、しかしそれでも同一視するようにも受けとられるところについては批判的な言説も生じうるように思われる。先に紹介した小西聖子さんの解説によれば、共通した表出としてのトラウマティック・イベントとしてのとらえ方が著者の認識であると考えられる。心的外傷としてそのようなとらえ方ができるかもしれないし、性被害と戦争神経症とは、それぞれがもっと独自性、個別性、社会的課題性を持った内容であるのかもしれない。著者が同じようにとらえているようには読み取れず、女性が性の戦争の犠牲となっているゆえのことと思われるが、レイプと戦争神経症とを個々にどうとらえるかは議論のあるところと思われる。
正直なところ私(筆者)には判断つかず、非常に難しい。何よりもそれぞれ被害に遭われた方、外傷体験の当事者において、そのことがどのような体験として、個として自己の中に刻まれているかによると思われる。症状の表出に関わるところ、回復の過程として共通するところとして、同じととらえている面と、背景となる社会的状況が異なる中で個別性として論述されているところとのその両方がある。
第三には、ライフサイクルの視点から外傷体験をとらえるという視点についてである。起きたことについてふりかえるとはどういうことなのか。人生は生ききってみないとわからない。青年期の災禍として身の上にふりかかったこととして、生涯通じて離れることができないこともあるだろう。高齢期になって人生を振りかえってみた時に、なお消しさることのできないものとしてある心の傷はどれほどのものであるだろうか。年月を重ねると、眺める世界はまた異なってくるのではないかとも思える。
その意味では、著者による百年の知見として実践と研究とにあたられていることは意義あることであるが、基本的には治療者として著者が携わった臨床体験を基盤に論述されていると思われる。おそらくは個々の患者さんがどのような思いを持ってその後の人生を生きられたかということまではなかなか把握しえないと思われる。
筆者の問題意識としては、外傷体験がもたらす影響として、ライフサイクルの視点からはどうなのだろうかを思う。本書の提起をどのように受けとめるかは、読み手、受けとめる側の課題であると思われ、個々のケースにおいて、共通した回復の過程として整理されていることは一定理解できるが 外傷として体験された、いわば急性期的な時期があるのであれば、治療的な時期、回復期があるとして、青年期に体験したことがどんなにかつらい体験であったとして、40年、50年、60年たっての振り返りとしてはどう考えればよいのかを思う。
長期間に及ぶ回復の過程のヒアリングはひとりの研究者においては難しいが、個別性がある中で、一人ひとりの人生に刻まれた外傷体験は、人生を生きてみての体験としてはどのようにとらえられるだろうかと思う。研究方法としては同時期を体験し、生き抜いた集団(コホート)としてのまとまりを取り扱うことになると思われるが、それは結局のところ、回復過程での支援のやり直し、人生をもとに戻してのやり直しは実際にはかなわない中で、もし生かせるとすれば、次の世代へと引き継ぐことであると思われる。そのためにもさらに掘り下げていくことが必要であるし、共有化を図るためにも言語化し、言葉として残していくほかない。さまざまに過ちや傷つき、行き過ぎがあったかと思う。前向きになれず、後悔の念を抱くことも少なからずある。これまでをふり返って、半世紀かけて検証することは気の遠くなるような作業であるが、性差別に関わる問題を切開し克服していくことに引きつけて考えれば、根本的には組織のあり方を検証することにつながるのではないかと思われる。
第四には、大衆運動の原則に関わることについてである。私たちは大衆運動の原則を防衛する立場から内ゲバ主義に反対してきた。新左翼の党派の中で公然とそのように立場を明らかにしてきた。大衆運動に対する原則を堅持し続けてきたことは、運動として育まれ防衛されるべき性格のものである。しかしながら一方では、政治的な視点だけでは十分理解が拡がりえない面があったように思われる。そうした点での掘り下げの一つとして、本書の提起を受けとめていくことが考えられる。もちろん本書においては、当然ながら一定の合法性を前提とされていると思うし、政治的諸関係の中でのおかれた状況と同じように考えるわけにはいかないが、表出される内容、回復の過程としては、学びとする内容が多く含まれているのではないかと思われる。外傷体験がいかにその後の人生に影響を及ぼすかの視点、青年期における急進化と葛藤状況におかれた中で生じる課題等、もっと視点として掘り下げることが可能であったのではないかと思われる。もっとも人間性に満ちあふれて豊かであるはずのマルクス主義の思想においてもあまり向き合うことのなかったテーマであるように思う。
外傷体験と復讐幻想に関わる内容は、新左翼の運動の総括に関わる、大事な視点を提示しているのではないかと思う。「戦争論」や「軍事論」に向かうことも一つの営為であると思われるが、そうした方向とはまた異なる営為もまた必要なのではないだろうか。はっきりとした解にたどり着くまでにはまだまだもっと多くの知見を得る必要があるし、学んでいく必要がある。そうした中で、私たちであればこその人間的な側面、スターリニズムへの現代的批判、マルクス主義のもつ根源的な人間的な豊かさの理解につながる視点を言葉として打ちだすことができるのではないかと思う。簡単に一言ではうまくは言い表せられないが、要するにもっと一人ひとりの人間を大切にする営みであると思う。
第五として、最後に本書においては事例性としては触れられていない点について。自然災害や原発事故に関わる具体的な心的外傷に関わる内容についてはほとんど触れられていない中で、どのように拡げていくか課題としてある。現代的なテーマであるジェンダーの課題などについても同様に触れられているわけではないが、性差別に関わる苦難の営為とも関連し、そうした取り組みの歴史を踏まえて学んでいく必要がある。
以上本書について概観した。その上で、改めて心的外傷の回復において、人とのつながりを取り戻すこと、力を奪うのではなく力を与えることが大事であるとされる。それらのことを念頭におきながら、今後に活かしていきたい。
The KAKEHASHI
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