レポート:検証「LGBT理解増進法」の課題とバックラッシュ
インターセクショナリティー視点の構築を
ジェンダーバックラッシュ
の加速化
6月23日、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」施行された。法案制定に向けたプロセスについて、神谷悠一(LGBT法連合・事務局長)は、「検証 『LGBT理解増進法』SОGI差別はどのように議論されたか」(かもがわ出版/SОGI=性的指向・性自認)で整理している。その中の「最終盤のジェンダーバックラッシュ」、「維新・国民による(『全ての国民安心』条項」について取り上げ、「日本会議などの右派は、国民に働きかけ、法案を成立させないよう働きかけを行っていたようである。……日本会議のメルマガでは、各政党のキーパーソンの名前や電話番号が明記され、各方面に働きかけが指示されていた」と指摘しバックラッシュの一つの現れを明らかにしている。
結局、法案は、与党・維新・国民の協議によってまとめあげた法案を成立させた。
立憲・共産党・社民党は、「LGBTに関する課題を考える議員連盟」が2021年にまとめた「性的指向及び性自認の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」案(LGBT理解増進法案)を衆院に共同提出(5月18日)していたが制定に至らなかった。
与党・維新・国民は法案をつぎのように修正改悪した。
①「差別は許されない」を「不当な差別はあってはならない」に修正した。
そもそも差別そのものは不当であり、不当じゃない差別はありえない。このような稚拙な修正の意図は、明らかに性的マイノリティ、トランスジェンダー(出生時に割り当てられた性別と、ジェンダーアイデンティティが異なる人たち〈トランスジェンダー入門/高井ゆと里、周司あきら/2023年/集英社新書〉)への排除は不当ではないという手前勝手な解釈につなげるものでしかない。
②「性自認」を「性同一性」に修正した。
この修正改悪に対して性的マイノリティの人権保障を取り組んでいる松岡宗嗣さん(一般社団法人fair代表理事)は、次のように批判している。
「本来、『性自認』も『性同一性』もどちらも同じGender Identityの訳語であり、意味は同じだ。しかし、自民党内の議論では、性自認は『自称』、性同一性は性同一性障害を前提にした『医師の診断』かのような議論がされていた。このままでは、性同一性障害を念頭に不適切な理解が広げられてしまう懸念があり、行政の中でトランスジェンダーの一部を切り捨てるような忖度がはたらいてしまう可能性がある」と指摘している。
③「学校の設置者の努力」を削除し、事業主の努力の中に位置づけた。
この狙いは、性的マイノリティと多様性の課題の学校現場への広がりを阻止するために修正した。人権侵害の加担でしかない。すでにLGBTQの仲間たちは、「学校を安全な場にするためにも、子どもたちにこそ性の多様性を教える必要がある」と訴えてきた。
学校の設置者が行う「教育又は啓発」に「保護者の理解と協力を得て行う心身の発達に応じた」などと文言を追加したが、LGBTQ+の人権・権利保障に無理解な親たちの攻撃によって性的マイノリティの人権保障、性の多様性に対する認識を深めていく機会の後退につながってしまうのだ。
④「性同一性」の部分を「ジェンダーアイデンティティ」に変更した。
これは自民党保守派、宗教右派らのトランスジェンダー排除・打撃に対する妥協的修正として作り上げたものでしかない。『性自認』、『性同一性』の英訳はGender Identityで意味は同じだが、批判勢力の攻撃をかわすために練り上げたのだ。
さらに「すべての国民の安全に配慮」という文言を加え、トランスジェンダー排除・打撃の温存を明確化させた。
このような性多様性理解増進法は、人権侵害への加担、すなわちジェンダーバックラッシュを加速させていくものでしかない。そうであるからこそ神谷は、「検証 『LGBT理解増進法』」の「8 これからに向けて」を設定し、「LGBT理解増進法」の根本欠陥である「差別禁止法」の否定を批判しつつ、次のステップとして「当事者は、否が応でもこの法律と向き合うことを余儀なくされる。この法律をどのように活用していけるかを検討することから逃れることはできない。国会審議を具体的に検討し、今後の運動に法律を活かす方途を導くべく、後半に筆を進めていくこととする」と読者に呼びかけ、「第Ⅱ部 『LGBT理解増進法』はどういう法律か」というテーマを設定し、8つの質問項目に対して回答する形式で展開している。
宗教右派らのねらいとは
