第4インターナショナル女性セミナー2023⑦

マルクス主義とトランスジェンダーに対する抑圧
アーリア・メローニ 著

 しかも多くの場所で、このような自己組織化は、疎外されることによって必要とされている。それはもはや、闘うために組織化するという問題ではなく、生きるため、生き残るために組織化するという問題でもある。組織化の一例としてトランスTDSコレクティブ、自助ネットワークなどが思い浮かぶ。多くの国々で、そして特に人種差別を受けたトランスジェンダーの人々にとって、自己組織化は不可欠な問題である。
 そしてこれらすべては、もちろんフェミニズム運動と対立するものではない。それどころか、これらの枠組みをフェミニストの自己組織化という一般的な網の目の中に挿入し、それらを「部分」とし、互いに組み合わせ、補強し、尊重し、協調する空間とすることなのだ。
 つまり、トランスジェンダーの人々や、人種差別を受けた女性、最も不安定な立場にある女性、働く女性などを統合するという課題は、もちろん、99%の大衆のためのフェミニズム、階級的フェミニズム(もちろん、広義の階級的フェミニズム)の主となる、積極的役割の問題である。そしてこれはフェミニズム運動のリーダーシップの問題である。それは革命運動なのであろうか、あるいは組織的政党のアジェンダに要求を統合する運動なのであろうか。

 2・B・5
 この展望において、別の視点で考察してみる。私たちが何を望んでいるのか、少なくともそれだけではなく、なぜそれを望んでいるのか、そして何よりも、どのようにしてそこに到達するのか。
 ここでもまた、当面の要求/社会主義のための最大限のプログラムという二項対立から抜け出し、過渡的な要求という展望から再び考え始める時である。それを達成するためには、われわれの階級を動かして革命への道を歩ませることを必要とする、すべての措置、道、提案である。特に、自己組織化と自己活動を発展させることによって、特定の問題を大衆的な規模に押し上げることによって、集団的なものを作り出すことによって、ダニエル・ベンサイドが言ったような、自己管理の「見習い」を認めることになる。
 なぜなら、新自由主義の50年後に資本主義国家が私たちの生活条件を大幅に改善してくれるとの期待は、私たちを困難に追い込むことを意味するからである。これは、もはや国家に何かを要求すべきではないという意味ではない。特に北欧諸国やパワーバランスの現状では、多くのことが当分の間、国家に依存するしかない。中絶の法的期限の延長、警察の武装解除、身分証明書の性別変更の自由化などである。しかし、だからといって私たちが国家から脱却するのを止めることはできない。また、だからといって、左翼に定着し、国家に対する「対話」、交渉、要求の枠組みの中で組織的に自らを位置づけようとする「国家主義文化」と決別することを妨げるものではない。
 私たちはなぜ、常にそのような要求をするのであろうか、「自分たちの力で」問題を解決できないのであろうか、「自分たちの力で」、つまりそのプロセスは単なるプロパガンダよりも興味深いのではないか、未踏の地に行くことを許さないのではないか、と自問すべきである。
 例えば、ジェンダー・バイオレンスにどう対処するかという問題。私たちは法律を制定するよう求めているのか、それともフェミニストの自己組織化を通じて集団的にこの問題に対処しようとしているのか。その両方か? どうすればいいのか? 何のために? 私たちは最終的なゴールを念頭に置き、私たちが望むものがそこに到達できるかどうかを確認しなければならない。それは革命をフェティシズム化するためではない。一般的に言って、集団的利益にならないことは、私たちや他の従属を強いられている層に大きな不利益を課すことになる。
 たとえば、被害者をよりよく受け入れるために「警察を変える」べきだという考えを集団的かつ政治的に育むことは、私たちをその目標に向かわせるであろうか。あるいは、被害者を擁護し、加害者に対処し、暴力に反対する民衆の自己教育を提案するために、街角で十分に強力で地域化された連帯のネットワークを発展させることは、さらなる野心的な提案ではないのだろうか。
 特に、警察が資本の利益を守る人種差別的で性差別的でLGBTQI嫌悪的な機関であることを耳にするようになった今、私たちは警察を「矯正」しようとすべきなのだろうか? さらに、警察によって組織的に攻撃されている私たちの階級の一部・全体にとって、警察の「改革」は具体的にどのような意味を持つのだろうか。警察を信頼できるようになることは、一部の女性にとって望ましいことなのだろうか。そうなれば、被抑圧者の大多数が、警察による暴力との個別的な関係に逆戻りすることは間違いない。
 これはほんの一例にすぎないが、「非選択肢」に囚われないよう、私たちの要求について戦略的思考に立ち返るよう迫ることが重要だと思われる。確かに個人レベルでは、自らを守るために苦情を申し立てることが唯一の解決策になることもある。しかし、私たちは必要性を美徳とし、新自由主義が私たちに残した狭い余白を戦略の基礎と考え続けるべきなのだろうか。
 気候変動という非常事態と地球の破壊が、私たちの生活を覆っている現状においては、なおさらである。毎日が災難に近づきつつある一方で、「少しずつ」生活条件を改善しようというわずかな要求で十分なのであろうか。

