資本主義のエコロジー的・社会的破壊の時代における革命的マルクス主義宣言

資本主義的成長との決別、エコ社会主義オルタナティブのために(②)

この矛盾から抜け出す方法はあるのだろうか? もちろん、方法はある。医療・建築・エネルギー効率などの技術進歩のおかげで、人間は以前よりずっと少ししか消費しなくても豊かに暮らすことが可能である。人間のニーズを充足することを目的とした生産が気候に与える影響―とりわけ社会的平等の中で民主的に計画され、公共部門によって担われている場合―は、GDPの成長とやみくもに利益を追求する市場競争によって富裕層のニーズを満たすことを目的とした生産が与える影響よりもはるかに小さい。最富裕層1%のCO2排出量は、最貧困層50%の排出量の約2倍である。10%の富裕層はCO2排出量の50%以上を占めている。貧困層のCO2排出量は、1人当たり年間2~2・3トン(2050年に50%の確率でネットゼロを達成するために、2030年に達成すべき平均量)よりもはるかに少ない。彼らに必要なものを供給しても、生態系への影響は限定的である。実際、破局を食い止めるには、幸福を提供し、かつてないほどの平等を保証する社会が必要だ。望ましい視点だが、1%の富裕層は数年後には排出量を30分の1にしなければならない。しかし、彼らはわずかな努力さえしようとしない! それどころか、彼らはさらなる特権を求めている!

 各国政府は、気温上昇を1・5℃以下にすること、生物多様性を維持すること、いわゆる「持続可能な開発」を達成すること、エコロジー危機における「共通だが差異ある責任と能力」の原則を尊重することを約束した。・・・しかしその一方で、さらなるエネルギーを使って、さらに多くの財を生産している。これらの組み合わさった約束が資本によって尊重されることはないだろう。以下のような事実がそれを示している。

 リオの地球サミット(1992年)から33年経った今でも、世界のエネルギーミックスは化石燃料に完全に支配されている(2020年には84%)。化石燃料の総生産量は、1992年の83テラワット時(TWh)から、2021年には136TWhへと62%増加している。再生可能エネルギーが化石燃料を中心としたエネルギーシステムに加わることで、資本家により多くの発電能力と新たな市場を提供している(注2)。
(注2)テラワット時(1TWh=10億kWh)。このエネルギー単位は、発電所の電力生産量、または国の生産量を測定するために使用される。キロワット時は、1キロワットの定常電力が1時間運転されることに相当し、360万ジュールまたは360メガジュールに相当する。

 パンデミック後に爆発し、かつロシア帝国主義のウクライナ戦争によって深刻化したエネルギー危機のために、すべての資本主義国は石炭・石油・天然ガス(シェールガスを含む)・原子力を復活させた。
 気候変動に歴史的に責任を負う主要勢力であるアメリカ帝国主義は、破局と闘う膨大な手段を持っているが、その政治的代表者たちはこの闘いを単に否定するだけでなく、自分たちの世界覇権を守るために犯罪的に従属させている。
 「脱炭素化」という旗印のもとで巨大汚染源が実施する対策は、気候危機の重大性に対処できないだけでなく、住民と生態系を犠牲にして、被支配諸国においてだけでなく「北」や海洋でも資源略奪主義を加速させている。
 このいわゆる「脱炭素化」は、(太陽光・風力エネルギーの利用にもとづくさまざまな投資プロジェクトに代表されるような、とりわけ貧困国の「経済自由区域」において先進国の産業に供給される「グリーンな水素」を生産するための)現地のブルジョワジーとの連携のもとでの「南」における帝国主義的な土地収奪と労働搾取を悪化させている。
 自然を資本として理解することにもとづく「炭素市場」、「炭素補償」、「生物多様性補償」、「市場メカニズム」は、ほとんど責任のない人々、貧しい人々、とりわけ先住民族、人種差別を受けている人々、一般的に「南」の人々に重くのしかかっている。

 「循環型経済」、「レジリエンス」[環境分野で想定外の事態に対し社会や組織が機能を速やかに回復する強靭さを意味することば]、「エネルギー移行」、「バイオミミクリー」[生物模倣。生命や自然界の仕組みから学び、それを模倣して技術やシステムの開発に活かすこと]といった抽象的な概念は、理論的には有効でも、資本主義的生産主義のために使われるやいなや、実際には空虚な公式となってしまう。生産転換を目指して社会全体が実行する計画がない場合、(エネルギー生産を安価にするなどの)技術改良はしばしばリバウンド効果をもたらす(注3)。エネルギー価格の低下は、一般的にエネルギーと原料の消費増加をもたらすからである。
(注3)このリバウンド効果は「ジェヴォンズのパラドックス」としても知られている。[技術の進歩により資源利用の効率性が向上したにもかかわらず、資源の消費量は減らずにむしろ増加してしまうというパラドックスのこと]

 気候危機を前にして、資本主義の蓄積物神崇拝は、結局のところ二つの選択肢しか残さないだろう。魔法使いの弟子による技術(原子力・炭素回収貯留・地球工学・・・)を導入するか……あるいは、数十億人もの貧困国の貧しい人々を「自然」淘汰にまかせるか・・・。

