資本主義に奉仕する「温暖化対策」②

COP26は新自由主義の極致
ダニエル・タヌロ

乗り越えられない矛盾、混沌の源

中国とアメリカはCOPで共同声明を発表した。それは、事態の打開には何の役にも立たないだろう。それは主に体面を整えるための声明である。この2つの大国は、一緒になって世界の安定と気候を保証する国であることを装うことに関心がある。もしかしたら、気候政策の部分的な面(メタン排出量?)で協力しようとするかもしれない。しかし、根底にある緊張感は非常に強く、対立を深める傾向にある。アメリカでは、民主党多数派は危機に瀕している。民主党のジョー・マンチンは石炭産業の忠実な友人である。共和党はバージニア州知事に勝利し、中間選挙での勝利をめざして、燃料価格の上昇に反対するキャンペーンを展開している。共和党が勝利すれば、大きく変わるというのだ。中国では、官僚制の安定性は、一方では平均的な生活水準の向上に依存し、他方では民族主義的高揚に依存している。石炭を復活させても、原油価格の上昇は防げない。中国政府が台湾を取り戻す計画を加速させ、内向きであり続ける理由はたくさんある。これらすべては、非常に不安定である。
 どこから問題を見ても、資本主義のエネルギー移行が不可能であることにぶつかる。化石燃料に80%を依存した成長経済を復活させること、化石燃料を自然エネルギーに置き換えること、ごく短い期間で排出量を大幅に削減することを同時におこなうのは不可能である。それは物理的に不可能なのである。移行を達成するために生産を減らすか、GDPの成長のために移行を犠牲にするかのどちらかである。しかし、「成長のない資本主義とはことばとして矛盾している」(シュムペーター)。結論として、この矛盾は、革命的なシステム転換を通じる以外では解決できない。この歴史的可能性が具体的可能性にならない限り、排出量を減らそうとするたびに、矛盾はますます深刻になっていくだろう。
 個別の資本家は、その負担を競争相手や労働者に転嫁しようとする。各国の資本家階級は、ライバル国や労働者階級に負担を転嫁するために国家を利用する。そして、もっとも汚染する国家は、もっとも貧しい人々を支配する帝国主義国家である。その結果、エコロジー危機・気候危機は、次のような方向に沿って、深刻な経済的・社会的・政治的(さらには軍事的)大変動と結びつくことになる。(1)社会的緊張の深化、政権の正当性の危機の高まり、政治的不安定性の増大、権威主義へ向かう傾向の高まり、(2)「南」の民衆、とりわけ移民や女性に対する残虐性を高める新植民地政策、(3)資本家間、資本主義国家間の対立の激化、とりわけ(4)アメリカと中国の地政学的緊張の高まり。このような状況のもとで、課題に見合った気候合意が毎年結ばれると信じるのは、サンタクロースを信じるようなものだ。

国の規制で時間は稼げるが…


 次の点を主張しておこう。社会的正義を尊重して調整しながら、生産・消費・輸送を世界的に削減することなしには構造的解決策はない。「より少なく生産し、より少なく輸送し、より少なく消費し、より多く共有する」こと(とりわけ富と必要な労働時間について)が不可欠である。資本主義の規制政策は、国家の役割を増大させることになり、したがって危機に対するオルタナティブではない。同時に、規制政策を実行すれば、困難を軽減することができるだろう。しかし、ここに第二の矛盾がある。つまり、資本はこの政策を望んでいないのだ。
 オゾン層保護のためのモントリオール議定書が、効果的な規制の例を提供してくれる。この議定書は、1987年に署名され、その2年後に実施されたが、CFC(クロロフルオロカーボン)の生産と使用を中止することを準備し、タイムテーブルを採択し、「南」を支援するための(富裕国が出資した)世界基金を設立した。20年後、排出量は約80%削減された。世界気象機関は、成層圏のオゾン層が本格的に回復しつつあると指摘した。
 この前例は、気候分野での行動を促す可能性がある。とりわけ、いわば前例の中に前例があるからである。1996年にキガリで開催されたオゾン議定書締約国会議では、HFC(ハイドロフルオロカーボン)の廃止も決定した。モントリオール以降、CFCに代わって導入されたのがこのHFCである。HFCはオゾン層を破壊しないが、CFCと同様にCO2の1000倍以上の放射パワーを持っている。HFCの排出量が増えると、オゾン層議定書の間接的結果である気候に対する成果が相殺されてしまう危険性がある。HFCの段階的廃止を決定することで、各国政府はオゾン層の回復と気候変動との闘いを一致させた。地球温暖化への影響は大きなものではない。キガリ会議での改定によって、2050年までに、予測に比べてCO2換算で2年分の排出量に相当する90ギガトンの温室効果ガスを削減することになるだろう。しかし、年を経るごとに大災害から大破局へと変化する確率が高まる中では、2年分は重要である。
 同じ方法をとれば、メタンガスの排出量をすみやかに削減することができるだろう。メタンガスの温室効果はCO2よりもはるかに強力であり、われわれはますます多くを排出している。エコシステムや農業(とりわけ稲田)、畜産業からの排出を減らすことは、署名一つでできることではない。しかし、ガス輸送網、油井、炭鉱からの漏出をなくすことは比較的容易で、生産システムの構造的な変更を必要とせず、予測に比べて温暖化を0・5℃抑えることができる。技術的に重大な発見は必要なく、企業に必要な投資をさせるだけでいい。しかし、問題があるのはまさにここである。つまり、資本家に強制することはできず、市場メカニズムによって資本家に促すことしかできないのだ。これこそが、パリ協定に盛り込まれた新自由主義の臆見(ドクサ)である。グラスゴー会議がこれまで以上に、そこからの逸脱を排除していることがわかるだろう。

