第四インターナショナル第16回大会世界情勢決議討論冒頭報告
「ニューディール」は水平線上にはない!
危機が駆り立てる支配階級の攻撃を
はね返す民衆的統一には何が必要か
ローレン・カラッソ
この報告は世界に関する詳細な分析をめざしたものではなく、最も重要なもの、われわれの観点において、出来事と任務の共通理解に組み入れられるべきものを強調しようとしている。多くの地域的な情勢については、同志たちが彼らの関与を通して討論を幅広く豊かにしてくれるだろう。
(Ⅰ)諸危機―世界情勢の中心問題
底深い構造的危機とそれ故の混迷
今あるこの危機は、歴史上始めて、資本主義のグローバリゼーションによって説明される。あらゆる地域がその影響下にある。経済、社会、政治、あらゆる要素が世界的広がりで相互に結びついている。この経済的危機は、一つのつながりから起きた結果ではない。これはシステム上の構造的な危機だ。これは一九二九年以来では最も深刻な危機だ。アメリカはその金融資産の三五%を失い、ユーロ圏では二五%にのぼる。そして、諸政権が今「危機からの抜け出し」を語っているとしても、われわれはそれに納得などしない。あちこちの国では、諸政権の景気底上げ政策と結びついた短期的な回復はあるかもしれない。しかし中心的な諸国―アメリカとヨーロッパ―は、危機から浮かび上がりつつあるわけではない。南ヨーロッパ―ギリシャとスペイン―における公的債務の爆発、さらに銀行と金融にまつわる不確実性は、最低でもヨーロッパにおける、情勢の不安定性と危機の新たな局面を明確に指し示している。
危機は終わっていないのだ!
現在の危機はある種単純な循環的絡み合いが作り出した危機ではない。それは、長期的な構造的危機の部分であり、一九七〇年代末期に新自由主義の反革命がしつらえた「生産様式」の危機だ。「回復」と「不況」の局面は、この何十年相互に交代してきた。しかし危機はますます深くなり、それらはますます加速するペースに従う傾向を見せ、そしてその危機は今その心臓部に打撃を与え、危機のコストは一層高くなっている。
システムの歴史的限界への歩み
現在の危機は、諸矛盾の深まりとシステムの「歴史的な限界」を示している。
危機は金融領域で始まったが、銀行と金融の危機に切り縮められることなど不可能だ。それは、商品の過剰生産の危機、資本の過剰蓄積、そして過少消費の結合から帰結している。
▼一九七〇年代末期、それ以前三十年の成長局面が終わりを見せた時、支配階級は、賃金切り下げ、大規模な私有化、大量失業創出、さらに社会関係の規制解体を手段として、利潤率回復を目的とした攻撃を開始した。
▼賃金、雇用、社会支出に関するこの圧力は需要の減退を作り出し、それはひるがえって生産能力の過剰、それ故、工業生産にとっては収益性が問題となる原因となった。それ故そこには投資の低下があった。何故ならば、工業への投資は収益性が低く、金融市場への投資はもっとコスト効果が高かったからだ。
▼この二重の危機、工業の収益性の低下に付随する剰余価値生産の危機と、消費下落に付随する剰余価値実現の危機、故同志エルネスト・マンデルがそれ以前に分析していたこの二重の危機を解消するためにシステムは、一九八〇年代末から一九九〇年代始め、むこうみずな前進突撃に取りかかった。すなわち、産業の金融化と負債、私的負債―家計のそれ―と公的負債―国家のそれ―両部門の負債、それらを回路とした、金融市場を場とする一層の利潤追求だ。
二〇〇八年に破裂したものこそこれだ。銀行と金融市場は共に破裂の最初となった。この危機の基本軸の一つは、いわゆる「架空資本」と呼ばれたものの価値破壊を通した銀行と金融だが、この転落螺旋に活力を与えたものは資本主義の論理それ自身だ。つまり、利潤追求、投資した資本に対する最良の収益率の捜し出し、諸資本間の競争、鍵となる経済部門の私的所有権、これらだ。
これらの構造的つながりがつくりだす因果的連鎖関係が、以下の特性で特徴付けられる長期の危機に帰結したのだ。つまり、
(a)世界的広がりで見れば、約三~四%という限定された成長。そこには、ヨーロッパでは僅か一~二%、アメリカでは二~三%、BRICでは八~一〇%という広がりをもつ重要な不均等性がある。とはいえわれわれは、インドや中国の成長を、例えばブラジルの成長と同じ水準に置くことはできない。中国とインドを除けば、世界の成長ははるかに低い。
