映画紹介 『終わらない週末』 

Netflix製作・23年12月8日配信(原題、『Leave the World Behind』)

アメリカの焦燥と不安

 マンハッタンに住む白人中産階級の家族4人が郊外のビーチに別荘を借り週末を過ごしにいく。別荘の手配はアプリから。行くとプール付きの瀟洒な邸宅で、思ったより贅沢な週末を期待させる。
 早速近くのビーチでくつろいでいると、遠くに見えていたタンカーの姿が徐々に大きくなってくる。巨大タンカーが、ゆっくりとだが確実にこちらに向かって突進してくる。
 そのまま砂浜に乗り上げる巨大タンカーとパニックのビーチを描く導入部から、この作品がスペクタクル大作として描かれるのかと期待すると、それはちょっと裏切られる。

Netflix、正月の目玉作品として

Netflixで配信が始まったのは23年末なので正月映画の目玉といった位置付けではなかったか。ジュリア・ロバーツやイーサン・ホークといった有名俳優陣もあって配信早々Netflix世界ランキング1位を獲得と騒がれた。
また、オバマ元大統領夫妻がエグゼクティブプロデューサーとしてクレジットされていることも話題になった。オバマ夫妻が企画を持ち込んだのかNetflix側がオバマ側に働きかけたのか、そこらあたりの詳細は不明だが(多分後者だろう)、そのオバマ氏が「2023年のお気に入り映画」としてXに投稿した際に『オッペンハイマー』や是枝裕和監督の『怪物』といった作品と共にちゃっかりこの作品も上位に挙げていたという。
この作品には衝撃的なシーンはいくつか挟まれるがそれらを目玉とした大作映画ではない。
どうも世界(この場合はアメリカ)は崩壊したようだが、その理由も具体的な状況もなにも分からず、白人中産階級と黒人富裕層という孤立した主に二組の家族に焦点を当てて、その微妙な対立と葛藤を描くことから、現代アメリカの焦燥と不安の在処を滑稽にあぶり出していく。

分断と不安

ティーンエイジャーの兄妹二人の家族を持つサンドフォード一家。
妻のアマンダがビーチのタンカー座礁の件を検索しようとするがネットが繋がらない。 携帯も繋がらない。TVも映らないことが判明。だがことの重大さを認識するにはまだ遠い。子供が寝たあとはそれなりに夫婦二人でゆったりとした時間を過ごしていた深夜、突然の来訪者のベル音。警戒しつつ夫はドアを半開きにする。その向こうにはタキシードを着た紳士とドレス姿の若い娘。黒人。
ジョージとルイスと名乗る二人は実はこの別荘の持ち主の親娘だという。街がブラックアウト(大停電)となり危険を避けるためにこの別荘に避難しに来たと。
何かの詐欺ではないのか、犯罪目的ではないのか、いきなり追い出すつもりではないのかとアマンダは徹底的に警戒を隠さない。
黒人親娘、ジョージやルースからすればそれはいつもの不愉快な反応でもある。
「クラシック音楽を紹介する仕事」と娘のルースがジョージの職業を紹介する。交響楽団の理事。富裕層への高級な余暇をコーディネートするような職業なのだろう。柔らかい紳士的な物腰からも彼がどのような層に属しているかが分かる。
ジョージは自らの家であることを証明するようにロックされていた酒造棚の鍵を開けたり、レンタル料の半額を返還するからとなんとか警戒心を解こうとし、さらに今夜は地下室でいいから宿泊させて欲しいと申し入れる。娘のルースは幻滅した顔を覗かせる。自分の家なのになぜそこまで譲歩しなければならないのかと。
アマンダもまだ警戒を解かない。
唐突にテレビから警報音。ブルースクリーンをバックにテキストだけが映る。
緊急警報。国家非常事態宣言。
具体的な情報は何一つないが、街がブラックアウトだという説明には信憑性が出てきた。いぶかり警戒心を緩めることのなかったアマンダも夫に諭され黒人親娘の宿泊を受け入れざるを得ない。
アマンダは人嫌いを公言する。だからこそ週末は家族以外の人間に邪魔されることなく過ごすつもりだった。なぜ人嫌いになったか。それは彼女の働く広告業界という虚飾にまみれた仕事に由来するということがいずれ明らかになる。
その夜、白人夫妻は二階のベッドルームで、本来の別荘の所有者である黒人親娘は地下室で眠ることになる。
二階と地下室、皮肉を込めた象徴的映像。
翌朝から白人家族と黒人家族の不安と葛藤に満ちた同居生活が始まる。

