JRCL第23回大会決議「エコ社会主義について」
1.はじめに
二〇一八年九月に日本を襲った台風二一号は、猛烈な風雨をもたらし、関西国際空港の水没をはじめ、甚大な人的・物的被害を与えた。この台風に象徴される台風の巨大化、発生場所の北上、勢力を保ったままの日本上陸という現象は、決して偶発的で一過性のものではない。一九九八年以降にその傾向が顕著になった日本周辺での海水温上昇がその一因と考えられている。こうした海水温の上昇は、明らかに地球温暖化による気候変動の一部である。地球のエコシステム(生態系)自体に亀裂が生じているのである。
そのことは、COP24を前に公表されたIPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)の報告書によっても明らかだ。報告書は、すでに世界の気温は産業革命前に比べて約一℃上昇しており、現状の排出ペースが続けば、早ければ二〇三〇年にも一.五℃上昇すると警告し、それによって豪雨や洪水、干ばつなどの異常気象のリスクが高まると指摘している。しかし、二〇一五年パリ協定合意の際に提出された各国の二酸化炭素(CO2)排出量削減目標は、それが完全に守られてとしても、二.七℃?三.七℃の気温上昇をもたらすという極めて不十分なものであった。パリ協定で目標とされた一.五℃の気温上昇にとどめるには、世界のCO2排出量を二〇三〇年までに四五%削減(二〇一〇年比)し、二〇五〇年ごろまでに実質ゼロにする必要がある(IPCC報告書による)が、それを実現するためにはほとんどすべての化石燃料を地中に留めておかなければならない。では、こうしたエコロジー危機の根本的解決は、資本主義生産システムと資本家政府のもとで可能なのだろうか?まさにここにこそ、資本主義に代わるオルタナティブとしてのエコ社会主義の意味が存在している。
二〇一八年に開かれた第四インターナショナル(FI)十七回世界大会は、決議「資本主義による環境破壊とエコ社会主義オルタナティフ」を採択した。FIとして、エコロジーと社会主義に関する決議を採択したのはこれで三大会連続となる。それだけFIがこの領域を重視している現れと言える。
しかしながら、われわれ自身について言えば、世界大会で初めてエコロジーと社会主義に関する決議が初めて用意されてから既に三十年近くが経過するにもかかわらず、あるいは故右島同志がきわめて先駆的な論文「原子力と社会主義」(一九八五年)、「地球規模の環境破壊と『新しい労働運動』の課題」(一九九〇年)を書き上げ、発表してから既に同様の年月が経過したにもかかわらず、正面切ってこの問題の議論を深化させることができてこなかった。
また、日本の左翼全体としても、また社会運動・環境保護運動・反原発運動などにおいても、エコ社会主義をめぐる議論が提起されること自体がほとんどない状況が続いている。日本においては、資本主義に対するオルタナティブとしての「社会主義」のイメージが決定的に損なわれ、その程度がグローバル・サウスは言うに及ばず、他の先進資本主義諸国よりも大きかったこと、その結果、環境保護や気候変動阻止をめざすエコロジー運動が「政策提言型」ないしは「グリーン資本主義」を指向するものである場合がほとんどで、資本主義システムそれ自体を問おうとする流れがきわめて弱い(ないしは存在しない)ことが、こうした状況を生んでいると考えられよう。
しかし、エコロジー危機が世界的に、とりわけグローバル・サウスにおいて現に起こっており、ますます深刻さを増している中で、そしてエコロジー危機に対する闘いが先住民、農民、女性を中心に現に闘われている中で、日本のこうした状況は変えなければならないし、変えるためのイニシアチブが求められている。この文書は、そのための出発点として、エコ社会主義をめぐるFIの議論を整理し、わが同盟内部の討論を進めると同時に、日本の社会運動・環境保護運動・反原発運動などに提起すべき内容について議論するためのものである。
2.なぜエコ社会主義なのか、そしてエコ社会主義とは何か
