パキスタン・民主的社会主義が女性に今必要だ

過激主義の台頭、テロとの戦争、そして女性の生活

何が宗教勢力成長を助けたか

 統一インドの分割の結果として一九四七年パキスタンが誕生した六十二年前の時点では、この地の住民の多数派は宗教的原理主義者ではなかった。国家の構造は、弱いとは言えそれにもかかわらず、民主的な国家として成長する可能性をもっていた。しかし繰り返された軍事政権による干渉を理由として、国家はイスラムイデオロギーを採用し始め、宗教的過激勢力に彼らの非民主主義的な計画を推し進める上で最大限の空間を与えた。
 多くの宗教政党やセクト的グループは、軍事政権によって成長への希望をほしいままにされ、勇気を鼓舞された。サウジアラビアとクウェートは、これらの政党やグループを直接的な国家の後援の下に強化するために、石油で稼いだドルを注ぎ込んだ。イスラム諸勢力は、この国の社会―政治的な空間を打ち固めるために、民主的で進歩的な諸勢力を凌駕する形である種目立たない歩みを進めた。宗教学校(マドラサ)が設立され、聖戦の戦士が徴募された。これらのマドラサはパキスタン中に、特に部族地域にキノコのように現れ出てきた。そしてそれらが宗教的原理主義のための実体的な養育土壌として機能した。
 国の憲法には親イスラム的条項が挿入され、この憲法が、女性の諸権利の制限を強要し、社会生活に参加するための女性の移動可能性を狭めた。ブルカの文化が強められ、女性は家の壁の中に押しやられた。イスラムの名の下に、あらゆるレベルでジェンダーを基礎とした隔離が導入された。軍事独裁者のジア・ウル・ハク将軍は、宗教勢力を喜ばせるために女性に対する差別法を制定した。政体をサウジ化することによって、並び立つイスラム法廷が創出された。証言法の下で、女性の証言は男性との対比で半分の価値しかないと布告された。強姦の立証という重荷は女性に移され、一方、強姦の結果としての望まない妊娠の場合では、犠牲者は従来のまま、むち打ち、投獄、さらに死に至る石打刑という懲罰に従わされた。女性運動と進歩的諸勢力は、限られた能力とはいえこれらの野蛮な国家措置に対抗したが、過激主義勢力の忌まわしい猛攻撃を止めることはできなかった。

テロとの戦争が火に油を注いだ

 九・一一の攻撃とその後のアメリカによるテロとの戦争の後も、マドラサは増殖し続け、こうして過激主義勢力が影響を及ぼすものとなった。マドラサはパキスタンの小学校の七%を占めるにすぎない。しかしその影響力は、公教育の不十分さと住民多数の生来的で偏狭な信心深さによって増幅されている。この国の登録済み宗教学校は目下一万五千を超え、百五十万人以上の生徒と五万五千人以上の教員を抱えている。宗教的主唱者のこの群れは国のあらゆる隅々に広がり、彼らにとって非イスラムであるすべてに対する聖戦をやかましく要求している。
 宗教的原理主義のこの制限なき成長は、アメリカによるテロとの戦争あるいはパキスタン情報機関のそれの結果であるにはとどまらない。それはまた同じほど、
パキスタンの労働者階級に関わるいかなる基本的な問題を解決する上でも、文民政権並びに軍事政権が完全に失敗したことの結果でもある。次々と登場した政権は、封建主義の社会―政治―経済的掌握力とパキスタン資本家の絶対的に搾取的な本性を打ち破れないままに留まってきた。
 今遂行されているアメリカによる「テロとの戦争」は、何ら生産的でないこと、そしてパキスタンの宗教的原理主義にさらに一層火に油を注ぐものであることを明らかにした。反タリバン戦争の重い対価は市民によって支払われつつある。何千という無実の人びと、特に女性と子どもたちが、無人攻撃機の爆撃とパキスタン軍の作戦によって殺害された。二〇〇九年、約二百万人がスワト渓谷の紛争地から脱出を余儀なくされた。国内難民(IDPs)の中では、女性が最悪の苦難にさらされた者だ。この戦争は、パキスタンの多くの人びとからはテロリストに対する戦争というよりもムスリムに対する戦争と見られている。テロとの戦争には文字通り資本主義の長期的なもくろみが込められているということを人びとに納得させるには、左翼と進歩的勢力にとって真に困難な情勢がある。
 こうして、テロとの戦争は、過激主義をさらに育てることを助けたのみならず、進歩的かつ女性の権利を求める勢力にとっては、活動するために主張を伝えることの難しい環境を生み出した。女性の権利という課題は大きく後退させられた。女性の権利について語る者は誰であれ、反イスラムかつ親西欧とのレッテルを貼られている。イラクとアフガニスタンの帝国主義的占領は宗教的偏狭者に、国家と社会のさらなる宗教的徹底化という彼らの課題を推し進める上で政治的正当化の材料を提供した。

