NCIW第22回総会コミュニケ
かけはし2010.11.22号
東アジア民衆の共同めざす左翼を
国際主義労働者全国協議会 (NCIW)は十月下旬、第二十二回総会を開催した。そこでは四人の同志による、情勢と任務、日本政治情勢と東アジア、大衆運動並びに労働運動に関する報告と問題提起、さらに沖縄県知事選をめぐる現地の討論についての補足報告を中心に、さまざまな問題意識の突き合わせが行われた。
全同志の問題意識の底流にあったものは、世界、日本を一体的に貫いて政治、経済、社会を覆う、深刻さを増す一方の危機、並びに混迷と不確かさだった。日本の場合それは、端的に民主党政権の明らかな手詰まりとして、しかしまた民主党だけではなく、たとえば自民党にも対抗的な戦略的構想があるわけではないこととして、歴然としていた。しかもその混迷は、尖閣・魚釣諸島問題をめぐる極度の一国主義的な対応を通して日本共産党にまで広がるものであることも、今や明白となっていた。
混迷の基礎にあるものは、紛れもなく、自ら作り出そうとするものとしての、世界とアジアの今後をどう見通すかのいわば空白化だった。その全体に広がる進行への対抗、今総会の問題意識はそこに集中していた。
生活危機と貧困の拡大の逆転を求める労働者民衆の要求の実現をいかに果たすか、目前の闘争展開、並びにその不可欠の手段である左翼の大衆的基礎を備えた新たな結集というわれわれが設定した任務は、複雑さを増した条件をも加味して、大胆な創造性を求めるにとどまらず、長期的展望に耐え得る政治的立脚点の再点検を要求していた。
こうして討論のかなりの部分は、世界を左右するに至った中国の今後を支配する諸要素、特に中国で進展する資本主義力学の展開と権力の社会的構成の行方、並びにそこにおける日本の位置とそれゆえに求められる日本の政治対応をめぐるものとなった。論点の一つは、中国における資本主義力学の展開パターンが、欧米と日本がたどった「標準モデル」、つまり独占資本主義から帝国主義へ、となる可能性の可否だった。人口の過半を占める内陸部で現に起きている動き、権力の社会的基盤、特に日本を含む対外関係、それらを総合した慎重な追跡が確認された。
この中で特に具体的な問題として、尖閣・魚釣諸島問題が討論され、沖縄、台湾、大陸沿岸部住民の暮らしの場として歴史的にあった在り方を基礎として、東アジアの共同性を発展させる展望の中に位置づけて解決を追求する観点、同時にそれゆえにこそ、沖縄の米軍基地撤去の決定的重要性が確認された。その点に引きつければ、小平、周恩来の「次世代に任す」という方針には、彼らの思わくが何であれ客観的には含蓄があったと思われる。これは、近海に眠ると言われる原油資源に当面手を着けないという意味を含むものであり、客観的には、エクアドルのヤスニプロジェクトに似た積極的な意味をももつ可能性を、今では宿している。
討論のもう一つの柱は、現代における過渡的要求の問題だった。そこでは何よりも、国際金融資本との対抗を不可欠の基底的要素に組み込んだ、あくまで国際主義に基礎をもつものである必要が共有された。グローバル化した資本主義の現在においては、働き方の基準の問題も、国際基準として統一要求化することが、たとえば、多国籍大独占資本の誘致企業との闘い、あるいは対自治体闘争において武器になる可能性が指摘された。いずれにしろ過渡的要求は、国際(金融)関係、労働基準、社会保障、税制など、いくつかの柱を定め具体化が必要な局面に入っている。そしてその観点から、個々の闘争がぶつかっている対決点を点検する、そのような確認がなされた。
上記論点と密接につながる問題として、危機と政治的混迷が不可避的に高める社会的緊張が、ヨーロッパにおける極右の活性化、アメリカにおける「ティーパーティー」、さらに日本における新しいタイプの極右など、ある種の自暴自棄的方向への推力を世界的に作り出している問題を、あらかじめ断定せず十分に注意を払うべきこととして検討した。