メタンと森林破壊


 「メタン合意」については、多くの報道がなされている。COPでは、100カ国以上が2030年までに排出量を30%削減することを約束した。これが実現すれば、2050年の温暖化は予測よりも0・2℃低くなる(見込みの半分以下)。しかし、これはあくまでも意思表示に過ぎない。国ごとの割り当ても、「南」諸国への資金援助も、遵守しない場合の制裁もない。アメリカ、EU、カナダは行動を起こす意思があるように見えるが、それは本当だ。その理由は簡単に理解できる。トランプと異なり、資本主義の指導者たちはパニックになり始めている。メタンを制限することは、かなり容易に行動できる道筋である。しかし、道のりは長い。中国とロシアはグラスゴー文書に署名していない。その理由も簡単に理解できる。両国は主要な排出国である。両国が加わっていなければ、他の国の資本家が抵抗する口実になるのは明らかだからである。その結果、両国に何かが課されるかは疑わしい。むしろ、投資コストが節約されたガスの価格よりも下がることを期待して、インセンティブや税金が用いられるだろう。労働者階級がそのツケを払うことになるだろう。
 森林伐採も同じようなジレンマをもたらす。森林伐採は、生産機構の構造に影響を与えることなく、リオ(1992年)以降に浪費された時間を取り戻すためのもう一つの方法となるだろう。グラスゴーでは、131カ国が「世界森林資金約束(GFFP)」の中で120億ドルを投資することを約束した。その目的は、2030年までに「森林の損失を食い止め、回復させる」ことである。この約束は、2014年にニューヨークでおこなわれた約束[「森林に関するニューヨーク宣言」]、すなわち、2030年までに森林破壊を終わらせ、2020年までに50%削減するという約束と非常によく似ている。2015年から2017年にかけて、森林伐採の割合は41%も上昇した!  GFFPを肯定的にとらえる人もいる。というのは、GFFPにはブラジルとロシアが署名しており、地球上の90%以上の森林が関係しているからである。しかし、これは効果を何ら保証するものではない。実のところ、先住諸民族の正義を保証するものでもない(GFFPは先住民の権利とメリットを強調して認めているが、それはことばの上だけのことである)。
 効果という点では、「森林の消失を食い止め、回復させる」ということばが、その響きほどあいまいではないことを指摘するのは重要である。ある人にとっては、森林を除去しても、その土地があとで他の経済部門に利用されなければ、「森林損失」ではないのだ。奇妙な弁証法だ。すなわち、もし森林伐採が、工業的な単一栽培によって「炭素クレジット」やペレット、木炭、パーム油を生産するためにおこなわれるのであれば、「森林損失」なしに森林を伐採することができるのである。これがインドネシアによる解釈だ。インドネシアには、三大熱帯雨林のひとつがある。それが次第に破壊されて、パームヤシの木を植林する土地になっている。一時停止措置があったが、COPの2ヶ月前にインドネシア政府はその延長を拒否した。グラスゴー会議で、インドネシア代表は「森林損失の停止」に署名したあと、こう言った。「インドネシアに2030年の森林破壊ゼロを(達成するよう)強制することは、明らかに不適切で不公平」であり、開発を「炭素排出の名のもとに、あるいは森林伐採の名のもとに止めてはならない」。森林損失を止めることにはイエス、森林伐採を止めるのはノーというわけだ。先住諸民族に関する限り、ブラジルの事例はそれだけで語っている。アマゾンの森とそこに住む諸民族に宣戦布告したファシストのボルソナロによるGFFPへの署名がまったく信用できない理由を説明する必要があるだろうか?

