公正な脱成長というエコ社会主義綱領(1)

決議

第4インターナショナル国際委員会

国際委員会テキスト・決議の『週刊かけはし』掲載にあたって

 2022年2月、第4インターナショナルは国際委員会を開催した。今回も昨年に引き続きオンラインでの開催となったが、30カ国以上から50以上の支部・シンパ組織・パーマネントオブザーバー・招待組織が参加した。この国際委員会では、第18回世界大会の開催に向けて準備を進めることを確認し、その政治的枠組みを構築していくために、ビューローから提起された3つのテキストの討論をおこなった。3つのテキストは、それぞれ『公正な脱成長というエコ社会主義綱領』『地政学的な世界情勢に関する決議草案』『危機にある地球上の世界経済:物流の混乱と金融不安、拡大する不平等、大衆的動員と要求』というタイトルがつけられ、世界大会に向けての討論の出発点となるものだった。したがって、今回の国際委員会では採択に付されず、今後これらのテキストにもとづいて世界的に討論が進められることになった。本紙では、順次これらのテキストを掲載し、読者の皆さんとともにこの議論に参加していきたい。
 今号から、『公正な脱成長というエコ社会主義綱領(1)』を掲載する。このテキストの最大の特徴は、第4インターナショナルとしてはじめて「脱成長」という考え方をとりあげたことである。ここでは、「脱成長」を「社会的なプロジェクトではなく、人類が一定期間従わなければならない客観的な物理的制約」としてとらえ、それを前提とした「エコ社会主義」へと向かう「過渡的綱領」の重要性を指摘している。(編集部)

1.緊急ブレーキをかけなければならない

 環境を大規模に破壊する資本蓄積は、地球上の人間の生活条件そのものを脅かしている。
 過去40年間の人獣共通感染症の増加が生態系の破壊に起因していることを考えると、新型コロナウイルスのパンデミックはこれを裏付けるものである。人類の持続的発展が可能な地球のエコロジー的限界は、いくつかの分野(気候、生物多様性、窒素、土地利用)で超えられている。また、それは化学物質やプラスチックによる汚染の分野でも超えられつつあり、その他の持続可能性の鍵となる要素(淡水資源、微粒子汚染、リン循環など)についても大きな不確実性がある。資本主義の進歩は、人類とそれ以外の自然との間の物質交換を合理的に管理することとは常に相容れないものであったが、現在の状況はかつてないものである。このシステムの基礎である生産力主義(これは必然的に大量消費主義を意味する)は、地球を新しい地質学的時代(人新世)に導く地球上の破壊的な力と化している。その危険は巨大であるが、科学的な警告にもかかわらず、資本はその道を歩み続けている。破局は深刻化している。一方で、それは労働者階級にますます大きな打撃を与えている。とりわけグローバルサウスにおいてそうである。他方、資本家は、自らの特権を極端なまでに増大させるためにエコロジー危機を利用し、その特権を守るためにますます暴力に訴えるようになっている。新しい極右は、エコロジー危機の「解決法」として、貧困層の排除を当てにしている。マルサス的なバーバリズムへの転落の不安が大きくなっている。搾取され、抑圧された人々の統一された闘いだけが、それを止めることができるだろう。しかし、こうした闘いは、現在も将来も、資源略奪やエネルギー最終消費の根本的削減を客観的に強いているエコロジー危機によって、ますます過剰に規定されるだろう。解放のために闘う者たちは、ここからすべての結論を引き出さなければならない。したがって、「生産力の(量的)発展に対する資本主義の障壁を取り除く」という古い視点は明確に放棄されなければならない。人新世の枠組みでは、反資本主義は、「自然を支配する」という資本主義の生産力主義、資源略奪主義、植民地主義、家父長的イデオロギーの破壊的暴力を打ち砕く必要がある。社会的不平等と闘うために、また、人間の真のニーズの充足を通じた人々へのケアを中心にすえた、商品からの疎外のない、生態系への慎重な配慮のもとに民主的に決定された質的発展への道を開くために、緊急ブレーキをかけなければならないのである。