山口智美(モンタナ州大社会学)と斎藤正美(富山大学社会学)は、「宗教右派とフェミニズム」(青弓社)の「はじめに」で「統一教会が二〇〇〇年代はじめに特に盛んになった、フェミニズムや男女共同参画への反動(バックラッシュ)の動きの中心的な団体だったことに触れるメディアはほぼ皆無だった。ジェンダーやセクシュアリティ、家族をめぐる政治課題に熱心に取り組み、男女共同参画や性教育、LGBTQ+の権利などに反対し、政治へのはたらきかけをずっとおこなってきた団体であるという情報は欠落していた」という総括のうえで、本書の第1部で「安倍政権以前」(1990年から2005年)と第2部「安倍政権以後」(2000年中盤から)のバッククラッシュを掌握し、とくに日本会議や統一教会などの宗教右派などの右派勢力、自民党などの右派政治家や研究者、ジャーナリスト、活動団体などを追跡し、「何を目指し、狙い、どのように連携してきたのかについて」分析している。
2022年7月8日の安倍晋三元首相の銃撃事件後、統一教会がクローズアップされたが、歴史的経過として宗教右派の反動的役割について、ようやく提起しだしたのが現状だと言える。結果的に長年の連携プレーの蓄積によって性多様性理解増進法(与党・維新・国民)の制定に果たした役割は大きい。このプロセスは、今後のステップに向けて慎重に検証作業を深めていく必要がある。
本書の「トランスジェンダー差別の激化」では「かつては右派の『バックラッシュ』に批判的だったり、宗教右派勢力を批判してきたはずだった論者らと『バッククラッシュ』を扇動してきた右派による事実上の共闘状態になっている」構造の危険性を指摘し、どのように反撃していくのかと訴えている。それは速攻で性多様性理解増進法成立後、右派勢力が中心となって「全ての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性等を守る議員連盟」を立ち上げている。
このような動向に対して本書の著者は、「『バックラッシュ対抗』を掲げてきたはずのフェミニズム諸団体の動きもあまりに鈍い」と指摘し、「フェミニストの『バックラッシュ対抗』の問題点や限界、インターセクシュアリティ(交差性)視点の欠落について、批判的な検証を十分おこなってこなかったことが深刻な影響を及ぼしているといわざるをえない」と批判している。
つまり、「フェミニズムにとって『ジェンダー』概念は、生物学的本質論を超えて、社会的・文化的な性のあり方と性差別社会を変るのは可能であることを示した非常に重要なものであることは確かだ。だが、現在、生物学的本質論にとらわれ、『ジェンダー』の理解がすっかりぶれてしまっているフェミニストたちがいる。『女性を守る』という大義名分を立てて、あるいは右派にとって望ましい特定の『女性』だけを『守る』という前提のもとにトランスジェンダー差別をおこなう右派陣営に、性別二元論に足をすくわれたフェミニストがなどれ込むという事態に陥っている」のであり、2000年代のバックラッシュの問題が「そのまま変わらずにいまに至っている」と現局面をスケッチし、掘り下げていこうと呼びかけている。本書では、さらに深めていくための材料は未収録となっている。
そのヒントは、山口が「ジェンダー政策の反動」(朝日新聞)で「旧統一教会だけ見ていては『トカゲのしっぽ切り』になる。……保守運動が力を入れているのが、LGBTへの攻撃です。『女子トイレに女のふりをした男が入ってきたらどうする』とトランスジェンダー女性を犯罪者であるかのように問題化したり、根拠のない『同性愛は治療できる』という言説を広めたりしています。身近な危機をあおっているのです」と警鐘を鳴らし、「何が起きているのかを可視化することが必要です」と述べている。ここでは本書が指摘した「性別二元論に足をすくわれたフェミニスト」に対する評価までアプローチしていない。
第4インターナショナル第17回世界大会決議のアプローチ
このテーマに対して真正面から格闘しているのが飯野由里子(フェミニズム研究/東京大学)だ。本書は飯野の問題提起について「エトセトラ 4号 女性運動とバックラッシュ」(2020年11月/エトセトラブックス)を取り上げ、「バックラッシュに対する批判で性別二元論そのものを問題視する視点が後景に置かれていたことがトランスヘイトにのっかってしまう『フェミニスト』の落とし穴になってしまった。右派に取り込まれるフェミニストも出てきてしまい、単純に右派VSフェミニスト、という対立軸を立てることも困難になっている」と紹介している。
飯野は「フェミニズムはバックラッシュとの闘いの中で採用した自らの『戦略』を見直す時期にきている」というタイトルから「2000年代初頭のフェミニズム運動がバックラッシュ派に対抗する中で、性別二元論を再生産し、性的マイノリティに対するフォビアを強化した可能性がある。反性差別と『性別二元論』批判を切り離したフェミニズムの失敗を繰り返してはいけない」と強調する。
すなわち、
