投稿 「エコ社会主義」のために

たじまよしお(長野県 画家)

 本紙読者のたじまよしおさん(画家)から、「尖閣列島」をめぐる「領土紛争」と資源問題について、エクアドルのヤスニプロジェクトが突き出した「エコ社会主義」的展望(次号掲載)と重ね合わせて探究する文章が寄せられた。読者の皆さんからもぜひご意見を寄せていただきたい。(編集部)

尖閣の日本領有への閣議決定 

 この一月一四日、東京FNMを聞いていたところ「一八九五年の一月一四日、尖閣列島が日本の領土として閣議決定された」旨のアナウンスが流れた。閣議決定がされたのは事実であるが、そのことは当時の新聞に掲載もされなかったことも報道の公正な立場から付け加えてほしかった。
 この「尖閣列島の日本領土閣議決定」の半年前の一八九四年の七月、日本海軍はイギリス帝国の支持のもと、宣戦布告なしに豊島沖で清国艦隊を不意打ちして戦局を優位においていた。そしてこの尖閣列島領有を密かに閣議決定してから三カ月後の四月一七日に日清講和条約調印となるのだが、両国との間にたって講和条約の労をとったのがイギリスである。この日清講話会議のときは日本が尖閣列島を自国の領土と閣議決定したことはおくびにもださなかったのである。そこでは台湾、琉球とそのまわりの島嶼を日本の領土として認めさせている。それらと比べたら胡麻粒ほどの尖閣列島の領有権をなぜ講和会議で押し通すことをしなかったのか。
 ここからは私の推論になるのだが、当時日清戦争は日本軍の連戦連勝で、圧倒的に有利な条件で戦争を終結出来るのは目にみえていた。台湾の領有権を獲得すればその周りの島嶼群も日本のものとなる。そして沖縄の周りの島嶼も沖縄と一緒に日本のものになる。しかし圧倒的な軍事力をもってしても、尖閣諸島の領有権は主張できない。日清の講和会議でそれを持ち出せば、清国の反発以上にイギリスから大目玉を喰らうことは目に見えている。当時の日本は「富国強兵」の上り坂にあったがイギリスとは比べものにならなかった。胡麻粒みたいな島嶼のことで国際社会から孤立するのを恐れて、講和会議の前に密かに閣議決定をした、というのが私の解釈である。
 台湾について言えばそれまでにオランダ、スペイン、清国などの植民地にされてきた歴史があり、琉球についても日本と清国の間の綱引きの歴史というものがあった。しかし、尖閣諸島は植民地争奪戦の枠外というのが日本政府の認識であった。「日本が釣魚諸島を盗み取った」と中国政府が言うと、「なんたる非常識な」と、日本のナショナリズムは沸き立つ。そのあたりの絡まった糸を解かねばと思い、いろんな資料を集めていたのだが。

台湾‥「保釣」の系譜 


ところで月刊「世界」の二〇一四年一月号から「『保釣』の系譜」という連載記事(本田善彦・台北在住ジャーナリスト)が載っていて興味深い。尖閣列島は台湾の領土であるという主張である。以下「 」内は「世界」からの引用である。
尖閣列島のことを台湾の側は「釣魚台」と呼んでいる。「台湾において、単純に釣魚台は日本のもので台湾のものではない、と考える人はまずいないだろう。少なくとも大多数の台湾人は、日本のものではないと考えている」「釣魚台は(台湾の)原住民が何万年にわたって子孫に伝えた伝統的な海域だ。多くの原住民の祖先が釣魚台とその周辺海域で漁をし、海鳥の卵を採り生活の糧を得ていた」のである。しかし、漁民にとっては自由に漁ができれば、そこがどこの領土でも良かったのである。ところが、昨年二〇一三年四月一〇日に日本政府と台湾政府で取り交わした日台漁業協定以後様子が少し変わってきた。

