レポート─経産省トイレ裁判最高裁判決
トランスジェンダーハラスメントに抗して
「判決の重みを無視することはできません」
勝利判決
7月11日、最高裁第3小法廷(今崎幸彦裁判長)は、人事院が経済産業省に勤めるトランスジェンダーの原告(戸籍上は男性で、性同一性障害と診断され女性として生活)に対して勤務するフロアの女性用トイレの使用を認めず、2階以上離れたフロアのトイレを使うよう制限したことは違法だとする判決を言い渡し、制限は適法とした二審東京高裁判決を破棄し、国側の控訴を棄却。原告の勝訴が確定した。
この行政措置要求判定取消、国家賠償請求事件裁判に対して判決主文は、「人事院がした判定のうちトイレの使用に係る部分の取消請求に関する部分を破棄し、同部分につき被上告人の控訴を棄却する」結論づけた。
さらに原告の上司による「男に戻ってはどうか」などの差別発言を繰り返し受け、精神的苦痛で長期の休職を余儀なくされたことに対して発言の違法性を認め国家賠償法の賠償額は11万円とした。
裁判官5人の全員一致による結論だ。
事実関係
判決は、「事実関係等の概要」について以下のように明記している。
①原告は、生物学的な性別は男性であるが、幼少の頃からこのことに強い違和感を抱いていた。1998年頃から女性ホルモンの投与を受けるようになり、1999年頃には性同一性障害である旨の医師の診断を受けた。2008年頃から女性として私生活を送るようになった。健康上の理由から性別適合手術を受けていない。
②原告は、 2009年7月、上司に対し、自らの性同一性障害について伝え、同年10月、経済産業省の担当職員に対し、女性の服装での勤務や女性トイレの使用等についての要望を伝えた。
2010年7月14日経済産業省は原告の了承を得て、原告が執務する部署の職員に対し、原告の性同一性障害について説明する会が開かれた。そのうえで経済産業省は、原告に対し執務階とその上下の階の女性トイレの使用を認めず、それ以外の階の女性トイレの使用を認めることになった。
原告は、説明会の翌週から女性の服装等で勤務し、執務階から2階離れた階の女性トイレを使用するようになったが、それにより他の職員との間でトラブルが生じたことはない。
③原告は、2013年12月27日付けで職場の女性トイレを自由に使用させることを含め、原則として女性職員と同等の処遇を行うこと等を内容とする行政措置の要求(国家公務員法86条)をした。
人事院は、2015年5月29日付けで、いずれの要求も認められないと判定した。
人事院の判断を否定
最高裁判決は、人事院が、「勤務するフロアの女性用トイレの使用を認めず、2階以上離れたフロアのトイレを使うよう制限した」判断を「是認することができない」と厳しく批判している。
その理由はこうだ。
「職員は、性同一性障害である旨の医師の診断を受けている。自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けているということができる」と認定した。
さらに「職員が執務階の女性トイレを使用することについて、担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない」「女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない」ことを確認している。
それにもかかわらず人事院は、説明会から判決に至るまでの約4年10か月の間、「特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ、処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない」し、「不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかった」と認めた。
つまり、人事院は、「他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかった。著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない」「裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるというべきである」と強く批判した。しかも「裁判官全員一致の意見」であった。
裁判官は、以下のような補足意見を述べている。いずれも重要な問題提起をしているので以下紹介する。
裁判官宇賀克也の補足意見(要旨)
性自認を尊重する対応をとるべき
