COP26 うわべの多言はもうたくさんだ

気候正義実現は闘いでのみ可能

生産力主義に対する生産者の決起を

ダニエル・タヌロ

 今、英国のグラスゴーでCOP26が開催されている。気候危機の原因が人間の活動にあることが科学的に断定されるなか、各国指導者は対応への真剣さを装う競争に熱中するだろう。しかしそれは真に必要な行動を隠し事実上妨げるものでしかない。以下に、本当に必要な進路を論じたダニエル・タヌロ同志の論考を紹介する。同論考は、COP開催前に書かれた。(「かけはし」編集部)


 世界中で増え続ける気候災害は、産業革命前に比べて「わずか」1・1~1・2℃の温暖化の結果である。IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)の1・5℃特別報告書[2018年IPCC総会で承認]を読めば、分別のある読者であれば誰でも、地球をこのレベルの温暖化よりも低く抑えるために、あらゆること、文字通りあらゆることをしなければならないという結論を出すだろう。1・5℃を超えると、次々と正のフィードバックが起こることで、地球は不可逆的に「温室」に向かっていき、その結果、最終的には海面が現在よりも13メートル、あるいは数十メートル上昇するからである。想像を絶する地獄……地球上に70億人の人類が存在することとは確かに相容れない。
 地球サミット(1992年リオ)以降の―そしてパリ以降の―失われた時間を考えると、1・5℃という制限値をまだ守ることができるのかは確かではない(現在の排出量では、2030年頃には超えてしまうだろう!)。しかし、絶対に確かなことは、市場経済に内在する生産力主義から抜け出さなければ、奈落の底への競争を止めることはできないということだ。グレタ・トゥーンベリが正しくも言ったように、「気候危機とエコロジー危機は、現在の政治・経済システムの中では解決できない。これは意見ではなく、単に数学の問題である」。COP26が「現在の経済・政治システムの枠組みの中」にとどまっている以上、予測は明らかだ。つまり、グラスゴー会議は、これまでの会議と同様に、大惨事を食い止めることはできないということである。
 だからといって、スコットランドで起こることを無視していいのだろうか? 否である。サミットの議題には重要な問題がある。たとえば、どれだけの国が「気候野心」のレベルを引き上げるのか? 各国のとりくみと気候を救うために世界的にやる必要があることとの間のギャップはどの程度まで縮まるのか? 主要な汚染国のとりくみの中で、森林吸収源、捕捉と隔離、「南」へのいわゆるクリーンな投資による「カーボン・オフセット」に対して、国内での実際の排出削減量の割合はどれくらいなのか? COP21で原則的に決定された炭素の「新しい市場メカニズム」は実施されるのか、そしてどのように実施されるのか? 世界的な炭素価格(カーボンプライシング)が採用されるのか? それとも、富裕国が国境での炭素税を通じて、事実上、炭素価格を課すのか? 富裕国は、「南」の気候変動問題への対応を支援するために、緑の気候基金に毎年一千億ドルを拠出するという約束を最終的に守るのか? 富裕国は、地球温暖化が「南」の民衆に与える「損失と損害」の拡大に対する補償を求める貧困国の声に少しも耳を貸さないことを続けるのか? など。
 これらの問題は、各国の経済的利益や地政学的対立によっては、各国代表の間で激しい駆け引きの対象となるだろう。言うまでもなく、社会運動の動員は、一定の問題について、ある程度までは、その結果に影響を与えることができるだろう。たとえば、「カーボンオフセット」を阻止することは重要であり、このシステムを禁止できるとすれば、民衆にとって重要な勝利となるだろう。COPの結果を詳細に分析することで、資本主義の状況やそのシステム危機の深刻さについて教訓を得ることができるだろう。しかし、われわれはいかなる幻想も持つべきではない。というのは、グレタ・トゥーンベリが言うように、COP26は全体として「現在の政治・経済システムの枠組みの中」にとどまるだろうからである。したがって、われわれは断言できる。基本的に、グラスゴー[で開かれるCOP26]は一切何も解決しないだろうと。

