香港・世界の左翼は民衆支援に結集を

声明

2019年10月21日 第四インターナショナルビューロー

 香港政府は、六月はじめ以来の大規模な反対運動を前に、九月はじめ最終的に送中法案を撤回するとの譲歩を行った。しかしながら、民衆は運動の停止を拒絶した。彼らは、七月に定式化された五つの要求を強く求め続けている。その最初の四項目は、現情勢に直に関係している(問題の法案の完全な撤回、警察の行為に対する独立調査委員会の設立、抗議行動を「暴動」と表現した呼称の取り消し、被逮捕者の赦免)。そして五番目は普通選挙――基本法の中で北京が約束した(一九九七年)もの――だ。
 彼らは、この三ヵ月の闘争が一つの単純な事実を明かしてしまったがゆえに、彼らの抗議を持続してきた。その事実とは、北京の隠された課題設定が香港の自治を完全に片付けることにある、ということだ。この理解が、この闘争を継続するよう彼らを駆り立ててきた。そしてこの闘争は、香港の自治を救出する大闘争へと高まることになった。

自己決定否定
今なお連綿と


 北京の操り人形である香港政府は一〇月四日、一九二二年の非常規則布告を呼び出すことを通じてマスクを顔に着けるデモを禁ずることによって、新たな段階の攻撃に乗り出した。皮肉なことにこの法は、海員組合――当時中国共産党(CCP)指導部の下にあった――が率いたゼネストをうまくいかなかったとはいえ鎮圧するために、当時の英国植民地政府により発効させられた。今回はこの植民地法が、「同胞の民衆」を打ち倒すために、香港政府を率いる中国人によってあらためてもち出されたのだ。
 香港民衆はこれまで常に、それが英国支配の下であれ、北京支配下であれ、彼ら自身に関わるものごとを管理する権利を否認されてきた。英国とは異なり北京は、香港民衆に普通選挙を約束した。ただ、香港民衆がその約束を守れとせがんで困らせることを決してしない、という前提においてだ。
 事実としては北京は、「民族的アイデンティティ」の角度から、自身が英国よりもっと抑圧的であると証明してきた。北京は送中法案に先立つ何年かすでに、「民族的アイデンティティ」の極端に愛国主義的な型を香港に押しつけようと務めてきた。それは英国がやったことのないものだった。
 すなわち北京は香港政府に、「民族教育カリキュラム」や「国歌法案」を実行させようと務めた。さらにまた、教育手段として広東語を北京標準語で置き換えようとの努力も行われてきた。しかしこれらのもくろみはすべて抗議によって打ち破られた。したがって、送中法案が上程されたとき香港民衆は、今や北京との完全な対決が避けられない、と十二分に悟ったのだ。

つつましい要求
には理由がある


 六月一六日のデモへの二〇〇万人という参加者は、運動が多数の支持を得ている、ということを示した。この運動は今、北京の主張とは異なり、独立を要求していない。あらゆる以前の植民地民衆同様、香港民衆にも独立の選択肢を含んで自己決定の権利の資格がある。しかしながら香港の運動は、非常につつましい「五つの要求」の下に団結している。独立を熱望する小さな、また緩い潮流はある。しかしそれは運動の中でまったく影響力をもっていない。
 若い人々は以前の数世代とは異なり、香港アイデンティティに愛着をもっているが、しかしこれは必ずしも、独立の欲求を伴っているわけではない。それはまたまさに、北京の度を増す民族主義的かつ極端な愛国主義的政策への反動でもあるのだ。CCP下の中国は今日、香港のほとんどの人が提携したいとは思わない抑圧的な社会へと進展を遂げた。それゆえ「自由な香港」への熱望がある。
 「香港アイデンティティ」の高まりはまた、ここだけの現象でもない。台湾人、チベット人、ウルグァイ人の中でも同じく民族感情の高まりが起きてきた。香港同様、これもまた北京の極端な愛国主義に対する一つの反応なのだ。今日北京それ自身が、中国の影響力を今やがっちりわしづかみにしている大きな遠心力の原因、と安んじて言明することができるだろう。北京は、民族の統一と栄光というその目標を達成する可能性を得る前に、早くも台湾、チベット、「新疆ウイグル」、そして香港の心を失おうとしているのだ。
 香港における相当な大きさをもつ左翼潮流の不在は、著しく弱体な労働者運動の反映だ。「共産主義」と「社会主義」の名の下におけるCCPによる恐るべき諸行為は、絶えず左翼思想の信用を傷付け、それに対する敵対的な環境を作り出している。これが、現在の運動が未だ五つの要求に限定され、この都市の巨大な不平等にもかかわらずいかなる社会的・経済的諸要求も掲げることができていない理由を説明する。
 それでも若者たちは、闘争の進行の中で労働者に訴えることを迫られた。そして若者と諸労組の共同した努力が、この半世紀では初めて、ゼネストの爆発を可能にした。そのゼネストは、八月五日、香港の半分を麻痺させた。本物の闘争の中で左翼が労働者の力を証明することができればそれだけ、左翼はあらためてその妥当性を証明できる。

