靖国神社はなぜ問題なのか
生きて強制徴用・死んで魂の強制収容
「障害は日本指導者の靖国参拝」
外国の国家元首が他の国を公式訪問することになると、その国の国立墓地を参拝する場合がよくある。だが日本を訪問する外国の国家元首たちは、このような儀典行事をしなくともよい。日本には国立墓地の形態の国家慰霊施設がないからだ。その代わり、とかくもめ事が多く因縁の多い靖国神社が東京のど真ん中に陣取っている。
どれほどのもめ事かと言えば、自国日本の総理が1年に1回、参拝するというのにも、周辺国では耐えられず、日本国内からも批判と擁護の声が高まる。(04年)11月21日にチリで行われた中日首脳会談でフー・チンタオ(胡錦濤)中国国家主席は小泉日本総理に向かって、「両国の政治的関係が停滞と困難に陥るに至った最大の障害要因は日本指導者の靖国参拝」だと直撃弾を放った。
戦没者が神霊となる場所
…略…そもそも靖国神社とはいかなる所で、かつなぜ毎年のようにこのような論難が繰り返されるのか? 靖国神社が初めて建立されたのは1896年だった。東京招魂社として開設されたこの神社は10年後、靖国神社と名前を変えた。靖国神社が特に問題となるのは、この神社が単純な宗教施設ではなく、帝国日本の国家神道の体系にあって特別な位置を占めている「天皇の神社」であると同時に、日本軍国主義の心のふるさとであった軍事施設であるからだ。
靖国神社が、いっそ実際に戦没者たちの遺骸が埋められた墓地であったならば、ここへの参拝行為をめぐって、あれほどに深刻な論難が繰り広げられはしなかったかも知れない。靖国に奉安されたのは戦没者たちの遺骨ではなく、死亡者たちの名前を書き込んだ「霊璽簿」という名簿だ。この霊璽簿を「御羽車」と呼ばれる輿に載せて靖国神社に合祀する儀式を「招魂式」と言うが、1933年からは毎年、日本放送協会がこの儀式を全国にラジオで生中継したりした。
靖国神社が一般的な戦没将兵の墓地と異なる点は、ここに奉安されれば戦死者ではなく、神となるということだ。その人が生前、いかなる人物であったかは問題とならない。生前にいかな不道徳な人生を送ったとしても、彼が天皇のために命を捧げたのであれば靖国神社では神として遇されることになるのだ。
靖国側によれば招魂式が挙行される時、招かれる戦死者の霊魂は人霊、すなわち人間の霊魂だが、合祀祭を終えて神社に安置されると初めて神霊になるというのだ。そのために招魂式は「故人の霊を個人の霊として、または遺族の血縁の霊としてではなく、国家神道下の国家の祭祀の対象として神霊に転化させる儀式」なのだ。
靖国にあっては死は悲しみや喪失感の対象ではない。軍国主義時代の日本が何時間にもわたる招魂式をラジオを通じて生中継までしたのは、このような儀式が軍国日本の戦争動員において核心的な位置を占めていたからだ。死せる者は地下で天皇の恩恵を敬虔に崇め、遺族は自身の息子や兄弟を靖国で神として祀って下さる天皇の恩恵を被る光栄に感泣し、父兄の戦死を慶び、一般国民は、また別の戦争に天皇と帝国日本のために死ぬことを誓うこと、これがまさに靖国神社を通して帝国日本の指導者らが導き出そうとした雰囲気だった。
日本の「信仰」の伝統とも遠い
靖国神社は単純な宗教施設ではなく、戦争で命を賭して戦わなければならない軍人たちを鼓舞する装置であったのであり、これを土台にして帝国臣民たちを統合する拠り所だった。靖国神社は軍部の管轄を受け、最高責任者である宮司も現役の陸軍大将だった。いや、何よりも靖国神社は天皇が直接参拝する神社だった。中日戦争勃発後の1938年から天皇は大日本帝国陸海軍大元帥の資格で軍服を着用し、春と秋に靖国神社に赴き、全国の遺族を招待して戦死者の功績を称え、英霊を慰める大祭典を挙行した。
…略…日本総理の靖国神社参拝をめぐる違憲訴訟にしばしば違憲論側の証言者として登場している大江志乃夫教授によれば、日本では昔から戦場で亡くなった者を敵軍であれ味方であれ不問にし、共に祭祀を執り行う風俗があった、という。敗れた側の亡者をどう処理すれば精神的な安定が得られるのだろうか、この点が戦勝者の心を悩ます重要な戦後対策のうちの1つだったというのだ。これは古来の民間信仰である「御霊信仰」が反映されたものだが、御霊信仰というのは生前に怨恨を持ったままで死んだ人の怨霊が疫病をはじめとするさまざまな災いをもたらすとして恐れる信仰を言う。……
靖国神社参拝が論難となるたびに、何よりもまず提起される問題はA級戦犯14人がここに合祀されているという事実だ。東条英機らA級戦犯14人が靖国神社に秘密裏に合祀されたのは1978年10月17日で、日本・厚生省が彼らの名簿を靖国神社に送ってから12年ぶりのことだった。これら14人のうち死刑となったのは7人だ。だが、ここに合祀された戦犯は彼らだけではない。いわゆるB・C級戦犯として処刑された人や、生きていたなら間違いなく戦犯として処罰の対象となっただろうけれども、敗戦時に自決した人など1千余人もここで神となっているが、靖国神社側はこれらの戦犯や自殺者を「昭和殉難者」と呼ぶ。
1985年の敗戦日である8月15日に総理としては初めて靖国神社を参拝した中曽根康弘はA級戦犯の名簿を靖国から削除する分祀を推進したことがあるが、靖国神社側は「いったん合祀された魂を他の所に動かすことはできない」と拒絶した。ところで強硬右派の中曽根側が、なぜA級戦犯の分祀を推進したのだろうか?