より多くの再生可能エネルギー…そしてより多くの排出量

 このような急進的見解に対して、再生可能エネルギーの躍進によって、危機を脱する方法が提供できると主張されることがある。再生可能エネルギーの進歩は、主に発電部門においてはまったくの事実である。最近20年間で、世界のエネルギーミックスに占める再生可能エネルギーの割合は、年平均で13・2%ずつ増加した[2018年で全体の4・5%になった]。再生可能エネルギーのキロワットアワーあたりの価格は非常に有利なものになっている(とりわけ陸上の風力発電や太陽光発電)。国際エネルギー機関(IEA)によると、今後十年間で、電力部門への投資の80%以上が再生可能エネルギーになるという。しかし、欧州委員会が最近書いたように「化石燃料からの脱却という世界的なプロセスはすでに順調に進んでいる」と結論づけるのは完全に間違っている。実際には、この声明は見え透いた嘘である。10年間で、世界のエネルギーミックスに占める化石燃料の割合は、ほんのわずか減少しただけである。つまり、2009年には80・3%だったのが、2019年には80・2%になったのだ。20年間では、石炭の割合だけが減少したが、ごくわずかである(年平均でマイナス0・3%)。天然ガスの割合は2・6%、石油の割合は1・5%増加している(2014年から2019年までで)。化石燃料からの「世界的な脱却」が始まる気配はまったく感じられない! だからこそ、世界のCO2排出量は、(2008年の危機と2020年のパンデミックを除いて)どうしようもなく増え続けているのである。
 再生可能エネルギーの増加と化石燃料からの排出量の増加が同時に起きるのはどうしてだろうか? その理由は、再生可能エネルギーが化石燃料に置き換わっていないことにある。世界のエネルギー消費に占める再生可能エネルギーの割合が増えているだけなのである。エネルギー消費は、資本の蓄積に合わせて増え続けている(とりわけ、デジタル化の進展と国際的なバリューチェーンの複雑化が、非常に多くのエネルギーを消費する二つの原動力である)。したがって、ブルジョアによる気候変動政策には、ヤヌス[二つの顔を持つローマ神話の双面神]のような二面性がある。一方では、資本家政府は、「エネルギー移行」や「最良の科学に触発されたカーボンニュートラル」などの素晴らしい宣言をして、互いに競い合っている。しかし、彼らのとりくみは、気候を救うというよりも、グリーンテクノロジー市場に殺到する企業を優遇するためのものである。もう一方で、この同じ政府が、GDPの成長を維持するために必要なときはいつでも、「移行」にブレーキをかけているのはそうした理由のためである。このようにして、利潤法則が物理学という「最良の科学」の法則に優先するのだ。これは、中国のエネルギー供給をめぐる緊張関係が表面化させたものである。

世界の工場でエネルギー価格が上昇すると……


 その背景はよく知られている。新興国である中国は、世界の地政学的なリーダーとしての地位を確立しようとしている。この野心は、グリーン資本主義のような「責任ある」気候政策と切り離せないものになっている。習近平がダボス会議で、2030年までに自国の排出量を減少させ始めると約束したのもそのためである。その少し後には、習近平は、中国はもう海外に石炭火力発電所を作らないとつけ加えた。そういった話はこれで十分だろう。その一方で、こうした発言を伝えた新聞のインクが乾く間もなく、中国政府は内モンゴルでの石炭生産量を10%も増加させたのだ! このような決定がおこなわれたのは、「より野心的な」気候目標と新型コロナウイルス後の景気回復が重なったからである。中国製商品の注文が殺到し、相対的な電力不足を引き起こした。ロシアからの化石燃料輸出、とりわけ天然ガス輸出は、ヨーロッパでも負担になっているが、その穴をふさぐには不十分である。そのため、価格が上昇している・・・そのことが世界的な景気回復を脅かしている。スタグフレーションの恐れもある。その結果、中国政府は炭鉱を復活させているのだ。
 『フィナンシャル・タイムズ』のこうした状況に対する評価は明快である。「中国は、エネルギー不足に直面している他のエネルギー市場と同様に、活動を維持するために石炭を使用しながら、脱炭素目標への関与を示すという『バランスのとれた行動』をしなければならない。COP26の前夜、これは気まずく聞こえるが(原文のまま!)、短期的な現実としては、中国をはじめとする多くの国々は、電力需要を満たすためには、石炭の消費量を増やす以外に選択肢はない」。
 アメリカやヨーロッパの競争相手が、中国の決定を批判しないように注意していたことは注目に値する。その理由は明白だ。資本主義世界の工場でエネルギー価格が無秩序に高騰すれば、世界中に連鎖的な影響が及ぶからである。中国の指導者もまた、非常に現実的である。オーストラリア産石炭の禁輸措置を課す(台湾・香港問題などに対するオーストラリア政府の姿勢に懲罰を与えるために)一方で、オーストラリアの貨物船が中国の港で石炭を荷揚げしても見て見ぬふりをしている…。要するに、エコロジー的移行についての資本主義政治家の気候メッセージ―たとえ「共産主義」という看板でみずからを覆い隠しているときでさえ―を信用してはいけないということなのだ。結局、最後にものを言うのは気候ではなく、資本なのである。中華人民共和国でも他のどの国でもそうなのだ。

「エコロジー的移行」の名のもとに、さらに多くの化石燃料が燃やされている!


