「女性運動の新たな高揚」③
かけはし 第2662号 2021年4月19日
2021年2月 第4インターナショナル国際委員会
2・5 国際的な新たな高揚の前兆
女性運動のこの前の高揚期には、国際的な調整のための努力がおこなわれたことがあった。1970年代後半には、「中絶権国際キャンペーン」が結成され、これが発展して現在も活発に活動している「再生産権利のための女性グローバル・ネットワーク」になった。「ラテンアメリカ・カリブ・フェミニスト・エンカウンター」の第1回目は1981年にコロンビアで開催され、現在も年2回開催されている。11月25日を「女性に対する暴力に反対する日」と定め、1995年に「女性に対する暴力撤廃の国際デー」として国連で採択されたのは、この会議がきっかけだった。
「貧困と暴力に反対する世界女性行進」は、1995年の北京国連女性会議をきっかけとして、1998年にケベックでおこなわれた女性行進に触発されてその年に誕生したが、女性に対する貧困と暴力をなくすための17項目の要求と提案を掲げて、草の根からの女性の行動や街頭行動へと向かった。それは「社会フォーラム」の時代に一定の成功を収め、今でもいくつかの国でおこなわれている。
こうした国際的な調整の試みは、国際的なレベルで野心的な社会運動が台頭する時代と並行しておこなわれ、それらの運動と同じ衰退を経験した。しかし、NGO化の否定的側面にもかかわらず、そのような構造は一定の国際的な調整を継続することを可能にした。食料主権の問題に関する農村女性の国際会議が開かれた(2007年にマリのニェレニで開催)。主要な国際農民ネットワークである「ビア・カンペシーナ」のフェミニスト的な位置づけが発展してきた。
同時に、ここ数十年の間に起こったすべての社会的反乱や革命には、女性が数多く参加し、女性はそれぞれの運動の中で分析と行動のための独自の枠組みを発展させてきた。その中には、サパティスタ運動の女性法から、タヒール・スクエア運動[エジプト]、オキュパイ運動[アメリカなど]、15M運動[スペイン]、「アラブの春」における女性の存在感、そして最後にクルド人女性戦闘員の驚くべき例までが含まれている。これらすべての運動において、反植民地・反資本主義・民主主義・反レイシズム・反家父長制の闘争を優先するという問題ではもはやなく、逆にすべての抑圧に複合的にアプローチする交差性をもったフェミニズムが明確に現れ始めているのである。
2・6 フェミニズムにおける他の潮流
戦後の好景気期間中に一定程度の福祉国家を経験した高度先進工業国では、第二波フェミニズムの副産物として、自由主義フェミニズムや改革派フェミニズムが生まれてきた。
改革派フェミニズムの特徴は、社会民主主義政党やその他の改革派政党にフェミニズムの要求を取り入れたり、しばしば活動家を引き入れたりすることにある。とりわけ地方政府や国政にいるときには、女性運動に触発されたプロジェクトのための政策を採用したり、そのプロジェクトに資金を提供したりするが、自己組織化することはほとんどないか、まったくないかである。緊縮財政計画には、この種のフェミニズムの余地はほとんどない。
自由主義フェミニズムは、企業・行政・主流派文化の女性化に焦点を当てており、その階級や人種の特徴を問うことはないため、逆に他の社会階級、つまり移民・非白人・貧困層などを搾取する際のアリバイとして機能している。この自由主義的なブルジョア・フェミニズムは、フェミニズムに共鳴する新しい世代や他の非特権的な女性層へのブレーキとして機能してきた。
グローバルサウスでは、「NGO化」という現象が発展してきた。すなわち、NGOや国連会議の枠組みの中での女性運動の条件付けや漸進的な中立化が起こり、NGOや国連による資金提供や専門化によって女性運動の急進性と自己管理が損なわれてきたのである。
生物学的決定論にもとづく、トランス女性の公的空間への権利を制限する反動的なキャンペーンにもっとも顕著に現れるような傾向のフェミニズムの復活は、もう一つの問題のある障害である。
3 この運動の特徴は何か
