「プロレタリア文学とジェンダー」

読書案内 飯田 祐子、中谷 いずみ、笹尾 佳代(編著)(青弓社/2022年 定価4000円+税)

戦前日本共産党のハウスキーパー問題について

問題意識として

 本書は1921年創刊の『種蒔く人』から『文芸戦線』(1923年)、全日本無産者芸術連盟機関誌『戦旗』(1928年)などで掲載された左翼文学、すなわちプロレタリア文学運動を取り上げている。
 とりわけ筆者にとって注目するテーマが、第1部の第2章「階層構造としてのハウスキーパー─階級闘争のなかの身分制」(池田啓悟)だ。戦前日本共産党のハウスキーパー問題について「女党員、党員の妻、シンパといった運動内の女性の階層構造を横断するハウスキーパーの特異な立場を『身分』として捉え返し、複雑な仕事・役割を担いながら蔑視されたという差別性」や「ハウスキーパーを生きた女性たちの多様な実態」を分析する。編著たちは、「階級という論点がどれほどジェンダー化していたのか」、「階級の陰に不可視化されてきたジェンダーの問題を可視化したい」という課題を掲げ、同時に「階級とジェンダーだけでなく、複数のカテゴリーが複合的に機能している交差性(インターセクショナリティ)を考慮」して探求している。
 この交差性(インターセクショナリティ)とは、人種、階級、ジェンダー、セクシュアリティ、ネイション(民族)など、複数のカテゴリーを相互に関係し、形成しあっているものとして捉えるための分析ツールだ。

交差性分析からのアプローチ


 本書は、各プロレタリア文学作品を取り上げながら論評していく手法で示している。多岐にわたるので詳細にすべてを紹介することは省略する。とりあえず、前提的土台として本書の概要だけは把握しておいたほうがよいと思うので、第1部の第2章以外の概要を簡単に記しておく。

