「新左翼と女性差別」かねこさち論文を読む

遠山裕樹

『青年戦線』153号(発行:日本共産青年同盟/1999・10・25)

再掲載

 はじめに
 三一書房から出版された「近代を読みかえる第二巻 性幻想を語る」(近藤和子編)に、かねこさちさんの書いた論文が収められている。かねこ論文は、「現代における性と暴力の問題」というテーマにもとづいて自らが参加した新左翼組織の女性差別問題を取り扱っている。
 この新左翼組織とは、日本革命的共産主義者同盟(JRCL)・旧第四インターナショナル日本支部(以下JRとする)のことである。このかねこ論文を紹介しながら、あらためてJRと、青年組織である日本共産青年同盟(JCY)を貫く組織内女性差別問題について考えていきたい。
 なおこのかねこ論文が収録されている「近代を読みかえる(九八年三月発刊)」は、「閉塞感が社会を覆っているなか、私たちはどこへ行くのか」というテーマの下に近現代をジェンダーの視点から読み直していく試みとして編集されている。具体的には、「『正史』を編み出してきた視点そのものを問い直すことも含めて、フェミニズム思想・運動以前の歴史を相対化し、私たち自身の現在を脱構築する試み」という位置づけから、「近代日本のセクシュアリティ」と「現代における性と暴力の問題」を切り口に考察を進めている。かねこ論文は、このようなアプローチから、JRに存在していた組織内性暴力の問題をクローズアップすることによって「性と暴力の問題」を解明しようとしている。

 一、組織内女性差別問題

 一九八二年夏、三里塚労農合宿所の常駐者であるJ(JRメンバー)の強かん犯罪を、利用者のAさんが告発した。Aさんの告発を契機に、労農合宿所およびJR・インター現闘団を中心に糾弾会、討論が始まっていった。しかし、JRはAさんの告発に対して「Jの個人的不祥事」ととらえ、三里塚闘争の防衛、組織の防衛のために、そしてこの問題を早期に終わらせるためにJに自己批判させようとした。
 この時のJの自己批判書は、「誰に、何を謝るのかがまったく伝わってこない空疎な文章だった。ときにはマルクス主義の立場からする女性解放論を展開したり、ときには自分の生い立ちを自己弁護的に語ったり。Jが渋々でも謝ろうとしたのは組織に対してであり三里塚闘争に対してだった」(かねこ論文)というレベルであり、最後までAさんの告発を受け止め、真摯に謝罪する立場にたちきることができなかった。
 他方、JRの男性メンバーたちは、「(組織内の)全国の指導的メンバーが集まる会議では、若い男女をザコ寝させるからこういうことが起こるという発言まで出た。組織の男性メンバーの受けとめ方は大枠このレベルであり、そして、こういうテーマのときだけ、数少ない女性メンバーの発言が求められるのだった」(同)という対応を繰り返していた。
 Aさんは、このようなJとJRに対して「一生忘れない。一生許さない。もう自己批判なんか認めない。人間解放などといってほしくない。今後一切連絡を断つ」と断罪した。
 また、労農合宿所問題を討論している過程において、現闘の指導部であるABCの強姦犯罪に対して現闘女性たちが告発し、彼等の犯罪が官僚主義的指導のあり方と一体であることが明らかになっていく。
 だが、「女性たちの歩調が一致していたわけではないが、傷つき、疲れ、絶望したのは一方的に女性たちだった。告発者となった女性が受けたプレッシャーは激しく、彼女たちとの有効なつながり方を見いだし創りだすことができなかった女への怒りも当然のこととして表明された。その怒りを痛いように感じながら、組織を簡単に見捨てたくない、組織の現実に私自身も責任があるはずだから、と組織に残った女性たちはそれぞれの模索を続けた。でも、女性差別問題の議題になると居心地悪そうに沈黙し、ひたすら忍の一字を決め込んでいる男性たちが、議題が変わると水を得た魚のように発言を始める姿を何度も目のあたりにし、同じ組織に属しているといいながら何か根本的に違うものがあるという思いは深まっていった。組織内女性差別問題への取り組みは、結局、組織の変革─再生ではなく、組織の分裂─事実上の解体をもって終わった」(同)のであった。
 このように三里塚労農合宿所強かん事件(82年8月)を契機としたJRとJCYの組織内女性差別問題の取り組みは、「男組織防衛」を優先した組織対策的対応を行うことを通して、三里塚労農合宿所での強かん犯罪を告発したAさん、女性たち、女性メンバーに対する敵対を繰り返した。
 やがてJRは、「差別を放置しての分派闘争」と女性たちから批判された分派闘争に入り(85年)、JR十四回大会(89年8月)を前後して旧日本支部は分裂し、女性メンバーたちから決別される。さらに第四インター第十三回世界大会(91年2月)は、旧日本支部に対して「すべての男性メンバーに責任ある重大な組織内性差別という理由から、支部資格の剥奪とすべての男性メンバーの資格剥奪」を決定していくのであった。