(b)失業の継続。OECD諸国には五千万人以上の失業がある。ILOによれば、世界には二億一千七百万人を超える失業がある。スペインのような国では失業率が二〇%に達する。アメリカとヨーロッパにおける回復不可能な職の喪失は、職の三~五%の間になる。
(c)賃金下落圧力に関係した消費の減退あるいはその限界。アメリカと資本主義ヨーロッパにおけるすべての緊急食料援助サービスが純増している。アメリカの主要二十七都市の食料援助増は、二六%以上かもっと上だ。
(d)危機を緩和するための巨額の公共財政赤字(八~一三%)。赤字と公的債務はGDPの七〇~八〇%に達する。
(e)流動性(市中に放出された通貨あるいはその等価物―訳者)爆発と新たな投機的バブル。つまり、中枢諸国内での投資を犠牲にした新興市場国への資本流出、株式市場の価格上昇、希少資源への投機。
(f)会計勘定は、有毒資産の一掃からはほど遠い。新たな銀行破綻は想定外とはなっていない。
新自由主義的攻撃の再始動
これらが雇用主と支配階級を、労働者・民衆に対する改めて倍加された攻撃へと導いている。危機というこの時代は、資本による新たな攻撃の時代なのだ。
(a)今や、労働力の世界市場がある。そしてそれが、資本間のまた労働者間のさらに大きな競争を求めている。二〇〇八年の危機は、活動の主要拠点において生産の再組織化のために過去しばしば思い描かれた計画、一時解雇を伴い、より大きな柔軟性と不安定性を具備した、企業の再構築を加速した。これが賃金と労働者の権利に対して下降圧力を及ぼしている。これらの攻撃はこれからも続き、それが何億人もの労働者の生活諸条件をさらに下落させるだろう。
(b)公共サービスに対する攻撃が強められている。目標は、ヨーロッパすべてで社会的保護、保健衛生、年金に対する攻撃を研ぎ澄ますことだ。
(c)これらの社会的攻撃の帰結は、国家の暴力の増大を伴った、治安政策の強権化、住民に対する警察支配と社会管理だ。それはブラジルとメキシコの例に明らかであり、軍隊と警察が行使するこのような暴力の最初の犠牲者は貧しい者、子ども、女性である。
ギリシャとスペインはいわば実験室だ。それらはヨーロッパすべてにおける緊縮政策の波を告げている。債務と赤字を解消するために、支配階級、金融市場、そしてヨーロッパ中央銀行は、公共サービスの解体、公務員数の削減、賃金と社会的保護の切り下げを要求している。ギリシャ政府は、これらの後退を、今も重要性を留めているサービスの仕組みと公共部門に対する挑戦を強要するために、「債務テロリズム」を使っている。
一時のパニックの後、また「国家の復帰」(あたかもそれが消えてでもいたかのように!)あるいは「金融市場と資本主義の倫理化」に関するイデオロギー的身振りの先に、新自由主義の諸政策が確認されることとなった。
これは、一つのケインズ主義的転回の可能性についての論争を解決する。それは、歴史的論争への回帰にではなく、危機の力学の理解に関わっている。一九二九年と対比すれば、危機緩和のための国家による大量の介入―新自由主義的な国家主義の―があった。しかし今回の段階では、社会的力関係も支配階級の選択も、一九四五年後の例のようには、新たな公共政策、新たな社会保障、一定の需要回復、生産の新部門創出や大量の職の創出に向けて移行しつつあるわけではない。当時のような、その時期に練り上げられた社会―政治諸報告を伴った「大量生産」と「大量消費」の新局面、それに匹敵するものの見通しは、今まったくない。
(Ⅱ)危機下で悪化する環境の将来
コペンハーゲンサミットの失敗が示したように、資本主義は環境危機を解決することはできないということをわれわれは知った。われわれが「社会的必要」を考えることを求められているその場所で、資本主義は「利潤」を考えている。協力、計画、長期的選択が必要とされているその場で資本主義は、「諸資本の競争と私有財産」を考えているのだ。
しかしコペンハーゲンが示しているものは、資本主義システムが「グリーン資本主義」に改革されることが不可能、ということだ。諸国家と諸政権は、危機に見合った温室効果ガス削減数値を目ざした中間目標を確定することを望まず、あるいはそれができない。IPCCの勧告は尊重されなかった。資本家の利害が課題としたものは、新市場の発見、特に汚染の権利に関する市場のそれであり、エネルギー、都市計画、輸送の「グリーンな」再組織でなどなかった。グリーン資本主義は、二〇一〇年代に対する「ニューディール」として浮上しつつあるわけではない。均衡ある環境危機対応を阻害する資本間競争を乗り越えたとしても、グリーンビジネスが占める位置は、十年で職の二%を辛うじて超えるにすぎない。「グリーン生産と大量消費」、そのようなグリーン資本主義によるシステムの生き返りは、水平線上にはない。それにもかかわらず諸政権と主要グループは、核エネルギーを強要するために、あるいはアジアとラテンアメリカの全域の先住民排除を正当化するために、環境問題を操作しているのだ。