 このようなエネルギー市場の緊張は、資本主義による「エネルギー移行」の解決できない矛盾を浮き彫りにしていることは明らかだ。中国は確かに、世界の主要な太陽光発電パネル供給国である(そのほとんどが、新疆で強制労働により製造されているのだが)。中国はまた、その採掘と精錬に大量のエネルギーを必要とし、多くのグリーンテクノロジーに不可欠でもある「レアアース」の主要生産国でもある……。人類が気候変動の危機的状況の瀬戸際にあるにもかかわらず、資本主義の利潤追求論理は、このように明らかな不条理をもたらしている。つまり、利潤を維持するためには、より多くの石炭を燃やす必要があり、そのことでより多くのCO2が排出される……再生可能エネルギーへの移行は、利潤に依存しているのだ!
 中国は「世界の工場」であるため、問題はただちに世界規模になる。気候政策全体にどのような影響があるのだろうか? COP26は「野心を高める」ことになっている。このことは、状況がコントロールされていることを人々に納得させるために、紙の上ではおこなわれるかもしれない。しかし、実行までの道のりは長い。最近の国連報告書が指摘するところでは、15カ国(その中にはアメリカ、ノルウェー、ロシアが含まれている)が、2030年には化石燃料生産がパリ協定と矛盾しない制限値の2
倍以上になると見積もっているのだ! 世界全体で見ると2030年には、石炭で240%、石油で57%、天然ガスで71%も、その制限値を超えることになるだろう!
 『フィナンシャル・タイムズ』が引用したある専門家は、「石炭不足とエネルギー価格の上昇は、中国における短期的かつ周期的な問題に過ぎない」とは認めていない。むしろ、彼女は、このエピソードが浮き彫りにしているのは「よりクリーンなエネルギーシステムへの移行にともなう長期的な構造的課題」であると述べている。彼女の言うことは正しい。構造的な課題とは次のようなことである。つまり、もうマヌーバーの余地はない。排出量をただちに、抜本的に削減しなければならない。したがって、再生可能エネルギーが化石燃料に取って代わるというような抽象的な話では十分ではない。われわれは、再生可能エネルギー変流器を製造するために化石燃料を使わなければならないという事実から生じる余分な排出量を、特に初期の段階で、どのように埋め合わせるのかを具体的に説明しなければならない。技術的には、この課題は、生産と輸送の全体を削減することによってしか解決できない。社会的には、この技術的解決策は、必要な仕事・時間・富を大規模に共有することによる転換の中でしか思い描けないものである。この点については結論のところで戻ることにするが、技術的解決策と社会的解決策というこの二つが、市場競争という資本主義の論理とは全く相容れないことは明らかだ。「カーボンニュートラル」の約束を検証しなければならないのは、この文脈においてなのである。