経済産業省は、原告が戸籍上も女性になれば、トイレの使用についても他の女性職員と同じ扱いをするとの方針であった。だが現行の性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律は、職員が戸籍上の性別を変更するためには、性別適合手術を行う必要がある。性別適合手術は、身体への侵襲が避けられず、生命及び健康への危険を伴うものであり、経済的負担も大きく、また、体質等により受けることができない者もいるので、これを受けていない場合であっても、可能な限り、本人の性自認を尊重する対応をとるべきといえる。
原告は、当面、性別適合手術を受けることができない健康上の理由があったというのであり、性別適合手術を受けておらず、戸籍上はなお男性であっても、経済産業省には、自らの性自認に基づいて社会生活を送る利益をできる限り尊重した対応をとることが求められていたといえる。
原告から2009年10月に女性トイレの使用を認める要望があった以上、経済産業省は、職員たちに早期に研修を実施し、トランスジェンダーに対する理解の増進を図りつつ、かかる制限を見直すことも可能であったと思われるにもかかわらず、かかる取組をしないまま、上告人に性別適合手術を受けるよう督促することを反復するのみで、約5年が経過している。この点については、多様性を尊重する共生社会の実現に向けて職場環境を改善する取組が十分になされてきたとはいえないように思われる。
結論として、人事院は、女性職員が抱くかもしれない違和感羞恥心等を過大に評価し、原告が自己の性自認に基づくトイレを他の女性職員と同じ条件で使用する利益を過少に評価しており、裁量権の逸脱があり違法として取消しを免れない。
裁判官長嶺安政の補足意見(要旨)
トランスジェンダーの利益は法的に保護されるべき
経済産業省は、職員間の利益の調整を図ろうとして、原告に対してトイレの使用への制約を行った。だが不利益を被ったのは原告のみであったことから、調整の在り方としての処遇は、均衡が取れていなかった。
本件判定時に至るまでの4年を超える間、職員は、職場においても一貫して女性として生活を送っていた。女性職員が抱く違和感があったとしても、それが解消されたか否か等について調査を行い、職員に一方的な制約を課していた処遇を維持することが正当化できるのかを検討し、必要に応じて見直しをすべき責務があったというべきである。
自認する性別に即して社会生活を送ることは、誰にとっても重要な利益であり、取り分けトランスジェンダーである者にとっては、切実な利益であること、そして、このような利益は法的に保護されるべきものだ。人事院が原告のトイレの使用に係る要求を認めないとした判定部分は、著しく妥当性を欠いたものである。
裁判官渡邉惠理子の補足意見(要旨)
感覚的・抽象的に行うことは許されない
トランスジェンダーである原告と庁舎内のトイレを利用する女性職員ら(シスジェンダー)の利益が相反する場合には両者間の利益衡量・利害調整が必要となる。
女性職員らの利益を軽視することはできないものの、原告にとっては人として生きていく上で不可欠ともいうべき重要な法益であり、また、性的マイノリティに対する誤解や偏見がいまだ払拭することができない現状の下では、両者間の利益衡量・利害調整を、感覚的・抽象的に行うことが許されるべきではなく、客観的かつ具体的な利益較量・利害調整が必要であると考えられる。
原告による女性トイレの利用に当たっては、女性職員らの利益が本当に侵害されるのか、侵害されるおそれがあったのかについて具体的かつ客観的に検討されるべきである。
だが、経産省は、原告に対して約4年10か月にわたり女性トイレの使用制限を維持してきた。このような経済産業省の対応が合理性を欠くことは明らかであり、また、原告に対してのみ一方的な制約を課すものとして公平性を欠くものといわざるを得ない。
原告に対して性別適合手術の実施に固執することなく、施設管理者等として女性職員らの理解を得るための努力を行い、漸次その禁止を軽減・解除するなどの方法も十分にあり得たし、また、行うべきであった。
女性職員らの多様な反応があり得ることを考慮することなく、「性的羞恥心や性的不安などの性的利益」という感覚的かつ抽象的な懸念を根拠に処遇し、判定部分が合理的であると判断したとすると、多様な考え方の女性が存在することを看過することに繋がりかねない。
トイレの利用に関する利益衡量・利害調整については、取扱いを一律に決定することは困難であり、個々の事例に応じて判断していくことが必要になる。
施設管理者等が、女性職員らが一様に性的不安を持ち、そのためトランスジェンダー (МtF)の女性トイレの利用に反対するという前提に立つことなく、可能な限り両者の共棲を目指して、職員に対しても性的マイノリティの法益の尊重に理解を求める方向での対応と教育等を通じたそのプロセスを履践していくことを強く期待したい。
裁判官林道晴
裁判官渡邉恵理子の補足意見に同調する
裁判官今崎幸彦の補足意見(要旨)
公共施設のトイレ使用の在り方は今後の課題