(Ⅲ)グローバル資本主義下の世界崩壊
帝国主義の軍事介入への対決を
世界情勢の重心は移行の途上にある。とはいえその歩みは、完成されていないし逆転不可能でもない。
アメリカは相対的な下降過程にある。以下の理由から二つの分野が重要だ。
世界経済に占めるアメリカ経済の比重は転落中だ。ヨーロッパでと同様に、そこでは脱工業化の過程が進行中だ。その債務はめまいがするような比率に達した。世界におけるその地位は、特にイラクとアフガニスタンで泥沼にはまり込む中で悪化した。オバマという選択は支配階級にとって、まさに主導権を取り戻すためだった。しかし、アメリカにおける経済危機の深さ、イラク、アフガニスタンでぶつかっている諸困難、一定の形態の多国間主義を受け容れる必要性は、彼の政策の限界を十分に示している。一九八〇―二〇〇〇年の時期のアメリカの覇権に対するある種の挑戦が明らかにあるが、オバマはその傾向を逆転することに成功していない。しかし、アメリカは依然世界最大の力をもつ国に留まっているが故に、その下降もあくまで「相対的な下降」だ。アメリカ市場は巨大だ。中国と日本の投資が支えるドルは、基軸通貨として留まっている。そして何よりも、その軍事的覇権は争う余地がない。経済的地位の下降というこの状況において、領域、天然資源、原油のような希少資源、このような分野における軍事介入と狙いを定めた地政学的支配は、第一級の重要性をもつ。中東、アジアの小国、あるいはラテンアメリカがその標的だ。アフガニスタン、ホンジュラス、あるいはハイチに関する軍事的選択は、アメリカの軍事的侵略意図を証明している。それはさらに、特にNATOを通して、他の帝国主義大国を同調させる手段でもある。アメリカ帝国主義との政治的かつ軍事的衝突を抱えた諸地域は、われわれすべてが注意を払う焦点とならざるを得ない。
▼このことが、われわれの課題に対して、反戦運動に対する関与、これらの地域内のアメリカ軍基地の撤去を求める統一的な動員、これら諸国の主権防衛、民主的自由の防衛などの重要性を付与する。アメリカの承認の下にイスラエル国家は、侵略戦争というこの政策に対する交代要員として奉仕している。すなわち、二千人以上の犠牲を生み出したガザ回廊とレバノンにおける、三年間で二つの侵略戦争があり、レバノンに対する新たな脅迫の展開が進行中だ。これらは「テロとの戦争」全体の一部であり、そして、パレスチナ民衆の闘争に対する引き続く連帯とその正当な諸権利の確認を求めている。イラクやパキスタン、アフガニスタンのような諸国では、われわれは、進歩的グループや活動家を支援しつつ、中心任務である占領軍撤退の要求を、イスラム原理主義潮流の支配を跳ね返す闘争と結合する。イラク侵攻に先んじたものに類似したメディアの宣伝が作り出されつつあるこのとき、われわれはイランに対する脅迫を拒絶し、同時に、アフマディジャネド政権と対決する大衆及び民主主義のための彼らの権利を支持する。
新しい基本要素は中国の力
しかし、世界情勢の中心問題の一つは、中国、インド、アメリカと世界の残りの間に作り出されつつある新たな関係に関わっている。アメリカとヨーロッパの成長率が一~二%程度である一方で、中国のそれは、二〇〇九年で九%、二〇一〇年には一〇%内外を記録するはずだ。商取引分野で見れば中国は、世界最大の輸出国となり、商品輸入では第三位、諸サービス輸入では五位と七位となった。中国は今や、世界の商品輸出の内八・七%(あるいはアメリカに匹敵)、世界の輸入の内では六・七% (対してアメリカは一四・一%)を受け持っている。既にこの国は、世界経済第二位の地位と最大の輸出国をめぐり日本と激しく争っている。中国の巨大企業は、航空機産業や運輸という鍵を握る部門において多国籍企業と競争している。ラテンアメリカとアフリカでは、何百万ヘクタールもが中国企業と中国国家によって専有されている。