映画「ゲバルトの杜~彼は 早稲田で死んだ~」

5月25日公開

「内ゲバ」根絶のために

代島治彦さんの最新作に応援を!

 毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞を受賞した「三里塚のイカロス」(2017年)の監督・代島治彦さんの最新作「ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ~」が5月25日から一般公開される。現在の広報では「全国順次公開」で、決定は東京・渋谷のユーロスペース1館だけだ。
 劇場公開を成功させるため、必要な宣伝予算を集めるクラウドファンディングが4月30日期限で行われている。300万円の目標に対して、残り日数16日の時点で約208万円にまでなった。みなさんの協力をお願いしたい。また、5月5日には早稲田奉仕園で特別先行上映が決まっている。詳しくはクラウドファンディングは紙面に載せたQRコード、上映館の情報は下記のホームページで確認してほしい。
http://gewalt-no-mori.com

原案は『彼は早稲田で死んだ』から

 映画の原案となったのは朝日新聞阪神支局襲撃事件取材班に所属した樋田毅(ひだつよし)さんの書き下ろし『彼は早稲田で死んだー大学構内リンチ殺人事件の永遠』(2021年11月/文藝春秋社)だ。1972年11月に早稲田大学構内で革マル派によって二十歳で虐殺された川口大三郎さんの「死」をめぐる問題を人生のテーマとした樋田さんは、50人を超える人たちから話を聞いて本を仕上げた。樋田さんは早稲田大で川口さんの一年後輩にあたる。同書は今月9日、文庫版になった。
 本紙では、同書の書評を平井純一さんが執筆し、次のようにまとめている。
 ―やはり考えるべきは革マル派という組織そのものが、その内部から自己変革することが可能なのか、という問題なのである。それは依然として絶望的であることに変わりがない。
 同時に私たちは、「不寛容に対して私たちはどう寛容で闘いうるのか――。早稲田のあの闘いから半世紀を経た今も、私は簡単には答えを出すことのできないこの永遠のテーマについて考え続けている」という著者の締めくくりの言葉を共有して、これからも闘っていきたい。それは学生運動の再建というテーマを、現在どのように構想していくべきか、という問いでもある。(2022年8月22日号)

語りと短編劇のドキュメンタリー

 クラウドファンディングHPでのよびかけで、代島さんは映画づくりのきっかけを次のように記している。
 ―(2021年11月)私は劇作家・鴻上尚史さんとトークをしていました。鴻上さんが「最近読んだ『彼は早稲田で死んだ』という本はとても面白かった」と話し、「次はぜひ内ゲバの映画を作ってください」と勧めました。トーク終了後、客席にいた著者の樋田毅さんから『彼は早稲田で死んだ』を進呈され、すぐに読みました。鴻上尚史さんと樋田毅さんとの出会いから、「きみが死んだあとで」の製作費及び宣伝費の赤字を抱えたまま、私は『彼は早稲田で死んだ』を原案にした映画作りに動き出したのです。
 代島さんは77年4月、鴻上さんは78年4月に早稲田大学に入学した。
 134分の作品は、インタビュー(語り)と鴻上さんが演出した短編劇(ドラマパート)で構成されているそうだ。クラウドファンディングの謝礼の一つ「プレスブック(非売品)」には、樋田さんの著書で語った関係者のほか、ジャーナリストの池上彰さん、作家の佐藤優さん、思想家で武道家の内田樹さんら18名が登場人物として紹介されている。