 「第1部 プロレタリア文学場におけるジェンダーとセクシュアリティ」では、「プロレタリア文学が書かれ、読まれ、また流通する場の構造に、ジェンダーやセクシュアリティがどのように組み込まれているか」という観点から切り込む。
 第1部の第1章は、「愛情の問題─徳永直『赤い恋』以上(1931年)」(ヘボー・ウェン=ストライク)を取り上げ、「コロンタイ思想」を絡めながらテーマ分析を掘り下げている。
 第3章は、「プロレタリア文学における『金』と『救援』のジェンダー・ポリティクス─『現代日本文学全集』第62篇『プロレタリア文学集』(1931年)にみるナラティブ(物語)構成』」(飯田祐子)について「救援」戦線の「後衛」、「女性ジェンダー化」面に対してジェンダー・ポリティクス(性差による政治)を明らかにする。
 第2部は「女性表象のインターセクショナリティ」を水路にして女性表象をクローズアップし、「動員のナラティブにおけるジェンダーやセクシュアリティの組み込み、またジェンダーと階級、さらには障害や帝国主義など複数の力学が交差する様相」を以下のようなテーマを設定し分析していく。
 第2部の第4章では「女性表象の輪郭をたどること─山川菊栄『石炭がら』(1921年)を起点として」(泉谷瞬)と設定し、山川評論を踏まえながらその意義を探っている。
 第5章は、「メディアとしての身体─葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』(1926年)の女性表象」(鳥木圭太)について「女工」「女学生」「妻」「母」に焦点をあてた。
 第6章の「吉屋信子の大衆小説におけるプロレタリア運動のジェンダーとセクシュアリティ─『読売新聞』連載小説『女の階級』(1936年)」(サラ・フレデリック)では、プロレタリア文学運動を支持しなかった吉屋の「女の階級」規定について多角的に掘り下げた。
 第7章の「朝鮮戦争期のジェンダーと帝国主義の記述─佐多稲子の場合」(サミュエル・ペリー)では、佐多の「キャラメル工場から」(1928年)、「くれなゐ」(1938年)などの作品を取り上げる。さらに、佐多の「プロレタリア運動の活動家」から転向し、「皇軍に従軍する作家」へと至り、戦後の「自己批判的に考察した一連の作品」を通して「皇国女性のまねをするパフォーマンスから自分の身を引き剥がす」プロセスを検証する。
 第3部のテーマは「闘争主体とジェンダー」で「女性たちの闘いがどのように語られてきたか」について以下の観点からアプローチしていく。
 第8章の「プロレタリアとしての娼妓表象─賀川豊彦『偶像の支配するところ』(1926年)/松村喬子『地獄の反逆者』(1929年)」(笹尾佳代)では「労働運動の論理が廃娼運動に接合されていく、運動の周縁の力学」も含めて分析する。
 第9章は「残滓としての身体/他者─平林たい子『施療室にて』と『文芸戦線』(1927年)」(中谷いずみ)を取り上げ、「男性ジェンダー化された闘士の再生/覚醒物語には回収しきれない残滓」を浮彫りにしながら女性主人公の特性を描いていく。
 第10章の「闘争の記録を織りなす─佐多稲子『モスリン争議5部作』(1930年)における女工たちの表象」(李珠姫)は、佐多が1930年夏、東京モスリン工場の労働争議を5部作として描いた作品を取り上げた。
 李は、佐多が争議に参加した女工を「それぞれ異なる立場から争議に関わっている複数の女工を中心人物として設定することで、彼女たちの間にある葛藤と連帯の可能性、そして闘争の主体としての覚醒と逡巡の瞬間を場面場面に切り取って提示」し「革命の途上にある闘争の一部としてこの争議を位置づけてみせている」と評価する。
 第11章の「階級、性、民族のインターセクショナリティによる新しい関係性の回路─中本たか子『東モス第2工場』論(1932年)」(楊佳嘉)において楊は、「『東モス第二工場』には、階級とジェンダーのインターセクショナリティだけでなく、階級と民族のインターナショナリティの視点があり、階級問題の複数性が抽出されている」「女工教育に象徴されるような近代家父長制が内包したジェンダー規範を塗り替えようとし、彼女たちのプロレタリアという階級意識を覚醒させると同時に、男性や多民族の労働者との差異を明らかにしたうえで、それらとの新しい関係性の回路を作り直したのである」と総括している。
 以上のように編著は、11の論考を集約する形で「本書は、そこに流れ込んだ多様な言葉や生の力を、複雑なままに鮮明に映し出すことを目指し」、だからこそ「プロレタリア文学運動を考えるにあたっても、階級とジェンダーを二元論的に捉えるのではなく、その統一的な機能の様相を捉えてみたい」と強調し、「階級だけでなく、ジェンダーや、そのほかのカテゴリー・力学とのインターセクショナリティを捉えていくことが重要である」と今後の課題を読者に呼びけるのだ。