中国は世界の経済大国となった。現在「中国の職場」、中国の成長は輸出に向けられている。しかしこの国は同時に、工業化の極めて急速な進展と近年相当に発展した内部市場の拡大もまた経験しつつある。政治の側面では中国は、疑いなくアジアの指導的大国だ。この地域は、アメリカと日本という両帝国主義の、また中国やインドのような世界的野心を持つ大国の介入を特徴としている。近年では、地域に対するその優越性を最大に拡張したのは中国だ(近隣諸国との領土紛争の相当数を凍結あるいは解決、対韓国関係の強化、対日本関係の正常化、大陸中国に対する台湾経済の依存性の強化、ASEANとの自由貿易協定締結、パキスタンやスリランカその他における中国の力の増大)。十年ちょっとの間に中国は、世界のすべてとの協力関係を、特にアフリカで、そのエネルギー依存性を減じるために、強化した。希少資源に関する長期契約には、有利な条件で供給国のインフラストラクチャーを開発するために、中国からの企業進出が付随している。さらに中国は、政治的条件を付けずに、極めて低利の貸し付けを提供している。それにもかかわらず中国は構造的な弱点に直面している。すなわち、
▼その成長は高度に輸出に依存している。
▼中国は希少資源と中間財・部品を 大量に輸入せざるを得ない。
▼ 投資に基礎を置き、一方で家計消費が極度に低いという形で、国内需要の不均衡が極めて大きい。危機からよりよい形で脱出するためには、家計消費を優遇するよう成長を再調整する必要があると思われる。そしてそのためには、購買力を急速に高め、不平等を減じ、真の社会的保護策を作り出すことが必要となるだろう。
まさにこの点に関わって、強度の不平等が、社会的緊張と民族間紛争の成長に反映している。中国のGDPはおそらく世界で第二位にあるが、その住民一人当たり所得は第三世界並みに留まっている。事実上の年金不在システムと組になった人口の急速な高齢化は、来る何十年かの内に深刻な問題を提起するだろう。中国の若者のすべては、彼らの両親と四人の祖父母を養わなければならないだろう。
経済回復政策は信用供与の大規模な発展にかかっている。そしてその発展は、特に実体的な住宅市場の回復並びに株式市場に対する投資に反映されている。ここには、投機バブルへの今回のような転落という危険がある。
同時にまた、アメリカのそれと対比した時の中国の軍事機構の弱さも指摘する必要がある。とは言え中国は、核打撃能力を備えた主要な地域軍事大国となった。中国政権は、その経済力の発展に平行するような軍事力の発展を願っている。何年かにわたって中国政府は、その軍事支出をかなりの程度増大させてきた。その陸軍力は既に世界最大の部類内にある。しかし重要な弱点は海軍と空軍にまだ残り、政権はその改善を追求中だ。人民解放軍(PLA)のこの近代化は、特にアメリカと日本に懸念を呼び起こしている。
二つの大国―アメリカと中国―には、ある種共同のしかし対立含みの依存関係がある。ドルと元の為替レートの問題はその一例だ。アメリカは、対中貿易赤字を減じアメリカ経済を回復させるために、元の切り上げを求めている。しかし中国の貿易黒字は、アメリカにその経済救出に資金投入を可能とさせるためのアメリカ財務省債券に中国が投資するための、巨額なドル準備蓄積を可能にする。
中国、アメリカ間力関係におけるこれらの変更が今、世界の成長を中国が牽引することを可能にしている。それは、その限界を見極めることを必要とする、世界情勢における新しいかつ基本的な要素だ。中国経済は、世界経済を全体として危機から連れ出すに十分な産出成果を提供する点では、まだ遙かに遠いところにある。この役割の点では中国は、アメリカに代わることからはほど遠い。
世界的な国際秩序解体への回答
は何か―帝国主義と民衆の対決
(Ⅳ)危機のラテンアメリカへの波及
アメリカの再介入とブラジルの位置
ここにあるものは、成長を経験しているいくつかの国を伴う不均等性があるとはいえ、しかし同時に特殊な形態における、環境危機あるいは社会、国民、民族の諸闘争の間の関係という分野における、ある種の「文明化の危機」のような事例だ。
南米はアメリカ帝国主義との社会的、政治的対立の焦点の一つだ。
われわれは三点を強調したい。それらは、地域で今日動き始めている三つの計画で明らかとなっている。
まず第一点目だが、