 二、男性たちの沈黙

 かねこ論文の第二章は、JRの組織内女性差別問題の取り組み過程において現われた「男たちの沈黙」について批判している。
 「女性にとって、Aさんの糾弾、多くの女性メンバーの告発は『わたしの問題』だった。女性メンバー同士がすべてにピッタリしていたわけではないが、その問題はわたしには関係ないと思った女性はいなかったと思う。他方、男性にとってそれは、『彼の問題』であった。なぜ自分のあり方が男一般が問われなければならないのか、それが理解できなかったし納得できなかったのだと思う。そして理解しようと努力することもしなかった」(同)。
 男性メンバーたちは、次のような対応を行い、女性たちの闘いに敵対していった。
 「女たちがそれぞれ、のたうち回る思いで自分を、これまでの運動を考えていたとき、彼らは何とシラーッとしていた。ときには涙を浮かべ、ときに怒りを込めて発言する女たちをまえに、困惑し、イライラし、腹立たしげに、そして個人的に親しい女性への対応をちょっぴり変えたりはしても、問われているのは自分自身であり、組織の総体であるとは決して認識しようとはしなかった」。
 さらに当時のJRの機関紙である「世界革命」において、女性メンバーたちは次のような批判をしている。
 「強かんとして告発された同志は『ヤバイ行為ではあったが強かんだとは思っていなかった』と語り、同盟内でも行為にたいする合意の有無や行為の程度で犯罪性の度合いを判定しようとする傾向が存在した。それはまた、わが同盟が当初、三里塚労農合宿所における強かん犯罪にたいして『酒の上の不祥事』ととらえたり、『性衝動』によるものととらえるなどの誤りを犯したことと一体であった。……強かんについてのブルジョア的規定を無自覚に受け入れている傾向は、暗黙のうちに『強かんは犯罪だが、それ以外は一時の誤り』的とらえ方と結びついていた」(「労働者の階級的統一めざし女性解放をつらぬく党を」村田文枝「世界革命」84年11月19日号)
 「女たちの告発・糾弾がまず直面したのは、『それだけでは差別かどうかわからない』『何が差別かわかるように言ってくれ』という男たちの声であった。それは多く、『それは差別ではない、強かんではない、告発は不当だ』という認識から発せられたものであった。……『イヤならイヤとなぜ言わなかったのか』『なぜ拒否しなかったのか』と。拒否できない力関係のなかに追い込まれた女の側の事実─拒否しなければならないような行為をしかけられていること自身の不当さは無視された。いや無視されるだけではなく、『おまえにも責任があるんじゃないか』として責められたのである」(「何よりもまず女たちのものである革命をたぐりよせるために」第四インター・女性解放グループ 「世界革命」87年9月21日号)
 そもそも男性メンバーたちには、女性差別問題を考え、論議を深めていく前提そのものがなかった。つまり、女性差別とは、「差別される側」の問題ではなく「差別する側」の男たちの問題であるという立場にたっていなかた。強かんに対する認識は、この「男社会一般」の認識と同じレベルであった。強かんとは、『女性が望まない性的関係』全体であり、それを強制する、社会的、経済的、政治的、文化的『権力』の問題なのである。
 すでに国内外の反レイプ運動では、「女性が望まない性行為は全て『強かん』である」という規定についてはもちろんのこと、さらに①「強かん」とは、性欲に基づく『性犯罪』一般ではなく、社会的女性差別を背景とし、弱者への支配と従属の欲求から生み出される政治的犯罪の一つである ②「強かん」は、支配する性としての男の自己確認であり、性を通して女性に人間的・精神的に深い打撃を与える ③「強かん」による打撃の深さは、それを受けた主体にしかわからない、と主張されていた。