現在の動員のサイクルは、それが発生している状況から導き出された独自の特徴を持っている。一方では、歴史的時代に特有の問題(左翼の危機、政治的主体の危機、あらゆる領域に忍び寄る新自由主義的個人主義の危機、政治的不信、戦略への関心の喪失と再遭遇など)がみられ、他方では、独自の闘争形態やフェミニスト運動の新たな語法が生まれている。われわれは、この時代にはフェミニスト運動が、世界を変えるための新しい議論と手段を推進することができる創造的な運動であるという考えから出発する。
3・1 地理的な広がりと拡大した内容
この動員は世界的に広がり、ラテンアメリカとヨーロッパ周辺部でより大きな共鳴を得ている。アルゼンチン、ブラジル、スペイン、そして最近ではメキシコがこれらの動員をリードしており、他の場所にも広がっている。ポーランド政府が女性の選択権をほぼ完全に犯罪化しようとした後、2020年にポーランドで中絶の権利を求める大規模な抗議行動が展開されたことも、同じ展開の一部である。2020年の終わりに中絶を合法化したアルゼンチンの女性の歴史的勝利は、世界中で祝福を浴びている。自分の身体についての権利を求める闘争、中絶の決定権や合法化を求める闘争は、マッチョな暴力(特にフェミニサイドと性暴力)に対する闘いと並んで、動員の主要な軸となってきた。
フェミニスト・ストライキは、国際レベルでのフェミニスト運動の明確な中心軸となり、世界全体に広がっている。しかし、もっとも重要なことは、このフェミニスト・ストライキが、新自由主義政策への反撃の前衛として女性が最前線にいる時代とどのように結びついているのかを理解すること、この反撃が各国で独自の形態を持っているのを理解することである。アメリカでは、トランプに対する拒絶反応を軸として、そのことが明らかにされてきた。中東・北アフリカ地域では、女性が社会的・政治的動員に果たす役割は疑う余地のないものである。
マッチョな暴力・家父長制の暴力との闘いは、ラテンアメリカからインド・アフリカ・ヨーロッパに至るまで、国際レベルでの運動の明確化にも成功し、つながりを生み出している。メディア報道を獲得することによって、#METOOのようなイニシアチブが際立っているが、このような他者との同一化と性暴力への注目は、こうした暴力に直面していることを可視化し、糾弾し、自己組織化するための継続的な活動の中で、こうしたイニシアチブを超えるものとなっている。
ストライキを利用しない他の抵抗の形態、すなわち反乱・平和的占拠・文化的闘争を国際的に広く知らしめることもまた重要である。
3・2 新たな世代と部門
動員への若い女性の参加は増加しており、こうした新しい世代は、日常的なマッチョな暴力の個人的な経験から出発して、フェミニズムと政治活動を理解するための新しい方法を動員にもたらしている。多くの場合、動員は女性の問題やニーズに対するフェミニズムによって与えられた答えの危機から生じるということを考えれば、この混乱は制度的フェミニズムのヘゲモニーへの挑戦をともなうものである。
個人的な事柄から出発するということは、フェミニスト運動においては新しいことではない。フェミニスト運動では、個人的な事柄が常に政治的だったからである。しかし、そのことは、若い世代がどのように政治と関わり、主体としての自分自身を構築するか、個人的・集団的なアイデンティティをどのように再確認するか、運動の自己組織化された構造に何を期待するか、フェミニストのための相互支援の場をどのように構築するか、ということに関係している。このことすべては、現在の課題に対応し、これらの要求を取り入れ、自らに問いかけ、自らを作り直すなど、フェミニストの主体の必要性を表現するものである。それはまた、女性の新たに起こった反乱の集団的政治表現を形成する必要性にも関係している。そのことは、運動にとって、どのようにして運動を構築するのか、どのようにして効果的に変化を実現し、より多くの女性を惹きつけるのかについて、女性が民主的に議論するための構造と空間が必要とされていることを意味する。このようなスペースが存在しない場合、あるいはたとえばスペースが学問的世界に限定されている場合、真に戦略的な思考を生み出す可能性は限られている。
3・3 新たな関心事