▼目立った特徴として、アメリカ帝国主義とラテンアメリカ右翼の民衆に対する攻撃。FTAA(米州自由貿易協定、南北アメリカを統一した自由貿易圏構想―訳者)の失敗の後、直接、間接の攻撃が再び動き出した―トリニダードでの「アメリカサミット」におけるような外交、並びにホンジュラスやハイチにおける軍事―。
▼これは、ベネズエラからわずか数百キロメートルしか離れていないところでのアメリカ軍部隊の力を誇示することを手段として、ハイチと同様の再植民地化形態にまで進む可能性をもっている。この図式では、コロンビアが中心的な役割を担っている。
▼この攻撃はまた、チリに見られたような選挙を舞台とした勝利や、アルゼンチン、ベネズエラ、パラグアイでのような右翼からの政治的攻撃にも反映されている。
強調すべき第二の要素は、国際政治と経済におけるブラジルの地位だ。インフラストラクチャー、天然資源採掘、農産物輸出の分野で、ブラジルは大きな役割を演じている。ペトロブラス(石油企業―訳者)のような、政府が支援する多国籍企業は、近隣諸国では明らかに帝国主義的な役割を演じている。ブラジルは、工業製品輸出の減少と天然資源輸出の増大という、従属的な資本主義国の特徴を今も保っている。しかし、ブラジル、アメリカ間の新しい力関係にもまた注意を向ける必要がある。これがブラジルに、政治的主導の新たな能力を与えているのだ。ホンジュラスに関するブラジルの立場はこれをよく示している(ブラジルは南米諸国と共にホンジュラスのクーデターに強く反対した―訳者)。しかし同時に、ハイチにおける帝国主義連合内のアメリカと並ぶブラジルの地位もまた、ブラジルの新たな地位を描き出している。
一九六〇年代、「亜帝国主義」という表現が既に存在していたが、ある人びとは「周辺帝国主義」という規定を使用する。この概念は討論になる可能性があり、この点についてわれわれを啓発することが、ラテンアメリカの同志たちに課せらていれる。しかし、ブラジルに関して新しい役割が存在していることに疑いはない。
分極化の高まりと革命的突破の行方
ALBA(米州ボリバール代替同盟)主要諸国、エクアドル、ボリビア、ベネズエラ、キューバがラテンアメリカ諸国の第三のグループを形成している。これらは、政治的諸対立、進歩的社会諸方策、さらに憲法改正過程という分野で、さまざまな水準ながらアメリカ帝国主義と部分的に手を切った。しかし各々の国が一定の特殊な情勢を抱えている。エクアドルはいくつかの重要な先住民の社会的動員を経験してきた。そしてそれが、コレア政権から新しい民主的な諸権利を勝ち取ってきた。何よりもこの政権自身が一連の衝突の産物だ。社会運動によるMAS(社会主義運動)の創出を伴ったボリビアの経験は、社会的動員、先住民の動員、国民的動員、そして進歩的な諸方策を結び付けている。エボ・モラレスはいくつもの選挙を勝ち抜いた。民衆階級と社会運動はこの勝利から多くを期待している。ベネズエラもまた分かれ道にある。
右翼の攻撃に反撃しつつ、しかしまた、社会的獲得物、国有化、さらに労働者管理という分野で経済の基本構造に手を付けつつ、このボリバール革命過程にはいずれにしろある種の革命をはらんだ突破がある。ここには活気づく民主主義と大衆動員が含まれている。その一方でまた、国家資本主義的な構想と政権の「ボナパルチスト」的特徴が、体制の内部的な官僚制と結合している。この官僚制は先の歩みを絞め殺すことになる。国有化や社会的支援に向けた介入のような積極的諸方策があるかもしれない。しかし進展の全般的なペースは、一連の懸念を呼ぶ兆候を示している。
特別な地位を占め、われわれの討論の中でもっと徹底的な取り上げに値するキューバに関しては、依然アメリカの標的であり、われわれには、帝国主義に対決する活発な防衛が求められる。
しかしこれらの政治的分類を超えたところでラテンアメリカには、民衆的闘争と帝国主義の間の分極化を高める推力がある。社会的で政治的な緊張はむしろもっと鋭い性格を帯びている。ここは、社会的抵抗と革命的経験の蓄積が、近年の時期に最も高度に重ねられてきた大陸なのだ。その複合的不均等発展は、基本的権利を求める、また反帝国主義の急進的あるいは革命的民族主義と反資本主義の連合の、労働者、小農民、先住民からなる連合の条件を生み出すかもしれない。
(Ⅴ)地政学的不安定化のアジア