「カーボンニュートラル」と「グリーンディール」の素顔

 トランプがバイデンに引き継がれて以降、世界の主要な汚染国は、さまざまな種類の「グリーンディール」を実行することで、2050年(ロシアと中国は2060年)までに「カーボンニュートラル」を達成するという意図を宣言している。しかし、このカーボンニュートラルは、世論を誘導するために考えられた囮に過ぎない。理論的には、その概念は、温室効果ガスの排出をすべて完全になくすことは不可能なので、大気中の炭素を除去することで「残り」を補わなければならないという考え方にもとづいて作られたものである。しかし実際には、資本家とその政治家は、緊急の大幅な排出削減を葬り去ることができるという結論を出しているのだ。なぜなら、未来のある日、技術的な「機械仕掛けの神」が、毎年、「残り」ではなく、5ギガトン、10ギガトン、さらには20ギガトンのCO2を大気から除去してくれるからである(現在の世界の排出量は約40ギガトン)。その結果、EUとアメリカは、2030年に少なくとも65%の排出量を削減しなければならないのに(1・5℃以下に抑え、歴史的責任を果たすため)、「カーボンニュートラル」の枠組みでのEUとアメリカのとりくみは、それぞれ55%、50~52%の「削減」にとどまっている。
 この戦略の根底にあるのは、「一時的オーバーシュートシナリオ」と呼ばれるまったく常識はずれの考えである。それは、気温が1・5℃以上に上昇するのを放置しながら、後になって「科学」が「ネガティブ・エミッション・テクノロジー」(NET)で地球を冷却することに賭けるというものだ。しかし、(1)こうしたNETのほとんどは、試作品や実証実験の段階に過ぎない。(2)われわれはすでにグリーンランドの氷床―その中には7メートルの海面上昇を引き起こすのに十分な量の氷が含まれている―の閾値(ティッピング・ポイント)に非常に近いところにいる。(3)したがって、NETが稼働すると仮定すれば、それが配置されるのは大規模な氷床崩壊のプロセスがすでに開始された後のことになる可能性が高い。この場合、被害は明らかだろう。「一時的な」オーバーシュートが、永久的な大災害につながってしまったのだから・・・。
 しかし、一時的なオーバーシュートが非常に限定的なものであると仮定してみよう(いずれにしても、現在議論されているものよりもはるかに厳しい排出削減が必要となる)。この場合、大災害はさておき、「カーボンニュートラル」という「成長」戦略のもとで、世界はどのようになっているだろうか? われわれは、国際エネルギー機関(IEA)の提案を参考にすることができる。それは教訓的である。実際、IEAによると、2050年に「実質排出量ゼロ」を達成したいのであれば、次のようなことが必要になる。原子力発電所の数を2倍に増やすこと、世界のエネルギーの5分の1が化石燃料の燃焼(年間7・6ギガトンのCO2を排出)であることを受け入れること、この7・6ギガトンのCO2を毎年地下の地中貯留層(水密性は保証されていない)に回収・貯蔵すること、4億1千万ヘクタール(これは永続的に耕作されている農業地域の3分の1に相当する!)をエネルギー・バイオマスの工業的単一栽培に充てること、このバイオマスを化石燃料の代わりに発電所やその他の燃焼設備で使用すること(この場合も、排出されたCO2を回収し、地中に貯蔵する)、水の工業的な電気分解によって、後に競争力のある価格で「グリーン」水素[水を電気分解し、水素と酸素に還元することで生産される水素]を製造できるようになることを願望して、石炭から「ブルー」水素[天然ガスなどの化石燃料を原料として作られる水素]を製造すること(ここでもCO2を回収!)、大規模なダムの数を2倍に増やすこと、そして・・・「グリーン・テクノロジー」への莫大な投資に不可欠な「レアアース」を採取するために、何もかも(月さえも)を破壊し続けること。このような世界に誰が住みたいと思うだろうか?

市場政策と社会的・エコロジー的災害が保証されている


 IEAには計画があり、他のものにも計画がある・・・しかし、計画を立てることに問題はない。タブーがあるのだ! 新自由主義は、税金、インセンティブ、世界的な排出権取引システムを通じて、「カーボンニュートラル」への「移行」を調整することになっている。欧州連合(EU)は「Fit for 55」計画[2030年に1990年比で少なくとも55%削減を達成するための政策パッケージ]で最先端を走っている。EUはこれまで、主要産業部門での排出権の実施に先駆的に取り組んできたが、今後は建設、農業、運輸の各部門にも拡大しようとしている。家の断熱性が低ければ低いほど、車がより多く汚染すればするほど、消費者価格の上昇は大きくなる。そのため、所得がより低い人々にはペナルティが課せられるだろう。「南」の経済もまた、「カーボンオフセット」や炭素国境税によってペナルティを受け、その結果、「南」の民衆もペナルティを受けることになるだろう。そして、こうしたことすべては、市場メカニズムによって達成が困難な、適切な目標にすら到達しない計画のためなのである。
 52%、あるいは55%の排出量削減は、何もしないよりはましだと言うかもしれない。専門家の一部が言っていることに反して、「Fit for 55」のような計画が「正しい方向に向かって」いないことは疑う余地がない。気候的には、温暖化を1・5度以下に抑える道筋にはならない。55%削減という道筋と、2030年までに65%削減という道筋との間には大きなギャップがあり、後からこのギャップを埋めることはできない。このギャップに対応するCO2が大気中に蓄積されるからである。社会的にも、「Fit for 55」のような計画は正しい方向には向かっていない。というのは、そうした計画が意味するのは、植民地支配のメカニズム、自然の商品化、労働者階級を犠牲にした上での新自由主義政策を強調することだからである。しかし、間違いをおかす時間はない。「正しい方向に向かう」ためには、われわれはまさに最初の一歩から正しい方針を設定する必要があるのだ。