1999年、内閣官房長官野中の「だれかが戦争の責任を取らなければならない。A級戦犯たちに第2次世界大戦の責任を取らせ、彼らを分祀する」との発言を見ると、高橋哲哉教授が憂慮している通り、「A級戦犯の分祀は日本側としてはA級戦犯に戦争の責任をおし被せて天皇の神社・靖国のシステムは不問に付す」政治的妥協をもたらしかねない。A級戦犯らが重大な戦争の責任を負っているのは確かだけれども、逆に彼らを分祀して、論難の素地を減らした後に靖国神社に天皇が参拝することを想像してみれば、問題点は明白だというのだ。
台湾、韓国の遺族も中止要求
事実、小泉らが諸隣国の厳しい反発にもかかわらず神社参拝を強行するのは、単純に当面の選挙での右翼の票をいささか手にしようという薄っぺらな計算に基づいたものばかりではない。彼らが究極的に望んでいるのは、天皇の意志によって作られた天皇の神社に天皇が親臨し、帝国日本の守護神たちに天皇が酒を一献、捧げることに象徴される過去への回帰だ。
日本の他の神社とは違って、靖国神社には祭神がおびただしいほどに多い。明治維新関連7751位、清日戦争1万3619位、露日戦争8万8429位、満州事変1万7175位、中日戦争19万1238位、大東亜戦争213万3823位など全体で246万6427位が奉安されているが、これらはすべて主神として遇されている。
このうち圧倒的多数が大東亜戦争で犠牲となった人々だ。ところで天皇陛下のために忠誠を尽くして死に、靖国神社で神となったという者の中には現在、台湾出身者2万8千人、朝鮮出身者2万1千人が合祀されている。これらの中にはB・C級戦犯として死刑にされた朝鮮人23人、台湾人26人も含まれている。
朝鮮や台湾出身の遺族らの大部分は日本政府からキチンと戦死通知も受けられず、遺骨も返還されず、さらには靖国神社に合祀されるとの通知もなく、もちろんこれに同意したこともない。1979年に台湾の遺家族らが靖国神社に合祀の撤回を要求したとき、神社側は「日本人として戦いに参加した以上、靖国に祀られるのは当然」だとし、合祀は「天皇の意志によるものであるがゆえに、遺族が撤回できるものではない」ととんでもない論理によって拒絶した。
2001年6月、韓国の遺族55人が合祀の中止を要求する訴訟を提起したが、原告中の1人である、ある遺族は「靖国への合祀は、生きては強制徴兵であり、死んでは強制収容という二重の強制連行」だと胸もふさがる思いを吐露した。
日本人遺族も「合祀撤回」要求
日本人の遺族たちの中からも宗教的な理由で、あるいは平和主義の信念にしたがって合祀撤回の要求が出てきている。現在の靖国神社は、1952年に発効した宗教法人法によって同年9月、東京都知事の認可を得た単一の宗教法人にすぎない。だが神社側はいまなお「靖国神社は憲法で言う宗教ではない。日本人ならば、だれもが尊敬すべき道だ」と主張している。これは、まさに日本帝国主義が神社参拝を強要する論理だったが、日本の右翼たちに「靖国は依然として事実上の国家神道であり、超宗教的な天皇教」として生きているのだ。…略…
240余万に達するという靖国の神々の中から、いかなる基準によって3千余枚の写真を選んだのかは知りようもないが、よく見ると東条英機のようにA級戦犯として処刑された者が「法務死」という、死の原因についての聞きなれない説明が付されて潜んでいる。この写真に含まれた人々は支配層や将軍たちだけではなく、将官、尉官、伍長、士兵、軍属など多様な階層が網羅されているが、すべての日本人が一致団結して自発的に戦ったというものだ。英文の解説には、彼らを「靖国の神々」とは書かずに、戦争の英雄としてあった。
これらの加害者の人海戦術の中で、われわれは2人の朝鮮人に出会うことができる。神風特攻隊となり死んでいった朝鮮人タク・キョンヒョン(卓庚鉉、創氏名、光山博文)と、やはり朝鮮出身の神風、武山隆。彼らを含め、靖国神社が展示した帝国日本の守護神たちは本当に侵略戦争を称え、天皇陛下万歳を叫んで死んでいったのだろうか?
朝鮮人神風特攻隊と出会う
靖国神社は、戦争による犠牲者を国民が悲劇として受けとめられないようにし、むしろ名誉だとか栄光だとか言う倒錯した考えを持つように仕立てた空間だ。侵略国家がひき起こした間違った戦争に加害者として動員され、死を強要された戦死者たちを「英霊」として誉め称えることは、小泉総理の靖国神社参拝違憲アジア訴訟原告団団長・管原隆憲がまさに指摘したように、国家の戦争犯罪を正当化し、その責任を回避するために戦死者を利用することによって戦死者をもう1度、殺すことなのだ。
ここで神となってしまった死は自然とは言えない。悲しみも喪失感も、そして2度とこのような悲劇の繰り返しを許してはならないとの誓いも、「ひとたびの死を、いま1度殺してしまった空間」である靖国神社では、その居場所がない。
日本は自衛隊をイラクに派兵した。国家のために死ぬということが、いまや近い将来に再び生じることとなったのだ。このような事情は日本よりも、もっと多くの兵力を派遣した韓国も避けられない。このような状況にあって、死んだ人の死というものを悲劇として直視するのではなく、高貴な価値として顕彰するのは戦争をひき起こす者たちの共通の手法だ。「死の賛美」は、もうたくさんだ。(「ハンギョレ21」第537号、04年12月9日付、ハン・ホング聖公会大・教養学部教授)
The KAKEHASHI
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