北京がその野心をあらわにする一方でニューデリーは、パキスタンをむしろもっと不安定化しつつ、スリランカからアフガニスタンまで、高まる政治的かつ軍事的役割を演じている。地域全体は、日本を一例とする軍国主義的民族主義の高まりや民族間緊張、宗教的原理主義など、これらに好都合な地政学的不安定の局面に入った。地域大国と世界の大国(アメリカ、日本、中国、インド、その他)間の力関係は未定のものとなった。危機の新たな弧は、スリランカやミンダナオを通過して、朝鮮半島からアフガニスタンと中央アジアにまで伸びているように見える。そこには潜在的な戦争の前線が積み重なり、一方関係するいくつかの国々は核兵器を所有している(アメリカ、中国、インド、パキスタン、一定程度だが北朝鮮、さらに明日には日本?)。この状況を背景にアメリカ帝国主義は、ディエゴ・ガルシアから沖縄までその軍事基地を、こうしてより全般的にその存在感と軍事行動の可能性―フィリピンにおけるように(特にミンダナオ)―を、強化しようと挑戦しつつある。
民衆の抵抗と対応の能力は、事例によって極めて不均等だ。いくつかの諸国では、当初は弱体だった左翼勢力が、近年重要かつ勇気を鼓舞するような発展を経験した(パキスタン、マレーシア、その他)。しかし他の諸国のより大きな勢力は、インドやフィリピンのように、分裂したままだ。いくつかの例では、それらは断片化状態を克服できずにきた(インドネシア)。その一方別のところでは、政治的運動と労働組合運動を、階級の独立を基礎として再建することを必要としている(タイ、中国)。しかしこれらの状況の多様性を超えたところで、政治運動、市民団体の運動、社会運動の間の地域的結びつきは、この地域ではっきりと強化されてきた。すなわち、連帯の断固とした確認、反資本主義と反戦の闘争、小農民と他の勤労者による新自由主義政策に対する抵抗、債務取り消しの呼びかけ、食料主権の尊重、社会的要求と民主的権利並びに環境危機への対応を結合した諸闘争、これらがある。これらの地域的ネットワークの強化と世界的運動へのそれらの統合は、来るべき諸闘争に向けた一支点を構成する。
(Ⅵ)危機下でアフリカの荒廃倍加
気候の危機と食糧危機が特に厳しいものとなっている。WTOやIMFのような国際機関を通して帝国主義によって強制された何十年という構造調整政策(国家経済部門の私有化、市場開放、輸出と債務支払いの優先)の後でも、アフリカは、中枢諸国への農産物、エネルギー、鉱物希少資源の輸出に依存したままだ。これこそが、中枢諸国における需要減退によってアフリカが打撃を受けている理由だ。中国の需要の重みにもかかわらず、成長率は、二〇〇七年の九%から、二〇〇八年五・一%、二〇〇九年一%へと落ち込んだ。
成長率のこの下落には、食料品価格の上昇から帰結する食糧危機の、この大陸にのしかかる特別な重みが付随している。民衆層は、帝国主義資本と現地ブルジョアジーによって成長の果実の分配から排除されて、彼らの状況がさらに悪化させられるのを見ている―賃金低下、肥沃な土地の利用の困難、「部族的」「宗教的」と描かれる新植民地戦争の何万人もの犠牲者、若者の失業、女性に対する暴力、気候温暖化に関係する自然災害―。新自由主義構造改革の暴力は、さまざまな諸国の中で民衆的動員の弾みを作り出してきた。高い生活費に反対し、飲み水、電力、保健衛生の利用を求め、教育の権利を要求する諸闘争は、アフリカの社会的、政治的生活を特色づける。このような歩みの中では、活動家の中の社会主義的代替路線の支持者がさまざまな伝統を超えて共同作業を遂行すること、これが差し迫ったことだ。北アフリカでは近年、これらの諸国に彼らの後背地という役割を果たさせるというEUの望みが、重要な社会的闘争を引き起こし、それが拡大することを経験してきた。
今回の危機は「資本主義的
システムの歴史的限界」だ
(Ⅶ)ヨーロッパは最も弱い環
総合的社会的闘争が求められている
危機がEUを弱体化しつつある。今回の危機はヨーロッパの「統治」にはらまれた構造的不安定性を示している。すなわち、EU予算の極度の弱体性―一%以下―、EU産業政策の不在、貸し付け供与機関の不在、EU社会政策の不在などだ。世界経済の中における、また分業における各国の位置にしたがう形で、「分散化力学」が十分に明白となっている。金融力を備えたイギリス、工業設備商品を基礎としたドイツ、原子力、兵器、航空機そして運輸のような国家産業に基礎を置く特殊性をもつフランス。結果として、「ヨーロッパ資本主義のための大ヨーロッパグループの創出」とはかけ離れて、大企業は彼らの資本と技術を、他の世界的グループと組み合わせ、諸国間の競争が悪化している。ギリシャ危機やスペインやポルトガルの弱さが示すように、ヨーロッパは債務爆発によって特に打撃を受けている。東欧諸国もまた今回の危機によってむしばまれ、発展における不平等性、赤字と特にドイツに対する依存性を深刻化している。