家族の不安と焦燥

なにか途方もないことが起こっている。 情報を集めるべく手を尽くすが、ネットも携帯もTV、ラジオも機能しない。GPSも機能せず車のナビも使えない。
テスラの無人タクシーが次々と暴走し大量にクラッシュしてマンハッタンへの道を塞いだりしている。
近所のビーチ沿いのジョージの知人宅は人けがない。ビーチに人けを探していると砂に埋まった腕時計を見つける。拾おうとすると、指、腕ごと引きずり出てくる。カメラがゆっくりと引いていくと、一面に死体と航空機の残骸が散乱している。そこにまた大型旅客機が突っ込んでこようとしている。
尋常ならざる事態が起こっていることは確実だが、それが何によって引き起こされているのかが解らない。他国による攻撃?中国?北朝鮮?
街に情報を求めに行ったスタンフォードがGPSが使えず迷ってるときに拾ったビラにはアラビア語とおぼしき文字が。しかしアメリカ人に対する情宣に普通のアメリカ人が読めないような文字を使うだろうか。テロか陰謀か戦争か、何も解らない。普通の家族の生活はいきなり切断される。
しかしスタンフォードの10代の娘はTVが見られないことが大問題だったり、兄は林でダニか何かに刺され熱を出したり(後に放射線の影響であろうことも示唆されるが)、ありがちな些細な日常も並行する。
その兄の解熱剤か抗生剤を求めにジョージの近所の知り合いを訪ねると、ライフルを構えた男が敷地に立ち入るなといきなり威嚇してくる。
知らないのか、中国か北朝鮮が攻撃している。自らの家族は自ら守るしかないんだと。スタンフォード家の方も自らの家族を守るために請うている、協力をと。
アメリカの物語は結局「家族」に収斂しようとする。
社会的共同体がブチブチと分断され、最後に残った共同体のユニットは家族しかないという幻想。それはディズニーに象徴されてきたアメリカの最小ユニットとしての共同体幻想だ。
「Home Sweet Home(ホームスィートホーム)」。

幻想が世界を疎外する

その家族の外には敵がいる。いや敵ばかりだ。最小共同体幻想はその外に常にいくつもの脅威を想像させる。
最小共同体の集合体として連邦国家幻想の帰納するところは、周りは敵だらけという「事実」を普遍的認識として醸成させる。
それに対してこの『終わらない週末』は、話せば分かる的な、人種的な葛藤も、異なる家族間であろうと理解と協力は可能だろうといった、Netflixらしくない、しかしアメリカ初の有色人種系オバマ元大統領の「神話」を補完する物語としては有効なシナリオなのだろう。
ところがこの物語はあっけなく切断される。
10代初めの娘ルースは90年代のTVドラマ『フレンズ』の再放送、その最終話を観られないことが最大の問題だったが、ある日森の奥に佇む施錠もされていない無人の豪邸に迷い込む。中に入り探索すると奥に豪華な核シェルターを見つけ、しかも棚には大量のDVDコレクション。
『フレンズ』も全シリーズ揃っており、そのDVDをデッキに挿入し最終話の再生ボタンを押すと、軽快なドラマのテーマソングと共にいきなりエンドロールが流れ始める。物語は結局何も説明しないままブチ切れる。
そのラストが不評を買ったのか、放映当初こそ話題になったが年を越した頃にはもうまるで忘れ去られたように誰も取り上げなくなった。
一部の批評家には好評だったというが。
何も説明していないと書いたが、実はそれこそがアメリカの焦燥と不安の最大の源だろう。
「Home Sweet Home」幻想に引きこもり、その外に邪悪な敵を想定すれば、世界は敵ばかりになってしまう。つまり自ら世界に敵ばかり作ってきたのがアメリカであり、その国力が衰えてきた今、その世界中の敵がいつなんどき「Home Sweet Home」を脅かそうとしてもおかしくない、現実的に。
その怖さだけは、この物語は雄弁に語っているだろう。
敵のその具体的な正体については何も説明しないが、自らが世界中に振りまいてきた敵意のその深層と真相については、実は雄弁に象徴的に説明した物語だといえないか。
(多田野 太)

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