今総会ではこれらの討論が煮詰められたわけではない。現段階では、討論の中間的集約点として、今始まっている世界の歴史的激変を世界総体の変革へと転換させることを意識的な目標に据える、プロレタリア国際主義の再生を左翼の立脚点として改めて確認したに留まっている。しかしそれは今後の左翼にとって死命を制する立脚点となる、とわれわれは考える。われわれは今後、この観点に繰り返し立ち戻りつつ自身の闘いを検証し、それを素材として、また多くの仲間の経験を突き合わせ、世界をつくり変える闘いの具体化を追求する。またそのような討論の豊富化を、日本革命的共産主義者同盟の同志たちはむろんのこと、より幅広い仲間に呼びかけたい。
なお総会では、直近の課題として、来春の統一地方選の勝利のために、また十一月二十七日の、NPA代表をゲストとする国際労働者シンポジウム東京集会成功に向け、全力で取り組むことを確認した。
国際主義労働者全国協議会第22回総会報告
プロレタリア国際主義を再生しなければならない
川端康夫
Ⅰ、グローバル資本主義の袋小路
資本主義経済の不安定性、危機的性格が世界を覆っている。各国政府は実質的に「通貨安」を目指して動き出しているように見られている。日本では連日の「円高」をめぐる報道が流され、そして菅政権は企業を「国内に留め、他国企業の日本への進出」を求めるための「法人税の引き下げ」を提唱している。
さらに、WTOの低迷は各国の間の自由貿易関係や地域的なフリー・トレード構造形成への道を進めさせ、ある意味では第二次大戦前に形成された「ブロック経済」的風景をも生み出しつつある。言うなれば、資本主義の「新自由主義」とグローバリゼーションの諸困難、危機的性格を世界的な大改変で切り抜ける、そうした発想の方程式が生み出されてもいなければ、そうした方式を金融資本は求めもしてはいないのである。
WTOが立ち往生してから十年、すなわち、新自由主義・グローバリゼーション資本主義のその日暮らし的な十年の間に、世界的な指導力体制がG7から南北世界を横断するG20の枠組みへと拡大した。が、それは新たな解決方式を提起するようなあり方には全然つながるものとはなっていない。
要するに、資本の行動は搾取と収奪という基本法則を変えてはいないし、そして、資本主義の経済的危機は労働者大衆の犠牲によって回復されるという、二百年も続いてきた枠組みを再度、改めて繰り返すことになりつつあるのである。
Ⅱ、世界的対抗二〇世紀構図の終焉
それらの点について、ヘッジ・ファンドの主導者だった一人、ソロスの先行的な問題提起があり、最近での諸論調への影響も見られ始めている。ソロスは世界的経済的枠組みの再構築を進め、現在の無政府的あり方と入れ替えることを主張し、その体制を「第二次ブレトン・ウッズ」と呼んだ。その指摘されたブレトン・ウッズという用語がちらほらと再び諸方筋に出始めてきているのだ。ブレトン・ウッズ体制は国際ケインズ主義といわれるものであるが、実際は第二次大戦を圧倒的に勝ち抜いたアメリカが自らの国益を優先しつつ、ケインズを表面的に利用した国際的経済枠組みである。金と結びついたドルを世界基軸通貨として構想した戦後経済体制構築は、西ヨーロッパに対する「マーシャル・プラン」の大援助をもって再建へと踏み出した。
しかしそれは遺憾ながらせいぜい二十数年程度持続しただけである。アメリカは六〇年代のヴェトナム戦争でドルを浪費し、ここに金に裏付けられたドル体制を放棄するという共和党ニクソンの政策転換が現れ、このニクソン・ショックが七〇年代以降の世界の新たな構造を築いた。この構造の生み出す矛盾、危機の深化が二〇世紀の末期を彩り、そして二一世紀最初の時期の時代的特徴となったのである。
しかしながら、一方では資本主義の擁護者ソロスが警告するという状況であるにもかかわらず、他方では「世界を根本的に変革する」という政治傾向はほとんど力を持たなくなった、という特徴も全面化したのである。いわゆる社会主義・共産主義の動きはほぼ姿を消した。