このように個人的な事柄に焦点を当てることは、新たに起こり、強くなっている問題の中に表現されている。その問題には、フェミニスト組織内部での相互支援のためのスペースの必要性、議論や意思決定の方法についての必要性、包括的で参加型のスペースなどの構築、アイデンティの問題(性的関係や感情的関係の重要さ、われわれのジェンダー・アイデンティティ、いかにわれわれのアイデンティティを生きるか、日々の生活を価値あるものにすること、われわれがお互いに関係をもつ方法を再考することなど)、そして最後にわれわれの生命を中心に置くこと、病気やケアの重要性などがある。母性、われわれの身体やセクシュアリティに関係するすべてのこと、われわれの時間の使い方、その他多くのことについての議論もそうである。こうした考察は、集団的な確認と行動よりも個人の経験と反応に集中することにつながるが、他の場合には、フェミニズムには存在するが中心的ではなく、他の社会的・政治的運動には一般的に存在しない問題を浮き彫りにすることにも貢献している。
新たな問題が社会的・政治的な場面に登場し、人種差別、人種的・民族的アイデンティティ、セクシュアリティ、ジェンダー・アイデンティティ、さらには障害、精神疾患、高齢者、農村と都市の比較など、これまで不可視だったテーマを取り上げ、可視化しようとする決意を呼び起こしている。
ブラック・ライブズ・マター運動における女性の役割、特に若い女性の役割は非常に顕著だったし、「ブラック・トランス・ライブズ・マター」を掲げる具体的な動員においても同様だった。
圧倒的に女性が主導する相互扶助運動は、フェミニスト―主に新世代のフェミニスト、農民女性、先住民女性、自分たちのテリトリーで組織する人々―が以前から大切にしてきた「相互ケアのためのセルフケア」の原則にもとづいて活動している。彼女らは反差別と集団的抵抗の意識的原則を推進している。運動の一部の組織化に挑戦するという文脈では、「慈善ではなく連帯」というスローガンが鍵を握っている。
新しい組合やより急進的な組合の中には、パンデミック期間中に価値切り下げが浮き彫りにされた「エッセンシャル」部門において、組織化を強化し、広く組合員を募って新たな組織を構築した例もある。全体的に支配階級が労働者階級(特に非白人や女性)にパンデミックの代償を払わせることに成功しているという状況の中で、小規模ではあるが象徴的な勝利がかちとられたのである。この組織化はまた、伝統的な政党が、女性や非白人が多数となっている部門の労働者に空虚な支援のジェスチャーは喜んで与えるが、賃金や労働条件のいずれかの点で、労働者が集団的福利への貢献に値する物質的な支援を受けられるように求めることができないという事実にも挑戦している。
3・4 新しい闘争方法―フェミニスト・ストライキと女性の場の経験
フェミニスト・ストライキは、その明確な力だけでなく、闘争の道具としてのストライキを問い、広げることによって、ストライキとは何を意味するのかという根本的な点で、多くの国々でこの動員のサイクルの新しい闘争方法として登場した。フェミニスト・ストライキは、生産と再生産との間の分裂を断ち切り、両者のつながりを指摘し、生活を中心に置く戦略として、とりわけ再生産の領域に重点を置いている。
古典的なストライキが再生産という側面を含まなかったことはない。ストライキの維持には準備が必要であり、反乱的ゼネストでは、物資の供給・生活の再生産・別の方法による生活の組織化のメカニズムを明確にする必要がある。1984~5年のイギリスの鉱山労働者ストライキのような長期の闘争は、ストライキを支持することに関心のあるこうしたコミュニティの女性たちが自らを組織したが、この問題の多くを部分的に明らかにしている。ストライキがオルタナティブな権力を構築する可能性、つまり生活の各領域において労働者の組織形態によって並行社会を構成する可能性は、再生産という側面を強く持っている。しかし、それは決してそのようなものとして認識されてきたわけではない。
フェミニスト・ストライキは、これまで不可視であったものを取り入れるだけでなく、フェミニスト運動によって練り上げられてきたものを討議する手段としてのストライキを再検討させる。
