マルクス主義、社会主義の戦略、党(下)

革命と党の理論―その歴史的展開

ジルベール・アシュカル(2021年9月2日)

党の物質的概念、インターネット

 以上すべての点にさらに、私が党に関する物質的概念と呼ぶものを付け加えておこう。マルクス主義者にとって、社会・政治の諸条件に関する評価を行う際の出発点は史的唯物論である。与えられたある社会の組織形態は、その技術的手段に対応する傾向がある。この原理はすべての組織形態にも拡張し得る。組織形態は物質的条件に適応するのだ。実は、この点は、資本主義企業の経営様式にも当てはまる。同じことが革命組織にも当てはまる。そのタイプと形態は、文章を作成するために革命組織が用いる手段に実に大きく依存しているのであり、その文章は今度は利用可能なテクノロジーと政治的自由によって決まってくる。したがって、もし党が主として地下の印刷所に頼っているのであれば、その革命組織は必然的に高度な集権化と秘密を必要とする陰謀的組織となる。もし革命組織が公然と合法的にその文章を印刷できるのなら、それは開かれた民主的な組織であることができる(もし必然的にではなくて選択によって陰謀的な組織になっているとすれば、それは通常、党というよりもむしろセクトである)。この点がコミュニケーションにおけるテクノロジーの一大革命としてのインターネットへとわれわれを導くことになる。このテクノロジーの変化が党に関する概念にまったく影響を与えていないと信じ込むとすれば、それは党が宗教にも似たドグマ的組織になっているという点を理解できていない兆候を示すものである。
 今日、すべての組織形態はインターネットの存在によって非常に大きく条件づけられている。だからこそ、ネットワーキングがこれまでにないほど広範に拡大している組織形態になっているのである。ソーシャル・メディアのようなバーチャル・ネットワーキングによって可能になっているネットワーキングはまた効率的ネットワークをも促進することができる。インターネットのおかげで、情報の共有と意思決定との両面においてはるかにずっと民主的な機能方法が可能になっている。民主的な討論を開いて決定を行おうとする度に、いつも非常に遠方から人々を呼んで物理的に引き合わせる必要はないのだ。
 インターネットの潜在的可能性は巨大であって、われわれはその活用の端緒についたにすぎない。それは、新しい世代の間に存在する集権主義と指導部崇拝への強い嫌悪感をもたらす。20世紀で支配的であったパターンと比較するならば、こうした挑戦的精神が新しい世代の間に存在するというのはむしろ健全なことであると私は信じている。
 ネットワーキングは時代の大きな趨勢となっている。それは早くも1990年代にこの種の組織形態を提唱したサパティスタとともに始まった。今日、それを大いに体現しているのは。BLM(「ブラック・ライブズ。マターズ・ムーブメント」)である。この運動は、主としてオンラインのプラットフォームを通じて共有する原理にもとづいて、数年前に始まった。地方の分会は運動の一般的な原理を支持する立場に立つだけで、中心的機構を有してはいず、指導的中枢はなく、ヒエラルキーも垂直性もない、水平的ネットワーキングにすぎない。それは、近代的テクノロジー以前であればそれほど大規模になるのは不可能であったであろうようなものであって、とりわけ現代の産物なのである。それは組織に関する唯物論的理解を示すにふさわしい実例である。
ネットワーキングは、アフリカ大陸のスーダンで起こったもうひとつの最近の大きな出来事の発展にも働いている。2018年12月に始まったスーダン革命では「抵抗委員会」の形成が見られた。抵抗委員会はその大部分が都市地区で活動する地区支部であり、そのそれぞれは主として若者から成る数百人のメンバーを結集している。すべての主要都市の区画に、そのひとつひとつが数百人の参加者から成る数十の抵抗委員会が存在している。このようにして数十万の人々が中心的都市部で組織された。これらの委員会は、BLM運動から自分たちのインスピレーションを得ているわけではないけれども、共通の原理、共通の目的、を掲げていて、中央指導部がまったくなく、ソーシャル・メディアを大々的に利用しているという点に示されているように、実にBLMと似た形で活動している。これらの運動は、時代の産物なのであり、すでに述べた集権主義的過去のその悲劇的な結末の経験に対する反感の産物であり、それがニューテクノロジーと結びついているのである。
 しかしながら、このことは同一の目的をもつ――『共産党宣言の共産主義者』のような――、見解を共有し、その見解を推し進めることを望む人々の政治組織の必要性を解消してしまうものではない。しかし、近代的テクノロジーによって可能になった質的により高度な組織的民主主義は、同じ目的をもつ人々から成るそうした政党にも適用される。

セクト主義的ではなく大衆的な存在として

 まとめると、私が最初にキーポイントであるとした問題は、組織のタイプはそれが建設される具体的な条件と場所にかかっているという点であった。テクノロジーの側面に加えて、時と場所が決定的である。自称「前衛党」のセクト主義に陥ってしまうのを避けることが非常に重要である。前衛は、宣言されるようなものではなく、実践の中で与えられる地位なのである。真に前衛となるためには、大衆によってそのような存在であるとみなされなければならないのだ。
 前衛党を建設したいと望むマルクス主義の革命派は、『共産党宣言』の中で述べられているように、自らを、異なるさまざまな他のタイプの組織を結集するより広範な運動の一部である、とみなすべきである。マルクス主義の革命派は、労働者階級の大衆的政党を建設し、ゆくゆくは、もし自分の見解について多数派を獲得できれば、あるいは獲得できるようになった時には、それを指導することを目指すべきである。また、だからこそ、大衆的な労働者階級の政党、すなわち反資本主義の党、が存在する場合には、そうした大衆的な労働者政党に加わるべきである。そうした大衆的な党が存在しない場合には、それを建設することに貢献すべきである。大衆的な党を建設するということは、自称「前衛党」を建設し、一人ずつ自らの党の隊伍に党員を獲得していくことによってではない。ことはそのようには動きはしない。しかも、社会主義は民主主義的であってはじめて可能になる。そう言うのは陳腐なことではなくて、そのことは、変革を支持する社会の多数派なくしてより良きものへと社会を変革することはできないということを意味するのだ。さもないと、歴史がわれわれにあれほど悲劇的な形で示して来たように、結局のところ強権的体制と独裁を生み出すことに終わってしまう。そして、それは途方もなく大きな代償を伴う。
 私が言いたい最後の点は、ブルジョア制度と官僚的潮流の腐敗的作用に対する民主的な警戒の必要性についてである。世界のすべての国ではないが、大部分の国は、ブルジョア国家の選挙制度の中で闘うことをも含めて、グラムシが述べたような陣地戦を展開することが可能な国である。この闘いは、もちろん、ストライキや座り込みやデモなどの労働組合やさまざまな形態の階級闘争と結びつけられなければならない。
 陣地戦の過程で、革命派はブルジョア制度の腐敗的作用に直面する。選ばれた役員たちは資本主義の腐敗的権力から影響を受けるからである。同じことが官僚体制の腐敗的権力にも当てはまる。こうした官僚権力は、労働組合の内部や労働者階級の諸機関の中に働いている。革命派は、こうした不可避的リスクに対して警戒を怠らず、その腐敗的作用が支配的なものになるのを阻止する新しい方法を考案しなければならない。それがまた、われわれの念頭においておかなければならない歴史の教訓の核心でもある。
 2021年4月25日
 出典:Tempest

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