多様な傾向含む
急進的な若者層


 北京は、この運動を「外国の介入」の代理人であると責めている。香港の植民地的遺産を条件として、汎民主派諸政党は米国や英国の支配的有力政党と長期の結びつきをもっている。それでもこれらの政党は、現在の運動ではまったく完全に指導的役割を果たしていない。それらはただ、せいぜいのところ支え的な役割を演じているにすぎない。誰であれ見落とすことができないことは、運動が主に何千人という急進的な若者たちによって導かれているという事実だ。彼らが運動に方向を与えているのだ。
 彼らは現在のいかなる政党とも完全に何のつながりももっていない。そして、彼らが組織や政党に深い不信をもっていることに対応する形で、彼らはそれだけ大いに自発性を称揚し、同時に政治的経験はもっていないに近い。彼らの経験不在は彼らのある者たちを、米国が本物の民主国家、と信じるまでに導いた。その点では彼らは間違いを犯したが、しかし彼らはいかなる「外国勢力」からも支配されていない。実のところ、彼らを支配できる者など誰もいないのだ。
 近頃の調査が示したことは、学生の四〇%近くが「香港人主義者」と主張していること、しかしこれを急進的な若者たちがどのように解釈しているかは彼ら自身の内部で異なっている、ということだ。この運動のずっと前、「香港人主義者」であると主張した者たちの中では、土着住民を強調する解釈が最大の影響力をもっていた。しかしながら、この運動が巨大な決起へと進展したとき、それは必然的に多様で対立的な諸傾向を表に出すことになった。
 反本土移民感情を示す土着強調主義的潮流がある一方で、本土中国人の来訪者を説得して味方に引き込もうと試みるはるかに大きなデモもあった。左翼の責任は、この闘争の外に立つというよりも、むしろこの闘争に加わり、その民主的で包括的な立場をもって若者たちを納得させることだ。

西側の諸利益
CCPが保護

 「外国勢力」は完全に無関係と言うことはできない。あるいは外国勢力は香港介入に利益がある、ということの否認もできない。しかしそのことでは、香港とウクライナは比較の対象にならない。EUとNATOは今ウクライナの混乱では世紀の変わり目以来新参のプレイヤーになっている。その一方英国と米国は変わることなく、香港の利害関係者として北京から認められてきたのだ。
いわゆる「一国二制度」は、一九八四年の中国・英国共同宣言の中に、次いで一九九七年の基本法の中に恭しく安置されたが、始めから西側に対する北京による歴史的な妥協だった。その引き換えは、世界資本主義への中国の再統合に対する西側の許可だった。「以前の資本主義システムと暮らしのやり方は五〇年間変わらずにそのまま残るだろう」との基本法における厳粛な約束は、第一にまた何よりも、西側の影響力とビジネスの利益を認めて西側をなだめるためのものだった。
それはまた、基本法が香港にそれ自身の英国法を維持することを許している理由でもある。そしてその法は、香港の裁判所が外国人判事を雇うことを可能とし(九二条)、それは、外国人が閣僚と長官レベルを除く低位から高位まで公務員として雇用されることの容認(一〇一条)、という程度にまでおよんでいる。これらの条項は実際上、香港での西側の商業的かつ政治的な諸利益を保護している。
それゆえ、香港を不安定化することは彼らの利益に入っていない。これはまた、英国と米国が二〇一四年に雨傘運動の爆発以前、北京の一連の政治改革を受け容れるよう、香港の汎民主派に内密に告げた理由でもある。
香港の混乱およびこの法案に関する西側の北京に対する非難両者に直接責任があるのは、北京の香港政策を北京が一方的に変更したこと、また特に送中法案を上程しようとした北京のもくろみだ。何といってもこの法案は、中国人だけではなく、たまたま香港にいるあらゆる外国人をも標的にしているのだ。
偶然にも送中法案問題に関しては、西側と香港民衆の間に今狭く限定された共通の利害がある。両者共この法案が消え去ってほしいと思っている。それでもこの法案が撤回された後も香港の自治は依然危険の中にある。したがってきわどい情勢も依然しつこく続く。つまり香港の勤労民衆の利益は西側諸政府とは原理的に異なるとはいえ、そうであっても外見上、両者は香港の自治に関して北京がその約束を守るよう今要求しているのだ。
米国の「香港の人権と民主主義」法案は、米国の支配的エリートが香港問題を彼ら自身の外交政策に結びつけようと試み続けている、ということを示している。左翼に必要なことは、米帝国は決して真の友人ではないとこれが示していることを、また、彼らの民主的な友人は今トランプに反対している米国の勤労民衆の中に見出されなければならないと、香港民衆に思い起こさせることだ。