2.資本主義政策の大失敗


 地球温暖化が資本主義的な生態系破壊のほとんどを説明する。それは加速度的に進行し、数億人の人々の生命、数十億人以上の生活、そして何百万年もの自然史の産物である生態系の存続を脅かす急速な激変の脅威を突きつけている。気候科学者は30年以上も前から警鐘を鳴らしてきたが、資本主義の政策立案者は、この破局を抑制するどころか、制限することさえもしなかった。さらに悪いことに、その気候政策は、南北間の格差や各国内の富裕層と貧困層の間の格差を拡大させている。温室効果ガスの排出量は増え続けている。排出量は1990年以降に60%増加した。25回もの「気候サミット」(COP)がおこなわれた30年間(1990~2019年)で、1750年から1990年までの240年間よりも多量の化石燃料由来のCO2が排出されたのである。気候変動枠組条約は、「気候系に対する危険な人為的関与を防止する」ことを目的として、リオで採択された(1992年)。紙の上ではあるが、各国政府が温暖化の上限を産業革命前と比較して1・5℃と採択したのは、ようやく2015年(パリ、COP21)になってからのことだった。「共通だが差異ある責任と能力」の原則は、気候変動枠組条約の核心である。その原則にしたがえば、残された「炭素予算」を南北で公平に配分することになるはずだったが、アメリカとEUはコペンハーゲン(COP15)でこれを事実上放棄した。その結果、各国政府は他国政府以上のことをしないように仕向けられ、COP26(グラスゴー)で明らかにされた[削減の]約束によって、地球は少なくとも2・4℃の温暖化という破滅的な道筋に向かうことになった。会議の議長国であるイギリスは、COPがまだ1・5℃の目標を達成できるという神話を維持しようとしているが、誰もだまされていない。COP26は、(資本主義そのものと言える国際エネルギー機関ですら提唱している)石炭使用の即時停止さえ決めることができなかった。グラスゴー会議は、実際には完全な失敗であり、その失敗の中には、議長国の失敗、各国の「野心を高める」ためにパリででっち上げられた「ボトムアップ」プロセスの失敗、市場メカニズムを通じて地球温暖化と闘おうとする新自由主義者の試みの失敗、新自由主義のドグマを科学であると装うために、それを数理モデルで隠す気候経済学者の失敗が含まれている。より根本的には、この失敗は資本主義の失敗である。資本主義は、世界経済が成長を続け、もっと多くのものを生産するために、もっと多くのエネルギーを消費することができると主張し、化石燃料によるエネルギーシステムの80%を新しい再生可能エネルギーシステムに置き換えることによって脱炭素化できると主張しているのである。しかし、すべての条件が同じであれば、新しいシステムの構築には、より多量の化石燃料消費、つまり温室効果ガスの排出量増加が必然的に必要となる。したがって、「成長の促進」と化石燃料燃焼による「純排出量」相殺を同時におこなうことは、物理的に不可能である。しかし、資本主義の指導者たちにとっては、利益の法則が物理学の法則に優先するのである。彼らの気候政策の失敗は、この生産力主義システムの破綻、その途方もない非合理性、そして犯罪的な階級性をもっとも明確に、そしてもっともドラマチックに物語っている。