資本主義の枠内での「やりとり」が、それが環境問題など、多方面に拡大しているという事実は少なくとも前向きに認識すべきであるが、しかしながらやはり「小手先」という枠組みの限界を示してしまう。いわゆる「南北問題」が国際的会合の議事の大半を占めるようにもなってきたが、南を収奪してきた北の資本主義の歴史経過への抗議は、しかしながら、南での新たな「資本主義」形成への動機に支えられているのである。ソロスの言う「第二次ブレトン・ウッズ体制」も中身はない。
こうした流れに対抗すること、すなわち、国際的金融資本の自由横行を基礎とする世界構造と対抗すること、その任務は一国的な枠組みの、今やまさに明白な限界を越える世界的な変革ということに他ならない。グローバルな世界の変革―その視点が二一世紀での左翼的な最大の核心点である。
Ⅲ、日本(そして中国)の共産党
釣魚島・尖閣諸島問題に関する日本共産党の立場の立脚点が判然としない。論文全部を読んでも、そこにはプロレタリア政党として不可欠なはずの「国際主義」のかけらも見えない。尖閣諸島(釣魚島)は日本固有の領土だ、という大々的主張を行うことで日本共産党は将来としていかなる東アジアをめざそうとしているのか、あるいは中国との関係をどのようにしようと展望しているのか、何も語らない。まして世界をどのようにしていくのかというレベルは陰すらも見えない。ソ連と別れ、中国と決別した日本共産党は、国際革命を考えることは一切せず、全くの一国主義左翼となった。そして現在以降はどういう存在となるのか?
他方、中国はどうか。一国主義の大中国という毛沢東が最終的に定め、小平も継承した「反レーニン主義」の枠組みは何ら変更されることなく持続されている。そして、今回のノーベル平和賞問題や全人代での民主主義の公然たる要求は、この共産党独裁国家の将来像が明るいものとは決して言えない、という印象を強く与える。
小平は、「諸民族の自治は認める、だが、自決は認めない」と遺言した。だが現在の中国で「自治」があるとは到底言えないだろう。そして「自決」は「反革命」である。一党独裁反対で獄中者となった人物がノーベル平和賞を授かることを執拗に妨害したとの報道もある。もちろんノーベル平和賞というのは佐藤栄作が受賞したごとく、相当に表面づらの性格もあるのであるが。
そしてこの中国共産党にも左翼の国際連帯を見るという視点は現在的には、ゼロではないかもしれないが、ほぼゼロに近い。
こうした二〇世紀左翼の本質的な一国主義という時代は終わりとなりつつあり、また終わるであろうと言わなければならない。一国水準では国際金融の巨大な力に対抗することが極めて難しくなっているにもかかわらず、国際主義を放棄することは個々の国々での資本主義への合流を徐々に強めていくことになる。すなわち左翼であることの放棄が全体化しているのである。
したがって、時代的に求められていることはグローバル資本主義時代と対抗する左翼勢力の形成へと左翼勢力の流れを変えることである。
Ⅳ、政権の政治的雑多さと立往生
鳩山の切れ切れ、ずたずたになった辞任は、沖縄基地問題を自民党政府時代の方式を呑むことを最後としてなされた。後を継いだ菅は、その鳩山の決意を前提として内閣業務を展開することを言明した。それは自民党政治からの変革を期待した多くの人々が民主党から離脱する傾向を本質的に切り替えることとはなり得ない。
鳩山に変わって菅になったときに、内閣支持率は上昇した。だが、それは一時的なもので、低下傾向がその後次第に明確となってきた。その趨勢は鳩山と変わるわけではない。そうであればなお、沖縄民主党は党中央方針に従わない。その結果、沖縄知事選への立候補も出来ない。現職の自民党・公明推薦知事もまた、基地問題では県外論に傾斜しているように見える。
民主党も自民党も、現体制はアメリカ寄りの立場である。釣魚島、尖閣列島問題で、海上保安庁が相手漁船の乗組員を捕獲し、そして船長を日本の法律で粛々と処理する、と公然と述べたのは、新外務大臣前原だった。ところが、おそらくは政府首脳が事態に驚愕し、船長の早期保釈、帰国の手配を裏から行ったのであろう。こうしたことが推測される中で、政治と検察の問題が出てくるわけだが、それは小沢問題とも深く関連する。