『あるおんな共産主義者の回想』

 池田は、第1部の第2章で「階層構造としてのハウスキーパー─階級闘争のなかの身分制」とテーマ設定し、戦前、非合法共産党のハウスキーパーについて定義づける。ハウスキーパーとは、天皇制テロル、官憲の弾圧をさけるために「普通の家庭の妻のようにみせかけた」女性党員、シンパであり、「一つの『身分』として共産党の階層構造のなかに組み込まれていたのではないか」と問いかける。
 さらに池田は、ハウスキーパーの当事者である中本たか子の『受刑記』(1937年/中央公論)を取り上げて、「形式的な夫婦から、内容上のそれに決定され」の記述を明記し、「要は偽装ではなく本当の夫婦関係になった、より直接にいえば性的な関係をもった」と述べている。
 つまり「同棲」は党の指示であり、「強制されたものだったといえるし、その指示を断らなかったというなら、自分の意志で引き受けたといえなくもない」などとあいまいな評価をしてしまう。
 そのうえでハウスキーパー問題を研究してきた福永操の「あるおんな共産主義者の回想」(1982年/れんが書房新社)を取り上げ「幹部のハウスキーパーであるというだけで、みんながなんとなく卑しめる。軽蔑するというか蔑視する」「有能な女党員の人、女党員候補みたいな人を、自分の一個の女奴隷のような私有物にして、無条件的に支配する、支配して使う、これがハウスキーパーということになると思います」という批判証言を紹介することによって打ち消すのだ。
 さらに「福永は、ハウスキーパー問題を突き詰めることによって、日本共産党が『女性という身分』を生み出していることに気づいたのだ。『女性』という生まれ持った身体によって、『自主的な人間の立場』を認められることがないのであれば、それは移動が可能な階層というよりも、身分といったほうがよりふさわしいだろう」と述べ、当時の日本共産党が「こうした身分制ができあがってしまうことに無自覚だったのではないか」と指摘する。そして「『ハウスキーパー制度はなかった』ということが何らかの免罪符になるという発想は、もはや乗り越えられるべきなので
ある」と批判する。
 だが池田分析はここまでだ。戦前日本共産党は天皇制に反対していたが、組織が内包していた家父長制的組織、権威主義と男主義、女性差別を動員した利用主義などの綱領的限界性にまで踏み込むことはしていない。非合法など時代的制約などと問題の切開を回避することはできない。
 すでにハウスキーパー問題について様々な観点からの研究が行われてきた。なかでも「幻の塔─ハウスキーパー熊沢光子の場合」(山下智恵子/1985年/BOC出版)、「運動史研究」(運動史研究会編/1979年/三一書房)を明記しておくことができる。

JRCL組織内女性差別問題にひきつけて


 最後に本書をバネにJRCL組織内女性差別問題にひきつけて考えたい。
 かねこさちは「新左翼組織と女性差別」(『性幻想を語る』/1998年/三一書房)で「ハウスキーパー問題」について取り上げている。かねこはJRCL(日本革命的共産主義者同盟)の女性差別問題を通して左翼組織独特なあり方、女性差別を内に取り込んだ左翼組織の一側面を明らかにしている。関連して「ハウスキーパー」問題を取り上げ、「日本共産党はこんにちに至るまで、その事実を党史のなかできちんと総括する作業をしていない。……女性たちの存在は無視され語り継がれることなく、女性たちの誠意とエネルギーは歴史的にも分断されてきた」と総括している。
 栗田隆子は、「ぼそぼそ声のフェミニズム」(2019年/作品社)の中で遠山裕樹の「新左翼と女性差別 かねこさち論文をよむ」(かけはしHP/2022年4月19日)によって、かねこの「新左翼組織と女性差別」論文の存在を知り、「歴史の断絶─『組織内女性差別問題』をめぐって」というテーマを設定している。
 栗田は、JRCLの女性差別問題に対して「社会運動に関わる女性たちが、二一世紀の現在においても何度も味わってきたことで、とても三〇年以上経った話とは思えない」「一九八〇年代に起きた事件とそれを取り巻く状況が、今なお継続している理由は歴史が断絶され、運動はその歴史を問われず、あえてこういう言い方をするなら『真空地帯』となってしまっているところにあるからではないか」と問題提起し、かねこが指摘する「ハウスキーパー」問題について日本共産党史に位置づけられていない現状に対して「性的暴力や差別が歴史に位置づけられることがなぜここまで困難なのか」と問いかけている。
 不十分ながらも筆者は、「『女性差別との闘いの義務』と 『組織のフェミニズム化』の検証に向けて」(かけはし 第2647・2648合併号 2021年1月1日)において「女性差別問題とは『差別される側』の問題ではなく『差別する側』の男たちの問題であるという認識の一致さえもかちとれなかった」状況の切開から一つ一つ再検証していく持続性が求められていることを浮き彫りにしてきた。そうであるがゆえに本書を通した「ハウスキーパー」問題の問いかけは、「歴史の断絶」の危険性を自覚し、持続的な取り組みとセットでいかに伝えていくのか問われている。  (遠山裕樹)

THE YOUTH FRONT(青年戦線)

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