マルクス主義、社会主義の戦略、党(上)

革命と党の理論―その歴史的展開
ジルベール・アシュカル(2021年9月2日)

 ジルベール・アシュカルはアフリカのセネガルで生まれレバノンで育った。現在、彼は、ロンドンのSOAS(東方・アフリカ研究大学国際関係開発学科)の教授である。世界の政治軍事戦略や中東について数多くの著作を著しているが、近著には以下次のものがある。
 〇『アラブ革命の展望を考える 「アラブの春」の後の中東はどこへ?』(訳:寺本勉/湯川順夫、柘植書房新社、2020年)
〇The People Want: A Radical Exploration of the Morbid Symptoms:Relapse in the Arab Uprising(2013)
〇『野蛮の衝突』(訳;湯川順夫、柘植書房新社、2004年)
〇Dialogues with Chomsky on the Middle East n Perilous Power: The Middle East and USForeing Policy(2nd editon, 2008)
〇The Arab and the Holocaust: The Arab-Israel War of Narratives(2010)

複数形のマルクス主義

 私をこの集会に招いて発言の機会を提供してくれてありがとう。私はアフリカに生まれ、セネガル系として育ったので、この大陸アフリカの同志たちとこうした問題について討論するのは、私にとって実にすばらしい機会だ。
 主催者が定めた「マルクス主義、社会主義の戦略、党」というテーマは広い範囲に及んでいる。問題は多様なケースと異なるさまざまな情勢をカバーするものだが、タイトルの名詞は単数形になっている。周知のように、多数の「マルクス主義」が存在していて、それぞれのマルクス主義は、自らが唯一の真の本当のマルクス主義なのだと信じている。さらに、社会主義の戦略が通常では数多く存在することは確かである。戦略はそれぞれの国の具体的情勢に従って練り上げられるものだからである。いかなる地でも同じであるようなひとつのグローバルな社会主義的戦略など存在するはずがない。同様に、いついかなる時でもいかなる国でも有効な党に関する単一の概念も存在しない、と言えよう。戦略と組織の問題はその地の情勢と関連づけられなければならない。そうでないと、諸君は、トロツキーが正しくも規定した「官僚的な抽象的国際主義」に陥ってしまう。そして、これは常に実に不毛なものになることは明白である。この点を念頭においておこう。
 われわれの議論はマルクス主義の枠組みに属するものなので、マルクス主義の歴史の過程で展開された若干の概念を論ずることにする。そして、マルクス主義の今では長きにわたることになった経験の教訓から若干の結論に引き出してみよう。