 無力であり、不公正でもあるグリーン資本主義は、政治的には、化石燃料依存で、陰謀的な、植民地主義者・レイシストであり、暴力的・マッチョ的で、LGBT嫌悪のネオ・ファシズムの術中にハマることになる。富裕層の一派は、皮肉にも自分たちの富が自分たちを守るということに賭けて、貧しい人々を見殺しにしながら、人類に対する巨大な犯罪に向かって行進している。

 新自由主義的な「グリーン」資本主義と気候否定主義的な極右勢力とは同じではない。後者がはるかに悪質だが、いずれの体制も地球温暖化の進行を防ぐことはできず、悲惨な結果を招くことになる。そして、前者が後者を育んでいるのである。犠牲者は貧困国の方が多いが、富裕国も甚大な損失を被るだろう。世界資本主義は、平和と持続可能な発展に向けて徐々に前進しているのではなく、後退しながら、戦争、エコロジー災厄、大量虐殺、ネオファシストによるバーバリズムに向かって突き進んでいる。

 この課題に直面したとき、新自由主義体制に疑問を呈し、国家の役割を再評価するだけでは十分ではない。蓄積のダイナミズムを止める(資本主義のもとでは不可能な目標!)だけでさえ十分ではない。世界の最終エネルギー消費を根本的に減少させなければならない。そのことは、世界的に生産や輸送を減らすことを意味する。

 このエコロジー的・気候的な制約を尊重するためには、経済のまさに方向性をあらゆる面で変えなければならない。科学と技術の進歩は、資本家たちの利潤追求競争を満足させるのではなく、人類の社会的ニーズを満たし、地球生態系を再生するために利用されなければならない。それこそが、万人の幸福という正当なニーズと、地球生態系の再生を両立させる唯一の解決策なのである。公正な充足と公正な脱成長―エコ社会主義的脱成長―が救済のための必須不可欠な条件である。

生産主義の袋小路からの脱出は、以下の条件下でのみ可能である:

 「技術解決主義」、つまり、解決策は新しい技術からもたらされるという考えを捨てること(新技術のエネルギーや資源への影響は、しばしば過小評価されたり、考慮されなかったりしている)。エコロジー的に賢明な方法で、今ある手段を使うように決めること。われわれが今持っている手段は全員のニーズを満たすのに十分である。
 すべての人が良い生活を送れるように、富裕層のエコロジカル・フットプリント[人間が消費し廃棄する需要量]を大幅に削減すること。
 資本の自由市場(株式市場・民間銀行・年金基金)に終止符を打つこと。
  財・サービス市場を規制すること。
 社会のあらゆるレベルにおいて、生産者と消費者の直接的な関係を最大化すること。使用価値やエコロジー的・社会的優先順位の観点からニーズと資源を評価するプロセスを最大化すること。
 こうした使用価値が充足させなければならないニーズとは何か、またどのように充足させるべきかを民主的に決定すること。
 民主的討議の中心に、人間と生態系への配慮、生物やエコロジー的境界への慎重な敬意を含めること。
 その結果として、むだな生産やむだな輸送を抑制し、すべての生産活動とその循環と消費を見直し、再編成すること。

 これらの条件は必要なものではあるが、十分ではない。社会危機とエコロジー危機は一体のものである。われわれは、被搾取者と被抑圧者のための解放プロジェクトを再構築しなければならない。それは、階級に基礎を置くプロジェクトであって、基本的なニーズを超えて「所有すること」(having)よりも「あること」(being)を優先する。それは、行動、消費、その他の自然との関係、幸福の概念、人間が世界に対して抱くビジョンを完全に変えるプロジェクトである。それは、太陽系で唯一居住可能な惑星で、生物を大切にすることによってよりよく生きようとする反生産主義的プロジェクトである。

 資本主義は以前にも人類をこのような殺伐とした状況に陥れたことがある。とりわけ第一次世界大戦の前夜において。愛国主義の集団的興奮が大衆と社会民主主義を支配し、社会民主主義は戦争には革命で対応するという公約を裏切った。そして人類史上最悪の殺戮にゴーサインが出されたのだった。にもかかわらず、レーニンはこの状況を「客観的に革命的」であると定義した。彼は、革命だけが殺戮を止めることができると述べたのだ。歴史は彼が正しかったことを証明した。ロシアにおける革命とその拡大傾向がブルジョアに虐殺を止めさせたのである。この比較には明らかに限界がある。革命的行動へ向かって橋渡しすることは、今日、限りなくより複雑になっている。しかし、同じように意識を覚醒させることが必要である。それでもやはり、エコロジー危機に直面して、反資本主義革命は客観的により必要となっている。綱領・戦略・戦術を練り上げるための基礎として機能しなければならないのは、この基本的な判断である。なぜならば、破局を止めるための他の手段は存在しないからである。

 すべては闘いの結果にかかっている。どんなに災厄が深刻であっても、どの段階においても、闘いが違いを生む。闘いの内部では、エコ社会主義活動家が、歴史的に必要なオルタナティブの羅針盤の上に実践を方向づけるために組織化できるかどうか、にすべてはかかっている。  (つづく)

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