それでは、エコ社会主義とはどういう考え方なのか?そして、どのように発想され、発展してきたのか?二〇〇一年九月、ミシェル・レヴィーとジョエル・コヴェルが連名で発した「国際エコ社会主義者宣言」の宣言は、序文で次のように述べている。
「・・・私たちはグラムシのパラドクスに長らく苦しめられてきた。旧秩序(これが文明化をもたらしたのだが)が死に絶えつつある時代にあって、なお新しい秩序が誕生しうるとは思えない時代に生きているというパラドクスである。・・・私たちを苦しめているもっとも深刻な影は、・・・資本の世界秩序にとって代わりうるオルタナティブがないという諦めが内面化されているということである。・・・しかしこの宣言は一八四八年の宣言(『共産党宣言』のこと)のような大胆さには欠けている。というのもエコ社会主義はいまだ妖怪にはなっておらず、いかなる具体的な集団や運動としても根付いていないからである。エコ社会主義の宣言は、現在の危機とこの危機を克服するのに必要な諸条件についての判断に基づいた解釈にすぎない。私たちは全知全能の神であると主張するわけではない。私たちの目標は、対話、論争、修正を呼びかけつつ、最終的には、いかにしてこのエコ社会主義という概念がさらに実現可能なものになりうるのかという点にある。数え切れない抵抗がグローバル資本の混沌のいたるところ自然発生的に生まれている。多くは、その名実からいってエコ社会主義を内包させている。いかにしてこれらを結集できるだろうか?私たちは『エコ社会主義者インターナショナル』を展望しうるか?この妖怪は現実のものとなりうるだろうか?」(日本語訳は季刊『ピープルズプラン』41号、小倉利丸訳「エコ社会主義者宣言」による。以下の引用も同じ)
さらに、この宣言の本文では、現在の資本主義的なシステムがエコロジー危機を解決することはできないため、「もし生きるにふさわしい将来があるとすれば、根本的な変化、いや、このシステムを別のシステムに取り替えることが必要なのである」として、取り換えるべきシステムとして「社会主義」をあげ、次のように述べている。
「しかし、なぜ社会主義なのか。なぜ二〇世紀のもろもろの社会主義観の失敗によって歴史のゴミの山となったように思えるこの言葉を復活させるのか。その唯一の理由は、打ちのめされ実現されなかったとはいえ、社会主義の概念はそれでもなお資本にとってかわりうるものだからである。・・・ポスト資本主義社会への突破口を示しているのはこの社会主義という概念だからである。もし、資本が根本的に持続可能ではなく、・・・野蛮へと崩壊するのであれば、資本がもたらしてきたもろもろの危機を克服可能な「社会主義」の建設が必要だと、私たちは言っているのである。もし社会主義がかつてそうすることに失敗したとすれば、その失敗の克服は私たちの義務なのである。もし、私たちが野蛮への結末に甘んじないという選択をするのであれば、社会主義を選択するということなのである。・・・社会主義についてもまた、その名前やリアリティはこの時代にふさわしいものに変化しなければならない。」
「この時代にふさわしいものに変化」した社会主義こそがエコ社会主義なのだが、その理念について、ミシェル・レヴィーらは、エコ社会主義は「最初の時代の社会主義の解放的な諸目標を保持し、薄められた改良主義的な社会民主主義の諸目標も社会主義の官僚主義的な変種による生産力主義的な構造のどちらも拒否する」と述べた。さらにエコ社会主義は「エコロジーの枠組みにおける社会主義的な精算の道筋と目標の両方を再定義すべきであることを強調する」「特に社会の持続可能性にとって必須である『成長の諸限界』を尊重しなければならない」として、エコ社会主義の目標を「ニーズの転換であり、質的な次元での根本的な転換であり、量的なものの考え方に背を向けること」に設定した。
こうした観点は、これ以降の第四インターにおけるエコ社会主義をめぐる討論の方向性を示したものであり、十七回大会の決議もその延長線上にあると言っていい。
3.FI内のエコ社会主義をめぐる議論の経緯
それでは、このエコ社会主義について、第四インターナショナル内部においては、どのような議論がおこなわれてきたのだろうか?