イスラム化のための狙い打ち

 宗教的過激主義の急速な台頭は、パキスタンの女性の生活をより悲惨かつ抑圧されたものとした。以前には女性が利用できた僅かの自由や民主的な権利も、今や過激なグループの手で打ち砕かれつつある。彼らは少女の教育を、「西欧の陰謀」と決めつけながら禁じた。スワトでは、三百以上の少女学校がタリバンの手で焼き討ちされ破壊され、あるいは閉鎖された。さらに女性はマーケットや商店からも閉め出された。厳格な服装規制が強要された。北西辺境州(NWFP)では、女性は頭からつま先まで完全に覆わなければならない。八歳や九歳の少女ですらこの規則に従わなければならない。女性は政治活動に参加することを許されず、選挙の投票も阻まれている。原理主義的な宗教集団が支配する地域では、女性は不可視の共同体となった。地域から軍がこれらの勢力を追い払った後でも、女性にとっての状況は同じままだ。
 地方の軍事勢力にとって女性は、イスラムという彼らのブランドを女性に強要するためのサンドバッグとなった。彼らが欲していることは、パキスタンにタリバンスタイルの政権を創立することだ。こうして彼らは、音楽商店や少女学校を攻撃し爆弾で破壊し、女性を家に留めるために彼女たちを怯えさせてきた。彼らは、公私両部門での女性労働者の存在も禁じた。パキスタンの女性は既に、彼女たちの民主的、政治的、経済的権利を奪われている。国の多くの地で、何百年も続く古い伝統や慣習に直面しなければならない。名誉殺人、社会的経済的差別、抑圧、家庭内暴力、差別法、そしてセクシャルハラスメントは、女性が直面している共通の課題だ。
 ムシャラフ政権は女性の権利を守る立法について大風呂敷を広げた。しかし「女性保護法」は実際には、労働者階級のまた貧しい女性の条件を改善するためには、ほとんど助けになっていない。新たなパキスタン人民党(PPP)政権もまた、女性の権利の条件を改善するために似たような声明を発した。しかし女性たちは、これらの声明の具体化に関してはほとんど期待していない。この政権は職場のセクシャルハラスメントに対してちょっと前に立法措置を導入した。それは明らかに歓迎すべき一歩ではある。しかし必要なものは、女性の諸権利を当たり前のものとするためには、女性の社会―経済的かつ政治的権利を網羅する制度的なひとそろいなのだ。