 しかし、男性メンバーたちは、組織が「強かん」か否かを判断するのは当然だという対応で告発者に敵対したのである。つまり告発者を防衛し、自己回復のための環境を作ろうとするところに重点をおかず、組織の対応は被告発者の「自己批判」をかちとり、「更生」させたいというところに比重をかけた。そして、告発者・女性たちを孤立化させ、絶望と疲弊に追い込いみ、排除を完成させていった。
 この点に関してかねこ論文は、次のように厳しく批判している。
 「告発されたその事実から出発し、告発者の側に立って究明する─この原則は決して理解されなかったし、最後まで了解されなかった」、「告発を組織として『受理』するかどうかから、事実の『認定』、そして一定の『結論』まで、その決定は組織機関の討論をつうじてなされるべきである、というのが原則として強く主張された。それは『組織内女性差別問題』の討論は、個々の女性の自己回復というより組織の強化のために避けて通れない問題という認識とセットであった。機関での討論が多くの男性たちの沈黙のなかで明らかにいき詰まっていけばいくほど、組織的であることが強調され、圧倒的に男性が多数を占める会議のなかできちんと冷静にがんばることが女性に要求された。組織のルートに従った組織主導型の「事実確認」のなかで、女性の誇りと自信を取り戻すことが最低限の原則として了解されていれば、組織としての討論の仕方もいろいろな方法が考えられたはずだと思うが、硬直した組織主義は、沈黙する男性にではなく、発言する女性に打撃を与え『組織のために』と自らを語る決心をした女性たちを絶望させ、女と男の亀裂をますます深めていった」(かねこ論文)。
 「女性解放グループ」も、「『同志関係に問題があれば、問題をおこしたメンバーは男も女もなく自己批判するように、機関として主導する』という対処の仕方─これは、『組織内女性差別問題』を『差別問題』としてではなく『組織規律違反問題』」への矮小化、すりかえだと批判し、「相互批判─自己批判は、真に対等な関係の上ではじめて成立するものであり、まったく一方的な差別者と被差別者との関係では差別の克服は糾弾を通じてしかありえない」ことを強調した。
 さらに男性メンバーと組織機関は、「告発者への不信─告発者への線引き」という重大な犯罪を行ったのである。
 「一方的暴力的で言語道断、国家権力が裁いても有罪といわざるを得ないだろう件については、当該男性メンバーを組織にまぎれ込んできた『不純分子』として然るべき手続きを経て処分。だが、組織内での上下関係などがからみ、裁判所が言うところの『合意があったとみなしうる』ケースについては『問題ある男女関係』という言い方がされ、告発や糾弾というかたちで扱われる問題ではなく、男女双方の『共産主義的人間』への成長が課題である、とされた。告発した女性に抱く感情や告発された事実への受け止め方も、女性の年齢やキャリアなどによってさまざまに差別化された。活動歴の浅い若い女性の告発に対しては、憐憫を含んだとまどい─しかし、問題は彼女の未熟故の無防備さにもある、一定の経験があり活発に活動してきた女性の告発に対しては、のっけから不信、反発─彼女がそんなに弱いはずがない。ときには、何か政治的な思惑があって告発がなされたのではないかとの疑心がささやかれたりした」。
