キム・ゴンス、変革党の学生委員会非常対策委員長に聞く

青年学生が平等の政治を組織

「公正性」の波に立ち向い

 青年世代が私たちの社会に「公正性」という質問を投げかけた。公共部門の正規職の青年労働者は「政府の非正規職の正規職への転換政策が公平性を侵害した」と怒り、「若い医師」たちは「学生時代を通して全校1位の医師と適当に勉強した医師」を比較して、公平性を持ち出した。ここまで来ると公正性という言葉は、「競争で勝った者の分け前」と言っても過言ではない。
 運動の方向は、常に平等と正義に向けたものだった。それ故に「公正性」の仮面をかぶった競争の波は、運動の基本とは何かと問うている。このような問いに学生/社会で直面し、その波に立ち向かって、私たちの談論と実践で悩んでいる変革党の学生委員会非常対策委員長キム・ゴンスさんに「変革政治」がインタビューを行った。

 ゴンスさんは少し変わった環境で育った。両親は二人とも学生運動、市民運動を経て、田舎で農業をする生活を送った。おかげでゴンスさんは小説「太白山脈」の背景でもある全羅南道ピョルギョの村で育った。ゴンスさんはただサッカーが好きな少年だった。

 高校は仁川の江華島の代替学校に進学した。両親が多くの代替学校を訪ねて農業を教えて本をたくさん読める学校を探した。ゴンスさんは特に志もなく、「代替学校に行けば入試に埋もれずに、今のように存分にサッカーをすることができるだろう」と進学した。実際に代替学校生活は幸せだった。

 「とても幸せだったし、良い思い出が多いです。一学年が20人ずつ、合計60名の学校で、全体が一緒に暮らすコミュニティでした。先生たちも全部運動をされた方だったんです。一人の先生が詩をよく読んでくれました。それなりのイベントのように、5月には5・18(光州民衆抗争)の詩を読んでくれて、4月にはセウォル号関連の詩を読んでくれるようにですね。朗読もよくしてくれました。実際に私たちは、表現する方法をよくは学ばないでしょう。自分の感情をたっぷりと込めて詩を読んでくれるその姿と声がものすごく良くて先生が詩を読む日が待ちどおしいこともありました。雪の降る日、白石の『私とナターシャと白いロバ』を読んでくださったが、それは長い間記憶に残りました」。

 2015年、ゴンスさんは韓神大国文科に進学した。代替学校コミュニティのような場所を探したかった。自然に闘う人々が目に触れて、ともにするようになった。ゴンスさんが入学した年には、韓神大で学科の統廃合構造調整があり、学生総会など学内闘争が活発だった。

 「1年生の時、学生総会が盛大に開かれた。1年生は必ず全員が行かなければならないという雰囲気だったし、本当に全員が行きました。総会後に断食、座り込み闘争も続きました」。

 その年には、セウォル号の惨事真相究明闘争もあった。じっと黙って静かに、沈黙の行進が大規模に続いたが、真相究明に向けた歩みは、公権力に遮られた。毎日のように集会が開かれた。

 「儀式闘争が不思議でもあったし、遺族の要求を、警察が鎮圧するのがとても怒りを感じました。同期らと毎週集会に行ったが、その時我々の学校の先輩が熱心に戦う姿が良かったです。先輩たちと親しくなりたかったんです。そうして何かの集まりに誘われました。今考えてみると名前もない集まりでした。そこで『国家と革命』を最初の本として読んだと思います。一緒に勉強して集会に行っているので、その年の年末に総学生会選挙も一緒にすることになりました」。

続く学内闘争、政治的考察の拠点として変革党に加入

 2016年、ゴンスさんは「韓神民主化のための学生の集い」に参加した。構造調整、総長直選制など重大な教育闘争課題があった。大学本部は、理事会の結果を覆し第三位の得票者を総長に選出した。200人の学生が理事室の占拠に入り、これを警察が鎮圧しようとする日もあった。

 「このような闘争を契機に私と同期生らはより政治的になっていったようです。そんな中、一先輩が、学内闘争をよくしようとするのであれば、政治組織が必要だと。運動の方向と進路を考えなければならないということですね。その言葉に同意して変革党に加入することになりました」。

 変革党の第一印象を聞くとゴンスさんは長所と短所を一つずつ上げた。

 「党に加入するときは、民主党と比較しました。当時民主党が過半数議席を占めていたが、セウォル号特別法の一つも通過できないことでがっかりしていました。議会政治は意味がないと思いました。変革党がその代案だったのかもしれません。一方では、文化が後進的だという感じもありました。何か昔の組織のような感じ?(笑)」