菅と小沢の党首選挙は、菅が意外な、結構の差で勝った。すべての大マスメディアが小沢をたたき、とりわけ朝日新聞は露骨であった。
自民党政権つぶしの仕掛け人は小沢であり、同時に日米安保体制について新たなニュアンスをちらつかせ、そして中国に大議員団を引き連れて訪問する……日米安保派、日米同盟派の怒りは相当に激しいだろう。ふらふらの鳩山に比して剛直な小沢をつぶせ……自民党のみならず民主党にもかなりの規模で存在するのであろう。
こうした小沢問題が登場した頃、左翼陣営の一部には「検察の政治介入」という見方が現れた。当時の朝日新聞にも、戦前の政党政治を最終的に解体させた契機としての検察介入、大財政疑惑裁判があり、ほとんどは長期裁判の結果無罪となったが、しかし政党はその過程で壊滅した、という記事があった。が、鳩山兄弟への母からの膨大な資金援助(本人は知らなかったと二人とも言っている)や小沢が歴史的な雰囲気として「金」問題に絡むところがあるのではないか、という底流的流れを検察は強引に引き出した、ともいえるのであるが、その検察自体が起訴をあきらめた後は大マスメディアが世論を操作していると言うべき事態である。まず起訴ありき、この流れが再度の検察審議会の結論を導いたのであろう。
だが歴年の検察の「まず起訴ありき」「筋書きを作る」「余計な証拠は隠す」という方式は、松本清張の一連の「黒い霧」歴史書でも相当に糾弾されてきたし、その最大である松川事件無罪の決定的根拠となったのも、諏訪メモという証拠の隠滅が暴露されたことであった。そして、近年の次から次へと起こる再審無罪という現実が、こうした検察の歴史的性格を弾劾するものとなっている。そして「郵政問題」である。この件での大阪地検特捜部の「証拠書き換え」問題の露呈が検察に与えている衝撃は大きいだろうが、大マスコミの取り上げ方は、小沢問題への集中に比すれば、いささか形式的である。このままでは特捜部の解体には行かない可能性が強い。警察も検察もそして裁判所も、明治国家の中で、国家に奉仕する抑圧機構として形成されたが、その本質を根本から改めるという動きは極めて弱いものであった。大逆事件も、横浜事件も裁判所がその不当性の認定を今でも回避しているのである。
小沢問題は、小沢が最高裁にまで、起訴という決定への異議を申し立てている。その結論がいかなるものであれ、小沢が闘いを続ける限り、小沢問題はこうした明治政府以来の検察のあり方、あるいは裁判所のあり方などを根本的に問い返す契機とならざるをえないであろう。
ブルジョアマスコミも、大新聞を除けば、もちろん一体ではないし、起訴に抗議する集会も、自然発生的な集まりを見せた。北方二島返還論に傾いた鈴木宗男への、金権に関しての逮捕・起訴・有罪判決にもかかわらず、鈴木宗男は新党大地を形成し、議員職を放棄する気にはなっていない。鈴木も政治と検察の関係を問うているのである。民主党参議院の会長である輿石東は十月二八日の段階でも小沢証人喚問拒否の姿勢にある。だが国会を乗り切るために菅内閣主流は、そうした拒否を貫徹することへの反対の気分が強いであろう。そこで、問題は次のようになる。
民主党菅内閣は、「ねじれ国会」を切り抜けるための、連立の可能性をはかっている。主要対象は公明党であるが、その際にも小沢問題が大きな障害となる。菅内閣は動きが取れなくなる可能性が高い。小沢を「切れば」、相当部分が離党する。とりわけ参院ではその可能性が高い。とすれば、公明党と連立を組んでも、小沢系統が非協力となった場合には問題は何ら解決しない。とすれば、自公との大連立か。これは確実に民主党の終わりとなるだろうし、さらには沖縄民主党を傘下に維持できるかどうか疑問となろう。沖縄社会大衆党への流れが拡大するかもしれない。というのも、沖縄はこの間の経験から、改めて、自立、独立への動きが出始めた。久々のことだ。もちろん、沖縄社会大衆党がそうした方向性を取れば、という話であるが。
