未来のヒントは先住民社会に

気候変動 ウーゴ・ブランコ先住民を語る
現システムへの全大陸で高まる反抗に希望

解説

 昨年四月、ペルーのリマの曇った午後、筆者は、古参のゲリラでいくつもの死刑宣告を生き延びたウーゴ・ブランコからの電話を受けた。「話を聞きたいんだって」、彼はこう問いかけ「今からならいいから来い」と言った。この町のひどく混み合った通りを車を走らせて一時間後、私は広場に面した彼の家の正面にいた。植民地時代の面影を残す中心部の北側の中産階級居住区にある慎ましやかな一階建ての家だった。私は勇気をふるってノックした。私は、私の申込を彼が受けるとは、本当は期待していなかったのだ。
 ブランコはラテンアメリカのマルクス主義革命家であるフィデル・カストロやチェ・ゲバラの仲間だ(彼とゲバラは二、三の論点で反対側にいた)。一九六〇年代はじめ彼は、アンデス山脈中央部で、封建主義スタイルのハシエンダ(大土地所有者の土地)所有者から農地を接収するために農民組合を組織した。彼はペルー政府により何年か投獄され、闘争の中で殺害された一人の警官に対する殺人の罪を告発された(ブランコはその告発を否認した)。 彼は刑務所の中で、アンデスでの農地改革の努力に基づき、共産主義的蜂起をいかに築くかの本、『土地か死か』(つげ書房から邦訳が出版されている)を書いた。彼の急進的な考えは多方面から死の脅迫をもたらし、彼はチリ、スウェーデン、メキシコでの亡命に何年も費やした。彼は近頃になってペルーに帰還できることになった。
 私を彼に引きつけたものは、反乱に彩られた彼の過去というよりも活動家としての現在だった。地球的な環境危機と先住民が保持している土地に対する私的産業の蚕食からも刺激を受け、米国のスタンディング・ロックにおける衝突(先住民による石油パイプライン建設に反対するパイプライン通過地域の占拠運動における警察との衝突:訳者)で先頃演じられた一つの型は、世界中の先住民諸運動に対して一つの代弁者となっていた。
 ブランコはペルーのクスコ地域で成長し、先住民の言葉であるケチュア語を話す。彼は二〇〇七年、定期刊行物の『ルチャ・インディゲナ(先住民の闘争)』発行を始め、先住民集団と相いれない政治的、経済的勢力を取り上げている。彼は、先住民コミュニティが環境を脅かす世界的な新自由主義諸勢力に対抗してうまくいった方法を、大声で知らせ続けている。ブランコは、『シン・ペルミソ』誌に「先住民運動は前衛の位置にいる」「それはシステムに対決する闘争、および社会のオルタナティブな組織化の建設において、もっとも先を行く部分だ」と語っている。
 現在八三歳になるブランコは、もうあまり外には出ないと私に語ったが、それでも、鉱山反対闘争の活動家を訪れるための一ヵ月のメキシコ旅行から戻ったばかりだった。彼の家には大した飾りはなく、古い本と雑誌が山のようになっていた。そして彼の姿勢は控え目で心を引きつけるものだった。われわれはわれわれだけで居間のテーブルに付いた。会話の中では彼は、礼儀正しいが直截で、何年にもわたる旅と亡命からえり抜かれた逸話で彼の考えをまとめた。
 ラテンアメリカのマルクス主義的蜂起の時代は今遠く見えるかもしれない。しかしブランコは、今日の課題へのつながりを諸々見ている。スペイン語によるわれわれの議論の中で、ブランコは、トランプ、地球温暖化、自然の諸権利、また現在の世界的な政治的空気における先住民運動の重要性について熱を込めて語った。(『ゲルニカ』に向け、テッド・ハミルトン)


 以下は、米国の気候活動家によるウーゴ・ブランコに対するインタビュー。気候変動に対する闘いを糸口にしているが、むしろ現代における先住民の闘いがもつ重要性がさまざまに論じられ、興味深い論点や事例が多数取り上げられている。世界を考える重要な側面であり、紹介する。なお本文中の〔〕内は原注。(「かけはし」編集部)

先住民が重視するものこそ重要

――あなたは何年もの間、富の再配分と社会的公正にあなたの闘いの焦点を合わせてきた。今あなたにとって気候変動が急を要する課題になっているのはなぜですか?