日台漁業協定の問題点

 「協定締結後わずか一カ月ほどの間に、三隻、四隻と続けざまに(台湾の)漁船が検挙され、一隻あたり一二〇万~一五〇万台湾元(約四〇〇万~五〇〇万円)の罰金を科せられた」そこで「台湾東北部・宜欄県・曾太山が六月一七日、宜欄地裁で日本首相・安倍晋三を相手取り、同年四月に交わされた日台民間漁業取り決め(漁業協定)が台湾漁民の権益を侵害するとして、損害賠償を求める民事訴訟を起こした」のである。この日台漁業協定は、このところとみに悪化している日本と中国との関係に鑑み、台湾と中国が緊密にならないように楔を打ち込みたいという日本側の思惑があったようであるが、それは全く逆の効果をもたらしかねない。「台湾側の『漁会(漁協に相当)』などを介した両岸の民間レベルの話し合いは頻繁にもたれており、海難救助などでの相互関係の緊密化は進んでいる」からである
「二〇一二年の(日本政府による)尖閣国有化直後に台北の大手新聞系・旺旺中時民意調査センターが集計した世論調査を挙げると、日本の尖閣国有化に賛成は四・七%、反対七一・三%、馬政権の主権防衛の態度に満足は一四・九%、不満六三・八%、主権防衛で馬政権に強硬姿勢を希望が五二・三%温和に二七・三%、尖閣問題で両岸協力支持が五四・一%反対二七・六%」となっている。台湾の人々はおおむね親日的で、日本政府が尖閣列島を国有化した際、中国国内で暴力的なデモの嵐が吹き荒れたときも冷静で批判的であったという。しかし一方では「一つは台湾の主流民意が、尖閣に対し『台湾のもの』もしくは『中華民国のもの』の別は問わず『自分たちのもの』と見なしているであろうということだ。もう一つは、尖閣問題で日本が強硬に出た場合、両岸連携を是認する声が一定レベルで存在することだ」。
「二〇一二年九月二五日、(日本政府の)尖閣国有化に反発した宜欄の漁船四〇隻が、台湾側の巡視船一二隻とともに尖閣沖の日本領海内に侵入し、放水して警告する海上保安庁の巡視船に対して台湾側も放水で応じた一件があった。大規模な衝突には至らなかったが、日本では『親日的なはずの台湾がなぜ』と困惑が広がった」「馬英九は漁船団の帰還を待って、二七日に総統府内で漁民や巡視船乗組員らと会見し、尖閣を台湾の漁場だと世界に知らせる行為だったと賞賛した」とある。ここでは巡視船乗組員を馬英九総統が賞賛したのだから、その示威行為は政府の意思でもあったのではないかとおもわれるのだが。
「台湾・聯合報グループが米国で発行する中国語紙『世界日報』(日本で刊行されている同名紙とは無関係)の一〇月二四日付ネット版は、張俊宏と元民進党主席の許信良が『還我釣魚台大連盟(釣魚台を返せ大連盟)』のメンバー一〇〇人を伴って宜欄地裁を訪れ、『釣魚台は台湾のものだ、釣魚台を返せ』とスローガンを唱えた後、台湾原住民(先住民族/一九九四年の憲法修正を経て台湾で『原住民』は公用語となった)の支持者とともに、祖先の霊を慰めるために尖閣を目指して出航した、と報じている」。