第十五回世界大会(二〇〇三年)では、エコ社会主義に関する初めての決議「社会主義とエコロジー」が採択された。この決議の中で、それ以前のFIの討論状況について、次のようにまとめられている。
「実際、第四インターナショナルのすべての支部が反核運動に関わっていたが、こうした大衆運動が衰退していったとき、エコロジー的活動を強化する方法を見つけ出した支部はほとんどなかった。これらの運動の経験は、まさに世界大会に向けた討論の中で活かされることとなった。第十回大会のテキストでは、エコロジーやそれに関係がある問題は記述すらされなかった。しかし、次の大会(一九七九年)で、原子力産業に反対する闘争は『労働者階級の生存の問題』とみなされ、インターナショナルとその支部の仕事は、闘争の中に『産業労働者を取り入れることで運動を強化する』ことであると宣言された。一九八五年の大会で、その立場は一層発展した。文書によれば、世界革命の三つのセクターそれぞれにもっと詳細な分析をしている。主な決議は、インターナショナルとその支部に、宣伝や活動の中でエコロジー問題をもっと強調するよう、また通常の活動とともにエコロジー運動をも組織するよう求めた。一九九〇年、インターナショナルのさまざまな支部からなる委員会は、エコロジーについての草案を作成した。それは、十三回大会の討論の中で出されたものであるが、議案を採決する前に、さらに討論を重ねることが決められた」。
十三回大会に向けて準備された草案は、「エコロジー危機の諸事実」「環境危機の構造的諸要因」「エコロジーと労働運動」「エコロジー運動の到達点と限界」「ブルジョア階級支配におけるエコロジー危機」「エコロジー運動における政治組織」「第四インターナショナルとエコロジー危機」「行動綱領」についてそれぞれ詳細に検討しており、その後の諸決議の基礎となるものであった。
十五回世界大会での決議に至る過程では、世界社会フォーラムをはじめとしたグローバル・ジャスティス運動、気候変動・環境破壊に対する闘い(クライメート・ジャスティス運動)への各国支部の積極的参加に基づいて、討論のための共通の基盤が形成されていったと考えられる。
十五回世界大会の決議「社会主義とエコロジー」は、エコロジー危機について、FIが「人類への主たる脅威の一つ」「ローザ・ルクセンブルグの有名な定式、『社会主義かバーバリズムか』に新しい意味を与える問題」として把握していることを明らかにした。そして、エコロジー危機の多様で広範な諸問題を列挙し、それらの構造的要因が資本主義システムにあることを指摘した。さらに、帝国主義国、その従属国、旧官僚主義的社会のそれぞれについて、エコロジー危機の現段階を明らかにした。その上で、エコロジー運動の到達点と限界をふまえて、「今日、第四インターナショナルは、具体的なエコロジー政策についての討論だけに単に参加しようとは思わない。大衆運動に必要なステップ、政治的組織的なステップを踏み出したいとも思っている」と述べて、FIが具体的・実践的な一歩を踏み出す重要性を強調し、そのための過渡的な要求の整理をおこなった。
続く十六回世界大会の決議「気候変動とわれわれの任務」は、気候変動が「今日の文明の危機を集中的に表現しており、その解決のためには明確な反資本主義的政策が必要」であること、「世界的な社会主義オルタナティブおよび社会主義プロジェクトを生産力主義から根本的に決別させることの両方が緊急に必要」なことを明らかにした。さらに、エコ社会主義とは、社会主義にエコロジーを接ぎ木したものではなく、「社会主義プロジェクトが地球規模のエコロジーと共存可能であるための条件を作り出すことである。発展について考える際には、真に民主主義的に決定された人間のニーズを満たすことだけでなく、環境との関係における持続可能性、さらには生物圏の複雑さ、未知の要因、および進化する性質がこの課題に一定の除去不可能な不確実性を付与していることを考慮しなければならない」ことが強調された。そして、この大会では、FIが「エコ社会主義」の党であることが明確に宣言されたのである。