ますます強まる世界的競争という背景の中でこの弱体性を解消するために、ヨーロッパブルジョアジーは、「ヨーロッパ社会モデルの中で残っているものを壊す」ことを迫られている。こうして彼らは、民主的自由を、特に移民の権利を攻撃している。しかしこれらの攻撃が自動的に、あるいは機械的な連関で社会的抵抗の発展や労働者運動、反資本主義運動の成長に導くわけではない。
社会的抵抗はある。しかし攻撃の水準に間に合ってはいない。一九三〇年代、危機と社会的かつ政治的応答の間には、一定の時間的なずれがあった。われわれは次のように言うことができる。ほんのこの段階だけだが、“待てよ”、総体的広がりをもつ社会的闘争はまだ登場していないと。
支配の弱さが生み出した空間
しかし右翼の側では、経済危機は支配階級の代表問題を提起している。この危機は、ファシスト政党やポピュリスト政党を利する形で、古典的なブルジョア政党の社会基盤を掘り崩し、内部的緊張と諸矛盾をかき立ててもいるのだ。つまり危機は伝統的右翼を弱体化した。
しかし危機は、危機への対応の点で右翼と異なる政策を基本的にはまったくもっていない伝統的な左翼をも弱めた。この危機は、社会民主主義政党による一定の左転回にも帰結しなかった。危機は彼らの社会―自由主義的適応過程を深めた。社会民主主義は、労働者運動の現実と歴史との社会的、政治的関係をまだ保っている。しかし社会民主主義は、資本主義と国家の最高位に、かつてよりもっと統合されている。あれやこれやの部分的な戦術的位置取り、あるいは「左翼的」変調はあり得る。しかし社会民主主義はかつてよりももっと、資本主義に奉仕する形での危機の管理という土台に位置を定めているのだ。この進展は、ETUC(ヨーロッパ労組連合)の枠組み内部を含んで、労働組合運動にも刻まれている。これは社会民主主義の弱体化に導き、二〇〇九年のEU議会選に際してドイツ、ポルトガル、フランスで確かめられた。この勢力が選挙上の新たな大揺れから利益を得ることはおそらくこれからもあるだろう。しかしこの勢力は現在、ある種の有機的弱体化と危機が加速する社会的転換の進行過程にあるのだ。東欧においては、労働者運動は、スターリニズムの破壊からまだ回復していない。これら諸国の資本主義復古は、何百万人もの人びとの生活条件を悪化させてきた。生産の入り口部分を下請け契約に出すという、ヨーロッパの主要企業連合が果たした役割は二〇〇八年に頭を打ちつけた。そこここで、スターリニズム起源の旧機構から独立した労働者運動組織の新しい形態が頭をもたげている。しかしそれらは今最初の数歩を歩んでいる最中だ。これはまた、小さな反資本主義グループや組織についても言えることだ。
こうして、支配階級にとっての策謀の余地は、右翼諸党の強さにあるのではなく、むしろ左翼の弱さと資本主義体制を支えるその政策にある。
情勢についてのこの像はまた、労働者運動の再組織化において進行中の歩みに関する冷静な評価にわれわれを導く。指導部分があらわにしているこの二重の危機―右翼と伝統的左翼―が新たな急進的左翼勢力に空間を開いている。しかしこれらの空間は、階級闘争の新たな高揚の産物というよりも、むしろ左翼の古い伝統的政治勢力の中で進んだ右向きの進化の産物だ。この事情は機会をつかむよう必ずわれわれを導かなければならないが、しかしまた、以下のことを理解することにも導かなければならない。つまり、この空間の中では、反資本主義左翼と、左翼改良主義、ポスト・スターリニスト、左派エコロジストなどの間での政治闘争の必要性がある、ということだ。それ故、われわれ自身の関与とわれわれの政治的応答の重要性についても理解しなければならない。
(Ⅷ)エコ社会主義的対応が必要
(a)直接的かつ反資本主義的要求からなる緊急綱領の回路―人員整理の拒否、労働時間の削減、賃上げ、公共サービス並びに社会的保護と教育のシステムの防衛、拡張、あるいは創出―。
世界では、勤労階級が現代ほど大きかったことは決してなかった。しかしこの階級は今、社会的かつ政治的に断片化し、分断されている。基本的な要求を中心に、危機に対決する社会的な闘争を、労働組合運動、社会運動を、特に行動の統一と統一戦線政策によって再組織することが必要だ。
