第4インターナショナル女性セミナー2023⑤
マルクス主義とトランスジェンダーに対する抑圧
アーリア・メローニ 著
1・B・6
同様に、ミレニアル世代の15%が自らをノンバイナリーであると宣言している現在、この「問題」を一部の知識人の流行であるかのように扱うことはもはや不可能である。私たちは、「問題」や「流行」ではなく、個人のアイデンティティに触れるものはすべてそのように考え、深刻に受け止めなければならないと信じている。というのも、好むと好まざるとにかかわらず、アメリカのZ世代の半数以上が自らを「ノンストレート」と定義するとき、これは必然的に私たちの階級を横断することになるからだ(国家空間にブルジョワの多数派が存在し得ると考えない限り)。
これら2つの観察に基づけば、もしフェミニズム運動が、より一般的には社会運動の左派が、これらすべてを真剣に考えることができなければ、分裂は必然的に深まるだろう。なぜなら、私たちはここで、個人の「最も親密な部分」に触れるものについて話しているのであって、選択肢や嗜好、政治的思想についてだけ話しているわけではないからだ。
例えば、私たちはアイデンティティの問題に基づいてどのような戦略を講じるべきかについて議論することができる。私たちは、フェミニズム運動から自立したトランスジェンダーの運動を発展させるべきだと考えているのであろうか? 私たちの活動の目標は、形式的な平等の権利や包括的なビジネスを達成することなのだろうか? 私たちは社会階級について語るのをやめ、異なるセクターや異なるアイデンティティを統合し、グローバル性を構築しようとするのをやめ、その代わりに単純に複数性を認めるためのキャンペーンを行うべきなのだろうか?
私たちは社会革命の視点を捨て、資本主義システムに完全に統合することによって個人の自己実現を提唱すべきなのだろうか? これらはすべて、批判されうる、また批判されるべき戦略、方向性であり、他の方向性や戦略には反対すべきである。しかし、そのためには、アイデンティティとアイデンティティを持つ個人を真剣に受け止めるという前提条件がある。
もしアイデンティティが「それ自体で革命的」なものではないのだとしたら、そして、それを主張する人々はしばしば、私たちの闘いの商品化を促進しているのだとしたら、どうであろうか。確かなことは、もし私たちが最初から個人を非難するなら、もし私たちが個人を拒絶するなら、アイデンティティに「基づいた」政治は、より複雑な様相を呈する。
これまで述べてきたように、新自由主義は批判を無力化するために、批判の一部を統合しようとするシステムである。それがあらゆる問題に対して「オープン」であるかのように見せかけようとするシステムであるならば、左翼に拒絶された人々が、自分自身をシステムに統合しようとするのは驚くべきことではない。
われわれは資本主義と対等な条件で勝負しているわけではない。われわれの階級をそのくびきの下に置いておくために、体制は経済的、イデオロギー的、政治的、文化的なあらゆる武器を持っている。新しい階級意識と文化を構築し、それを大衆的規模で発展させ、反ヘゲモニーを提案するという野心的な政策は、われわれの階級のすべての「部門」と闘争を統合し、尊重することなしにはできない。このことは、急進左派がすべての闘いを受け入れ、真剣に受け止めること、社会の革命的変革を望むフェミニズム運動も同じように受け止めること、そして戦略的な問題をめぐる議論を討論し、民主化することを前提とする。
2─戦略
A─包括性に関する戦略的思考
2・A・1
理論にとどまらず、トランスジェンダーの人々、ひいては今日のフェミニズム運動における排除/包摂に関連する問題をめぐって戦略的に考えることである。
なぜなら、フェミニズム運動におけるトランスジェンダーの位置づけが重要な問題であると考える場合、それは道徳的な配慮のためでも、「正しいから」「包摂的でなければならないから」でもないからである。労働運動には常に道徳主義的な立場があり、フェミニスト運動における包摂性についての議論は、時にそこから、このブルジョワ的/道徳的慈善的な立場から生まれることがあるからである。
しかし、私たちは、慈善や神の使命から活動家になるのではない。革命的マルクス主義の活動家として、私たちは、例えば、革命的主体であるのは「労働者」階級であると考える。それは、私たちが「貧しいプロレタリア」の「運命」を気にかけているからではなく、ブルジョアジーの権力の鍵を握る階級だからである。