共産党宣言と第1インター


 われわれは、理論と実践の複合的な路線としてのマルクス主義の誕生の日付を1848年に出版された『共産党宣言』に定めることができるかもしれない。長い歴史である。今日の21世紀とマルクス主義が誕生した時代との間には、途方もなく巨大な諸条件の変化が生じているという点をわれわれは深く考えざるを得ない。しかしながら、マルクスとエンゲルスは、政治運動としてのマルクス主義の創設の文書の始まりで、そもそも最初から多くの柔軟性を示していた。労働者の他の政党に対する共産主義者の関係に関するその一節は、周知のものであり、非常に重要で、興味深い。なぜなら、それは、いまだその端緒の局面にあった生まれつつあるマルクス主義の理論に関連させる形でその政治思考の枠組みを描き出すものだからである。それは、マルクス主義者の展望の初期の表現であって、完全なものでないことは確かである。しかし、それは、新たな全世界的な政治的展望を描いているという点において歴史的に非常に重要な文書である。政治的「宣言」として構想されたこの文書は、行動との関係においてもとても重要だ。
『宣言』の中でわれわれは有名な次のくだりを読むことができる。「共産主義者はプロレタリアート一般に対してどのような関係にあるのか? 共産主義者は労働者の他の政党と対立する別個の党を形成するものではない」。もちろん、この文書の題名が『共産党宣言』なのだから、以上のことは、共産主義者が自分たち自身の党を形成しないと言おうとするものではない。実際、ドイツ語版の原文からのより正確な翻訳は、「共産主義者は、他の労働者の諸政党に対立する特殊な党ではない」となっている。ここで本当に強調されているのは、共産主義者が労働者の他の政党とは別のものではないということである。「他の労働者の諸政党」によってどのようなことが意味されているのかについては、少し後で明確にされることになるが、共産主義者がそれらと「対立」するものではないという考え方についてはその直後に説明されている。
 「それは」、すなわち、共産主義者は、「プロレタリアート全体の利害とは別のそれからかけ離れた利害を何ら有していない」。言い換えれば、共産主義者は自分自身の責務をもつ特殊なセクトを形成するものではない、ということである。それは、プロレタリア階級全体の利益のために闘う。共産主義者はプロレタリアートの一翼であり、その階級的利益のために闘うのであって、自分自身の利益のために闘うのではない。これは、実際、非常に重要な問題である。われわれが歴史から知っているように、労働者の多くの政党が特殊な利害をもつ妨害ブロックとして階級全体から離反するようになったからである。歴史はそのような実例に満ちている。
こうして、共産主義者は、プロレタリアート一般の利害から別の、それからかけ離れた利害を何らもたないし、階級の望みとは別のものとなるであろういかなる自ら自身のセクト主義的原理ももたないのである。それでは共産主義者が他の労働者の他の諸政党と区別されるものは何か? 「それが区別されるのはただ次の点によってである」――その後に以下の二つの点が続けられている。
1,「さまざまな国々の各国の闘争において、『共産主義者が』プロレタリアート全体の共通の利益を強調し、それを際立たせる」という国際主義的展望をかかげ、それを理解していること。プロレタリアートが国民性を超えたグローバルな階級であるとするこの考えが、『宣言』における共産主義者のひとつの際立った特徴である。
2,社会の変革および資本主義と階級分裂の廃絶という労働者階級の闘争の究極の目標の追求。ブルジョアジーとの闘争のさまざまな諸段階において、共産主義者はこの長期的な展望を代表する。共産主義者は一貫して究極の目標を堅持し、セクト主義的闘争や部分的要求の陥穽(かんせい)にはまり込むことによってこの長期的目標を見失うようなことはけっしてない。

明確に区別される2つの特質


 以上が、労働者内部の集団または党として、労働者階級の一翼として、階級全体の利益のために闘う、共産主義者の他の集団とは明確に区別される二つの特質である。これは、理論上、実践上の両方の意味をもっている。実践的レベルでは、共産主義者は、すべての国の労働者階級の諸政党のうちで「最も断固として最も先進的な部分」をなすものである。それは、常に運動を前進させ、よりいっそう急進的な方向へと向かわせるという点において、政治的実践において最も断固としているのである。理論的レベルでは、共産主義者は、自らの分析におけるその展望によって、さまざまな闘争について広く、包括的な理解をもっていう。少なくとも共産主義者がそのような役割を果たしたいと望むのである。
 「共産主義者の当面する目的は他のすべてのプロレタリアートの政党と同じである」。改めて共通性が強調されていることは重要であって、それは、われわれ共産主義者が――マルクスとエンゲルがまさにここで書いているように――プロレタリアートの諸政党の一つにすぎないのであって、唯一のプロレタリア政党ではない、という考えなのである。自分たちだけが労働者階級の唯一の政党であって、他のすべての政党は階級を代表していないのだとするセクト主義者の主張は、『宣言』のこの箇所で擁護されている概念ではけっしてないのである。
 それでは、他のプロレタリアートの諸政党との間で共有されている共産主義者の当面の目的とは何だろうか? マルクスとエンゲルスは他のプロレタリアートの諸政党という言葉によって言わんとしたことをこの当面の目的は見事に指示している。その当面の目的とは、「プロレタリアートを階級へと形成し、ブルジョアジーの支配を打倒し、プロレタリアートによって政治権力を獲得することである」。以上の二つの目的はプロレタリアートの諸政党ということによって二人の著者が言わんとしたことを定義している。だから、これらの目的は、「共産主義者は労働者の他の政党と対立する別個の党を形成するものではない(あるいは他の政党に比べて特別な党を形成するものではない)」と述べる冒頭の文章の解明の助けとなっているのである。労働者階級の諸政党という言葉によって、マルクスとエンゲルスは、「階級の形成、ブルジョア支配の打倒、プロレタリアートによる政治権力の獲得」という目的のために闘うすべての政党のことを言わんとしているのだ。

