通院歴30年
コラム「架橋」
「昨年の検査とまったく同じ視野ですね。経過は順調です」――自分の孫ほどの年齢か。女性の医師Aが笑顔で告げた。「そうですか、安心しました」。私は答えた。「ここのグラフの、このラインを見てください。去年と重なっているでしょう」。
この日はめずらしく、主治医が退室を促さなかった。私はチャンスだと思い、過去の体験を吐露した。彼女は電子カルテから病歴を把握、「○○さんが長い間、頑張り
通した結果ですよ」。予想外のこの言葉に、私は新鮮な感動を覚えた。
すでに30年間、眼科病院へ通院している。きっかけは30歳の時に発症した右目の眼底出血。活動家として連日深夜まで会議と酒、煙草にまみれている頃だった。
無理して出勤した朝。駅までの道で右目の異変に気がついた。視界右上に黒い物体がヒラヒラと動いている。職場に着くと近くの小さなB眼科へ駆け込んだ。「眼底出血だね」。小柄な院長は顔色を変え、すぐに出身校であるC医科大を紹介した。
C医大では新人の女性の医師Dが担当した。私はそこで実験患者のように過酷な検査を強要され、ドラマ「白い巨塔」そのもののヒエラルキーを目撃した。休日にはDから「検査をしたい」と自宅に電話が入った。自身の病名も治療方針も明かされず、不安と恐怖は爆発寸前だった。
「はやり目」を併発した地獄のような夏の終わりに、私は転医を決めた。これが現在も通うE眼科病院である。主治医になったベテラン医師Fは、眼内写真を1枚撮り、数か月後に視力を失うと「硝子体手術」を決断。彼女は私を分院へ入院させた。
手術の6年後。今度は左目に深刻な外傷を負う。再びE病院を訪れFの診察を受けた。「これは一生涯、通わなければならないね」。Fは冷徹に告げた。強い衝撃を受けた左目の眼圧が今後、急上昇する危険性があるという。私は受傷をめぐる損害賠償でFに協力を求めた。彼女は態度を一変させ、提出用カルテを改ざんした。
50歳になると手術をした右目に白内障を発症。Fは定年退職間際に、若い男性の医師Gに観察を引き継いだ。白内障はGの執刀で完治したが、3年後に「後発白内障」を発症。2度目の手術は女性の医師Hが引き継ぎ、安定した状態が現在まで続いている。
「主治医のH先生は、まだ産休から復帰されないのですか」。先日、会計時に聞いてみた。すると「H先生はお辞めになりました。本日のA先生が○○さんの担当になります」。事務員はあっさりと言い放った。産休にしては長い。代理で診ているにしては、やけに丁寧だと不思議に思っていた。
一番長く付き合った医師F。ふり返れば患者への説明を尽くしていない。ネットで検索すれば消息の手掛かりにはなるが、どこでどうしているだろうか。 (隆)
The KAKEHASHI
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