台湾政府と原住民族との関係 

 先にも「釣魚台は原住民の祖先が何万年にわたって子孫に伝えた海域だ――」と記したが、台湾における原住民の比率は二%である。
領土問題というのは実に難しい。台湾の人々は領土問題に原住民を利用しているのではないかという、うがった考え方をする人もいるかもしれない。そこで私の貧しい知識を元に台湾の原住民について少し考えてみたい。幸いなことに、手元に「先住民族一〇年News」があって二〇一〇年から一一年にかけて「台湾先住民族タイヤルをとりまく重層的脱植民化の課題」なる連載があった。執筆者は中村平(韓国漢陽大学教員)さんである。中村さんは実に膨大な参考文献を精査してこの論文を書いておられるが、失礼を覚悟でそれらを参考にして私の言葉で綴ってみることにする。なお「  」内は中村平さんの論文の引用である。
台湾の政府と原住民の関係についてであるが、二〇〇〇年から二〇〇八年まで総統を務めた陳水扁は選挙期間中の一九九九年に「先住民族と台湾政府の新パートナーシップ協定」を公約にかかげた。そして陳水扁政権となって「国家の主権と原住民族の主権、そして部落の主権が対等であるとの原則」を基に「原住民族土地協定草案」が内政部で当時検討されている。この「協定草案」は手元にはないが中村平さんの論文から「日本の占領下での官有であった土地」「つまり、日本統治初期に国有地にされた先住各民族の伝統的な土地は第二次大戦後再度国有地化されたが、これらは無条件に先住民族に変換されるべき」という内容であったろうと思われる。
「これらの点に関しては二〇〇七年一一月に『原住民族自治区法草案』と『原住民族土地及び海域法草案』が立法院での審議におくられた」「が、現時点(2010・7)では実現していない」。二〇〇八年からはそのことに消極的な馬英九政権に変わったからであろう。前記の「……海法草案」の中に尖閣列島が含まれているのだと思われる。「実際に(尖閣列島は)『中華民国台湾省宜欄県頭城鎮大渓里』として登記している(「世界」)」。
この稿は尖閣の領土問題から日台漁業協定そして先住民族にまで及んでしまったが、再度漁業協定に戻すことにする。この協定には沖縄の漁業者からも不満の声が出て、共産党の赤嶺政賢議員が衆議院の内閣委員会で二〇一三の五月にこの協定の撤回を政府にもとめている。沖縄の漁業者の要求を国会の場で追求するのは当然のことと思うが、どうしても領土問題が絡んでくるから厄介である。台湾・中国・日本政府はいずれもその時々の支配層の利益を第一に優先させる。ときには漁業者の要求を利用してナショナリズムを煽り立て相互の民衆の憎しみの感情を増幅させたりもする。
日台漁業協定は民間と民間との間で取り交わされたものとなっているが、台湾と中国が緊密な関係にならないように楔をうちこもうという日本政府の意思がはたらいていた(キャノングローバル戦略研究所)のであり、今こそ沖縄の漁業者も含めて、各国政府の思惑に囚われない、純粋な意味での民間外交が求められているのだと思う。