封建主義と組になった抑圧

 パキスタンの家父長主義的社会では、女性は家族の名誉と威厳のほんの象徴にすぎない。家族の女性メンバーは私有財産と見なされている。はびこる封建主義文化の下では、女性は「男の名誉と威厳に奉仕する」ために家に閉じ込められている。女性が教育を受けるためとか買い物のため、あるいは仕事のために家の外に出ることを許されたりすれば、社会は「非道徳かつみだらなものと」なる、ということが強く信じられている。原理主義者ではないと言明する普通のムスリムの男性でさえも、外に向かって語り権利を要求する女性は社会の道徳欠如や野卑さに責任がある、と信じている。
 過激主義者は、イスラムの教えの名の下に、女性に彼らの倫理規則を強制しようと決意している。他方で封建主義は、「伝統と慣習」の名の下に、その道徳律を実際に行使している。女性の権利を打ち砕く上では双方が一つであり、不幸なことに、パキスタンではそれらは十分にある。パキスタン人口の約七十%は地方の地域に生活し、そこでの貧しい人びとは、特に女性は生活を左右できるものを何一つもっていない。彼らは結婚を選択する権利をもっていない。少女の教育は強い力で思いとどまらせられ、女性は道徳の名の下に抑圧的な規範を我慢するよう告げられる。封建主義と宗教的闘争心のとんでもない結びつきは、事実上彼女たちの生活を駆り立てつつある。その影響力はもはや国の最も後進的な地域に閉じ込められてはいない。それは大都市や町々でも同様に土俵を得つつある。
 国家は、非人間的な伝統や慣習の実行を止めるためにいくつかの法を導入した。しかしこれらの立法は、特に地方で反女性的な伝統を停止させることができなかった。例えば、二〇〇五年に一片の法律が制定された。それは、名誉殺人を凶悪犯罪と定め、この法の下で刑罰として死刑が導入された。しかしこの厳格な法と極刑をもってしても名誉殺人の数を減らすことはできなかった。二〇〇七年にそのような事例として報告されたものが八百件以上あった。報告されていない事例の数はその何倍にもなる。また、「スワラ」や「ヴァニ」のような習わしも法律で禁止されているが、それらも起き続けている。「スワラ」や「ヴァニ」は、南パンジャブとNWFPのいくつかの地域で実施されている。
 これらの習わしは、争い合う家族間で紛争を解決するために幼い少女を差し出すことを認める。例えば、一人の人間が殺人で責められ、人数の減った家族との紛争を解決したいと思ったときは、その罪の責任から自分たち自身を免れさせるために、その家族は彼らの娘あるいは妹を差し出すことができるのだ。二、三歳の幼い少女は、争い合う家族に単純に手渡される。この習わしは、あらゆる種類のもめ事を国家の法や警察を巻き込むことなく解決するために使われる。他の伝統には、それらに反対の広範な社会的合意と法の存在にもかかわらず、子どもの結婚、売買婚、無理強いの結婚が含まれ、聖コーランとの結婚も続いている。
 聖コーランとの結婚は、シンド州の封建的家族の中に今もある習わしだ。この慣習の下で家族の男性メンバーは、女性メンバーに結婚を許すことを拒否し、彼女たちは既にコーランに結婚させられていると宣言する。この慣習の背後にある主要な理由は、そうしなければ娘や妹の結婚と共に消えてしまう一部の土地を守ることにある。法がありながら、これらの暴力的かつ非人間的な伝統と慣習は今も盛んだ。原理主義の高まる波は、テロとの戦争が作り出した諸結果と組になって、女性の生活を一層悲惨なものとし、彼女たちの基本的かつ普遍的な権利を強く抑圧している。
 真に必要とされているものは、宗教的過激主義と封建主義をその持続に向け直接に鼓舞している資本主義の腐ったシステムと対決する、階級に基礎を置いた統一的な闘いである。過激主義と封建主義を組み入れた資本主義は、女性が全面的な権利を、自由と平等を享受できる条件を生み出すことができない。女性に対して等しい権利と機会の保障を提供できる民主的な社会主義の必要性は、目下の必要性だ。パキスタンの女性は、搾取、抑圧、差別のない真実の社会主義社会において始めて、完全な自由と束縛からの解放を享受できる。
▼筆者は、パキスタンのラホールに拠点を置く「ウーマン・ワーカーズ・ヘルプ・ライン」の書記長。
(「インターナショナル・ビューポイント」2009年2月号)

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