 2・B・6
 この戦略的な糸を心に留めておけば、さまざまな議論があっという間に解決する。茨の道である「売春/セックスワーク」論争を取り上げ、トランスジェンダーの問題に焦点を当て直してみよう。なぜなら、多くの法律や差別、憎悪のせいで、世界のトランスジェンダーの大多数にとって、それが唯一の可能な効果的な活動だからである。
 この場合、「セックスワーカーを売春から解放するための法律を求め、警察が仕事をするのを待とう」というわけにはいかない。そうすることは、自ら行動を起こす人々から政治的権力を奪い、国家と警察に返すことになるからである。私たちは、社会の革命的変革のための運動構築の道を維持することができる唯一の政治的立場は、国家の外で、しばしば警察に対抗して、自己組織化し、連帯のネットワークをつくるすべての人々を支援することだと信じている。これは、私たちの階級の重要な部分(周縁性の中で日々死に追いやられている女性、移民、ジェンダー・マイノリティ)との連帯と、そして国家の政治権力に対抗することを主張可能な空間の拡散を保持することを可能にする唯一の立場である。
 それはまた、私たちが「私たちのレベルで」責任を負うことができる唯一の立場でもある。人身売買を最小化することが問題なのではなく、今日、私たちは本当にマフィアと闘うことができるのだろうか? 一部の国では、確かに特定の戦略が展開されている。一般的に言って、私たちの階級全体にとって、警察は決して解決策の一部ではない。
 ブルジョワジーの一部が、新しい市場を見つけるために合法的なセックスワーク市場を望んでいることも否定してはならない。どのような概念も、それ自体に戦略的価値はない。例えば、アメリカの革命的な反人種主義活動家が「Black Lives Matter(黒人の命は大切だ)」と言うとき、彼らはそのスローガンに、ディズニーやバイデンやマクロンが使うのとは違う意味を与える。興味深いのは、闘争の力学の側に身を置くことだと思われる。
 さて、私たちの例に戻ると、「セックスワーク」という概念は今日、大勢の人々が自己組織化し、主体化し、連帯や相互扶助を生み出し、闘うことを可能にする概念である。この枠組みにおいて、フェミニストのストライキ、その自己組織化と自己活動を中心的な要素とみなす99%のためのフェミニズムの発展のために唯一可能な立場は、プロレタリアートの重要な部分が組織化することを可能にするフェミニストの自己組織のすべての枠組みを統合することである。このことは、私たちが生存者(人身売買に巻き込まれた人々)と連帯することを妨げるものではない。
 しかし、この議論は、「廃止/トランスジェンダーの排除/イスラムとの闘い」という三段論法を支持する人々によって、あまりにもしばしば戯画化されてきた。なぜなら、99%のためのフェミニズム運動を展開する際に、生存者と連帯しつつ、セックスワーカーと連帯し、彼女らをフェミニズム戦略に組み込むことを妨げるものは何もないが、フェミニズムを国家と統合することにこそ視点を置いている場合、国家との関係や資本主義との統合を超えた枠組みや要求を有効なものとみなすことはできないからである。
 というのも、このフェミニズムの潮流は、トランス女性、ムスリム女性、セックスワーカーだけでなく、クィア女性に対する攻撃をさらに強めているからである。それは、自分を正常化するための藁人形を作ることを意味する。社会がファシズム化しているときに、最も規範から外れているものを売り込むこと、そしてイスラム教徒の女性が体現している第一の敵に売り込むことで、一部の女性の権利を少しでも改善することができると期待されているのである。