党についての一般理論は不在

 それ以後の時期においては、マルクスとエンゲルスの政治的活動の軌跡と伝記が明確に示しているのは、党に関する一般理論は存在しないということである。二人の著者にはそのような一般理論を練り上げることには関心がなかった。これが私の出発点であったと私は確信している。すなわち、党は階級闘争のための、革命闘争のための、手段(ツール)であり、この手段は異なるさまざまな情勢に適応しなければならない、ということである。すべての時期やすべての国に有効な党の一般的概念などあり得ない。階級の政党は、世界的規模で同じモデルにもとづいて構想された宗教的セクトではない。それはそれぞれの時代のそれぞれの国の具体的情勢に具体的に適合する活動の手段なのである。
 現実の情勢へのこうした適応は、マルクスとエンゲルスの政治の歴史の中においてたえず試みられ続けたものである。それは、ブランキ主義の展望により近いグループ――二人はすぐにこのグループがセクト主義だと気づいた――から1848年にヨーロッパが経験して革命の波に照らして1850年に二人が著したよりより入念に書き上げた見解に至るまで貫かれている。ドイツに焦点を当てた有名な文章、『共産主義者同盟への中央委員会への呼びかけ』の中で、二人の盟友は、共産主義者とは、革命の過程をよりいっそう前進させるよう努め、他の諸階級とは別個にプロレタリアートの組織化を提唱する、という『共産党宣言』で概略したまさにそのアプローチを実践するもののことであるが、と述べた。

第1インター、頂点と終焉


 この目的のために、二人は労働者のクラブの形成を呼びかけた。彼らが想定していたのはフランス革命の前例だった。フランス革命の中では、ジャコバン・クラブのような政治クラブが中心的主役を位置を占めたのだった。二人は、1850年のドイツにもそれと同じものを提唱したのだが、それがことの時には、その戦術がブルジョア民主主義的党派やプチ・ブルジョア民主主義的党派をたえず乗り越えていくようなプロレタリアートのクラブ(今日で言えば大衆的な政党と呼べるだろうもの)であった。プロレタリアートの党は、革命の過程をよりいっそう前進させ、それを絶えざる持続的過程に転化するためにそうすべきなのだ、というのである。「永続革命」という言葉が、この有名な文書の中で二人が用いた用語である。
 マルクスとエンゲルスはその後、1864年の第一インターナショナルの創設の時期まで、政治組織に正式に加わることなく数年間を過ごした。その当時二人が自分たち自身のものとみなしていたその役割とは、各国の組織に関わるよりもむしろ、国際的レベルで直接に行動することであった。第一インターナショナルは広範な潮流を結集していた。それは、けっして一枚岩ではなくて、アナーキストやもちろんマルクス主義者とともに、今日であれば左翼改良主義者とも呼べるような潮流を含んでいた。アナーキスト自身は主として異なる二つの潮流から成っていて、一つはフランスのプルードンの支持者であり、もうひとつはロシアのバクーニンの支持者であった。こうして、さまざまな諸傾向と労働者組織が第一インターナショナルに加わった。この公式の名称は、その当時の古風な言葉「国際労働者協会」であった。
 第一インターナショナルは、パリ・コミューンで頂点に達した。今年、われわれは、パリ・コミューン百五十周年を祝っている。それは、パリの勤労大衆、労働者、小ブルジョアジーの蜂起であり、1871年3月18日に始まり、その約2カ月半後に流血の弾圧の中で終わった。この悲劇的結末は、後退と退潮の時期に実にしばしば起こることなのだが、先鋭な分派闘争を生み出し、後に第一インターナショナルを終焉させることとなった。
(つづく)

The KAKEHASHI

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