2017年の国際女性ストライキのイニシアチブは国際的接合のための新しい提案を意味していた。それは、ジェンダー暴力に反対するアルゼンチンでの2016年のストライキ、中絶権に関するポーランドでのストライキの後の、2018年のスペイン各州での600万人の大規模ストライキ、労働組合と女性運動によって組織されたイタリア・ベルギー・スイスでのストライキで、具体的な形をとった。女性たちは、どこでもそのようなストライキの提案を中心に組織化されているわけではない。非常に多様な組織的表現があり、いくつかの国では、これらは先住民コミュニティや先住民族の要求・闘争に強く根ざしている。
われわれが「場の経験」と呼んでいるものは、権利に対する攻撃への抵抗を構築するために重要な共通の闘争を構築しながら、女性が都市や農村の居住地でどのように組織化しているのかを浮き彫りにする方法である。これは、政府がもっとも貧しい人々のために責任を取らないため、生き延びるための、パンデミックを生き延びるための物質的条件を生み出す。主にグローバル・サウスにおいてではあるが、中心的な資本主義国の都市周辺部でも、女性がリーダーであり主人公であるさまざまな場所での多様な経験がある。ここでは、不安定労働者・失業した労働者・女性・周辺地域の若者・農民やエコロジカルな農業・公立学校・ほとんどが女性である闘争中の教員などの集団から、コミュニティ・ワーク・自己組織化・連帯を通じて、民衆的な力が生まれてくるのである。
土地と支配された身体の両方の領域を侵害する植民地侵略に対する500年以上にわたる抵抗の中に、代々受け継がれた知恵と文化の中に、そして闘いにおける集団的主体の記憶の中に、これらの体験され、感じられ、思い起こされ、変えられた経験を見出すことができる。それらは極限の状況を克服する上で重要な位置を占めている。それらはすべて、今からわれわれがもう一つの社会を構築していくために「ペシミズムを組織する」(ベンヤミン)という課題に関連している。すなわち、われわれの歴史を土台にして、重要な経験を明らかにし、女性たちが住んでいる場、抵抗を組織する場に根ざした女性の生活を変革するのである。場の経験は、世界で展開されているこの民衆的フェミニズムにおける場の重要性とそれの今日的役割を示している。
3・5 新しい理論的理解(社会的再生産理論、エコフェミニズム)
反資本主義的エコフェミニズムとフェミニズム経済学は、資本がいかに生命と衝突するのか、フェミニズムが時間と労働を再組織することで、どのようにその論理を打ち破り、システム(あるいは一連の抑圧的システム)に疑問を投げかけ、自然とのもう一つの関わり方を提案し、われわれに不可欠なニーズを満たすことができるかを理論化することに貢献している。これは、「女性は出産するので自然と特別な関係にある」という「本質主義」的エコフェミニズムが作った方程式を否定するものである。資本主義は、労働力の再生産を確保する必要性に対して、この再生産労働に女性を割り当てることで歴史的に対応してきた。しかし、そのことによって、女性は生活のニーズや物質的な限界・基盤をより意識するようになっている。その中には女性のテリトリーが含まれている。
社会的再生産理論は、資本主義が必要としている再生産労働について展開されているものである。それは、資本主義システムと社会的再生産に必要な家庭内の無償労働(圧倒的に女性によっておこなわれている)と、労働市場における女性の地位そのものが、家庭における女性の役割を反映した部門に集中していることとの間のつながりについてのマルクス主義フェミニストの貢献から発展したものである。
(多重抑圧の経験が単に付け加わったものではないという理解としての)交差性[人種・民族・国家・ジェンダー・階級・セクシュアリティなど、さまざまな差別の軸が組み合わさり、相互に作用することで独特の抑圧が生じている状況]は、われわれのマルクス主義的分析をも強化するものだった。
グリーン・ニューディールについての議論、ケア部門全体でより多くの高給の仕事を創出する必要性についての議論は、活動家の間ではるかに広く拡がっている。
このようにして、労働・時間・身体・土地/自然は、現在精緻化されている理論の中心的要素となっており、新自由主義の攻撃(生活の不安定化、民営化、環境破壊など)に苦しむ最前列にいることや資本主義批判を資本蓄積と再生産次元にまで拡大する理論的努力から何を学び取るのかから始まる。 (つづく)
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