 私はいつでも社会的平等をめざして闘ってきた。しかし今、もっと重要な問題が、つまりわが種の生き延びという問題がある。多国籍企業による一〇〇年以上の支配、そして彼らは他の諸々の種を絶滅させてきたように、人間という種の息の根を止めようとしている。
これら多国籍大企業の目的は、可能な短期間の内に最大額のマネーをつくろうとすることだ。この目的のために彼らは自然を攻撃している。彼らはこの目的に基づき技術的進歩と科学的進歩を利用する。そこには米国内の行動も含まれ、そこでは、人々が飲まなければならない水が水圧破砕工法で汚染されている。政権もまた、程度の大小はあるとしても、国際的企業の利益を代表している。進歩的な政府ですら、それらに屈服している。

――あなたは、地球温暖化と闘う点で、先住民集団が重要な役割を果たす可能性がある、と語ってきた。どのようにしてそうするのですか?

 自然への攻撃が強まり続けている現在の日々、それゆえ、エコシステムを守る人々がより多く生まれている。そしてエコロジストは彼らが自然を守っているがゆえに先住民に敬意を払っている。そして金銭のようなものにほとんど重要性を与えていない。私はケチュア先住民の人間であり、われわれには自然に対する愛と所有という一つの原則がある。われわれはそれをケチュア語でパチャママと、つまり母なる自然と呼ぶ。
しかしオセアニア、アフリカ、アジア、スウェーデンとフィンランドの北部など、世界中すべてに先住民がいる。そして先住民の特性は、彼らが自然への愛、連帯、個人への権限付与よりも集団性をもっている、ということだ。
たとえば、南アフリカで先住民の子どもを対象に研究を続けてきた人類学者の話を一つ取り上げる。彼はいくつかの飴と果物を樹上に置き、「走れ、そして最初に着いたものが全部を取れ」と子どもたちに告げた。そこで子どもたちは手をつないで走り、全部を自分たちで分けたのだ。「何でそんなにおろかなんだ? 私は最初に着いた者が全部取る、と言ったはずだ」との問に彼らは、「われわれの中で飴や果物がないまま取り残された者が出れば、われわれみんなが悲しいだろう。あなたがいるから私もいるのだ」と答えたのだった。
クスコの大学で農学を研究した仲間のメンバーは、彼らがカムペシノス〔農民〕の農産物品評会に出かける場合、最大のジャガイモあるいは最多量のジャガイモを作る人に賞を与えてはならず、代わりにもっとも多くの種類を生産した者に賞を与えなければならない、と学んできた。なぜならば、それがもっと大切、と先住民が考えているからだ。そして「あなたの土地であなたが作るものは何ですか」とあなたが聞けば、彼らは「すべて」と答える。なぜならば、彼らは川の近くでアボカドを取り、ジャガイモのためには、はるばる山の上まで上ってきたからだ。
ペルーでは、雨期にのみ出てくる一定数のキノコがある。そしてクスコの市場には、それを小山にして売る農民がいた。「値引きなしにその全部を買おう」と私は彼女に声をかけた。普通あなたはもっと多くの量に対しそんなに払わないのだから、彼女にとってそれはよい取引だった。しかし彼女は私に「だめだ。もし私があなたに全部を売れば、私は他の人に何を売ればいいのか」と告げた。売るということは単なるビジネスではなく、社会的関係だったのだ。
私はこれらの事例に、「先住民」であることには何かがある、ということを示すためにふれた。ある人びとはわれわれ先住民を「純朴」と呼ぶが、彼らは正しい。われわれがすべての社会がかつて保持していた、水平的である、素朴な組織を残しているからだ。かれらはわれわれを「未開」と呼ぶが、私はそこでもまた彼らは正しいと考える。未開ということは、飼い慣らされていない者であるからだ。コンドルは野生の動物だが、雄鶏は飼い慣らされている。私はむしろ、雄鶏であるよりもコンドルでありたい。

水平的な自己統治する社会


――国際的な尺度で集団的な力のこのタイプを利用することは可能だろうか?

 私は地球の住民が自ら統治するという考えに賛成だ。それは、地球温暖化と自然破壊に立ち向かうただ一つの救いだ。その理由から、先住民衆はかつて以上の尊敬を得ている。
マルクスがヘーゲルから得た一つの哲学的原理がある。まずテーゼである肯定がある。次にアンチテーゼである否定がある。次いで、テーゼを戻し、いくつかのアンチテーゼの要素を合体する止揚がある。
ここでテーゼは、水平的で階層性のない素朴な社会だ。その後〔アンチテーゼとして〕文明化が、指揮し彼ら自身の利益にあわせて支配する者に指導されるカーストシステム、欧州では垂直的な諸階級のシステムが現れた。そして止揚は、アンチテーゼのいくつかの要素で豊かにされるテーゼの復興、あるいは再度の水平的社会の復興、あるいは諸々の種の生き延びを危険にさらしてこなかった社会の全面的な前進だ。私は、この止揚に到達する必要がある、と考える。そしてわれわれは、社会の全員が統治する時、そこにいることになるだろう。
私は、指導者やカウディロス〔豪腕の者〕、あるいは管理者に信を置かない。そして私は、われわれが推し進める必要があるものは集団性をめざす運動だ、と考える。それこそが私が信を置くもの、底辺に発する力だ。そしてそのように組織化された社会はそれに似たものになり得る。