4.FI十七回世界大会におけるエコ社会主義をめぐる議論
今回の世界大会に向けて、あらかじめ提案されていた決議「資本主義による環境破壊とエコ社会主義オルタナティフ」のほかに、世界大会に向けた準備討論の中で、イギリス支部のアラン・デービスによる対案「文明の警鐘とエコ社会主義者の反応」が準備された。しかし、この対案は採決に付されず、代わりにイギリス支部「ソシアリスト・レジスタンス」からの修正案の一部が採決に付された。決議案は、修正案の一部受け入れ、「気候危機に対する広範な連合の必要性」を訴えた修正案を含めて可決された。
今回の大会で採択された決議のポイントは、以下のような点であった。
*地球システムの危機は、最大限、人間という種の崩壊を招く危険性がある。しかし、それを回避することは可能だし、少なくとも限定・抑制することができる。
*脅威の決定的要因は、一般的な人間の存在ではなく、資本主義システムである。
*根本的なエコ社会主義的オルタナティブが緊急に必要である。資本主義の全面的・世界的な廃絶は、人間と自然との間の物質交換を合理的・経済的に管理するための必要条件である。
*オルタナティブの緊急性と運動の力量とのギャップを埋めるための過渡的要求の整理。しかし、これらは統合され、計画的に適用されなければならない。
*労働時間の劇的な削減は、同時に人間の尊厳を尊重しながら、自然との物質交換を合理的な方法で管理する最善の方法である。
*女性・農民・先住民の闘いの先進性と重要性の強調。
*エコロジー的移行には、少なくとも過半数の人々の根本的な意識転換(変化は避けられないし、生活条件の大きな改善と両立できると確信できる/物質的なものよりも、時間・生産物に対するコントロールや疎外されない労働を重要視する)が必要である。
*「環境保護に熱心に取り組む社会セクターと生産第一主義を信じる労働者運動セクターとの間で対立する場合には、われわれは労働者の見方を変えるよう労働者を説得しようとする一方で、前者を防衛する。」
*エコ社会主義は国のレベルで始めることはできるが、世界的規模でのみ達成可能。
*時間を稼ぐために、進行中の破局に対する具体的手段を権力者に強制させるような、具体的で緊急の改革の闘いも必要。
一方、アランによる対案は、決議と多くの点で共通した認識を持ちながらも、前提として以下の点をより強調した。
*エコ社会主義に向けた闘いに残された時間は、今後数十年間しかない。
*資本主義システムは、環境の面でもっとも破壊的システムである。
*急進左翼や自称マルクス主義者は、環境破壊の問題では二一世紀に入るまで傍観者にとどまっていた。環境問題の多くの先駆者が社会主義にルーツを持ち、グローバル・サウスにおける農民・先住民の運動がエコ社会主義を指向していたにもかかわらず。
*エコ社会主義とは、古典的マルクス主義自身の持つエコロジー的考え方をここ数十年で再構築することで生まれた概念である。
その上で、以下の五点について、決議案を批判し、対置する観点を提出した。
① 資本主義は、地球に対する唯一の環境的挑戦ではない。現代人類も同様に主要な破壊的役割を果たしてきたし、果たし続けている。したがって、エコ社会主義革命が実現した後も、環境破壊に対する闘いは継続する。
② 人口増加の問題を無視できない。人口を安定させる鍵は、女性が避妊と妊娠中絶を自由に使えるようにすること、女性に教育へのアクセスを保障すること、女性を貧困から抜け出させることによって、女性に自らの出産をコントロールする手段を与えることなど、女性が自らの身体をコントロールする力をつけることであり、強制的な人口調節のいかなる全ての形態をも拒否することである。それは、女性に対して選択の権利を否定する宗教・家父長制・共同社会的圧力の影響に挑戦することを意味する。