尖閣列島の歴史的考察



歴史的にみれば、日本・沖縄側から黒潮の急な流れをつっきって尖閣列島へ船を進められるようになったのはここ百と数十年前から、船に発動機が装備されてからであるという。
近代化が少し遅れていた台湾・中国(清国)との関係はどんなであったであろうか。以下「  」内は「井上清著・尖閣列島」より。
日清戦争より九年前の一八八五年、「大日本帝国の軍隊をつくりあげてきた最高の指導者であり、対日清戦争のもっとも熱烈な推進者の山懸有朋」が井上外務卿(外務大臣)に尖閣列島を、実地調査の上ただちに国標を建てたい旨文書でつたえた。これにたいして井上卿は         「近時、清国新聞紙等ニモ、我ガ国政府ニ於イテ台湾近傍清国所属ノ島嶼ヲ占拠セシ等ノ風説ヲ掲載シ、我ガ国ニ対シテ猜疑ヲ抱キ、シキリニ清政府ノ注意ヲ促シ侯モノコレ有ル際ニ付」「港湾ノ形状併ニ土地物産開拓見込ノ有無ヲ詳細報告セシムルノミニ止メ国標ヲ建テ開拓等ニ着手スルハ他日ノ機会ニ譲リ侯方然ルベシト。且ツサキニ踏査セシ大東島ノ件併ニ今回ノ事トモ、官報併ニ新聞紙ニ掲載相成ラザル方、然ルベシト存ジ侯間、ソレゾレ御注意相成リ侯様致シタク侯(10・21/親展扱い)」と文書で返答している。
この井上外務卿の山縣有朋への返書を読んでいるうち、その当時の背景はどんなであったろうかという、疑問というよりは好奇心がそそられてきた。その頃清国には日本の「大使館」に相当するようなものがあったのだろうか。井上外務卿はその新聞をどこから入手したのだろうか。ぜひそれを入手して読んでみたいものだ。また「清国新聞紙等ニモ、我ガ政府ニ於イテ台湾近傍清国所属ノ島嶼ヲ占拠セシ等ノ風説ヲ掲載シ」とあるが、その新聞記事のニュースソースは何処か。当時清国には巡視船に相当するようなものがあったのだろうか。徳川の鎖国時代も長崎を通してオランダとの交易はあったというが、清国との交易も大きかったという。それは明治に入っても続いていたのではないか。そうだとするとその航路は?
もしかしたら、黒潮をつっきって近年やってくる琉球(沖縄)からの漁船に危機感を抱いた清国の漁民が、世論を喚起するために新聞社へ駆け込んだのかもしれない。幼稚な好奇心と一笑に付さないで欲しい。そうした時代背景を明らかにするには、中国の人々との共同作業が必要になってくると思う。これまでに取り組まれてきている「日中の政府間、あるいは民間で行なわれた歴史共同研究」などの中で、すでに明らかにされているならば、それを知りたい。また、そうした研究機関の協力を仰ぎたい。

領土問題とナショナリズム

 
 「領土」という文字は私にとっては「戦争」と同義語である。「固有の領土」となるとおぞましさは極まる。これは領土を拡大するために日本の外務省が発明した単語ということであるが、売り言葉に買い言葉で世界中に感染してゆく恐れはないだろうか。
 二〇一二年四月、石原慎太郎(当時東京都知事)が東京都として尖閣列島を購入することを宣言して中国民衆の反日感情を煽り、九月一一日に野田政権は尖閣列島を国有化して、ますます中国民衆の怒りに油を注いだ。 その時「許すな!憲法改悪・市民連絡会」から「『領土問題』の悪循環を止めよう!日本市民のアピール(11項目)」への賛同人署名の協力への要請があって私も賛同し、このアピールは九月二八日に発せられた。
 この動きに呼応するかのように、台湾の三人の知識人が「歴史に向き合い、問題を解決し、平和を希求する・・民間東アジアシンポジウム声明」を起草して一〇月六日に台北でシンポジウムを開き修正され、声明は一〇月九日に発せられた。
 その三人の台湾の知識人というのは、陳光興(交通大学社会文化研究所教授)、王智明(中央研究員歐美研究所研究員)、胡清雅(交通大学社会文化研究所大学院生)であった。一〇月六日のシンポジウムには、日本からは岡本厚(『世界』前編集長)と野平晋作(ピースボート)がインターネットを通して参加した。お二人とも「日本市民のアピール」の世話人であった。この「民間アジアシンポジウム声明」の起草人三人が連名で『世界』(12月号)で「日本市民アピール」に対して次のように述べている。「この声明(日本市民アピール)は、日本の政府と社会に対し、日本の植民地支配と帝国主義の歴史が東アジア地域においていまだに今日的な問題として継続している事態に向き合うよう求めており、真摯さが伝わった。この点に関して、我々がずっと考えて来たことと相通じていたのだ」。
 この日本市民アピールを発した九月二八日の参議院会館での記者会見には、韓国や中国のメディアから多数の参加があったが、日本のマスメディアの関心は低かったという。国会議員として参加したのは消費税増税に反対して「党員権停止中」の民主党の橋本勉ただ一人だったという。