――事例をいくつか示すことができますか?

 私はそれを、クスコ近くのカムペシノス地区であるリマタムボで、メキシコで、さらにギリシャで見てきた。リマタムボでは「市長はなぜいつもハシエンダ所有者の息子なのだ? われわれはなぜ自分たち自身を指名できないのか」、カムペシノスはこう問いかけた。こうして彼らは秘密投票を行い、彼らの選出を勝ち取った。しかしそれは個人が統治できるようにするためではなかった。それは、コミュニティ総会が統治できるようにするためだった。それは民衆の権限行使であり、メキシコでサパティスタスが保持しているものと同じだ。
サパティスタスは、三つのレベルで、つまりコミュニティ、自治体、そして地域で政府を保持している。何千人という先住民衆が、「したがうことによる指導」の原則に基づき自ら民主的に統治している。人びとは統治者として女と男の一集団を選んでいるが、しかし彼らは一人の首長や書記長を選ばない。つまり、選ばれた者すべては同列なのだ。一定の期間の後、彼らは全員をすっかり変える、再選出はまったくない、こうして誰もが頂点に就き、取り代えができない人間は一人もいない。
極めて重要な問題がある場合、彼らは集団が決定するように総会を招集する。どのレベルでの権威をもつ者も一セントも受け取らない。彼らは農民に似ていて、各自が定量を受け取る。ドラッグとアルコールは禁じられている。これを人が社会主義やアナーキズムやコミュニタリアニズムと呼ぶことになるかどうか、私には分からない。またそれに私は関心がない。
私が気に入ったことは一人の同志が私に語ったことだ。それは、「彼らは私を選出した。彼らが私を一人のコミュニティ管理者として選出していたとしても、それでも私は私の夫と子どものために調理ができていただろうから、それは問題にはならなかったと思われる。しかし彼らは自治体機関のために選出した。それで私が行うこととされたことは何だったのだろうか? 私は旅に出かけなければならなかった。私は子どもたちに調理法を教えなければならなかった。そしてそれは、息子の妻が遠くからの郵便物を受け取ることができ、息子が調理法を知っているのだから、よいことだった」というものだった。そうして彼らは前進を続けている。

各地に生まれている全員の政府


われわれはそこにいた〔サパティスタスと共に〕。そして彼らは、自らをどのように養うか、自らをどうケアするか、先住民の知識をどのようにして回復させたか、の説明を続けていた。しかし彼らは西洋の医療を拒絶したことはない。こうして彼らは、診療所の建設法と運営法を教えた外科医と医師を他の地域から集めた。そして彼らは、サパティスタスだけではなく、パルティディスタス〔政党に加盟している人びと〕をも受け入れている。しかしパルティディスタスは彼らが受ける医療に対価を払わなければならない――サパティスタスは完全に無料で処置を受けている。そして最近一人のサパティスタスが「ところで診療所ではサパティスタスよりもパルティディスタスの方が多い。われわれがうまく自らを養っているために病気にかからないからだ」と私に語った。
メキシコのチェランという名の町にも先住民がいて、彼らは自己統治を選択している。ある時、メキシコ全土での地方選があり、チェランでのキャンペーン宣伝のために諸政党が現れた時、市民たちは「ノー、われわれは政党を求めてはいない。どんな宣伝も受け入れない」と語った。そしてその後彼らは、彼ら自身の選択で誰かを選出すると決めた。それで彼らは、書記長やすべてを仕切る首長のいない、もう一つの統治評議会を選出した。そしてペニャニエト大統領は、それらを認めなければならなくなり、「いいだろう、彼らは先住民の住民なのだから、彼らには彼らの慣習と伝統に従う権利がある」と語っている。こうして彼らは自治体評議会を確保し、それは、境界と内部の秩序を守る、自由に使える武装自治体守備隊を備えている。
ギリシャでは、政府の緊縮を前に基盤からの活動の高まりがあることを見てきた。たとえば政府は国有テレビ局を放棄し、テッサロニキでは労働者がそれを支配下に置き、彼らは私にインタビューした。遅れて、政権が診療所の閉鎖を続けていたために、医療労働者――医師と看護師――が出会い、診療所を作った。また、労働者が管理する出版所もある。アテネには、労働者が管理する多数のレストランがある。仲介人を排して地方から品物を受け取りそれを売る協同組合もある。私は彼らに「あなた方は、地方でサパティスタスが今行っていること、つまり権力の創出を都市のここで行っている」と告げた。 事例としてはこれでおしまいにするが、それらは、一政党や一人の人間や一人の指導者の政府ではなく、全員の政府だ。