①バックラッシュ派からの「フェミニズムは、男らしさ/女らしさを否定するものだ」という批判に対し、ジェンダー主流化を目指すフェミニズムは、それは誤解であり、自分たちは「男女間のアンバランスな力関係・格差をなくす」こと、「男性優位の社会から中立・公正な社会」をめざしているだけだと強調した。性別二元論そのものを問題視する視点が後景に置かれた。
②バックラッシュ派の異性愛を基盤とした家族形成につながるジェンダーのあり方から外れる人たち(同性愛者、トランスジェンダー、ノンバイナリー等)へのフォビア(恐怖症)を表明し始めた。フェミニズム側は、「中性人間などいない」「中性人間は、バックラッシュ派の妄想である」と反論するにとどまった。結果、バックラッシュ派が依拠し、利用しているトランスフォビア、ホモフォビアを見過ごした。
③バックラッシュ派が「ジェンダー・フリー、フェミニズムは中性人間をつくろうとしている」と批判すればするほど、フェミニズム側は「私たちは性差を否定しているわけではない」「性別をなくそうとしているわけではない」という主張を繰り返し、バックラッシュ側が狙う性別二元論の強化に加担した。
そのうえで④「フェミニズムは、ジェンダー規範=「男らしさ・女らしさの押し付け」という狭い解釈から脱却しなければならない。反性差別の主張の中に性別二元論を問題視する視点を含めなければならない。
⑤ホモフォビアやトランスフォビアは、ジェンダーやセクシュアリティをめぐる規範だけでなく、家族、国家、健康をめぐる規範とも深く関連している。フォビアを通してどのような家族像、国家像、健康的な身体像が打ちだされていくのかについても注意を払う必要がある。
とりわけ「一部のトランス排除派の論者は、自分たちはジェンダーにもとづく差別ではなく『生物学的性差』(SEX)にもとづく差別を問題にしているのだと主張する。……こうした主張は自由の概念を掘り崩す生物学的決定論の強化につながるだけでなく、固定的なジェンダー規範にもとづく家族主義・国家主義の強化を目論む保守派の主張と親話的な点においても問題がある」と強調する。
今後の視点として飯野は、性差別を「男女差別」と狭く解釈するのではなく、トランス女性が経験する差別を性差別の一形態として理解し、深めていくべきであると指し示す。
飯野提起は、重要な示唆であり、今後の論議、共同闘争を構築していくうえでのハードルを押し出している。つまり、「性差別・ジェンダー規範を複数の言説や力関係の交差の中で捉えようとする、複層的な視点をもった、粘り強いフェミニズムへと自らを更新していくことがいま求められている」と結論づけている。
バックラッシュ派のより暴力的な攻撃は、すでにヨーロッパで現出していることを「フェミニズム、生物学的原理主義、トランスの権利への攻撃」(ソフィア・シディキ「週刊かけはし」23年12月11日)論文で紹介されている。この論文の執筆が2021年であり、飯野提起(2020年)も同時期であるところから世界的な連鎖反応として立ち現れていることになる。
日本においても「反トランス差別ブックレット編集部」(2023年/現代書館)は、「われらはすでに共にある」というタイトルを掲げ、「SNSを中心に、日本語圏でもこの4年間ほどトランス差別言説が増大してしまっている。それも日本語圏だけの問題ではなく、世界的なバックラッシュが猛威を振るっている。このおぞましい現状に抵抗を示すこと」が本書の制作動機であることを表明し、共にスクラムを構築していこうと呼びかけている。
あらためて「インターセクショナリティーの問題や抑圧に反対するすべての闘いの間に絆を作る必要性」を提起した「第四インターナショナル第17回世界大会決議」(2018年)、第四インターナショナル国際委員会(2021年2月)の「女性運動の新たな高揚 決議」の①女性運動は、どのように反撃していったか ②極右、宗教原理主義 ③改革派フェミニズム ④自由主義フェミニズムに対する批判を確認したい。
清水晶子も(「フェミニズムってなんですか」(文春新書/2022年)で「インターセクショナリティ(交差性)」視点の重要性について「人種やジェンダーだけでなく、階級、セクシュアリティなどをめぐる複数の抑圧が互いに交差して差別構造を形づくっているのだ」「人種、民族、宗教、文化、セクシュアリティなどにおいてマイノリティの立場にある人たちがマジョナリティである人たちとはちがう経験をしていることを心にとめることは、差別の働きを理解して差別をなくす第一歩であると同時に、たとえば女性としての生き方や存在を考える上で、より豊かで多様な可能性をひらいてくれることでもあります」と強調している。
これまで以上にインターセクショナリティーの視点の構築をめざし、インターナショナルなバックラッシュを警戒し、次の局面を作り出していかなければならない。
(遠山裕樹)
The KAKEHASHI
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