③ 食料生産に関して提起される問題は、地球の生物圏を破壊し、新鮮な水の供給を枯渇させることなしに、増加する人口に食料を供給できるかどうかである。化学肥料・除草剤・ホルモン・抗生物質・単一栽培技術のさらなる使用をともなう集約農業のさらなる拡大なしに、食料を供給するために何が必要とされるか、具体的な要求を提起しなければならない。
④ 今後数十年間で世界的なエコ社会主義革命が実現される展望がほとんどない中で、将来のエコ社会主義社会のために、地球環境を守ろうとするならば、資本主義に対して真剣な変化を強制すべきである。パリ協定の完全な履行を要求することはその闘いの一つである。この点について、大会決議も適切に述べている(大会決議集p.78下段?p.79上段)が、それは決議全体との整合性を欠いている。
⑤ われわれが利用可能な今後二?三十年間で、炭素排出量を大幅に減らすことができる出口戦略が緊急に必要である。こうするためのもっとも効果的な方法は、化石燃料を社会的に公正で、経済的に再分配され、広範な大衆的支持を集めることのできるやり方でより高価にすることである。そのための効果的方策として、ジェームス・ハンセンの「排出削減量と配当」の提案を採用すべきである。
大会における議論では、アランの提起した観点のうち、主に①と②について、「人間社会が気候変動を作り出しているのであり、人間個人ではない。資本主義社会の論理によって気候危機が生み出されている。人間の存在が気候危機を作り出しているとしたら、それは人間の原罪だろうが、そうではない」「女性は、自己の生殖能力をコントロールするための権利獲得の闘いの歴史を持っている。人口問題の解決と女性の生殖能力コントロールの権利獲得とを結びつけるのは誤っている」などの批判が出された。
グローバル・サウスの支部からは、決議案の内容に沿って農民や先住民の闘いが果たす役割を強調する発言が続いた。とりわけ、フィリピン支部からは、自らの具体的な闘いに基づいて「ミンダナオでは、戒厳令が出される困難な状況の中で、エコ社会主義・エコフェミニズムにもとづくモデル・コミュニティを創出しようとしている、それが革命的共産主義への道を開く」との発言があった。
アランの対案の一部は最終的な決議案に取り込まれ、イギリス支部からの修正案のうちいくつかは趣旨受け入れとなった。しかし、人口抑制のためには女性による出産能力のコントロールが必要であるという修正案は否決された。
大会議論を通じて、各国支部が気候変動に対する闘いに積極的に関与し、それに基づいた議論を展開していること、とりわけグローバル・サウスの支部は、決議にも述べられているように、具体的実践を通じてエコ社会主義のイメージを獲得しようとしていることが明らかとなった。この大会での議論を、今後の日本におけるエコ社会主義をめぐる議論の中に活かしていく必要がある。
5.マルクス主義とエコロジーについて、FIはどのように考えてきたのか
エコロジー運動やその政治的な表現としての「緑」の多くは、マルクス主義(ないしはマルクス、エンゲルス)が生産力主義にとらわれ、エコロジー的観点を持たない(あるいは敵対している)と主張してきた。それは、「現存する社会主義」諸国において、帝国主義諸国に勝るとも劣らない環境破壊が進行していたことが明らかになるとともに、一定の説得力を持つようになった。
しかしながら、もう一方で、マルクスの資本主義批判の中には、重要なエコロジー的観点が含まれていたこと、さらに言えばエコロジー的観点が資本主義批判の中心に据えられていたことを示す研究成果も、とりわけ二一世紀に入って明らかにされてきた。その代表的なものには、アメリカの「マンスリー・レビュー」誌編集委員であるジョン・ベラミー・フォスターによる『マルクスのエコロジー』が挙げられる。フォスターは、マルクスがエコロジー(生態系)を「人間と自然との間における物質代謝」として理解し、さらにエコロジー危機について、資本主義生産システムの下での「物質代謝の撹乱・亀裂」として理解していたことを明らかにした。そして、来たるべき社会主義社会においては、「結合された生産者による人間と自然との間における物質代謝の合理的管理」が必要であるとマルクスが考えていたことを示した。