3.誤った、危険な解決策


 価値蓄積の論理の中で、資本にとって「解決策」として残された唯一のものは、向こう見ずな技術的突進によって物理的な障壁を押し返そうとすることである。「カーボンニュートラル」あるいは「排出量ネットゼロ」という目的を歪曲することによって、資本は、不可避的に残る炭素排出分を吸収するという、現実的だが限定的な可能性から逸脱している。生産力主義を掲げた魔術師の弟子たちは、利益を採掘し続け、死蔵資本を積み上げ続ける一方で、排出量を減らし余分な二酸化炭素の除去を試みるために、「解決策」をめぐって競い合っているのである。技術的な観点から見ると、彼らの見せかけの解決策はそれぞれ具体的な矛盾をはらんでいる。天然ガスを「過渡的エネルギー」と見なすのは明らかに茶番である。常に起こりうる事故と原子爆弾の拡散の危険を別にしても、民間原子力発電の唯一の「持続可能性」とは、その廃棄物が「持続」することである。地中回収貯留は、とてつもなく巨大な事業であり、貯留層の水密性に対する危険な賭けである。エネルギー集約型の水素は何よりも化学・石油・原子力産業をグリーンに塗り替える方法である。一時的で比較的効果の薄い応急処置としての大規模な植林は、すでに過大となっている土地利用と淡水資源への圧力を高め、人間の食糧と生物多様性と気候保護を競合させるものである。太陽が遠くで安全に(廃棄物をリサイクルしながら)実行している核融合を地球上で再現することは、資本とその権力のさらなる集中と中央集権化の観点からしか意味がない(いずれにしてもこの技術は気候危機に対処するには遅すぎるだろう)。
 (新自由主義が強制する)社会的な観点からは、こうした「解決策」の実行は「グリーン」な金融に完全に委ねられており、この「グリーン」な金融には、「2050年までにネットゼロ」という口実のもとで、とりわけ先住民や農村地域社会の犠牲のもとで、投機、グリーンウォッシュ、土地強奪のための巨大な機会が提供されている。同時に、政府は、ますます新自由主義的なメカニズム(インセンティブ、税金など)を利用して、大衆の消費行動を不当に扱い、そのようにしてグリーン資本主義のための機会を開いているのだ。これによって、格差はさらに深刻になっている。
 一般的に言って、気温上昇をなんとか1・5℃以下にとどめるために、非常に急いでおこなう必要のある排出量削減の緊急性と規模(2030年までの削減は、半分の確率で1・5℃以下に抑えるには世界平均で年5%、3分の2の確率なら年10%となる)から、こうしたみせかけの解決策は失敗に終わる運命にある。このため、このシステムが最悪の技術的愚行である地球工学(つまり、大気圏に入る太陽放射を減少させる装置の配備)に着手する危険性が高まっている。この地球工学は、大気中の二酸化炭素濃度を下げることはできない(したがって、海洋生物を脅かす海水の酸性化を止めることはできないだろう)が、資本にとって新たな価値決定の領域を開くことになるだろう。それはまた、帝国主義大国間の対立を激化させるだろう。そして、帝国主義大国は、最貧困層の人々を犠牲にして、彼らの地政学的利益に従って気候を操作できるようになるだろう。

4.革命の客観的必然性


 大惨事が破局に変わるための条件はすべて整っているように見える。世界エコロジー社会主義革命だけが、それを止めることができるが、それは議題にはのぼっていない。資本はあらゆるところでその支配力を強めており、労働組合は、まるでそれが命綱であるかのように、資本主義の復興にしがみついている。社会運動は守勢に回り、民主的・社会的権利は後退し、政治分野はほとんどの国で右派・極右に移行している…。
 資本主義は以前にも、とりわけ第一次世界大戦の前夜において、人類をこのような暗い状況に陥れたことがある。民族主義者の集団的興奮が大衆をとらえ、社会民主主義は戦争には革命で対応するという公約を裏切り、虐殺にゴーサインを出したとき、レーニンは革命だけが虐殺を止めることができるという意味で、この状況を「客観的に革命的」であると定義した。だから、「パン、平和、土地」というスローガンを掲げた。歴史は彼が正しかったことを証明した。つまり、ロシアにおける革命とそれが拡大しようとする傾向が、ブルジョアジーに虐殺をやめさせることを余儀なくさせたのである。この比較には明らかに限界がある。[第一次世界大戦前夜のように]銃商人の利益、帝国主義の世界分割、将軍の栄光のために他の人間を殺すことによって自らの命を危険にさらすことがないように、英雄的に死に立ち向かうことと、[現在のように]剰余価値を生み出す労働力を取り込むことによって、その「無機体」を破壊する疎外された道具にするところまで、資本がプロレタリアートの人間性を失わせ、そのため将来の世代を危険にさらすがゆえに、資本に反対して立ち上がることとは全く別物だからである。革命的行動を仲介するものは、ここでは限りなく複雑である。にもかかわらず、同じように意識の覚醒が必要である。しかし、エコロジー危機に直面して、反資本主義革命は客観的にはより一層必要となっている。綱領・戦略・戦術を作り上げるための基礎とならければならないのは、この基本的な判断である。それ以外に道はないからである。
 とりわけ気候危機に直面して、それゆえに避けるべき二つの罠がある。一方では抽象的な革命的最大限主義の罠があり、他方では即時対応に固執する現実主義の罠がある。前者は、イデオロギー的純粋さの名のもとでのセクト的なプロパガンダ主義と孤立を招き、後者は、実現可能性の名のもとで、グリーン改良主義、ひいてはグリーン資本主義(グローバルサウスとの帝国主義的関係も含めて)を容認しがちである。
(次号へつづく)

THE YOUTH FRONT(青年戦線)

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