二つの声明と私の見解


私は「日本市民アピール」の賛同人の一人だが批判あるいは補足的に意見を言うのは自由であると思う。 
その一点目として、アピールには「尖閣諸島とその周辺海域は、古来、台湾と沖縄など周辺漁民たちが漁をし、交流してきた生活の場であり、生産の海である」とある。この「古来」というのは千年も万年も前からと読めるが、前にも述べたように百と数十年前からというのが私の認識である。そのあたりの歴史に目を向けることは「原住民族」との共生に欠かせないと思う。台湾の原住民族による論文や文学作品はまさに膨大で、私自身人様に語れるような水準ではないが、みんなの共通の課題とすべきであると思う。
二点目として「尖閣諸島(『釣魚島』=中国名・『釣魚台』=台湾名)も日清戦争の帰趨が見えた一八九五年一月に日本領土に組み入れられ、その三カ月後の下関条約で台湾、澎湖島が日本の植民地となった」「中国(当時清)がもっとも弱く、外交主張が不可能であった中での領有であった」とあるが、この記述は次のように修正すべきである」「――外交主張が不可能な中にあっても、下関条約で尖閣の領有権を主張するには無理があった。そのことを予測して日本政府は講和会議の三カ月も前に閣議決定し、そのことは条約を結ぶ時にはおくびにもださなかった」講和会議の労をとったのはイギリスだったたからであることは前にも述べた。筆者がこのことに強くこだわるのは「尖閣列島は中国領土論」を展開するためではない。
三点目として、この二つの声明は環境問題に触れてないことである。尖閣の問題は石油資源をめぐるバトルである。「一九六九年および一九七〇年に国連が行った海洋調査では、推定一〇九五億バレルというイラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告された。結果、周辺海域に豊富な天然資源があることがほぼ確実であると判明すると、ただちに台湾がアメリカ合衆国のガルフ社に石油採掘権を与えた(ウイキペディア フリー百科事典)」。
中国は経済成長では日本を抜いて世界第二位となりアメリカを抜くのも時間の問題だという。中国の、化石燃料を使った工業化による大気汚染は国境を超えた大問題となっている。化石燃料は地球温暖化や大気汚染を促すのみではない。日本の環境省のエコチル調査によると母乳の中のダイオキシン濃度の平均値は二七年前と比べると約四倍となっている。この地球上には大型焼却炉は一八〇〇基でそのうちの一二〇〇基は日本にあるという。私たちの身の回りは石油製品が満ちあふれているが、それらはやがてゴミとなって焼却炉で燃される。八〇〇度以上で燃しているからダイオキシンの心配はないことになっているが、この母乳中のダイオキシンをどう説明するのか。