こうした研究成果を受けて、世界大会決議においても、マルクスのエコロジー理解について一定の記述が見られるようになった。また、FIの同志たちの著作でも、この問題が触れられてきた。
ミシェル・レヴィーが起草した十五回大会決議では、エコロジストが「マルクスやエンゲルスを生産力主義と非難する」ことに正当な理由はないとしつつも、マルクスやエンゲルスの中には、この問題について異なる二つの側面が並行して存在すると主張する。つまり、「『生産力の発達』を進歩の主なベクトルにしようとする傾向、とりわけ環境との破壊的関係という点において、工業文明にそれほど批判的でないスタンスが見られる」一方で、「資本が自然環境にもたらした破壊について述べているマルクスのテキストも見出される」と指摘する。そして、「マルクスとエンゲルスは全体的なエコロジー的展望を欠いていたという事実は残る。エコロジー問題は、二一世紀初頭におけるマルクス主義思想の復活のための最大の挑戦の一つである。エコロジー問題は、マルクス主義者に対して、自分たちの伝統的 『生産諸力』概念の徹底的な批判・再評価、および直線的進歩というイデオロギーや近代産業文明の技術的・経済的パラダイムとのきっぱりとした決別を要求する。しかし、これらの弱点にもかかわらず、資本主義政治経済に対するマルクス主義的批判は、人間解放のプロジェクトにとっての基礎であることに変わりはない。そして環境保護運動は、それを理解しようとしないわけにはいかない」と結論づけている。
また、ダニエル・ベンサイドは、著書『マルクス[取扱説明書]』(二〇〇九年)の中で、第一〇章「なぜ、マルクスは緑の天使でも、生産力主義の悪魔でもないのか」をこの問題のために充てた。その中で、ベンサイドは、マルクス(そしてエンゲルス)が生産力主義に対する批判や「地球の搾取」に対する批判を展開していたことを紹介している。
ダニエル・タヌロによって十六回大会に向けて起草された「気候変動についての報告」(二〇〇九年)は、マルクスのエコロジー理解について、これとはニュアンスの違う見解を示した。つまり、「社会と自然の間の『代謝』は歴史的に決定されており、人間は、自身の社会的存在を意識的に生産しているが故に、地球との間の交換を『理性的に管理する』責任を負わなければならないという彼の考えは、話題性に富んでおり、現代におけるグローバル・エコロジーの問題の概念化に引けを取らない」と高く評価する一方で、エコロジーに関連するマルクスの主要な誤りとして、「彼自身の『交換の理性的な管理』という概念を、土地の問題には適用しながら、エネルギーの問題には適用しなかったことにある」と指摘するのである。具体的には、「産業革命に関する分析の中で、木から石炭への転換が再生可能な流動的エネルギーを放棄して、再生不能な貯蔵エネルギーを採用することを意味し、その利用が社会と環境の間の炭素の交換の『理性的な管理』に相反するということ」、つまり「資本主義が再生不可能な化石燃料資源を急激に消費し尽そうとすることによって、不可避的に人類をエネルギーの袋小路へ導くこと」を理解していなかったというのである。(ただし、この部分は、決議草案としてまとめられた際に全文削除された。)
今回の大会に向けて出された対案の中で、アラン・デービスは、マルクス、エンゲルスのエコロジー的概念の上にエコ社会主義を理解しなければならないと主張する。「(エコ社会主義という概念をより深く理解することは)十九世紀後半のマルクス、エンゲルス、ウイリアム・モリスによって発展させられ、念入りに仕上げられた古典的マルクス主義自身の環境的概念にわれわれを基礎付けることを意味する。革命的プロセスそれ自身に対する強いエコロジー的理解をもたらしたアプローチがあったのである。それは、二十世紀前半に失われたが、最近数十年間に、とりわけジョン・ベラミー・フォスターの『マルクスのエコロジー』およびポール・バーケットの ”Marx and Nature”という業績によって再確立された伝統である。」