 このように組織内女性差別問題は、すべての男性メンバーたちが問われていたにもかかわらず、被告発者以外の男性メンバーの多数が、「問題が明らかにされた時、男性同志の中には多くの場合、『自分には無縁のこと』『革命組織の構成員にはあってはならないことだし、あるはずのないこと』『一部の特殊な誤った事例』というとらえ方」(村田文書)をしていたと言える。この傾向がその後の総括作業の取り組みの遅れや後景化を生み出す根拠の一つでもあった。
 女性メンバーたちから決別宣言を通告され、ようやく始まった男たちだけの総括討論は、「(組織内女性差別問題の中で、そして女性たちから決別されて以降)自己保身のための沈黙と批判の抑制、逆の打撃主義的批判、男同士の共通点獲得のために陥った差別容認的態度、自己変革なきフェミニズムへの見せかけの賛同…」(岩本伸『男という病』・『「男という病」の治し方』によせて「世界革命」94年1月24日号)というレベルであった。
 この傾向は、さらに共青同の男性メンバーにも貫徹していた。とくに共青同の場合、告発者が共青同女性メンバーで被告発者がJRCL男性メンバーという事件が多かったため、共青同の男性メンバーにとっては他人事として受けとめられる傾向が強かった。
 そのような当時の男性メンバーの意識状況を「青年戦線」は「女性解放に関する書評」シリーズで明らかにしている。ここでも当時のわれわれの水準を自覚的に再認識するために、いくつか紹介しておく。
  「この本(『レイプ─異常社会の研究』)の全体にわたって、警察や裁判所─法律が、強かんの被害者にとって抑圧的で敵対的な現状となっている。
 それはちょうど、組織内女性差別問題を通して、告発者や女性メンバーを抑圧し、敵対してきた組織や男性メンバーと重なってくる。もちろん私自身も、ひとりの『警官』であり、『裁判官』であった」(金沢銀平 青年戦線87年12月30日号)
  「私には、この本(『ドキュメント性暴力』)に登場する加害者の男たちやその周りにいて加害者に同情的な者たちの姿が、組織内女性差別問題で見られた自分も含む組織の男たちの姿と重なって見えた。……ただ告発された男たちが自己批判しないのは困ったことだと思い、自分は加害者の男とは違うのだと考えていた。しかし、私は、加害者と同じ地平にいたのであり、被害者に対しても、加害者に対しても、何も言うことができなかった。
 残念なことに、被害にあった女性たちの気持ちを理解しないかぎり、自己批判を他人に要求することも、自らがすることもできないのだと思うようになったのは、かなり経ってからだった」(川崎美男 同誌88年3月20日号)
  「同一のパターンが、私自身のあり様が『黒瀬』(「ザ・レイプ」の登場人物の男性)のフィルターを通して再現される。しかし、私のパターンはもっと巧妙であったといえる。つまり、深刻に悩んでいるポーズであったり、何も解っていないのに『ボウズザンゲ』と『正論』を展開したり、あるいは、私にとって『危機的な状況』を乗り切るために沈黙を最後まで貫徹しきったりなど、ありとあらゆる敵対を繰り返してきたといえる。
 ……この男としての特権・権威を自覚的に防衛するところに、あらゆる言語・行動、男同士の暗黙の連帯スクラムを強固に保持し続けようとした」(鎌倉健 同誌88年9月20日号)
 女性たちから決別されて以降、書評の文脈に当時の心情をからめて明らかにしていく手法をとりながら討論を進めたり、総括の深化に向けて男たちは「女性差別は差別する側である男の問題だ」とし、経過の突き合わせなどを開始していった。また、JRと共青同を貫いてその共通地平をかちとるために集中的に男たちだけの「組織内女性差別問題克服会議」などの討論も設定した。しかし、そのスタートは膨大なマイナス地点からの「なんとかしなければ」という危機感によって突き動かされたものであった。