 変革党加入後も総学生会を中心に学内活動を続けて、学年が上がり、責任を負うことも多くなった。2019年には学内総学生会選挙が実施できなくなり、非常対策委が設けられた。ゴンスさんは有志連合会長兼非常対策委副委員長を引き受けて、非常対策委を認めない学校に立ち向かい闘いを組織した。

 「学校が非常対策委を認めませんでした。代表性も、公式性もないというのです。それで、学生総会を開き、学生に尋ねることにしました。その時『非常対策委も仕事をしたい』という、スローガンを掲げて、本当に一生懸命組織しました。900人余りの学生が集まりましたよ。それでも学校本部は認めなかったし、ハンスト、座り込みなどを続けながら、教授たちも、私たちの味方になってくれました。本部だけが孤立しました。2学期には、本部占拠闘争があり、非常対策委員長と私が無期停学を受けることになりました。懲戒撤回闘争をして、その過程で、学生/社会がたくさん変わったようです。支持して共にする人が増えたということです。惜しいのは本当に変えたかった『本部の変化』自体を引き出せなかったことです」。

青年・学生運動の新しい集まり、「公正性の波に立ち向かい、平等の価値」

 学内活動を終えてゴンスさんは、今年の変革党学生委員会と京畿道党執行委員として活動している。容易ではない条件であるが、学生党員たちと一緒に事業を探している。

 「学生委員会の中に分会が少ないです。不動産、気候危機など大衆的な議題が必要です。9月には学生運動団体などに気候危機の事業をいくつか提案して組織しました。党員が議題の中心で先にする事業が必要でした。例えば『気候変動ではなく、システムの変化』という文字をモザイクで一緒に作る行動をしたが、大きな事業はなくても、党員と一緒に実践して他の単位の仲間と一緒に経験を作りたかったのです」。

 ゴンスさんは最近、「青年・学生運動の新しい集まり」を提案した。それはどのような「集まり」なのだろうか。

 「最初の問題意識は、教育闘争でした。学生会で活動家が、本当に熱心で、その人たちは進歩だが、いざすることは『事業を実施するレベル』ということでしょう。人びとと呼吸していなかったという問題意識が起こります。学生会などで進歩的な活動を続けてきたが、今の青年は『公正性』という巨大な波を作っているでしょう。私たちはどうですか。進歩というのは何でしょうか。まったくの一部にすぎない進歩の価値としての平等をどのように共有してきたのでしょうか。この状況を反省して、私たちも何かをしなければならないという考えでした。『公正性』に化けた競争社会、エネルギーの方向を変えてみようということを考え、ここに至りました。私たちも、人々を政治的に組織しようということです。集会や学生会の事業にだけ一緒に行くのではなく、人々が『公正性』の波に立ち向かい、自身の真実な本来の姿を、自分の価値として平等をと言えるようにすることです」。

 ゴンスさんに社会主義の大衆化の中間評価を尋ねたところ、「私たちが、より動かなければならない」という答えが返ってきた。

 「社会主義の大衆化、必ずしなければならないと思います。しかし、私たちの力量が十分ではないので、私たちの党の本来の強みも弱められて新しい政治空間はまだ開いていないという感じです。苦しい状況です。それでもとりあえず私達が動かなければならないでしょう。中央の『完成度もあり、かっこいい企画案』が社会主義の大衆化になるのではないでしょう。分会と党員それぞれの努力が必要です。そのようなことなく、中央企画だけ待っていけば良いというのはいけないことでしょう。私たちが着実に党を知らせながら、事業をする必要があり、中央からどのような計画が出てもお互いに効果を出すことができるでしょう。今は社会主義の大衆化事業を現場が引き受けることができるのかできないかというようなことだけの議論がされているようで切ないです。現場あるいは大衆に『受けることができるような案』というものはありません」。

 最後に、ゴンスさんに社会主義が自分にとって何なのかと尋ねた。

 「大学入学後、両親から経済的な支援をほとんど受けませんでした。休暇にアルバイトすれば一日中働いても、5~6万ウォンの稼ぎでした。大金ながらも、友達とご飯を一度、お酒を一度すればなくなるお金です。アルバイトしたお金で服を一着買うお金も残らないでしょう。そのような面で社会主義は尊厳と幸福を保証する、そのものだと思います」。

■インタビュー=ナウィ┃機関紙委員会

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