さらにわれわれは、あるいは自民党は、「三里塚」を経験している。沖縄で「三里塚」を再現出来るだろうか。
そしてアメリカ政府は、全世界的な基地縮小の波にさらされてきた。米軍と近かった政権が変われば、基地撤去も問題となるのである。フィリピンの例が典型であったろう。日本の場合、基地撤去を言わない部分の本音はどこにあるのだろうか。反共、反中国の「伝統的な人々」は当然多数いるが、あと一つは日米貿易関係、とりわけ過去数十年アメリカ輸出を事業の柱のごとく扱ってきた大資本財界の意図もあるだろう。菅首相は環太平洋貿易協定への参加を明らかにした。前原はそうしたことの先兵である(中国サイドでは前原への大警戒が生じているらしい)。
アメリカへの輸出立国は今や中国や韓国が先行する勢いである。だがそれもさほど将来展望のある話ではない。アメリカは輸出主義へとオバマの下で舵を切り始めた。膨大な貧困人口を抱えるアメリカはもはや輸入大国で平然としているわけにはいかなくなりつつあるのである。そしてまた、アメリカは自国利害の優先に対しては、平気で無理を通す国である。例えば、自動車輸入の完全自由化をアメリカ政府は受け入れるだろうか。環太平洋の完全貿易自由化の動きも、アメリカからすれば自国の輸出のためであって、輸入自由化の貫徹のためではないだろう。とりわけ農産物の自由な輸出を実現することは、伝統的な共和党支持層である大西部農業地帯への民主党の切り込みでもあるが故に、オバマ政権としての狙い所とも思えるのである。日本農業をどうするのか、食料自給率問題をどうするのか、民主党では、この問題でも内部の大論議が始まりそうである。
Ⅴ、政界再編と左翼の新たな結合点
「三月政変」という話は相当に広がった話であろう。つまり、予算と関連法案がどうにも動かなくなった場合の解散総選挙である。その場合でも民主党が衆院三分の二以上という「安定的多数」を維持するということは難しいだろうから、安定政権に向けての多数派工作が政党再編にまで到達してしまうという可能性は大いにあるだろう。
その際には、表面的にはいざ知らず、根本的には、アメリカとの同盟かそれとも東アジアの共同開発を目指す独自の動きか、この二つに大きく分かれることとなるのであろう。当然、東アジアには北朝鮮の体制の危機がさらに進むであろうことや、肝心の大国の中国が現在的な体制を維持できるのか、もし維持できないとすれば大事件となるかもしれない、という問題はある。しかし、そうした政治的な「過去の名残」現象があったとしても、東アジアでの経済的相互関係はさらに深まって行くだろう。日本経済は、すでに中国経済に相当に深く依存している。ドル安がさらに進み、円高が不可避的に進むであろうという状況において、中国もまた元切り上げを強く要求されている。こうした傾向は東アジアに典型を見せている「輸出至上主義」経済総体への打撃となっていくから、東アジア総体としての「内需拡大」への動きを強めざるをえないのである。
これは二十世紀的な東西対立概念とはまったく異なる事象である。アメリカ依存をさらに継続するのか、それとも東アジアの協同性を築き上げていく方向性を積極的に展望するのか、この両者の別れは、鳩山個人の中に顕在化し、内閣を投げ出さざるをえない所までの矛盾となったが、今後はこの両者をめぐる政治分岐と言うのが政治的基軸となって行くに違いない。
この構造は、全社会的な政治構造となる。議会政治においてのみならず、議会外の左翼的領域それ自体を巻き込むこととなるだろう。すでに尖閣問題や沖縄基地問題がそうしたあり方を鋭く示唆している。沖縄自立論が政治的生命力を持つためには、東アジアの将来像の中に沖縄の将来像も描かれなければならないからである。
解体した、あるいは解体への最終段階にある二十世紀左翼は、前述したように全くの一国主義となってしまっている。だが、現に生起しつつある事態はまさに国際的、東アジア的将来を問うものなのだ。東アジア民衆の協同性を作り上げていくことにこそ、日本国内のみならず国際的にも新たな左翼形成の結合点があるだろう。