(b)利潤の論理に挑戦する富の再分配を強要することが必要だ。その手段は、この何十年かに被雇用者から資本が取り上げた付加価値の取り分を取り戻すことであり、社会的雇用の要求、保健衛生、教育、見苦しくない所得、自由時間を優先することであり、そして資本家の財産権に進入すること、などだ。こうして、社会的必要に対して資金を供与する予算は、帝国主義が押しつけた構造調整政策に根本的な疑問を突き付けるに違いない。そしてそれは、資本に課税すること、さらに労働者管理の下に銀行部門を公的に専有することを意味する。危機に冒された一連の部門ではこれまで、アルゼンチンやベネズエラでのように、統制、生産再開、企業の管理という経験があった。これらの経験が広められるべきだ。天然資源の集団的所有権は、アジア、ラテンアメリカ、アフリカでは基本的要求だ。
この反資本主義綱領はまたエコ社会主義的でもある。それは特に気候変動を前にした時、新たな都市計画、運輸政策、再生可能エネルギーを有利にするエネルギー部門の再組織、経済の全拠点の再組織を軸とする、新たな政策を意味する。中期並びに長期にわたるこれらの選択は、利潤動機と資本主義的競争とは両立できない。それらには、労働者と民衆の管理の下に置かれた計画的な共同経済という大枠の中での民主的な討論と決定が含まれる。先の管理は、公的かつ社会的使用という問題、当該地域住民の必要に対応した生産の選択という問題を提起するのだ。
これは、先住民の動員の中で現に作動している推進力だ。この全体関係においては、人びとによる管理と民主主義の問題が中心問題だ。
(c)危機を前に、またこの危機が経済と環境双方の危機が結合したものであるからにはなおのこと、われわれの対応は、需要の回復や金融市場の機能の改革に、つまりケインズ主義の綱領に切り縮められることなど不可能だ。このことにわれわれは十分に自覚的だ。型の全面的な再形成が必要なのだ。
(d)最後にこれらの綱領的な基軸は、労働者政府の任務としても考えられなければならない。すべての国でわれわれがこの問題に直面しているわけではない。しかしそれが問題となっているところでは、この綱領の防衛は、資本主義経済とその諸制度を管理する政府を支持したりその政権に参加することとは両立しない。これは鍵となる問題だ。従属的諸国では、民族と民衆の主権の問題、及び憲法制定会議のための闘いは、民衆的反資本主義政府の要求と結び付けられなければならない。
新たな社会的―環境的システムの構築
結論的に、今回の危機は「システムの歴史的限界」という観念を呼び戻している。むしろ、諸闘争のサイクルを超えたところで、反資本主義勢力建設にあたっては、システムの政治的、思想的危機の重大性を広めることが必要だ。しかしこのことは、宿命論に陥ることを意味するのではない。資本主義にとって出口のない情勢というものなど決してない。システムは生き残ることが可能であり、危機を伴って作動できる。しかしその場合は、環境が、社会が、人間が犠牲となり、それは酷いものとなるだろう。弾劾されるべきことはそのことであり、社会的必要に合わせることのシステムの構造的な無能性、また社会的―環境的システムという変革並びに資本主義との別離の必要性をこのシステムが日程に載せることができないことなのだ。
社会主義的展望に関して浮上する論争は第一義的重要性がある。搾取と抑圧の資本主義システムを打倒することなく、生産手段の集団的所有なくして、出口などない。しかしこの運動は、システムの諸矛盾から単純に帰結することはないだろう。システムを打倒するためには、国民的、地域的、国際的規模における例外的かつ革命的な決起を、そして何よりも意識、組織、そして指導性という領域において信頼に耐える代替勢力をわれわれは必要としている。それこそが満たされるべき歴史的かつ実践的な必要であり、われわれが自身の役割として全面的に果たそうとしているものである。
▼筆者は、労働組合活動家であり、またNPAの全国指導部メンバー。さらに第四インターナショナルのビューローメンバーでもある。以前はフランスLCR政治局メンバー。
(「インターナショナル・ビューポイント」2010年3月号)
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