もちろん、いずれの報告においても、旧ソ連を筆頭とする「現存社会主義」諸国が生産力主義に基づいて、中央集権的計画経済システムを作り上げようとしたこと、その基礎となる(あるいはシステムを反映した)公式イデオロギー(スターリニズム)が、生産力主義的傾向を強く持っていたこと、トロツキズムを含む左翼もその呪縛から逃れられなかったことを指摘している。
このように、FIにおけるマルクスのエコロジー理解に関した見解は必ずしも統一されているわけではない。しかし少なくとも、エコロジー運動からのマルクス(マルクス主義)=生産力主義という批判に対して、どのようにマルクス主義、エコ社会主義を防衛し、発展させるのか、という意味で、この問題へのわれわれの理解は深められる必要がある。
6.クライメート・ジャスティス運動における”System Change, Not Climate Change”の意味
現在、クライメート・ジャスティス運動の最前線では、”System Change, Not Climate Change”(気候を変えるのではなく、システムを変えよう)というスローガンが掲げられている。二〇〇九年のCOP15(コペンハーゲンで開催)に対する対抗アクションで初めて大衆的に用いられたこのスローガンは、気候変動の構造的要因が現在の資本主義システムにあることを指摘するとともに、システムを変えることなしには気候変動を食い止めることはできないという主張を表現したものであった。二〇一七年のCOP23(ボンで開催)対抗アクションでも、ATTACドイツはこのスローガンを前面に掲げて行進していた。そして、クライメート・ジャスティス運動と原発反対運動との結合が始まりつつある。
二〇〇一年から始まった世界社会フォーラム(WSF)のスローガンは、”Another World Is Possible!”(もう一つの社会は可能だ)であった。現在の新自由主義的グローバリゼーションに対する異議申し立てという意味で、この「もう一つの社会は可能だ」は大きな意味を持っていたし、グローバル・ジャスティス運動を一時期牽引するものだった。しかしながら、ラテンアメリカにおける左派的・進歩的政権の行き詰まりと転換、崩壊を経て、いまや「気候を変えるのではなく、システムを変えよう」と呼びかけるクライメート・ジャスティス運動が、反資本主義的闘いの前面に押し出されている状況が生まれている。その牽引者は、グローバル・サウスの先住民、農民、女性の闘いである。十七回大会決議でも、この点は特に強調されていた。
しかしながら、全体としてのクライメート・ジャスティス運動、グローバル・ジャスティス運動が、資本主義システムのもとでのエコロジー防衛という展望から決定的に決別し、社会主義オルタナティブのもとに獲得されているとは到底言えない状況であることも確かである。また、労働組合運動においては、なおさらそうである。こうした運動の重要な部分をエコ社会主義的展望のもとに獲得することは、エコ社会主義者であると宣言したFIの課題であり続けている。
7.日本におけるエコロジー運動の到達点と問題点
日本におけるエコロジー運動は、一九七〇年代以降、まずはじめは水俣病をはじめとした公害反対の闘いとして展開されていった。それは裁判闘争とともに、公害発生源の企業やそれを容認していた政府に対する直接行動の形をとった。一九八〇年代においては、生活クラブ生協を典型とする生活次元から環境を考え、実践する運動も拡大した。