背後にある「市場」創造主の主権

 COPの空には次のような合意があふれていた。石炭からの脱却に関する合意、電気自動車に関する合意、国境を越えた化石燃料への投資停止や国内での化石燃料への投資停止に関する合意など。「特にエネルギー分野でのエコロジカルフットプリントを削減する」ために、軍隊をグリーン化する意向を誇らしげに発表した国もあった。
 これらの「合意」はすべて空約束である。拘束されない合意であり、具体的な対策はなく、各国による約束もなく、違反した場合の罰則もない。いったい何の意味があるのだろうか? その答えの一部は、政府がCOPに注目が集まるのを利用して、資本家の利益を損なうことなく、自らにグリーンなイメージを与え、世論を喜ばせようとしていることにある。しかし、これはより深い説明を示すものだ。つまり、空約束は新自由主義イデオロギーに合致しており、新自由主義イデオロギーは最終的に唯一の意思決定者しか知らないのだ。それは市場であり、言いかえれば利益であり、少数の株主である。

石炭およびその他の化石燃料


 石炭とその他の化石資源に関するグラスゴー合意の成立に向けた試行錯誤は、非常に示唆に富むものだ。最初の案(IEAの報告書に触発されたものだが、よりソフト)では、COP は「締約国に対し、石炭の段階的廃止および化石燃料への補助金の段階的廃止を加速するよう求める」となっていた。二番目の案では、COPは「締約国に対し、低排出エネルギーシステムへの移行のための技術の開発、展開、普及および政策の採用を加速するよう求める。これには、クリーンな発電を急速に拡大し、削減対策なしの石炭発電および化石燃料への非効率な補助金の段階的廃止を加速することが含まれる」とされた。かなり後退はしているものの、石炭の「段階的廃止」や化石燃料への補助金の「段階的廃止」はまだ言われている。三番目の案では、インド代表団の介入により、批准会議の途中で、「段階的廃止を加速する」が「段階的廃止に向けた努力を加速する」に変更された。
 モディ政権の役割は糾弾されなければならない。しかし、インドが石炭世界全体のためだけでなく、化石燃料世界全体のために行動したことは明らかであり、すべての資本主義御用殺し屋の支援を受けていた。彼らは、あるフィンランド人実業家が言ったように、会議が確実に「規制、制限、課税よりもグリーン成長に焦点を当てる」ように、COPの場で勢いよく活動していた。
 技術的に言うと、化石燃料に関する記事の範囲はあまり正確ではない。「排出量削減」というのはあいまいな概念である。OECDによれば、「汚染削減とは、汚染および/または環境への影響を削減するために適用される技術または取られる措置を意味する」。G7によれば、「削減対策なしの石炭発電とは、CO2回収・利用・貯留(CCUS)のようなCO2排出量を削減する技術で排出が軽減されていない石炭の使用を意味する」。
 これらの定義は、非常に高価なCO2回収・貯留(CCS)よりも幅広い可能性を資本家にもたらす可能性がある。一方で、CO2回収・利用(CCU)は、化石燃料工場からのCO2を他の産業で利用して商品を作り、そこからガスが最終的に抜ける、ときには非常に速いスピードで抜ける(たとえば発泡酒)というものである。もう一方で、政府が森林によるCO2の除去を排出削減とみなすならば(アメリカとEUがまさにこの混合物を作っていることは後述)、削減は単に植林するだけでおこなうことができるようになる。
 しかし、政治的に言うと、そのメッセージは明確である。要するに、エネルギー業界の大物たちは、政府や民衆に次のように言っているのだ。(1)化石燃料からの脱却を夢想するのはやめろ。重要なのは、「グリーン」テクノロジーの開発だ。(2)炭鉱からの採掘や新しい炭鉱の開設を妨げるような干渉はするな。われわれはすでに、CO2の影響を減らすためのシステムを受け入れる準備ができている。(3)「削減」すべき排出量の最小限の割合を押し付けたり、削減方法をあれこれ押し付けたりして困らせるな。(4)もし化石燃料補助金を削減したいのならば、「非効率な」補助金を削減しろ。それは付加価値を生み出すのに貢献しないのだから。これは、「われわれの」政府が、最終的な内容について相談することもなく、グラスゴーで批准したメッセージである。それは、まさに化石燃料を使った権力の掌握である。
(つづく)

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