 2・B・7
 最後に、トランスジェンダーの権利に関する野心的な政策は、資本主義のもとでは達成不可能であることを強調することが重要であろう。そして、新自由主義が仕掛けた罠にはまらないよう、このことを示すためにあらゆる措置を講じなければならない。
 トランスジェンダーであることが「普通」である社会がどのようなものか、想像してみよう。そこに至るまでには何があっただろう? それは、ジェンダーの固定観念と個人のジェンダー的差別化の終焉を意味する。強制や差別から解放された、本当の意味での「自由な選択」と自己決定の存在である。
 これまで述べてきたように、トランスフォビアはマッチョな暴力の不可欠な一部である。男性と女性、生産的な仕事と生殖的な仕事、利益を最大化する可能性と労働力を再生産するコストを最小化する可能性を分離する、強制的な偏見のひとつである。もしトランスフォビアがなくなれば、もし個人の自己決定に対する制約がなくなれば、そのとき、もう割り当てはなくなる。そして、もし割り当てがなくなれば、どのようにして領域の分離を正当化することができるだろうか。実際、トランスフォビアの終焉は、社会的平等に関する問題の提起を意味する。
 99%のトランスジェンダーの生活条件を真の改善するために講じられうる措置についても同様である。例えば、トランスジェンダーの移民にとっては、不法移民の正規化。医療費の無料化、医療への無料アクセス、雇用への平等なアクセスなどに関する措置である。これは例えば、ジェンダーに中立的な真の教育についても同様である。
 これらのことはすべて、新自由主義的グローバリゼーション、金融、自由市場の流れに逆行する。トランスジェンダーの解放のアジェンダを革命的アジェンダに統合し、決して間違った闘いをしてはならないという問題を深刻に提起している。これまで述べてきたように、私たちが関心を持つべきは、すべての人々の解放であり、社会的平等であって、他の人間を搾取する平等な機会ではない。

 2・B・8
 したがって、これらの要求が関係者によって練り上げられ、大衆運動の中で議論され、推進されることが重要である。われわれの目的は、われわれの階級が、例えば、ジェンダーの階層化、役割の性的分化などを弱体化させる必要性を認識することである。フェミニストの要求に関連したロシア革命の例は、物事は力関係と階級の意識状態によってのみ発展するという事実を、私たちに啓蒙してくれるはずである。
 したがって、トランスジェンダーの問題を考慮に入れることは、ジェンダーの固定観念やヘテロ規範に疑問を投げかけ、マッチョな暴力や抑圧的な関係の両方を攻撃することを可能にしなければならない。それは例えばレズビアンの問題のようなもので、異性愛者のセクシュアリティを再定義すると同時に、より尊重され、より暴力的でなく、より充実したセクシュアリティや人間関係のあり方など、他のあり方があるという事実を直視し、一般化するものである。
 トランスジェンダーが存在するという事実を一般化し、それを私たちにとって 「普通 」のこととして定着させることで、私たちはヘテロ規範的なセクシュアリティ、有害な男らしさ、そしてマッチョな支配関係によってもたらされる女らしさに対する疑問を投げかけることが可能になる。私たちは一点だけ主張したい。それは、私たちは「私たちにとって普通」と言う、ということである。それは規範を再定義することでもあり、新自由主義的規範の枠内ではなく、「革命的役割を自覚する階級としての私たちの階級にとっての規範とは何か」という視点を持つことでもあるからである。
 私たちの究極の目標は社会の変革であり、グッチのミュージックビデオを作ることではない。 (おわり)

THE YOUTH FRONT(青年戦線)

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