今日から振り返って見ると、自覚されていたかどうかは別にして、われわれとエコロジー運動との出会いは、まさに三里塚闘争を通じてであったと言わなければならない。農地を破壊して国際空港を建設するという巨大開発それ自身がきわめて環境破壊的であったし、空港反対運動の中では青年行動隊を中心に、環境問題へのとりくみや有機農業の追求が具体的に進められていたからである。
原発建設に対しては、ヒアリング阻止闘争への総評労働者、とりわけ青年労働者の積極的参加、原発立地予定地での地元住民による建設反対闘争(そして、いくつかの予定地での勝利)を経て、スリーマイル島原発事故を一つの契機としながら、反原発運動が大きな広がりを持っていった。
気候変動問題にとりくむ運動も、地域において自立したエネルギー、食料循環を目指すとりくみとともに、多くの環境NGOが活動している。こうした運動が、環境保護の重要性や気候変動の持つ危険性を、大衆的に明らかにする上で、そして政府や企業に一定の施策を強いる上で大きな役割を果たしたことは間違いない。
しかしながら、そうした各領域での運動やグループの多くは、それぞれの分野における活動に自らを限定している傾向が強い。気候変動にとりくむ運動と反原発運動の分断状況はその一つである。また、環境NGOのほとんどは、「政策提言型」の活動を中心に据え、積極的な大衆動員には無関心であり、全体として「エコ企業」と連携した「グリーン資本主義」を指向している。
8.エコ社会主義をめぐる大衆的議論を作り出すために
日本において、エコ社会主義をめぐる議論を、気候変動に対する闘い、環境保護運動、反原発運動、労働組合運動などで大衆的に作り出すことは容易ではない。しかし、われわれはそのことに挑戦しなければならないし、そのプロセスはあくまで具体的な実践を通じてでなければならない。その一方で、エコ社会主義についてのFIの理論的蓄積と議論を広く明らかにする努力を継続すべきである。
エコ社会主義をめぐっては、同盟内や広義の日本FI派の中で、先駆的な業績が存在したことは事実である。前述した右島同志執筆の「原子力と社会主義」(『第四インターナショナル』五二号、一九八五年)は、当時の同盟内にあった「原子力エネルギー」に対する幻想、誤った評価に対して、原子力が過去・現在・未来にわたって有害なものであり、実現された社会主義社会においても全く不必要であることを強調した論文であったが、この中には「エコ社会主義」に接近する先駆的な政治的構想、エネルギー政策、未来へのヴィジョンが展開されていた。さらに、一九九〇年に書かれた、より気候変動に焦点を当てた論文「地球規模の環境破壊と『新しい労働運動』の進路」では、地球を破局から救う闘いの最前線に、いわゆる第三世界の先住民・農民・女性が立っていること、問われているのは資本主義システム廃絶に向けた帝国主義諸国人民の闘いであることが提起されていた。
これらの先駆的な提起があったにもかかわらず、その内容を深化するための討論が組織されることはほとんどなかったように思える。たとえば、十五回世界大会を受けた諸論文(「第四インター第十五回世界大会の成果と日本における挑戦課題」平井、「第四インターナショナル十五回世界大会報告集によせて」高島など)において、決議「社会主義とエコロジー」の内容に言及し、それを日本で具体化しようとする記述は見当たらなかったのである。もちろんグローバル・ジャスティス運動や脱原発運動などにかかわっていた同志たちは、具体的な運動の中で、地球温暖化と気候変動、原発による環境破壊についての運動的蓄積や国際的な交流・連帯活動を重ねていたのだが。
エコ社会主義についての大衆的議論に向けて、その中長期的プロセスをめぐる討論を始めるとともに、同盟内部において、さらに活動家に対して当面可能なとりくみは何か、今大会で確定し、ただちに開始する必要がある。とりわけ、日本におけるエコ社会主義に向けた過渡的要求、行動綱領の作成に向けた討論の組織化が必要である。
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