ノ・ムヒョン政権の危機と「独島問題」
統治イデオロギーとして「民族主義」的情緒の活用
大統領選とポピュリズム略
2002年にノ・ムヒョンが大統領の権座に上るまで、あの反転に反転を重ねた大統領の選挙過程について当時、ユ・シミン議員は天が選挙結果を決定した「神権選挙」だ、と語った。
執権民主党はさまざまなスキャンダルに伴う政権再創出の危機に直面し、その危機を打破するために国民競選制を導入した。国民競選制を通じた「ノ・ムヒョン大統領候補の決定」は大衆的パラム(風)を巻き起こす火種となった。
「ヒョソン、ミソン事件(米軍装甲車両による女子中学生れき殺事件)の社会的影響力」、「W杯効果」、「チョン・モンジュン候補との単一化、そして劇的な辞退」など、ドラマのような一連の2002年の大統領選挙の過程は、ひょっとしたらノ・ムヒョン政権が民衆主義(ポピュリズム)的統治スタイルを持つに至った初期の条件を形成させたのかも知れない。なぜならば、ノ・ムヒョン大統領は大衆の情緒がどのように動き、大衆の情緒にどう応えれば大衆的支持が集まってくるのかを、大統領選挙の過程ですでに悟っていたからだ。
「独島」、ノ政権の突破口
だからと言って、ノ・ムヒョン政府の執権統治のスタイルすべてが民衆主義的だと言うのではなく、民衆主義的要素が大きく位置を占めている、ということだ。ノ・ムヒョン政府は一貫して「親独占資本の利益」を維持・強化する新自由主義の構造調整を維持し続けているがゆえに、民衆の経済的利益に応える善良な気前のよい政策を乱発してはいない。
けれども、「自由主義者」たちが「極右保守主義者」たちの側から執権政党をひきずり出しつつ、そこでもたらされる限界を直接国民大衆に訴え、支持を引き出すという側面においては民衆主義的要素を持っている。そのような面において、「経済的イシュー」に対して「民衆主義的統治スタイル」が出てくるのではなく、「政治的イシュー」について「民衆主義的統治スタイル」が出てくるのだと見ることができる。
「弾劾局面」もまさにそのような側面として解釈できる。周知のように、「民衆主義」と言うものは、民衆の側にいると言うものではなく、「民衆の側にいる振り」をする、というものだ。民衆主義の統治スタイルというのは大衆主義、人気迎合主義だ。民衆主義の統治が、執権の危機を大衆の情緒に応えつつ危機を突破していこうということに核心があるとすれば、「独島」問題はそのような効果を持つに充分だ。
「独島」をめぐる政治状況
日本の島根県が「独島(日本政府の言う竹島)の日」条例案を通過させたことによってわき起こった「独島」をめぐる国内外の政治状況は実にさまざまな側面を含意している。
最も重要な効果のうちのひとつは、執権勢力の統治イデオロギーとしての「民族主義の活用」だ。民族主義には左右のスペクトルが存在する。星条旗を燃やす民族主義者たちと、日章旗を燃やす民族主義者たちがいる。
(1945年の)解放以後、韓国の民衆は日本帝国主義と米帝国主義、そして分断という状況の中で抵抗精神を育んできたし、その中で「抵抗的民族主義」は存在してきた。「抵抗的民族主義」は韓国社会を民主的に導いていくうえで一定の役割をはたしてきた。したがって、このように表現する。「韓国社会ほど『民族主義』の強い国家はないが、一度たりとも統治理念として『民族主義』が位置づけられたことはなかった」と。
むしろ民族主義を弾圧する親帝国主義勢力が、執権勢力として最も抑圧的な、最も非民主的な統治を示したし、そのような軍事独裁の諸勢力はいつでも選挙の時期のたびに「北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)カード」を使いつつ、反共主義をあおりながら最も反民族的行為によって統治を維持してきた。
だが韓国社会は変わり、今や「国内政治の危機」を「北韓」というカードをもってするには効き目がなくなっている状況だ。いつも大衆の情緒を最も積極的に活用しなければならないということが、統治勢力にとっては極めて重要だ。変化した時点において、大衆の情緒に基盤をおきつつ、大衆の情緒を活用する統治イデオロギーとして「民族主義」ほど良いものはない。
IMF・通貨危機を突破したのも国民の民族主義の情緒が働いたからだ。今後、国内的な政治危機を突破するための国内的統合イデオロギー、または執権勢力の統治イデオロギーは「民族主義」へと変動することが予想される。
労働と資本の対立を「薄める」役割
第2に、これまでの問題とも関連するが、「独島」問題は韓国民衆の怒りを向けさせるのに充分だ。いま韓国社会はIMF管理体制以降、一貫して進められてきた親自由主義的経済の論理に伴う政策や制度の結果として深刻な危機状況に直面しているということは周知の事実だ。
この国の元老知識人たちが「仕事の分け合い」キャンペーンをするほどに――もちろん、その攻撃の対象は大企業の正規職労働者であることを直視しなければならないが――韓国社会は、はなはだしいほどの社会的両極化の中におかれている。すなわち、1日1日をやっとの思いでしのぐ大変な暮らしが続いているのだ。いわゆる大衆の情緒を反映するという大統領の支持率が連日、底なしに下がっている状況にあって、「独島問題」は、ノ・ムヒョン大統領の人気を上昇させる効果ばかりではなく、重要な国内的な政治的状況を葬らせる効果も持っている。いや「選択的効果」を持たせる役割を果たす。
4月の臨時国会を前にして、再びさまざまな社会勢力の闘争が展開されるだろう。特に「非正規職保護立法案」を強行処理しようとする政府は、このような情勢の流れに乗って、過去史の清算を最大の改革のイシューとして提起しつつ労働と資本の敵対的対立を「社会的に薄めること」に向かう過程へと作用させようとする。
もちろん韓国の労働者運動が階級的観点をもって、すべての事案において政治的、社会的主導性を持っているのであれば、「独島」問題も中途半端にではなく真正面から正しくイシューを提起しなければならないだろう。けれども、状況はそうできないがゆえに、とかく非正規職をめぐる労働と資本の闘争がそう見えるように、独島問題も中途半端においやられかねない。
極右民族主義と新保守主義勢力
第3に、東北アジアに吹いている極右主義的暴風は世界史的流れのひとつの表現だと見ることができる。新自由主義勢力は政治的に新保守主義者だ。新保守主義とは何なのか? 極右民族主義と一脈、相通じる。資本の利益を国家の利益へと代替する過程で統一理念として新保守主義は、その時その時ごとに極右民族主義として登場するであろう。世界銀行総裁にイラク戦争の陣頭指揮をしていたウォルホウィッツが内定したという。そして世界的世論は、いかんともしがたい反応だ。
この恐ろしい世界の競争の中で生き残るために、再び「国家」を呼びだす。世界化は「国境のない世界」を言うけれども、これは資本の移動させてくれという注文であるにすぎない。新保守主義は軍事大国化と相まっている。事実、「領土」紛争は個別国家ごとに「軍事力の強化」という名分を提示するに充分だ。
中国と日本が、日本とロシアが、韓国と日本が「領土紛争」を媒介として「軍事大国化」を共に志向している。帝国主義が、このような状況にあって再現され、拡張されているのだ。けれども、各国の国民は純粋な(?)愛国心によって、再び「軍備」を強化することに同意している。世界経済の突破口として強化される軍事大国化、軍事体制の科学化は潜在的に帝国主義戦争を強化するだろう。(「労働者の力」第75号、05年3月31日付、チェ・ギョンヒ/教育委員長)。
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