説明会において原告は、女性職員を前に自らがトランスジェンダーであることを明らかにしているが、引き続き行われた意見聴取の際には女性職員から表立っての異論は出されていない。
職場における施設の管理者、人事担当者等の採るべき姿勢は、トランスジェンダーの人々の置かれた立場に十分に配慮し、真摯に調整を尽くすべき責務があることが浮き彫りになった。
種々の課題について、よるべき指針や基準といったものが求められることになるが、職場の組織、規模、施設の構造その他職場を取りまく環境、職種、関係する職員の人数や人間関係、当該トランスジェンダーの職場での執務状況など事情は様々であり、一律の解決策になじむものではないであろう。
現時点では、トランスジェンダー本人の要望・意向と他の職員の意見・反応の双方をよく聴取した上で、職場の環境維持、安全管理の観点等から最適な解決策を探っていくという以外にない。
今後この種の事例は社会の様々な場面で生起していくことが予想され、それにつれて頭を悩ませる職場や施設の管理者、人事担当者、経営者も増えていくものと思われる。既に民間企業の一部に事例があるようであるが、今後事案の更なる積み重ねを通じて、標準的な扱いや指針、基準が形作られていくことに期待したい。
なお、本判決は、トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない。この問題は、機会を改めて議論されるべきである。
注目すべき一審判決
「女性用トイレの使用を認めた」事例
裁判官の補足意見は、人事院の対応が原告と女性職員などとの「調整の在り方としての処遇は、均衡が取れていなかった」という評価だ。
裁判官補足意見とアプローチの指針は、すでにSOGIハラ・アウティング対策の「LGBTQの働き方をケアする本」(宮川直己著 /内田和利監修/自由国民社/2022/5/19)で提起されていた。
とりわけ本書の「第4章 カミングアウトを受けた後のQ&A」で「トランス女性の従業員が女性トイレを使うことに、他の女性従業員が反対しています。当事者の従業員に我慢してもらいたいのですが…」(P185)の質問に対して、①性自認に基づくトイレ使用の代替手段─企業は原則として、本人の性自認に基づく施設利用を認める方向での検討及び調整を行うことが求められます。②反対意見を示している従業員に別のトイレ使用を促す。③共用個室トイレ(誰でもトイレ)を設置する、などと答え「当事者従業員に我慢させる対応は不適切です。反対意見を示す女性社員に理解を求めるための働きかけを行いましょう」と結んでいる。
さらにトイレ問題について松岡宗嗣さんの著者「『LGBTとハラスメント』を読む」(神谷悠一、松岡宗嗣著/集英社新書/2020年7月17日)では、「性自認に基づく施設の利用を原則において、多目的に使える施設、個室などを組み合わせた工夫など、環境調整する努力が、周囲、特に企業等の組織には求められる傾向にあるとはいえそうです」と提起していた。
関連して注目すべきは、経産省トイレ裁判の東京地裁勝訴判決文(1989年12月12日)の中で「トランスジェンダーによる自認する性別のトイレ等の利用等に関する社会的状況等」について取り上げ、以下のように採用した。
「民間企業において、身体的性別が男性であり、性自認が女性であるトランスジェンダーの従業員であって、性別適合手術を受けておらず、戸籍上の性別が男性である者に対し、女性用トイレの使用を認めた」例として、学校法人A、B株式会社、C株式会社、株式会社D、E株式会社、F株式会社を取り上げている。最高裁裁判官は、これらの事例を検証し、補足意見に反映させている。
最高裁判決に対して原告は「関係者はこの判決の重みを無視することはできません。判決理由そのものよりも、補足意見で書かれているような裁判官の考えを十分に汲んで、トランスジェンダーや同性愛者などの少数者への対応を、感覚的で抽象的な考え方ではなく、具体的に踏み込んで真剣に考えるよう迫られるのではないか」(弁護士ドットコムニュース/7・11)と述べた。
LGBTQ+当事者への差別を助長するLGBT理解増進法が6月23日施行された。経産省トイレ裁判最高裁判決は、職場、様々な各現場において格闘、葛藤していくことになったと言える。
裁判官今崎は、「本判決は、トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない。この問題は、機会を改めて議論されるべきである」と述べている。つまり、LGBT理解増進法の運用チェック、検証、廃案も射程にした取り組みは、より具体的な掘り下げが求められてくプロセスに入っていくことになる。
(遠山裕樹)
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