新しい世界をめざす多様な主体


――先住民の集団は、資本家の利害と闘うためにうまく適合したただ一つの集団なのですか?

 もちろんそうではない。あなたは、〔キーストーン〕パイプライン反対の闘争から、米国内の活動を見ることができる。そこでは、先住民だけではなく、水を守るために立ち上がった他の人々も米国中からはせ参じた。トランプは今このパイプラインの建設を指令した。しかし抵抗がある。
それ以上のこととして私は、抵抗の最強の部分が女性行進になった、と確信している。最強の反トランプ抗議は女性行進だった。ペルーでは、この国の史上最大の行進は、リマでの「ニ・ウナ・メノス」(もう一人も失わせない、ラテンアメリカ各地で続く女性殺人への反撃をめざしてラテンアメリカを結ぶ国際的な女性の運動:訳者)行進、女性の行進だった。アルゼンチンのロサリアでは女性の行進があった。ポーランドでもまた、彼女たちは中絶の権利を求めて闘っている。今女性が前衛の重要な部分になっている、と私は考える。
われわれはここで新しい世界を建設しようとしている。社会的公正を求める戦士であるわれわれだけではなく、エコロジカルな産品を生産しようと働いている人びと、オルタナティブな医療やオルタナティブな教育を実践している人びと、工場を接収し自分たちの共同管理者になった人びと、これらの人も含めてその全部が、新しい世界のために今闘っているのだ。

今こそ先住民の自然観の重視を

――先住民法廷は先頃、ガンジス川とヤムナ川には法的な権利がある、と認めた。また自然の権利はエクアドルとボリビアの憲法にも記載されている。さらにそれらは、多くの先住民集団によっても重要だと考えられている。その理念をあなたはどう考えますか?

 われわれは自然の一部を形作っているのだから、〔その権利を〕守るべきだ。
ニュージーランド当局は、自然と人間の防衛の点で重要な一歩を印した。そしてそれは他の諸政府がならうべきものだ。ワンガヌイ川〔ニュージーランドの北島にある〕は今「法的な人格」であり、そのようなものとしてそれには、ニュージーランド議会が署名した先駆的協定の下で権利と義務がある。
これが意味することは、マオリの人々が長い間尊んできた川には、今後人間と同じ権利があることになる、ということだ。マオリのワンガヌイ部族は、この国で三番目の長さをもつこの川が祖先と――つまり生きた実体だと――認められるよう、一五〇年間闘い続けてきた。そして今議会は最終的に、それをそのようなものとして認める一つの法を採択した。
またアルベルト・アコスタ〔エクアドルの元エネルギー・鉱業相〕も二〇一四年にここリマで、自然の権利の承認を求めた。彼は、われわれは新自由主義の政府がこれを行うのを待つつもりはない、なぜならば彼らはそれを認めるつもりはまったくないからだ、と語った。そして彼はここリマで、自然防衛のための会合を組織した。

――これからの年月で先住民集団に対してあなたが期待することはどのようなことですか?

 全大陸で、レイシズムと植民地主義の心性、また資本主義システムを防衛する政治に反対する先住民の闘争がある。メキシコのチアパスのサパティスタス圏でこの二三年間起き続けてきたことは、私を楽観的にさせている。私には、サパティスタスが語っていること、つまり「どうぞ私たちをまねないように。自分たちの場と時を分かっている誰もが、どのように行われるべきかが分かるだろう」ということが聞こえる。

▼テッド・ハミルトンは、ニューヨークを基盤とする記者であり気候に関する活動家。ハーバード法学院出身であり、気候運動に向け法的防衛策を提供する、「気候防衛プロジェクト」の共同創設者。現在、アメリカ文学と環境人間学に焦点を当て、エール大学で比較文学での博士号を取得するために研究中。(「インターナショナルビューポイント」二〇一八年一月号) 

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