そう、簡単な数学の問題だ


 この文章の冒頭のグレタ・トゥーンベリのことばに戻ろう。スウェーデンの若き活動家が「単純な数学の問題」と言ったのは、まったくもって正しい。気候に関する方程式の数字は確かに完全に明白である。

(1)1・5℃以下に抑えるには、世界全体のCO2排出量を2030年までに59%、2050年までに100%削減する必要がある。
(2)これらの排出量の80・2%は、化石燃料の燃焼によるものである。
(3)2019年の時点で、化石燃料は依然として、人類のエネルギー需要の84・3%を占めている(埋蔵量の10分の9は地下に留めておかなければならないと何年も前から分かっていたが、何事もなかったかのように開発・探査が続けられている!)。
(4)化石燃料インフラ(鉱山、パイプライン、製油所、ガスターミナル、発電所など)―その建設は減速していない、あるいはほとんど減速していない―は、資本にとっては40年がかりの投資である。
(5)化石燃料エネルギーシステムの価値は、世界のGDPの5分の1と見積もられているが、償却されていようがいまいが、再生可能エネルギーには別のシステムが必要なので、このシステムは廃棄されなければならない。

 このように、30億人もの人々が生活必需品に事欠き、上位10%の富裕層が世界のCO2の50%以上を排出している中では、「単純な数学の問題」は、避けて通れない一連の政策的意味合いを持つことになる。
*化石燃料を地中に留めることで1・5℃以下に抑えながら、エネルギーシステムを変更し、貧困層の正当な権利を満たすためにより多くのエネルギーを使うことは、資本主義的蓄積の続行は完全に相容れない。
*この大災厄は、自然の限界を尊重しつつ、世界の生産量を減らし、民主的に決定された人間の真のニーズに応えるために生産量を振り向けるという、二方面の動きによってのみ阻止することができる。
*この二重の動きには、無駄な生産、有害な生産、過剰な輸送の抑制と、エネルギー・金融・アグリビジネスの独占企業の収用が必然的に含まれる。
*資本家は、明らかにこの結論を望んでいない。資本家によれば、人類と生態系の巨大な災害を回避するためであっても、資本を破壊することは犯罪であるというのだ。
*したがって、オルタナティブは劇的に単純なものだ。つまり、人類の存在のための生産条件を再度割り当てるために、革命によって人類が資本主義を清算するのか、それとも、破壊され、おそらくは住むのにふさわしくなくなった地球上で、その残虐な道を歩み続けるために、資本主義が何百万人もの罪のない人々を清算するのか、のどちらかなのである。
 この戦略的意味は、単に「一つの解決策、革命」を繰り返すことを意味するものではない。つまり、新自由主義政府、彼らのCOP、彼らのシステム、「法律」には何も期待できないということだ。30年以上にわたり、責任ある者たちは生態系の脅威を理解していると主張してきたが、ほとんど何もしてこなかった。むしろ、連中は多くのことをしてきた。緊縮財政・民営化・規制緩和の政策、多国籍企業の利益を最大化するための支援、アグリビジネスへの支援などは、意識を分断し、連帯感を損ない、生物多様性を破壊し、生態系を汚し、われわれを気候変動の奈落の底へと突き落としてきた。こうした政治家は、資本の死の論理に奉仕する管理者にすぎない。彼らに別の政策を説得しようと思っても無駄である。彼らはせいぜいのところ、権力関係の前では引き下がるしかないのだ。