 「レーニン主義的党建設」を強調する組織

 組織内女性差別問題をめぐる討論は、一九八三年九月に三里塚で告発された男性メンバーたちを除名し、自己批判文を機関紙に掲載することによって、大きな組織的転換を迎える。この転換をかねこ論文は、次のように評価し、批判している。
 「自己批判文を機関紙に掲載することでひとつの区切りとしたいというのが組織の大勢だった。それに反発・抵抗する女性たちへの見せしめのように、一部の女性メンバーと、女性組織『社会主義婦人会議』の中心メンバーの言動への、組織建設という大義から逸脱しているという批判が展開された(わたしはそれを密かに“テルミドール”と名付けた)」。
 そして、「レーニン主義」が組織的に強調されていくのであった。
 また、この時期(八四年一月)は同時に、三里塚をめぐる方針対立から中核派は、われわれに対する一方的テロ攻撃を強行した。このことによって「組織はテロから防衛を第一義とする体制に移行し、女性差別問題をめぐる討論は事実上タナ上げに近い状況となった」。(同)
 「レーニン主義的党建設」の強調は、男性メンバーが女性差別糾弾を封じ込めるために利用され、「男も女もない団結」を前提にした、女性独自の結集を阻害するためにも使われた。この問題に関しては、JRの第十五回大会(大会決議、「世界革命」91年9月16日号)において ①組織の目的意識性を強調することによって逆に政治的論争をぬきにした組織防衛主義へと向かうベクトルを作り出した ②同盟は「分派の自由」を承認する民主集中制を組織原則としていたが、その実態は路線上の違いや対立を政治論争として展開することのない「官僚主義的集中制」へと切り縮められていった、と認めている。
 このような傾向は、すでに第四インターナショナル第十一回世界大会決議においても同様の立場を確認していた。
 「近年、第四インターナショナルのいくつかの支部で女性会議、つまり女性の同志だけが参加できる内部の会合を組織することを認める決議が採択されている。レーニン主義でない諸組織において女性がこのような会議を形成する権利をわれわれは支持し、そのために闘うが、革命党の内部でのこのようなグループにはわれわれは反対する」。
 「革命的マルクス主義の党においては、それがどんな欠陥や弱点を持っていようとも、綱領と指導部と一般党員の間に固有の矛盾は存在しない。したがって女性だけの会議は党内民主主義および、われわれの労働者階級のための綱領を実現するためにわれわれが必要とするような組織の形成と矛盾する」。
 七九年当時の第四インターナショナルは、女性メンバーの独自のグループや女性党員会議の形成を否定していた。つまり、「レーニン主義」的な男性中心主義的組織観について無自覚であったということだ。
 その後、ヨーロッパの女性同志たちは、この決議に対して「性別を問わず同一の任務を遂行せよ、というのは文字どおり現実を無視した理想主義的見解だ」と批判し、さらに統一書記局のイニシアチブの不在と女性運動の利用主義的なあり方に対して闘っていった。
 そして、第四インターナショナル第十四回大会(95年6月)の「今日のインターナショナル建設」(「社会主義へ、いま」)において「民主主義的複数主義」を掲げ、組織の「フェミニズム化」を主張するにいたっている。
 「フェミニズム化の強調は、たんに組織内における女性の数字上の状況を改善しようとするものではない。われわれはすべてのメンバーによる貢献とさまざまな部門の経験を単一の組織に統合し積極的に評価しようとする組織内における新しい伝統と方法を導入することを学んだし、このことは以前の世代の組織モデルとは違うものである」。
 「複数主義の理解をこのようなひろい意味において豊富化しつづけることが、現在の新しい世代のあいだでわれわれの隊列を刷新するという緊急の課題にとって決定的に重要である」。 
 つまり、コミンテルンの初期の官僚的集中制の組織観の放棄と組織建設上の「柔軟性」を経験主義的に展開している。さらに「積極的行動と女性のあいだでの党建設」(「第四インターナショナル」誌55号)の実践化を強調している。