香港の運動支援
には巨大な意味


香港と本土中国両者共資本主義だが、人権と労働者の権利保護の点では、この二者間には大きな違いがある。前者は見ることのできる諸制限付きとはいえ社会運動の存在を許しているが、後者はどんなものも許さない。実際に、北京をますます心配させているものが香港のこの特徴なのだ。
世紀の変わり目以来、本土の民衆はますます香港の社会運動を模倣し始めるようになった。そして、非公式に、あるいはNGOを通して組織化を始めた。これは、中国の新しい資本主義構築を助けるために香港を利用したことと引き換えに、北京が払わなければならなかった対価だった。北京は、この対価は高すぎるとますます認めるようになった。そして、二〇一二年に習近平が権力に到達してからは、北京は、彼らが基本法を切り裂けるほど十分に強くなった、と考えたに違いない。
この法は、勤労民衆を本質的に差別処遇し搾取する資本主義の一種を凍結したまま維持しようとしている。したがってそれは反動的だ。しかしながらそれはまた、人権と労働者の諸権利を保護する条項をいくつか含んでもいる。世界の左翼は、香港の民衆の彼らの諸権利を守り拡張しようとする闘いを支援しなければならない。それは、彼らの闘争がもつ固有の価値のためだけではなく、彼らの闘争が中国自身の社会運動を、しかしながら今それが小さく虐げられているとしても、刺激し続けているからでもある。
反送中法案運動が明らかにした弱さが何であれそれは、大きな歴史的意味をもっている。それは、同時に大規模で急進的、反抗的、かつ上首尾に北京が後押しする政府に後退を強いたほどまで強力な、中国の一部におけるこれまでで第一の民主運動なのだ。
それは、「香港アイデンティティ」を装いとした一つの民主的意識の再覚醒だ。政治ストライキもまた、勤労民衆の意識に深い印を残した。それは彼らに不服従という大きな価値を教えている。香港の運動はさらに、中国の「完璧な権威主義」が抱える大きな弱さをも露呈させている。北京は四ヵ月以上も、この都市に秩序を回復させることができずにきた。
良くも悪しくもその植民地遺産を抱える香港は、いわば龍の肉に刺さる痛い棘になった。この龍はすでに健康を一段と害している。進歩的な社会運動の腕の中で迎えるこの怪獣の死は、中国の未来の民主的な変革にとって決定的だ。
これはまた、二一世紀におけるもっとも重要な課題の一つにもなっている。一方で中国資本主義の興隆は世界最大の、また史上最大の労働者階級を生み出したが、他方その権威主義的資本主義は、人間性と地球の気候に対しては最大の脅威の一つにもなっているのだ。中国における民主的な変革は、これらあらゆる問題の解決にとっては一つの必要条件だ。これがまた、民主主義と公正を求める香港民衆の闘いに対するわれわれの支援を、これまで以上に差し迫ったものにしている。

香港民衆と共に立ち上がろう!
一つも欠けることなく五つの要求を!
中国の対外投資のボイコットを!
香港と本土中国に民主主義を!
一党独裁打倒!
トランプとジョンソン政府の介入拒否!
勤労民衆と全進歩勢力からの国際連帯を!

(「インターナショナルビューポイント」二〇一九年一〇月号) 

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