希望は闘争の中にある


 オルタナティブが必要であり、そのゆえに要求プログラムが必要である。それは石に書かれたものではない。現実の運動から始めて、一歩一歩解決していかなければならない。そのためには、労働者階級の意識レベルから出発するのではなく、何よりも気候物理学によって診断された客観的な状況に対する首尾一貫した世界的な対応の必要性に焦点を当てなければならない。つまり、一時的なオーバーシュートも、カーボンオフセットも、生物多様性オフセットもなしに、化石燃料を地中に留めたままにすることで温暖化を1・5℃以下に抑える計画、BECCS[回収・貯留付きバイオマス発電]や原子力などの危険な技術を排除する計画、民主主義を発展させ、平和を広め、社会的・気候的正義(責任と能力の差異化の原則)を尊重する計画、公共部門を強化し、1%の人々に、生産と輸送をより少なくし、仕事・富・資源をより多く共有するための対価を支払わせる計画が必要なのである。この計画では、不必要で有害な生産を排除すると同時に、労働者が賃金を失うことなく、有用な活動に集団的に再転換することを保証しなければならない。特に、アグリビジネスや食肉産業から抜け出し、アグロエコロジーの時代を迎えなければならない。これは明らかに反資本主義的な計画である。しかし、その強みは、文字通りの意味で、生命を守るために必要不可欠なものであるということだ。
 現在のわれわれが、そのような計画からは程遠い状態にあることを否定することはできない。わが社会的陣営が被った敗北を乗り越えることによって、人々を納得させるには相当な覚悟と忍耐と勇気が必要である。克服すべき障害物はものすごく多い。このような状況では、大衆的な絶望の危険性を排除することはできない。しかし、感傷的な思索は何の解決にもならない。グラムシが言ったように、闘争を予測することはできても、その結果を予測することはできない。20世紀の恐ろしい教訓を忘れないでおこう。資本主義の下では、常に最悪の事態が起こりうる。だからこそ、われわれは繰り返し言わなければならない。共同闘争だけがその傾向を逆転させることができる、闘うのに遅すぎることはないと。もちろん、失われたものは失われ、絶滅した種は戻ってこない。しかし、大惨事の中にどれだけ入り込んでいても、闘争は常に希望への道を再び開くことができる。
 闘うためには、恐ろしい危険性だけでなく、オルタナティブを強化できるものを認識しなければならない。逆説的に言えば、危険のあまりの大きさは、その中に必要な革命的変化の可能性を見出すことができれば、われわれを強くすることができる。システムとその代表者たちの正統性が信じられないほど危機に陥っていることは、われわれを強くする。十分な情報を得ていたにもかかわらず、何もせずに生態系の大惨事を放置した者たちに敬意を払う必要はない。気候変動科学の診断は、われわれを強くする。客観的には、その診断は上記のような計画に賛成するものだ。国際的な若者の動員が増えていることも、われわれを強くする。若者たちは、自分たちが明日生きなければならない世界の破壊に対して立ち上がっているのだ。新たなフェミニストの波はわれわれを強くする。フェミニストによる暴力との闘いはケアの文化を広めており、それは人間の商品化とは正反対のものである。先住民の輝かしい抵抗運動はわれわれを強くする。先住民の世界観は、われわれが自然との別の関係を作り上げるのを手助けしてくれる。農民の闘争はわれわれを強くする。農民はアグリビジネスにノーと言うことで、オルタナティブな生産様式を日々実践している。われわれは倫理的な闘いに勝利し、山を動かすことができる
 われわれは倫理的な戦いに勝利し、山を動かすことができるのだ。それは、あらゆる形態の搾取と抑圧に反対する闘争を結びつけて結集させ、それにともなう知識を拡散させるという問題である。この合流は決定的である。それは、同時にエコロジー的・社会的・フェミニスト的・倫理的であるような、大きな社会変革の具体的な可能性を再び垣間見ることを可能にする大規模な運動を起こす唯一の方法である。現在の状況では、労働者階級とその組織が、資本主義的成長に対する生産力主義的妥協を断ち切るためには、おそらく強力な社会的うねりが不可欠であろう。いずれにしても、この打開策は大きな課題である。生産者が生産力主義に対して立ち上がらなければ、地球のための闘いには勝てない。われわれは、この反乱に備える必要がある。演説や赤と緑を結びつける要求(とりわけ賃金を減らさずに労働時間を大きく減少させるという要求)を通して、そのことをおこなうのだが、それだけでは不十分である。世界レベルで、労働組合・エコロジー・フェミニスト・農民・先住民の左翼を結集し、ネットワークを作るための具体的なとりくみを増やしていく必要がある。
 この文脈の中では、自然と人間を破壊する生産力主義的なメガプロジェクトに対する地域的闘争に特別な注意を払わなければならない。社会的なものと環境的なものが、資本が両者の間に築いている障壁を克服するという課題が提起されているのは、まさにここにおいてだからである。ナオミ・クラインは、気候危機に関する著書の中で、このような闘争を「ブロッカディア」という一般的な用語で呼ぶことを提案している。資本の蒸気ローラーに対するオルタナティブが登場するのは、この「エコロジー的ブロッカディア」による闘争の中からであり、「黄色のベスト運動」タイプの「社会的ブロッカディア」との統合の中からである。そのオルタナティブとは、この地球上でよく生きるための、資本の汚れを地球から、そして地球とともにあるわれわれからきれいに洗い流すための、エコ社会主義プロジェクトなのである。
2021年10月26日
(『フォース・インターナショナル』2021年10月28日)

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