 三、差別を内に取り込んだ左翼組織の構造

 かねこ論文の第三章では、「差別を内に取り込んだ左翼組織の構造」というテーマから、JRの女性メンバーと男性メンバーの有り様を描いている。すでに女性解放グループは、JRの組織構造について「『性別役割分担』の厳然たる存在」「男たちと機関が必要と考えるそれぞれの役割の中に(女性メンバーが)位置づけられていた」「性差別構造が強制する女の役割の中に位置づけられ、決してそこから『解放』されていたわけではなかった」と批判している。
 かねこ論文は、JRが「男性主体の組織であり、女性たちは決して対等な『同志』ではなかった」状況を次のように具体的に浮き彫りにしている。
 「男たちが活動家として生きていくために、彼らの支援者として協力者としての役割が女の活動家に割り振られた基本的役割だった。生活を支え、彼らの子を産み育て、運動に理解あり、彼らの活動の支障にならない範囲で自らも運動に参加する、そんな『活動家の妻』像が、わたしが学生運動に参加したころの女性活動家の期待される将来像だった。恋愛関係で傷ついて運動から遠ざかる女性にたいしては、『だから女は信用できない』という評価がされ、そんな『ささいなこと』では挫折しないのが男らしさの要件のひとつだった」。
 次にJRの典型的な二つの男性メンバーのタイプを描き出している。
 ひとつのパターンは、「徹底して規律主義で「まちがいを起こさない」ことを第一とし、その眼は男性に対するより女性に向かってよりやかましく規範的傾向」で、「リブ的傾向」に過剰なまでの拒絶反応を示す」。
 もうひとつのパターンは、「女性との、『ブルジョア的一夫一婦制を越えた自由な関係』を標榜し、身勝手で一方的な関係のつくり方の口実にする。むずかしげなことばを口にし、指導的立場を利用して、あるいはグチをこぼして、自分を支え、受けとめ、励ましてくれる女性を確保する。男同士のせめぎ合いや運動のしんどさに疲れると女性に甘え、慰められてまた男たちのたたかいの戦場に還っていく。女性たちの真剣さ、まじめさ、誠実さ、世の中の理不尽を何とかしたいという意欲は、こうした組織のなかで男たちのエネルギーを維持するために吸い取られていった。個々の女性たちの想いをこえて、わたしたちはこうした構造に組み込まれてそれぞれがあったのだと思う。女たちはそれぞれに振り当てられ引き受けた役割によって何重にも分断されてあった」。
 かねこ論文は、このような組織のあり方に対して、「一九七〇年代初めのウーマンリブの波以降、世界各地で女性たちが、運動の内部に根づよく存在する性差別主義を告発したこと、それはおそらくマルクス主義を理論的支柱とする一九世紀後半から二〇世紀いっぱいの『革命運動』が克服の対象として自覚しなかった問題」だと指摘している。また、日本共産党の「ハウスキーパー問題」にも触れながら、日本の左翼運動の限界について問題提起する。
 ハウスキーパーとは、戦前の日本共産党が指導部の男性に女性党員=ハウスキーパーを付けて「偽装夫婦」を装い権力の弾圧をかわそうとした。だが、その実態は、指導部の男たちの身の回りの世話から文書の清書、見張り、なかには性的関係の強要さえもあったと言われている。
 ハウスキーパー問題を取り扱った文献は、いくつかあるがなかでも「あるおんな共産主義者の回想」(福永操 れんが書房新社)、「幻の塔─ハウスキーパー熊沢光子の場合」(山下智恵子 BOC出版部)などがある。いずれも組織内女性差別問題の総括を深めていくための必読書である。
 福永は、「ハウスキーパーというのは、彼女が所属するところの男の命令に対して完全に無条件服従」だった組織構造上の問題を批判している。
 また山下は、「お国のため、家のためという大義名分が、女や弱い立場にあるものを抑圧する口実になる例は多いが、抑圧からの解放をめざす革命党の運動の中にも、党のためという言葉がそれと同じ働きをしたことになる。いや革命党の中だからこそ、自分たちのすることはすべて正当だとおごりたかぶりがちになるであろうし、男の本心がむきだしになりやすく、女を一人の人格を持った人間扱いをしないという事例が出てくるのかもしれない」と糾弾している。
 最後にかねこ論文は、「性差別が強制する女たちの分断」を越えて女の連帯を作り出していこうとする決意を強調し、「ただ、あの時期、沈黙・居直り・恫喝に終始した男性が依然として居座っている運動にわたしは魅きつけられることはない」と厳しく批判している。
 すでに述べたように女性メンバーから決別され、膨大なマイナスの位置から男たちの討論を行ってきた。結果的にその敗北的現実の表現としてJRCL第十七回大会(96年4月)は、「組織内女性差別問題についての同盟の経過と問題点」文書(「かけはし」97年1月1日号において「第3部 総括と課題」を掲載)およびJRCL規約の中において ①「女性差別との闘いの義務」 ②「男性同盟員の女性差別との闘いの義務」 ③「女性から『告発・糾弾』があった場合の取り組み義務」などの項目を決定していった(96年5月27日号)。これらの諸文書において示されているようにわれわれは、女性差別問題とは「差別される側」の問題ではなく「差別する側」の男たちの問題であるという、当然ともいえる認識の一致の入り口にようやくたどり着いたのであった。
 われわれは、Aさん、女性たち、女性メンバーたちの告発と糾弾を忘れずに、現在の在り方に安住することなく闘い続けていく。それは同時に、国内外の様々なフェミニズム運動に学び、教訓化していく取り組みを推し進めながら、さらに発展をかちとっていく闘いなのだと深く自覚しなければならない。かねこ論文を通して、論議と闘いを深めていくことを呼びかける。

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