「左翼は他者肯定へ戻れるか」

 鴻上さんとのトークの1年後、代島さんは朝日新聞社の月刊誌『Journalism』(2022年11月号)の「特集Ⅰ/左翼はどこへ」に「血に染まった『左翼のバトン』、躓きの歴史刻み、つなげるか」とタイトルがついた投稿をしている。最後の段落では次のように記されている。
 ―人間の悲しみの歴史をくり返さないために、人間の悲しみの歴史を「躓きの石」として残すこと。その価値を自覚した権力だけが政治を司る資格があると思う。赤い血で染まった「左翼のバトン」をもう一度拾い上げ、「躓きの石」として歴史化しない限り、この国の左翼は他者否定、社会否定そして人間否定から「社会のために」という他者肯定には戻れないだろう。
 マスコミ試写会を鑑賞した作家で活動家の雨宮処凛さんは集英社が運営するネットサイトの連載「生きづらい女子たちへ」で、「内ゲバで若者が殺しあった時代と、SNSで集団リンチが繰り返される時代」と題したコラムに「ゲバルトの杜」を鑑賞した感想を寄せた。1975年生まれである雨宮さん自身と、今の時代に引き寄せた課題を記している。「連合赤軍は、希望した者が山に入り、そこで仲間殺しという悲劇が起きた。しかし、今はSNSで、いつ誰が生贄になるかわからない」「日々、SNSの内ゲバにうんざりしているという人も、ぜひ見てほしい」(4月2日「情報・知識&オピニオンimidas」)。

 負の歴史の記録と継承

 樋田さんと代島さんは「内ゲバ」を表現、記録したのではない。樋田さんの著書の副題「大学構内リンチ殺人事件の永遠」が端的に表すように、早稲田大学での革マル派による暴力支配に抵抗する側の証言と、当時の加害者述懐を記録したものだ。代島さんはインタビューで次のように語っている。
 ―内ゲバの死者、そこには川口君みたいに内ゲバに巻き込まれて間違って殺された死者、瀕死の重傷を負った末に病院で亡くなった死者、内ゲバ殺人の加害者になったことを悔いて自殺した死者もいるでしょう。彼らを「意味ある死者」として蘇らせるためにはひとりひとりちゃんと記憶し、弔わなければならない(先述のプレスブックから)。
 私自身は現在、101年前の関東大震災直後に地元で起きた朝鮮人虐殺犠牲者の追悼行事と連携しながら、検見川や福田村で「巻き込まれて間違って殺された死者」に関する資料収集、記録、追悼を仲間たちと継続している。101年の時間は証言者を失った。地域の仲間たちは昨年から、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」と連携し、全県規模のネットワークの設立運動に加わっている。 また、2003年から沖縄で精神科の勤務医をつとめた蟻塚亮二さんが2014年になって『沖縄戦と心の傷―トラウマ診療の現場から』(岩波書店)を著したように、暴力の被害者、加害者双方で消えない傷に気づくまでの時間は長かった。2013年から福島県相馬市に開設されたクリニックで蟻塚さんは震災被災者と向き合っている。福島原発事故の記憶でさえ「風化」が課題、問題視されている。
 3月20日、東京・代々木公園でさようなら原発全国集会が開かれた。告知チラシや当日のプログラムに記載されていた「ワタシのミライ」と「Fridays For Future Tokyo」(以下FFF Tokyo)の発言が「事情によりなくなった」という主催者説明があった。後日、知人が前日に発せられたFFF Tokyo の次のような声明があったことを知らせてくれた。
 ―社会を変える手段として暴力を肯定する団体の構成員・賛同者らが関与していると考えられる団体がブースを出店することが判明したためです。そうした団体に活動の場を提供することにFFF Tokyoは賛同できないため、「協力団体」という、同集会を準備・運営する役割を担うことを取りやめることにしました。(「さようなら原発全国集会」への協力中止に関する声明)
 ワタシのミライも3月19日、「ブース出店する団体の一つに、暴力を容認する組織とつながりのある団体があることがわかりました。『ワタシのミライ』はあらゆる暴力に反対する立場から、このことに懸念を表明します。ブース出展や当日のデモへの参加は予定通り行います。また、引き続き、脱原発と気候正義の市民ムーブメントの平和な連帯のあり方を模索・提案していきます」という考えと立場、対応を明らかにした。
FFF Tokyo とワタシのミライが発した懸念と対応を日常の活動と合わせて支持する。
 さようなら原発の当初の呼びかけ人9人のうち6名が亡くなった。このことが示すように、さようなら原発の運動は「内ゲバ」の時代の記憶をもつ世代の参加比率が高いだろう。代島さんの最新作はこうした課題も突き付けられた時代に公開される。多くの若者が観賞できるよう、クラウドファンディングをはじめとした協力や支援を行ってほしい。(KJ/4月15日)

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