ヤスニITTイニシアティブ


二〇一〇年の秋、民主党の小沢さんと菅さんが党の代表の座をめぐってバトルを展開していたそんな最中、九月五日から七日まで南米のエクアドルのコレア大統領が来日していた。エクアドル東部のアマゾン地域にヤスニ国立公園がある。そこの地下には「八億四六〇〇万バレルの原油が埋蔵され、国全体の二〇%に相当すると見込まれる。この石油開発を放棄する代償として、エクアドル政府は、見込まれる石油収入(72億ドル)の半分(約36億ドル)の保障を国際社会にもとめている」このことをヤスニITTイニシアティブという。
「このイニシアティブの資金を受け入れるのがヤスニ基金である。その設置を目指す交渉は頓挫しかけながら、長く複雑な過程を経て二〇一〇年に決着した。基金を管理する国連開発計画(UNDP)とエクアドル政府の協定は八月二日に署名され、正式に発足した」。以上「 」内は先住民族民族10年News170号「エクアドル ヤスニイニシアティブの意義と課題」新木秀和(神奈川大学)より。
このヤスニイニシアティブは、集まった資金は目標額の〇・三七%で、二〇一三年八月に撤廃された。この構想については新木秀和さんは当初から、「ヤスニ提案のポジティブな面は評価し、それが実行可能となる条件を 整備するように支援するとともに、改善すべき内容を改めていくことが必要がある。例えば、ヤスニ基金執行委員会の委員として市民社会代表を増やし、アマゾン住民の代表を加えるべきであろう。そして、集まった資金の使途を透明にさせ、環境保全といいながらダム建設や水力発電所建設のようなプロジェクトに資金が回されないようにする必要がある。森林保全のプロジェクトについても、住民の必要性と意向を反映した計画を立案することが求められる」「現代社会の趨勢に照らせば、ヤスニ提案が画期的な内容を持つことは確かだ。しかし手放しで評価できるわけではない。エクアドル政府が国際社会にアピールしている内容は、言ってみれば、石油開発に手をつけないならば補償してもらうのは当然だ。まして補償の額は開発で見込まれる収益の半分なんだから、という主張であり、そこには独善性も垣間見られる」。
紙面の都合で新木秀和さんの所感の全文を紹介できないが、厳しさの中にも前向きな暖かさが感じられる。実際に資金を提供する側にとって、なにか割り切れなさを禁じえない構想ではあった。しかしこの構想のそもそもの源はエクアドルの「環境保護や先住民族保護などに関わるNGOやリベラルな志向を持つ活動家・研究者」であったことにも留意すべきである。このヤスニイニシアティブの目的の一つに「ヤスニ地区にすむ先住民族の保護」が謳われているし、それは先住民族の石油開発への抵抗運動の成果でもあった。
「とはいえ、先住民族組織はイニシアティブに対し冷徹な見方をくずしていない。石油開発を推進するコレア政権の方針は変わっていないからだ。いや、資源開発全般についても同様の方針があり、とくに鉱業法の強引な制定に見るように、鉱山開発に積極的に取り組もうとするコレア政権の姿勢が明らかであり、先住民族は批判的なのである。
ヤスニITTイニシアティブにより開発中断とされる原油は埋蔵量全体の二割にとどまる。つまり、残りの八割は今後とも堀り続けるという意味になる」。なお、このイニシアティブが撤廃されたのは二〇一三年八月であるが、前述の「  」内の文章はそれが発足した直後に書かれたものである。

東アジアイニシアティブとは

 以上ながながと「ヤスニITTイニシアティブ」について述べてきたが、ヤスニ地域も尖閣周辺の海域も、埋蔵している石油資源の開発という共通項がある所以である。尖閣周辺の海域がどこの領土であれ、地球環境を守る立場から石油資源の開発などさせてはならないのである。
二〇一二年の「日本市民アピール」と「民間アジアシンポジウム声明」の共通項は近代国家形成過程における侵略戦争に対する反省とその戦後処理のあり方、と私は読んだ。後者は米軍基地がアジアに存在することの弊害から、沖縄をはじめとする日本国内の反基地闘争への評価へと一歩踏み込んでいる。しかし、近代国家形成の過程を直視するならば、必ずと言ってよいほど先住民族の虐殺・抑圧が横たわっている。
そのことと、もう一つ今後の問題として、尖閣周辺の海底には、ヤスニイニシアティブのそれよりも一三〇倍もの石油の埋蔵量が予想されている、尖閣周辺の石油開発をストップさせる、東アジアのまさに草の根の運動をともに組織してゆくべきであると思う。このことは東アジア諸国の経済活動、大量生産・大量消費の経済の有り様を問い、私たちの日々の生活の有り様をも同時に問うことになる。将に「東アジアイニシアティブ」の結成ということになる。この三月二四日現在、台湾の学生たちは「中台サービス貿易協定」に反対して、日本でいえば台湾の国会にあたる立法院を占拠し闘っている。その学生たちにこの思いを伝える術を思いめぐらしながら、ひとまず稿を閉じることにする。

The KAKEHASHI

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