私たちは、フェミニズムが社会の革命的変革のための運動となりうると考える。それは、女性の権利を擁護することが道徳的に正しいからではない。例えば、日和見主義によって、女性が人口の50%を占めていることから、私たちが女性の運命を大切にすれば、彼女たちがプロレタリア革命に参加したいと思うようになることを期待しているからでもない。生産─再生産システムにおいて女性が占める役割を考えれば、政治的主体化の特別な空間となりうるからであり、また、特にフェミニスト・ストライキを通じた急進的変革のベクトルとなりうるからである。
はっきりさせておきたいのは、私たちは包摂性をご都合主義と考えるべきではない。また戦略的だからといって、女性の権利、トランスジェンダーの権利、人種差別された人々の権利などのために闘うべきだと言っているわけではない。私たちが言おうとしているのは、私たちには究極的な目標があり、それは抑圧と搾取、あらゆる支配と権威の関係から解放された社会を確立することである。この目標を達成するために、ダニエル・ベンサイドが言ったように、私たちは「権力征服のための意識的闘争」を展開することを提案し、そのためには被抑圧者と被搾取者、つまり資本主義と抑圧関係に苦しむ人々の団結が必要である。
この意味で、私たちは道徳的包摂主義や日和見主義に対する批判を提案する。 つまり、私たちは、このような運動にはすべての人を参加させるべきだ、それは良いことだと簡単に言うべきでないと考えている。むしろ、私たちは「なぜ」すべての被抑圧者・被搾取者を参加させたいのか、そして何よりも、被抑圧者・被搾取者全体が、社会の革命的変革のための運動で闘うことが自らに利するのか、ブルジョアジーの手から集団的に権力を奪取するために団結することが自に利するのか、自問すべきであると考えている。
なぜそうするのかがわからなければ、「どうすればそこにたどり着けるのか」を自問することはほとんどなく、戦略について語ることもなく、習慣的に物事を漠然と行うということになる。私たちは結局、「抵抗」し、「反抗」の姿勢に自らを閉じ込めてしまう。暴動を祝い、各所にてストライキを扇動し、デモで鬱憤を晴らし、気に入らないことには罵倒し、家に帰り、何かを書き、酒を飲み、仕事に戻り、大学に戻り、好天が戻ってくるのを家で待つのみである。
しかし、私たちが提案しているのは、世界の終わりを待つ間に少し「遊ぶ」ことではない。世界の終わりをロマンチックにとらえるのは、常に25度の温度のもとで、湖が近くにあり、アルコールが30年分供給され、すでに雇われている使用人が数人いて、料理をする必要がないような場所に逃げ込むことができる階級の特権である。しかし、私たちの階級の大多数にとっては、それは苦痛である。私たちが望むのは、テーブルをひっくり返し、チェス盤を破壊し、自分自身を心から信じることである。
2・A・2
このことに少しこだわることは、武装解除され、ピンクウォッシングの罠に陥ることを避けるためにも重要だと思われるからである。はっきりさせておきたいのは、包括性を道具としてではなく、それ自体が目的であると考える傾向は、私たちの運動の革命的可能性を打ち消し、新自由主義の「進歩的」傾向のアジェンダに服従させようとする偏見である。
それは実際、ブルジョワジーの女性、トランスジェンダーの人々、人種差別を受けた人々、LGBの人々などが、支配階級に「含まれ」、「平等」であり、他の人々と同じように搾取する機会を持つということである。これについてはまた触れるが、この新自由主義フェミニズムの「進歩的」傾向は、実は同じ新自由主義フェミニズムの「保守的」傾向と双璧をなしている。つまり、トランス排除的ラディカルフェミニストもLGBTQIフレンドリーも、基本的な目標は同じである。私たちはこのことを肝に銘じておく必要がある。
ここでの議論はピンクウォッシングに関する最低限のものでしかないが、だからといってカマラ・ハリスのフェミニズムがJKローリングのフェミニズム以上に私たちの味方であるということにはならない。アメリカの移民キャンプで死んでいくトランスジェンダーの人々は、レイチェル・レヴィーンが保健相に任命されたことなど気にも留めない。 (つづく)
【訂正とおわび】
①9月11日号の「第4インターナショナル女性セミナー2023 ⑤」は、9月4日号の同記事(1・A・5~1・B・3)と同じデータを印刷・アップしてしまいました。9月11日号の(1・A・5~1・B・3)を削除し、おわびします。
②本紙8月28日号の三里塚芝山連合空港反対同盟の声明文の「1933年」を「1993年」に訂正します。
③本紙9月4日号の「2023平和の灯を!ヤスクニの闇へ第18回キャンドル行動」の記事、本文の「補足コメント」を「ほそくコメント」に訂正します。
(編集部)
The KAKEHASHI
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