読書案内「検証 ナチスは『良いこと』もしたのか?」

小野寺拓也、田野大輔・共著 岩波ブックレット №1080 税込902円

「政治的正しさ」への反発が「絶対悪」を「善」に変える

確かな知識の伝達を粘り強く

 私の高校時代。世界史を担当した男性の教師Aは、授業のたびに生徒たちに口癖のように言った。「すべての歴史は権力者の歴史である。みなさんもそれを肝に銘じてください」。当時のクラスメートらが、どれほどこの言葉の意味を噛みしめたか、今では知る由もない。教室にはこの科目で常に「120点」を取るクラスメートBがいて教師Aを驚かせていた。私はと言えば、日本史にも世界史にも一切関心がなかった。
 閑話休題。歴史修正主義右派によるインターネット上でのデマ宣伝や、過激なヘイトスピーチが喧しい現在。「悪の権化」、「絶対悪」として認識されたヒットラーやナチスにも、「良い点」があったと見る若い人々が少なくないという。本書標題のテーマだ。

「ヒットラーのファン」とは?

 ある予備校教師のツイートが、教える女子高生が完璧な文体で「ヒトラーのファンだ」との小論文を完成させたとして騒ぎになった。ドイツでも、あるニュースキャスターがナチスの政策を良く評価する発言をして世論を二分する騒動になったという。
 ナチスがした「良いこと」とは何だろうか。本書では、失業対策、アウトバーンの建設。国民車フォルクスワーゲンの開発、歓喜力行団による労働者の旅行事業。家族政策、環境保護政策など、これまで幾度となく語られてきた象徴的な政策を指している。
 2人の著者はそれらを一つひとつ詳細に取り上げ、実相を暴き出している。本文構成では、無理を承知で「良い点」をあえて抽出してみる。それだけ読むと「やはりいいことではないか」と納得したくなる。しかしその後に丁寧な反証を加え、本質に迫るのだ。

「ナチスの功績」の大ウソ暴く

 結論から言うと、ヒットラーとナチスによって宣伝されてきた「功績」に、オリジナルなもの、新しいものは、ほとんどない。すでにアメリカやヨーロッパで行なわれてきた施策をそのまま借用したか、少し手を加えただけのものに過ぎない。
 「経済発展」は、ワイマール時代の成果がたまたまナチスの時代に反映されただけのこと。雇用創出策の大きな目玉事業とされた「アウトバーン建設」も、実はヒトラーの発案ではない。ワイマール時代に民間組織によって構想され、一部ですでに実現していた。ヒトラーはそれを拡大し、大々的に宣伝しただけなのだ。
アウトバーンは「軍事用道路」との見方が定説ではあったが、近年それは否定されている。戦車のような重い車体に道路が耐えられないのである。しかも建設はコマ切れでついに完成しなかった。建設はあくまでヒトラーの人気取りに使われていた。失業対策としても効果はなかった。「ヒトラーが政権を握る以前にすでにドイツの経済が景気の底を脱し、回復局面に入っていた」(P46)。

労働者への進歩的福利厚生か?

 「歓喜力行団」に象徴されるナチスの労働者政策=福利厚生も、良いこととして話題に上る。しかし、ナチスが世界に先駆けて「8時間労働制」を実施したわけでもなければ、勤労者に有給休暇取得を義務づけたわけでもない。それらはナチ以前に、欧米各国ですでに国際的基準として確立されていた。
 それどころか軍需景気で人手不足が深刻化すると、長時間労働の強制や休暇の制限が起こった。各種の福利厚生も、第一次大戦後の産業合理化、科学的な労務管理の浸透によって、すでにレク運動時代が到来しており、ナチ独自の発明では決してない。
 これらの施策はあくまで、労働者を社会主義や共産主義的な従来の組合とその運動、イデオロギーから引き離し、国家による徹底した監視と管理の下に置き、民族主義的に統合する目的で再組織したものである。それは軍備増強への労働力の確保と、戦争遂行というヒットラーの究極の野望に則ったものである。さらに言えば「歓喜力行団」は、先行していたイタリアファシスト党の余暇組織「ドーポラ・ヴォーロ」の物まねに過ぎない。
 こうして二人の著者は、次々とナチスの「功績」を論破していく。主張を早読みをしたい人は、「はじめに」と「おわりに」を先に読めばよし。SNSでの再評価的言論が、いかに軽薄かつ感情的であるかがわかる。

「自分は真実を知っている」?

 なぜこうした無責任で軽率な主張が後を絶たないのか。一つには、これまで教育現場で連綿と教えられてきた歴史的定説への、反感と反発がある。「自分こそ真実を知っている」と思い込み、それを披露したくなる欲求。「新しさ」(実は古すぎる)を発見して認めてもらいたがる承認欲求の類だ。「定説をひっくり返す」ことの快感と独善が見える。
 ナチス美化の反面、その対極として「マルクス主義の蛮行」「共産主義者の残虐行為」も、ネット上ではまことしやかに語られる。ロシアや中国の「人権弾圧」を認めたとしても、ナチスの行為が許されるわけではない。これらの物言いには、資本主義と社会主義を二極単純化し、「どっちもどっち」で「悪の相殺」ができるかのような錯覚がある。
歴史的事実に関する問題は、〈事実〉〈解釈〉〈意見〉という三つのプロセスを経なければならない。歴史学では何らかの形で〈事実〉あるいは〈事実性〉に立脚する。そこから出発し、それへの〈解釈〉に進む。〈事実〉に立脚した歴史的な、多様な〈解釈〉を謙虚に検討することこそが重要なのである。
 ところが、この〈解釈〉をないがしろにして、〈事実〉からいきなり〈意見〉へと飛躍する向きが少なくない。著者は極めて危険な流れだと指摘する。〈事実〉が修正されれば、そこから導かれる〈意見〉は推して知るべしだろう。

ナチスは「絶対悪」である

 キーワードは「民族共同体による包摂と排除」である。それは、社会主義者、共産主義者、ユダヤ人、障がい者、政治的敵対者などは徹底して排除・抹殺したうえで、「人種的純粋さ」のお墨付きを受けた者だけが、政治のささやかな恩恵を受け、国家に統合されるという、絶対的な管理・統治手法である。
 一定期間ごとに頭をもたげてくるナチスやスターリンの再評価、美化。うんざりもするが、それでも粘り強く反論を準備し、真実を抱えて、人々の中に分け入っていかねばならないだろう。「この状況を放置すべきでないとすれば、専門家は一部の反発を覚悟しつつも、粘り強く専門知識を伝える努力を続ける必要がある。『反ポリコレ』の欲求に呑み込まれた者を説得するのは無理だとしても、しっかりとした知識を持つ第三者の数を増やしていけば、それは歴史修正主義的な風潮に対する社会の免疫を強化することにつながるだろう」(P112)。その通りではあるが、大変な作業だ。
 コンパクトな装幀の中に、昨今の反動的言論を一蹴する貴重な材料が首尾よく整理されて並んでいる。無学の私でも一気に読めた。お勧めの一冊である。
(佐藤隆)

 他の参考文献
・「スターリン 『非道の独裁者』の実像」 横手慎二著 中公新社新書
・「ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの」 林健太郎著 中公新社新書

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