映画紹介『伯 爵』

パブロ・ラライン監督 2023年 チリ 
Netflix 2023年9月15日配信111分

18世紀後半、フランスにピノッシュという吸血鬼が産み落とされる。孤児院で育った彼は国王ルイ16世の若き兵士として身分を確立するが、折しも革命勃発。目前で王妃は断頭台の露と消え、ピノッシュも身分を失う。
彼の目には革命は野蛮で血なまぐさく、破壊と混乱を社会にもたらす忌み嫌うべきものとして刻印され、以降彼はあらゆる革命に対抗することを決意する。世界各地に彼は姿を現す。ハイチに、ロシアに、アルジェリアに。
そのうち単なる反革命兵士であることに飽きて、自ら王になるべくある南米の農民国に渡る。スペイン語で彼はピノチェトと呼ばれる。

格調高い文芸作品?

予告編、モノクロ映像の中、大きなマントに包まれた男がふわりと夜空に浮かび上がる。そのシーンの美しさに魅了された。モノクロの映像は時に挿入される残虐描写のその飛び散る血しぶきの生々しさを和らげ、女性のナレーションによる淡々とした語り口も格調高い文芸作品風なのだが、とうに死んだはずの南米随一の独裁者を蘇らせ、その後日談を紡ぐという、ブラックユーモアに満ちたとんでも設定になっている。
監督はチリのパブロ・ラライン(47歳)。私は知らなかったのだがまだ若いのにすでに巨匠。Wikipediaにはその初期の作品から毎年のように数々の国際映画賞のリストが並ぶ。この『伯爵』も去年のベネチア国際映画祭で最優秀脚本賞、米アカデミー賞では撮影賞にノミネートされている。
面白いのは両親が共に右派系の政治家で特に母親はピノチェトの流れを汲む政権の大臣まで務めている。
しかしパブロ・ラライン自身はその跡を継ぐことはなく一貫してピノチェトには批判的であると、この作品を見てもそれは筋金入りのようだ。

一族による不正蓄財

2006年、ピノチェトは心不全で亡くなっている。91歳。しかし彼は吸血鬼なので自分の死を偽装することなど苦もなく、その後蘇生しどこかの大きな湖の中に浮かぶ島の屋敷で妻と執事と共に静かに生きながらえている。物語の本編はようやくそこから始まる。
250年、老吸血鬼はさすがにもう生きることに倦んでいた。生き血を断ち、身体を朽ちるにまかせている。
彼は5人の子供たちを島へ呼び寄せる。島には6人が上陸する。財産分与に備えて有能な若い会計士の女性を一人伴って。
この若く有能な女性会計士とは、実はある修道院から送り込まれたエクセシストである。悪魔の吸血鬼を退治するために計算が得意な彼女に白羽の矢が立った。
計算が得意な修道女はピノチェト一家がこれまで蓄財してきたすべてをその手法まで含めて軽々と、しかし徹底的に暴いていく。ピノチェト一族による国家財産の略取という不正蓄財の犯罪性が暴かれるのだが、彼女の使命はそれを罪に問うことではない。修道院からは余すことなくその財産を徹底的に調べ上げ、そのすぺてを通報せよとの命を受けているが、最終目的は悪魔祓いである、と信じている。

恋する吸血鬼

若く有能でかつ軽妙な女性会計士に、老吸血鬼は恋をする。
彼は再度身体を奮い立たせるためにその夜軍服に着替えマントを纏い、ふわりと浮いてサンティアゴへと狩りに向かう。
久しぶりに生き血を吸い生気に満ちた吸血鬼の前に修道服に着替えた若い修道女が立ちはだかる。世紀の対決かと思いきや、あっという間に彼女は籠絡され、まるで自らその白いうなじをさらす。吸血鬼の牙にかかり彼女は新しい世界を受け入れる。彼女の身体がふわりと浮き上がる。まだ重力をうまく手なづけられないのか身体は不安定に宙を転がるが、その顔は喜びと開放感に溢れている。この作品中屈指の美しいシーンだ。
え?かつての独裁者によって敬虔な宗教信者が解放される? なんとも皮肉な構図だ。ただ、悪魔祓いは口実で実は「伯爵」の隠し財産の奪取こそが目的だった修道院の欺瞞性からは解放された。ミイラ取りがミイラになってしまっても。

ピノチェトは死せず

朽ち果てるばかりかと思っていた吸血鬼が久しぶりに狩りをして生気を取り戻した?修道女に恋をしたから?しかも長年寄り添った妻にさえ決してその牙をかけることはなかったのにほんの数日前に会ったばかりの小娘には牙をかけた?その妻は実は執事と不倫していたのだが。
執事とは、かつて社会主義者や反体制派を次々に処刑、惨殺してきたピノチェトの旧くからの側近で、汚れ仕事を一手に引き受けてきたその勲章としてピノチェトから牙をかけられている。つまり彼も実は吸血鬼である。
妻も執事も何よりも子供たちが不安に駆られる。この若い有能な会計士はすべての隠し財産を暴き出し、リスト化している。一族とはなんのゆかりもないその小娘に財産を盗られてしまうのではないか。屋敷内には不穏な空気が流れ始める。
そんなとき遙か北の空から飛来する女性。ナレーターの女性だ。島に降り立ち「貴方を産んだのは私よ!」と言うその女性は、鉄の女マーガレット・サッチャー!
彼女によると、昔マルセイユで農民の季節工として働いていたが、ある日海兵隊が現れ、凌辱され、首を噛まれた。その意味が分かったときには既に妊娠していた。永遠の命を与えられ、さらに子供まで授かったお礼に彼女はその海兵隊の心臓を杭で打ち抜く。しかし子供を育てる余裕はなかった。産み落とした彼を孤児院の前に預け出奔する。
イギリスに渡り、首相になり、フォークランド紛争の際助けてくれたのがピノチェト。そのときに出会ったときに、200年探してきた息子がまさに貴方だと確信した、と。
そうこうしているうちに各々農具で武装した子どもたちが集まり始める。惨劇が始まる。修道女は捉えられ、家畜用に使用されていた古い断頭台に据えられる。妻も執事も混乱の中惨殺される。
失意の中、子どもたちを残し、サッチャーと共にピノチェトはさっさとその島を去る。財産目録と共に。

物語は終わらない

映画は最後に、まだあどけない子供を校門の前まで送るサッチャーの後ろ姿で終わる。
つまり、次世代の吸血鬼はもう育ちつつあるという、警告だ。
「新自由主義」という名の吸血鬼が。
ただ、そのような吸血鬼は、今現在も世界のそこここでマントを翻していると思うのだが。 (多田野 太)

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