アリラン木洞からストライキ街へ:歌で見る労働者歴史

チェ・ドウン(民衆歌手)

アリラン木洞と労働者大闘争

 1987年の労働者大闘争は、この地の労働運動だけでなく、韓国社会の民主主義の指標を新たに開く歴史的な出来事であった。労働者大闘争から始まった爆発的なストライキ闘争は、全国各地で御用労組を粉砕し、新たに自主的な民主的労働組合が結成されるきっかけとなった。そして大企業、中小企業を問わず、全産業において労働者の人間らしい生活が労働組合建設から始まるという目覚めと使命感が全国の労働者を鼓舞した。

 労働部の集計によると、1987年に発生した労働争議は3749件で、80年代に入って最も多くの争議が起きた。1980年の407件のなんと9倍に達する爆発的な闘争が展開された。特に1987年の3749件の争議のうち3341件が6・29以降、7︱8︱9月に集中的に発生した。これは1日平均44件の争議が発生したもので、1986年の1日0・76件に比べてなんと58倍も増加したのである。

 1987年労働者大闘争の真っただ中である蔚山現代重工業労働者のストライキ闘争現場で歌われた歌は、面白いことに「花籠の横でナムル採りのお嬢さんよ~」で始まる運動場応援歌の最高峰である大衆歌「アリラン木洞」であった。蔚山地域だけでなく、仁川、馬山・昌原など労働者たちの大々的な闘争が爆発した現場でも、歌われる歌のほとんどは大衆歌謡や軍歌であり、愛社精神を強調する社歌も歌われた。当時の社会はそのような状況であった。

 当時はごく少数の動きで、労働者大衆と同じ息を吸うには時代的・文化的に距離感があった時代であった。現在のように労働歌を歌う人も作る人も自由に活動できるのは、87年労働者大闘争が切り開いた空間があったからこそである。87年以前に名前を出して労働歌を歌ったり作ったりすることは、命懸けの仕事であった。

 文芸活動家

 1987年の大闘争が終わった後、歌謡運動にも新しい変化が起こった。最も顕著な現象は、全国的に多数の文芸活動家群が生まれたことである。簡単に言えば、若い人々が工業団地の地域に結集したのである。仁川、安陽、馬昌、釜山など各地の大学で歌のサークル活動をしていた若者たちが工業団地の地域にやってきて、労働者文化運動家を自称しながら労働運動に合流した。それらの運動家らによって多くの労働歌が創作・普及された。そしてそれらの活動は、活発な現場公演活動、そして組織的事業の文化的な力を労働運動に結合させ、労働者の闘争と座り込みに活気を加える役割を果たした。

 ほとんどの文化運動家の日常には、日々が労働者の闘争と歌、討論と解放舞踊、そして欠かさずともにした連帯の酒杯であった。文化運動家の活動は、夜を徹して行われた。そんな中、1988年初秋に入り、たまたまソウルで偽装廃業粉砕の連帯闘争を展開していたセチャン物産(仁川)組合員たちのソウル上京集会に参加した。集会では、「バラバラになれば死ぬ」で始まる歌を聞き、誰もがこの歌に完全に酔いしれた。

 上京闘争に参加したセチャンの組合員たちも一様に電車から降りてくる間、何度も手帳に書き留めた「ストライキの歌」を歌い、「バラバラになれば死ぬ」を歌い、それらの歌を仁川に行っても大衆的に広めるために音程を忘れないように努力していた。これほど歌の威力を実感したのは初めてであった。

 その後、仁川地域では「ストライキの歌」が労働者の歌の代表曲として堂々たる地位を築き、一日に何度も歌われるほど、座り込みの際のテーマ曲として定着した。1988年の秋を経て、まるで野原に野火が燃え広がるように全国に広がった歌「ストライキの歌」は、歌詞も曲調も一度聞けば、だれでも簡単に覚えることができ、座り込みや闘争の現場で絶大な人気を博した。この歌が持つ歌詞の切実さと曲調の簡潔さから、闘うときに歌うべき「闘争歌」の模範となった。

キム・ホチョルのストライキの歌

 「ストライキの歌」は1988年5・1日のメーデーを準備しながら労働組合で活動していたキム・ホチョルさんが集会場である延世大学生会館のロビーの片隅において即興で作った曲であった。 80年代後半、労働歌製造の自販機と呼ばれ、労働歌創作の重鎮であったキム・ホチョルさんは、1980年に韓国体大で学生会活動をしていたときに戒厳法違反で軍に連行され、ひどい鞭打ちを受けた。キム・ホチョルさんは幼い頃から運動(テコンドー)で鍛えていたため体力があったが、戒厳軍の鞭打ちには耐えられなかった。半強制的に連れて行かれた軍で軍楽隊として活動し、除隊後は夜の舞台でトランペットを吹いて生計を立てた。自称・打楽器奏者であるキム・ホチョルさんはその後、現場に就職して解雇され、「西労連」の活動や労働者を対象にした「ギター教室」の講師活動をした後、西労協文化局で活動した。そして文化局で活動しながら「ストライキの歌」をはじめ「全労協進軍歌」「総団結総闘争」「労働組合歌」「ゼネストの歌」「団結闘争歌」など多数の歌を創作・普及し、労働運動の発展に大きな影響を与えた功績で全国労働者団体協議会(全労協)から「功労賞」を受賞された。

 労働者の生活の中で歌「ストライキの歌」は労働者を結びつける団結の求心力であり、民主労総を守る精神的支柱であった。全国どこでも「ストライキの歌」を学ぶことから闘争を始めた記憶が思い出される。「バラバラになれば死ぬ」の歌の精神は、三十数年の間、職場を超え、地域を超え、連帯して実践し、生存権を守り、労働解放の世の中を作ろうと、自分の身の回りの世話も不十分ななかで厳しい闘争の中心に立っていた当時の闘士たちが私たちに残した歌である。

 中小零細事業場で民主労総を守ろうとして職を失い、公団から追い出され、今はその安否すら知ることが難しい状況であるが、人々の闘争があったからこそ今日の労働運動が存在するのである。(労働者歴史『ハンネ』より)

尹錫悦大統領が国務会議を主宰する様子と光州西区での貨物連帯光州地域本部総力闘争決議大会の様子。 共同通信 2002.11.29.

朝鮮半島通信

▲軍の創建記念日を迎えた2月8日、金正恩総書記が国防省を祝賀訪問して演説を行った。
▲韓国外務省は2月14日、キューバとの国交樹立を発表した。
▲朝鮮は2月14日、数発の巡航ミサイルを、元山の北東方向に向けて発射した。

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